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第29話「砦冠の値札」

 砦冠の裁判には、小麦一粒から始まった証拠が積み上げられた。


 最初にニムが、二つの国の帳簿を並べた。


「人間国の軍部は、灰熱黴が出た小麦を廃棄品として売っています。買ったのは三つの商会。名前は違いますが、金はすべて砦冠家の鉱山会計から出ています」


 砦冠は腕を組んだまま答えた。


「安い品を買っただけだ。病変があるとは知らなかった」


「では、なぜ食用小麦として北部の冬備蓄庫へ売ったのですか」


 マルザが、無事な小麦と病変小麦を一皿ずつ置いた。


「あんたの商会は、倉庫へ入れる前に味見役を置いていた。この違いがわからない者じゃない」


「料理人の舌を証拠にするのか」


「検査記録もあります」


 アレクシアが二枚の紙を差し出し、ルルクがそれを包み込んだ。


 青灰色の身体に、消された文字が浮かぶ。


『灰熱黴を確認。食用不可。廃棄処分』


 その上へ、別のインクで書き足されていた。


『良質。北部備蓄へ移送』


「同じ紙の書き換えです」


 セヴランが言う。


「訂正命令には砦冠家の印がある」


「印を盗まれた可能性は?」


 古冠の問いに、セヴランが訂正命令へ手を触れた。折れた角の根元に淡い光が集まる。


「署名は偽名ですが、契約に使った真名は砦冠家の軍糧責任者です。本人は、当主の口頭命令を受けたと証言しています」


 責任者一人へ罪を押しつけられないよう、支払い、検査、訂正、輸送の経路が一本ずつつながれていく。


 アレクシアの帳簿に、太い黒線が現れた。


 病変穀物を売り、魔王国の備蓄を減らす。国境を封鎖させ、砦冠家の倉庫と輸送隊だけを使わせる。


 飢えた人間国へは、武器と引き換えに魔王国の無事な小麦を高値で売る。


 どちらが飢えても、砦冠家は儲かる仕組みだった。


「息子殿の手紙も読み上げましょうか」


 帳冠が、通信記録を差し出した。


 砦冠の嫡男は、人間国軍部へ偽の襲撃情報を流し、国境へ兵を集めさせようとしていた。


 一回目の人生では、その混乱の先で侵攻軍を率い、アレクシアを殺した男である。


『人間の村を一つ焼けば、向こうから越境する』


 息子の提案に対し、砦冠は短く返していた。


『王都に残る記録を消してから動け』


「通信内容を裁判へ使う許可は?」


「砦冠家の端末に対する捜査令状があります」と帳冠が答えた。「私が以前なら隠した記録です。今回は、監査役三名が同時に封を開きました」


 帳冠の声には苦みがあった。譲った力が、初めて古くからの同盟者を裁いている。


「止めなかったのね」


 アレクシアの声は、自分でも驚くほど静かだった。


「息子は、まだ何もしていない」


 砦冠が言う。


「お前は、あれの顔を見ただけで怯えているようだ」


 図星を突かれ、アレクシアの背筋が冷える。


 だが、帳簿に示されたのは前世の知識ではない。


 ――人間妃が息子を恐れていると知り、過去の略奪記録を使って圧力をかけた。


 砦冠は、息子が以前から捕虜や民間人を殺していたことを知っていた。その記録を戦果へ書き換え、罪を隠している。


「あなたの息子を裁く理由は、私への脅しではない」


 アレクシアは軍報を置いた。


「すでに殺された者たちのためよ」


 判決は、魔王と古冠が読み上げた。


 砦冠の軍権を停止し、鉱山、指定商会、軍糧庫を王室管理へ移す。


 病変穀物で失われた備蓄を補い、残りは国境の共同食料庫と被害者への補償に使う。


 王室管理には期限がついた。


 半年以内に、軍、商人、食堂、鉱山労働者から一人ずつ監査役を出し、恒久的な管理制度を作る。


 砦冠から奪って魔王の私有物へ変える判決ではない。


 砦冠本人は拘束され、辺境軍の指揮官には剣冠の監査を受けさせる。


 帳簿の黒い数字が、銀色へ変わった。


 《徴収》


 《配当》


 ルルクの身体は紙から離れたあとも、消された文字を正確に保っていた。


 ――清掃スライムから、記憶スライムへ。


 セヴランの折れた角に淡い光が戻り、契約の署名が本名か偽名かを見分けられるようになる。


 ――小契約悪魔から、監査悪魔へ。


 マルザは、北部の各倉庫から運ばれた標本の状態を、混ぜたあとでも匂いだけで見分けた。


 ――屯田オークから、豊穣オークへ。


 シェラの糸は王都の外壁まで伸び、切れた場所を正確に知らせた。


 ――穴倉スパイダーから、千糸スパイダーへ。


「ニムには何もないの?」


 アレクシアが尋ねる。


「前にいただきました。それに、数えた結果が変わるわけではありません」


 ニムは没収目録を書き続けていた。


 力が増えなかった者が取り残されるのではないかと、アレクシアは一瞬考えた。だが、ニムは不満そうではない。


「必要な力が必要な場所へ行ったなら、それで利益です」


 《配当》は褒美ではない。派閥へ所属した順に階段を上がる仕組みでもない。そのことを、ニムの変わらない目が示していた。


 裁判が終わる直前、国境から伝令が駆け込んだ。


 砦冠の嫡男が拘束命令を察し、私兵三百を連れて逃亡した。


 向かった先は、人間国だった。


 王倉を空にし、軍部へ食料を借りた国へ、戦争を売る将軍が渡った。

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