第23話「善意の国境改革」
アレクシアが魔王国へ来て、四度目の春を迎えていた。
十八歳の春には雨漏りを止めるだけで一日が終わった旧離宮も、今は国境から届く報告を毎朝受け取っている。
アレクシア、ベアトリス、魔王は二十一歳になっていた。
国境改革は、拍手とともに始まった。
人間国から届いた新聞には、笑顔のエドガーとベアトリスが並んでいた。
その下には、大きな文字で王太子の言葉が記されている。
――商人は罪人ではない。正しく働く民が、疑われずに国境を越えられる国を作る。
罷免された国境長官は、評判の悪い男だった。
荷物を細かく調べ、少しでも申告と違えば何日も足止めする。口が悪く、商人から賄賂を受け取ったという噂もある。
代わりに任命されたのは、自分の領地に救護院を建てた若い子爵だった。
冬には私財でパンを配り、借金で子を売ろうとした農民を助けたこともある。
帳簿は、どちらの名前にも反応しなかった。
「悪人を追い出して、善人を置いた。新聞だけなら立派な改革ね」
アレクシアが言うと、魔王は新聞を裏返した。
「だが、お前は失敗すると知っている」
「前の人生では、このあと国境から武器が入ったわ」
「前と同じ者が、同じ荷物を運ぶのか」
「そこまでは覚えていない」
「なら、今回の証拠を探せ」
未来を知っているというだけでは、他国の役人を罷免できない。
アレクシアはニムに、改革前後の通行記録を集めさせた。
「荷車一台の検問時間は?」
「前は平均で二時間。今は十五分です」
「短すぎるわね」
「もっと問題があります」
ニムは三冊の記録を並べた。
「古い検問所では、荷主、御者、積んだ場所、封をした役人を別々に記録していました。新しい書式には、荷主と品名しかありません」
「なぜ削ったの?」
「商人に同じ質問を繰り返すのは、信用していない証拠だからだそうです」
アレクシアは額へ指を当てた。
同じ質問を別々に行うのは、答えの食い違いを見つけるためだ。だが、新任の子爵は、それを商人への侮辱と考えた。
善意から消された項目は、誰が途中で荷物を入れ替えたのかも消していた。
「悪い話だけではありません」
ニムは四冊目を置いた。
「国境を越えた小商人が、三倍になっています」
「三倍」
「前の長官の下では、足止めを短くするのに袖の下が要りました。払えない行商や薬売りは二日も三日も待たされて、商品を腐らせています。去年までの記録では、同じ者が何度も申請を取り下げていました」
ニムは日付を指でたどった。
「新しい書式は、荷主と品名だけ書けば通れます。字を書ける者が一人いれば足ります」
アレクシアは、その三倍という数字を長く見た。
子爵の改革は、賄賂を払える大商会ではなく、払えない者から先に助けていた。新聞のための美談ではない。
「薬の値段は?」
「国境沿いの三つの町で下がりました。冬に間に合った村もあります」
罷免を喜んだのは、新聞だけではなかった。
改革を止めれば、待たされて商品を腐らせる者が戻る。続ければ、武器と毒が入る。
どちらを選ぶかという問題にした時点で、すでに間違っていた。
「人間国側へ警告を送りますか」
セヴランが尋ねた。
「送るわ。ただし、エドガーに改革をやめろとは書かない。以前の役人を戻せとも言わない」
罷免された長官に賄賂の疑いがあるなら、調査は必要だ。商人への不当な拘束も改めるべきだった。
問題は、悪い仕組みと一緒に、必要な仕組みまで捨てたことだ。
「罷免された者の中に、本当に賄賂を取った者は?」
「十二人中、少なくとも四人は財産が収入と合いません。逆に三人は、不正を報告した直後にまとめて罷免されています」
「全員を悪人として追い出したせいで、調べるべき者と残すべき者の区別まで消えたのね」
古い役人を守りたいのではない。経験を制度へ残し、不正は個別に裁く必要がある。
人を善人と悪人の二種類へ分ければ、改革は簡単に見える。その簡単さが危険だった。
「記録項目を戻し、経験のある検査官を残すこと。荷物は無作為に選んで開けること。改革の結果を一月ごとに調べること。この三点を、国境交易派へ伝えて」
同時にアレクシアは、魔王へ、魔王国側の検問所で抜き打ち検査を行うよう求めた。
商業派からは、すぐに抗議が来た。
「人間国が門を開いたのに、こちらが荷を止めれば商機を失います」
「全部は止めません。十台に一台だけ開けます」
「それでも疑われたと商人は怒ります」
「怒る自由は認めるわ。武器を運ぶ自由は認めない」
三日後、最初の報告が届いた。
布を積んだ荷車の床下から、短剣が四十本見つかった。
御者は泣きながら、知らなかったと訴えた。帳簿にも、彼から伸びる黒い文字はない。
荷車は国境手前の宿で一晩預けられ、その間に底板を付け替えられていた。
次の荷車からは、魔王国側の見張り台を記した地図が出た。
国境を越えた工作員も捕まった。彼らからは、人間国と魔王国の主戦派へ向かう黒い線が、複雑に絡み合っていた。
だが、エドガーと新任の子爵へつながる線は一本もない。
アレクシアは押収品の一覧と、新旧の検問記録を人間国へ送った。返ってきたのは、王太子府の短い回答だった。
――改革を妨げる魔王国側の宣伝である可能性を考慮し、確認する。
否定ではない。けれど、いつまでに誰が確認するかも書かれていない。被害が出るまで判断を先送りできる文面だった。
「二人は利用されているだけね」
「知らないことは、罪にならないのか」
魔王の問いに、アレクシアは首を振った。
「知らないだけなら、帳簿には載らない。でも、被害を知らせたあとも知らないままでいることを選べば、話は変わるわ」
その日の夕方、検問所から一袋の小麦が運び込まれた。
見たところ、普通の小麦だった。虫食いもなく、湿ってもいない。
だが、袋へ入ろうとしたルルクが、青灰色の身体を縮めた。
『これ、食べるもの? 少し、痛い』
ニムが送り状を確認した。
「人間国から輸入された備蓄用穀物です。価格は相場の半分。すでに八十台が検問所を通過しています」
「行き先は?」
「北部の冬備蓄庫です」
アレクシアは一粒を割った。
白いはずの中身に、針の先ほどの黒い斑点が広がっている。
黒い斑点が何なのかは、まだわからない。
アレクシアは八十台の行き先を地図へ置かせた。
北部の備蓄庫は、銀狼族の村と国境守備隊へ冬の食料を配る場所だ。
そこで病人が出れば、人間国からの毒だと考える者が現れる。
人間国では、魔族が買った小麦の代金を払わなかったという噂が流されるだろう。
食料を傷めるだけではない。互いに相手が毒を盛ったと思わせる荷物だった。
「北部の備蓄庫を、今夜のうちに封じて」
「まだ、何の毒かも分かっていません」
セヴランが言った。
「分かってから封じれば、分かったときには配り終わっているわ」
アレクシアは地図に並んだ八十の印を数えた。
一台に何袋積まれていたかは、まだ誰も数えていない。




