第27話「帳冠の舞踏会」
帳冠の舞踏会は、踊る前から始まっていた。
アレクシアへ届いた招待状には、開宴は夜七時とある。魔王の招待状には六時半。
商業派には六時。旧離宮の者だけが、最後に到着するよう仕組まれていた。
「遅刻した人間妃を、全員で迎えるつもりね」
「行くのか」
魔王が尋ねた。
「招待されたもの。期待には応えないと」
アレクシアは六時に会場へ入った。
入口の係が目を見開く。
「開宴は七時と伺っています」
「そうね。だから、招待時刻が違う理由を確認しに来たの」
ルルクが青灰色の身体を震わせた。
『アレクシア、七時。魔王、六時半。商業派、六時』
招待状を取り込んだときの声が、広間へそのまま再生された。
貴族たちの視線が帳冠へ集まる。
帳冠は青い扇を開いた。
「書記の手違いでしょう」
「ええ。今後は手違いが起きないよう、招待状を一斉に公開するといいわ」
シェラが柱の通信糸へ触れた。会場の四隅から、全員の招待時刻が同時に読み上げられる。
「通信糸を見世物にするとは」
帳冠家の者が非難した。
「招待状の持ち主全員から、時刻を公開する同意を得ています」
シェラは答えた。舞踏会へ来る前に、商業派と旧離宮の客へ一人ずつ説明していた。
便利だからと会話を勝手に流したのではない。
次は席順だった。
アレクシアの席は魔王から遠く、砦冠の家臣と外国商人の間に置かれていた。一方、帳冠の席は魔王の隣にある。
「人間族代表は、外国使節として扱いました」
「建国盟約では、人間族代表は国内の一席よ」
「舞踏会は裁判所ではありません」
「だからこそ、席順で法律を曲げてはいけないのではなくて?」
アレクシアは席を奪わなかった。
代わりに、シェラへ席順表を読み上げさせた。
誰が誰の隣へ座り、その家から帳冠家へどんな贈り物が届いたか。
宮廷規則に従って届け出られた贈答記録へ、ニムが調べた価格も添えた。
「これは脅迫ですか」
「いいえ。皆様の立派な交流を、隠さず紹介しているだけです」
宝石を贈って上座を得た貴族たちが、次々に席を離れた。
ただし、すべての贈り物が賄賂ではなかった。弔意の花、婚姻の祝い、借りた品の返礼には、ニムが用途を添えている。
「値段を出しただけで罪人扱いするのか」と老貴族が怒る。
「いいえ。だから理由も一緒に出しています。隠すべき取引と、残すべき礼儀を、同じ箱へ入れないためです」
帳冠の微笑みが初めて崩れる。
「あなたは、宮廷の礼儀をすべて数字へ変えるおつもり?」
「礼儀と取引を分けたいだけよ。贈り物で席が決まるなら、最初から価格表を出しなさい」
音楽が止まった。
帳冠は扇を閉じ、楽団へ指を上げた。
「続けなさい。舞踏会で音楽まで奪われれば、わたくしには何も残りません」
細い弦の音が戻る。
帳冠はアレクシアの前へ立ち、手を差し出した。
「最初の一曲を。人間族代表を外国使節として扱ったおわびです」
「皆の前で足を踏ませるおつもり?」
「あなたが踏めば事故、わたくしが踏めば外交問題。公平でしょう」
アレクシアはその手を取った。
二人が広間の中央へ進むと、空いた席にいた貴族まで壁際へ下がった。
視線のすべてが集まる。帳冠にとって舞踏会は飾りではない。
誰を中央へ立たせ、誰に道を譲らせるかを決める仕事場だった。
「六歳から、この歩幅を教えられました」
帳冠は笑顔のまま、小さな声で言った。
「陛下の左腕が傷ついたとき、どちら側から支えれば弱さを見せずに済むか。敵国の使節が退屈しているとき、何曲目で話しかけるか。王妃にならなければ、使わない知識ばかりです」
「宮廷儀礼を担うのに、王妃である必要はないわ」
「あなたは簡単に役目を切り離すのですね。わたくしの家では、娘の身体も婚姻も情報網の一部です」
「だから守りたい?」
「だから、失ったあとに一族の娘たちが何者になるのか、あなたに答えてほしいのです」
アレクシアは帳冠を失脚させる証拠を持っていた。交易計画を砦冠家へ流した通信記録である。
だが、それをここで突きつければ、帳冠は情報網を切り、地下工房へ罪を押しつける。
「取引をしましょう」
アレクシアは声を落とした。
「宮廷通信を、帳冠家だけの秘密から公的な制度へ移す。通信の宛先と費用は記録し、私信は守る。犯罪調査には裁判所の命令を必要とする」
「私に、家の力を差し出せと?」
「管理者として残る道を差し出しているの。拒むなら、今夜の通信記録を黒冠院へ出します」
帳冠は長く黙っていた。
「地下の娘が考えたのですか」
「盗み聞きを拒んだのはシェラよ。制度を考えたのは私とセヴラン」
「自分の失敗までお話しになるのね」
「隠せば、あなたと同じになるもの」
一曲が終わった。
二人は同時に礼をした。帳冠はアレクシアの手を離したが、壁際へは戻らなかった。
帳冠は青い扇を胸元へ戻した。
「三月だけ協力します。その制度が、私の網より役に立つと証明なさい」
「十分よ」
「条件があります。私信の保護を破った者は、あなたの配下でも処罰すること。地下工房を、あなたの新しい私有網にしないこと」
「認めます。監査役は帳冠家、工房、古冠院から一人ずつ出して」
「もう一つ。帳冠家で通信と儀礼を学んだ者を、公募の審査を経て新制度へ雇うこと。わたくしの親族だから採るのでも、親族だから排除するのでもなく」
「認めます。本人が望む場合に限る、と加えます」
「……その条件を、わたくしが忘れていました」
帳冠は、自分の家の娘たちが役目を望むかどうかを考えていなかった。
王妃候補として育てられた自分も、一度も尋ねられなかったからだ。
帳冠は自分の力を失うのではない。
独占していた力を、他者の目が届く場所で使うことになる。
それでも彼女にとっては、敗北に近い譲歩だった。
舞踏会の終わり、帳冠は一枚の軍報を渡した。
「友好の証ではありません。砦冠に独占させるには危険すぎる情報です」
軍報には、国境軍の若い将軍の肖像があった。
竜の鱗に覆われた右手。
アレクシアは、その手を覚えていた。
一回目の人生で、焼けた城壁の下にいた自分を槍で貫いた手だった。
紙面の顔と、死の直前に見た顔が重なる。指先が冷え、息が浅くなった。
「読むのを代わるか」と魔王が低く聞く。
「いいえ。これは今の彼の記録よ。私を殺した未来だけで裁かない」
肖像の横には、現在の略奪と捕虜への暴行に関する報告が添えられていた。未来を知らなくても、調べる理由は十分にある。
「砦冠の嫡男です」
帳冠が言った。
「そして現在、人間国の軍部と最も多く手紙を交わしている男です」




