第34話「赦されない謝罪」
アレクシアとベアトリスは、九種族の紋章が残る水門で再会した。
開いたばかりの水路が、二人の足元で低く鳴っている。
石はまだ乾いていて、水が触れた縁だけが色を変えていた。
アレクシアの記憶では、最後に言葉を交わしたのは滅びる前の王都だった。
ベアトリスにとっては、アレクシアが魔王国へ去った五年前が最後である。
あのときのベアトリスは、泥のついた作業着を着ていた。今は人間国の王妃として、白い外套と王家の印を身につけている。
それでも、アレクシアを見る目は変わらなかった。
「弟を診たのは?」
「ザハルよ。病気として消すものではないと判断したわ」
「あなたの配下だから、そう言ったのではありませんか」
「疑って当然ね。診療記録と血縁記録を渡します。人間国の医師にも調べさせて」
ベアトリスは書類を受け取り、シリルへ目を向けた。
「怖いことはされなかった?」
「されていません」
シリルは答えたあと、アレクシアを見た。
「でも、この人はまだ怖いです」
「それでいいわ」
アレクシアは言った。
「怖がらないよう命じる権利は、私にはないもの」
両国の役人を水門の外へ下がらせた。
魔王もエドガーも、この場にはいない。
水門の中央には、細い線が引かれていた。
人間国側にベアトリスとシリル。
魔王国側にアレクシアとザハル。
どちらかが線を越えれば護衛が入る取り決めだった。
五年前、同じ部屋で菓子を分けた二人が、今は国家間の規則に守られて向かい合っている。
「ベアトリス。謝罪します」
喉が乾いた。
「宮廷で笑われていたあなたを庇い、礼法を教えた。友人になった。それなのに、エドガーがあなたへ心を寄せたと知ったとき、最初から私を裏切るため近づいたのだと思い込んだ」
ベアトリスは何も言わない。
水の音だけが続いた。
「失敗する席をわざと教えた。招待状を届かなくした。あなたが身分を偽って王家へ近づいたという噂を流した。そして、私だけに話してくれたシリルの秘密を使った」
言葉にするたび、自分のしたことが戻ってくる。
「嫉妬していた。王妃の座を失うのが怖かった。でも、それは理由であって、許されるための言い訳ではないわ」
「弟を助けたから、帳消しにしてほしいのですか」
「いいえ」
「魔王国の穀物を守り、この水門を開いたから?」
「何をしても帳消しにはならない」
「では、なぜ謝るのです」
「許されないまま、私がしたことを引き受けるためよ」
「引き受けるとは、何をすることですか」
ベアトリスの声が初めて強くなった。
「謝ったと記録して終わるのですか。処罰されることですか。それとも、自分を悪人だと言って楽になることですか」
アレクシアは答えを用意していなかった。
「あなたとシリルが求める訂正と補償を、私に不利でも行うこと。私が同じ手段を使おうとしたとき、止められる制度を残すこと」
「私たちが、あなたの考えた補償を受け取りたくないと言ったら?」
「決めるのは、あなたたちよ」
シリルが姉の袖を引いた。
「ぼくは、学校へ行きたい」
アレクシアは彼を見た。
「魔族の研究材料としてではなく?」
「普通の生徒としてです。水門の勉強はしたいけど、ほかのことも選びたい」
「記録します」
アレクシアはその場で書いた。
シリルの望みを、和平の象徴や歴史の証明より先に置く。違反した場合、共同調査からアレクシアを外せる条項も加えた。
長い沈黙が落ちた。
日が傾き、水面の照り返しが二人の足元まで届いていた。
水門の向こうで、二つの国へ同じ水が流れている。
「謝罪は受け取りました」
ベアトリスは静かに言った。
「ですが、許しません。弟を救ったことも、この水門を守ったことも、あなたが弟を危険にした事実を消しません」
「わかっているわ」
「本当にわかるかは、これから見ます」
ベアトリスは共同調査の文書を取り出した。
期限は一年。
ザハルを両国の共同治水責任者とし、水利施設、独立戦争の記録、両国軍部の通信を共同で調べる。
議事録は双方へ同じ内容を残し、一方だけで改められないようにする。
「友人としてではありません」
「ええ」
「人間国の王妃と、魔王国の代表としてです」
風で紙の端が浮き、ザハルが手のひらで押さえた。
二人は文書へ署名した。
握手はしなかった。
ベアトリスは署名した紙を二部に分け、一部を人間国へ、一部を魔王国へ置いた。
「昔は、あなたから教わった書式をそのまま使っていました」
「今は?」
「あなたが書いた条件を、疑って直せるようになりました」
「そのほうがいいわ」
その夜、人間国の王宮では、エドガーが会談の報告を読んでいた。
「アレクシアは、君の罪悪感を利用している」
「会談を決めたのは私です」
「そう思わせるのが、彼女のやり方だ」
エドガーは、ベアトリスと魔王国の通信をすべて王へ提出するよう命じた。
妻を守るためだと、心から信じながら。




