第26話「地下の織姫」
その年の秋、旧離宮へ届く通信は、一日に百件を超えた。
アレクシアが魔王国へ来て四年目。
アレクシア、ベアトリス、魔王は二十一歳になり、七年の期限はもう遠いものには見えなかった。
帳冠家の通信糸は、王宮の壁の中を通っていた。
糸へ声を伝えると、離れた部屋で同じ振動を再現する。伝令より速く、紙のように奪われることもない。
ただし、糸を張った者なら、途中で声を聞くことができる。
「交易計画は、ここから漏れたのね」
アレクシアたちは、糸を地下へたどった。
旧種族街のさらに下。湿った工房には、何百本もの糸が天井から垂れていた。
その中央に、若いスパイダー族の女がいた。
名はシェラ。背から伸びた細い脚の一本を引きずりながら、切れた糸をつないでいる。
「帳冠家の者?」
「違います」
シェラは怯えたように身を縮めた。
「糸を納めているだけです。どこへ張るか、何を流すかは、上の方が決めます」
「途中の会話を聞ける?」
「振動はわかります。でも、聞いてはいけないことになっています」
彼女の指には、古い傷がいくつもあった。糸を切った罰ではない。長時間、魔力を流し続けた傷だ。
帳冠家は地下工房から糸を安く買い、宮廷では貴重な通信として高く売っていた。
作り手には、通信内容を知る権利も、使い道を選ぶ権利もない。
「一巻を作るのに何日かかる?」
「三人で二日です」
帳冠家の納入記録では、地下工房へ払われる額は完成品価格の二十分の一だった。
さらに「失敗した糸」の名目で三割が無償にされている。
その失敗品も、王宮では短距離用として売られていた。
「工房が直接売れない理由は?」
「帳冠家の許可印がなければ、通信糸と名乗れません。勝手に張れば盗聴罪になります」
作る者を盗人にできる規則で、独占を守っていた。
「同じ糸で、警報を作れる?」
「扉や壁が壊れたら、離れた場所で鳴らせます」
「医療には?」
「傷を縫う細い糸も作れます。毒を抜けば、人間にも使えます」
「街全体へ張れば?」
シェラは初めて顔を上げた。
「火事や崩落を、すぐに知らせられます」
盗み聞きの道具しか見ていなかった宮廷より、彼女は糸の価値を知っている。
「旧離宮の通信係として雇います。用途は公的な連絡、災害警報、医療に限る」
「帳冠家が許しません」
「あなたは帳冠家の所有物なの?」
「違います。でも、逆らえば地下工房の仕事がなくなります」
「なら、工房ごと契約するわ。価格と用途は公開します」
シェラはすぐには返事をしなかった。
「私一人では決められません」
彼女は天井の糸を三度、短く弾いた。
工房の奥から、老いたスパイダー族、糸を染めるゴブリン、指に包帯を巻いた若者たちが出てきた。
ここはシェラ一人の工房ではなかった。
「宮廷と新しい契約を結ぶそうだね」
老女はアレクシアを見ず、シェラへ尋ねた。
「はい。でも、全員ではありません。今の仕事を続けたい人まで巻き込みません」
「帳冠家に知られれば、残った者も仕事を失う」
「だから、既存の納入を打ち切らないよう帳冠家へ要求します。拒まれた場合は、新しい契約の予算から仕事を失った期間を補償してもらいます。参加した者へ報復しないことも条件です」
アレクシアが口を挟もうとすると、シェラが細い腕を上げた。
「先に、私たちで話します」
「ええ」
アレクシアは待った。
工房では、宮廷と関わりたくない者、医療用の糸だけなら作りたい者、賃金が本当に上がるなら参加する者に意見が分かれた。
シェラは全員を説得しようとしなかった。名前と希望する仕事を一人ずつ記録する。
最初の契約へ参加したのは、工房の半数だった。
「代表は一年ごとに選び直します」とシェラが言った。「私を外すこともできます。この条件を入れてください」
「認めます」
臆病だったからこそ、彼女は自分が仲間の声を奪う側になることを恐れていた。
「妃殿下が負けたら?」
「契約は旧離宮ではなく、人間族代表の予算と旧市街の防災費へ分けます。私がいなくなっても、両方を同時に止めなければ続くようにする」
「工房の仲間を、宮廷へ住ませませんか」
「住む場所は本人が選ぶ。地下を直す費用も契約へ入れます」
アレクシアは、壁の中を走る無数の糸を見上げた。
「その前に、帳冠が誰へ情報を流したか調べたい。寝室や私室へも糸を張り、宮廷中の会話を拾いなさい」
「できません」
小さな声だったが、はっきりしていた。
「私の命令を拒むの?」
「犯罪の証拠がある部屋なら、裁判所の命令で張ります。でも、何もしていない人の寝室には張りません」
「相手は、すでに私の計画を盗んだのよ」
「だから、関係のない人まで盗み聞きしていいことにはなりません」
ガランが家を壊す命令を拒んだときと同じだった。
便利な力を手に入れた瞬間、アレクシアはそれを使える場所すべてへ伸ばそうとした。
「命令を取り消します」
アレクシアは息を吐いた。
「盗まれた交易計画が通った糸だけを調べる。記録はセヴランが管理し、無関係な会話は残さない。それなら?」
「できます」
「その条件なら、工房のみんなと一緒に働きます」
「盗み聞きを命じた私の発言も、記録へ残して」
シェラは驚いたが、セヴランはすでに筆を取っていた。
権限のある者が一度引き返した事実は、次に同じ命令を拒む者の盾になる。
シェラは糸へ指を触れた。
銀の糸が淡く光り、工房の奥へ振動が走る。
「この枝です。交易計画が流れた夜、帳冠家の執務室から砦冠家の別邸へつながっています」
通信の内容そのものは残っていない。
だが、振動が流れた時刻と長さ、糸を開くために使われた帳冠家の印、受け取った砦冠家の端末番号は記録できた。
焼かれた送り状の時刻とも一致する。
「誰が話したかまではわかりません」
「わからないことも含めて提出しましょう。つながった事実と、命じた人物は別に調べる」
証拠を記録し終えたとき、別の糸が鳴った。
青い封筒が、するすると地下へ降りてくる。
帳冠からアレクシアへの招待状だった。
――宮廷の秩序を理解していただくため、舞踏会へご招待いたします。
紙の端には、挑戦を意味する蜘蛛百合が描かれていた。




