第21話「役職は褒美ではない」
翌朝、旧離宮の広間は贈り物で埋まった。
金貨、宝石、上等な酒、珍しい毛皮。どの箱にも、官職を求める手紙が添えられている。
「全部返しなさい」
「返す前に記録します。誰が、いくらの物で、どの役職を買おうとしたか」
「それから返して」
「はい」
昼までに、今度は本人たちが押しかけてきた。
「我が家は代々、王宮警備を務めております」
「私は上級魔法を三つ使えます」
「人間妃殿下へ、誰より忠誠を――」
「必要ありません」
アレクシアは全員を広間へ立たせた。
「忠誠では、空の倉庫も崩れる家も直せません。明日から何を変え、失敗したらどう取り戻すか答えられる者を選びます」
「では、試験を?」
「もう終わっています」
アレクシアはニムを呼んだ。
「西鉱山への補給費は?」
「他家の平均より四割少なく、紛失はゼロです。余った予算も返還済みです」
「ガラン。旧種族街の補強は?」
「四十二軒を調べました。危険な八軒を直せば、次の冬を越せます」
ガランは少し間を置いた。
「ただし、壁の内側を剥がして調べれば、危険な家は増えるかもしれません。いま外から確かめた範囲では、八軒です」
セヴランが、西鉱山から届いた書状を開いた。
「救出された鉱夫と家族からです。次の坑道補強会議へ、ガランを参加させるよう求めています」
「感謝状ではないのね」
「はい。次に誰かが異変を訴えたとき、監督の許可を二日も待たせないためです」
ガランは書状を受け取らなかった。
「私を入れるなら、鉱夫が自分で作業を止められる規則も作ってください。私が来るまで待たせたら、同じです」
「その条件も推薦書へ入れます」
「この二人を推薦します。ニムを王宮補給の会計官に。ガランを旧市街の建築官と、西鉱山安全会議の外部委員に」
貴族たちから不満の声が上がった。
「倉庫番のゴブリンと、荷運びのオーガを王宮官に?」
「役職を務められる者へ、役職を与えるのよ」
「しかし、忠誠は」
「二人とも、私の不正な命令を拒めます。あなた方より信用できるわ」
「官位を持たぬ者が、上級商会へ支払いを命じるのですか」
「建築教育も受けていない者の署名で、王宮の工事を止めると?」
「だから補佐官と再審の制度を置きます。出自を理由に決定を覆すことは認めませんが、数字や安全性に誤りがあれば誰でも申し立てられる。二人も、間違えない神ではないもの」
魔王は二人の実績記録を確認し、叙任状へ署名した。
その瞬間、アレクシアの帳簿が大きく開いた。
血冠から伸びていた黒い線が、細かな数字へ変わっていく。
――史料隠し。任命妨害。鉱山での証拠隠滅。
――公的手続きにより退けた。
《徴収》
黒い数字が銀色へ変わり、二つの頁へ流れ込む。
アレクシアは意識の中で頁へ触れた。
血冠から奪った権限が、そのまま自分の力になるのではない。
公の手続きで退け、記録を残した分だけが、《徴収》できる対象になっている。
――ニム。ゴブリン族。王宮補給会計官。受諾。実績あり。
――ガラン。オーガ族。旧市街建築官。受諾。実績あり。
《配当》
《叙任》
銀色の数字は、二人へ均等に分かれなかった。
ニムには補給記録と倉庫に関わる分が、ガランには鉱山と旧市街の安全に関わる分が流れている。
《配当》はアレクシアの好みではなく、本人の実績を見ているらしい。
ニムが片目を押さえた。
「棚の中身が……数えなくても、全部わかります。隣の倉庫に、小麦が二百十四袋。記録より九袋多いです」
ガランは床へ手をつき、驚いた顔をした。
「旧離宮の重さがわかります。壁だけではなく、建物全体が」
帳簿の種族名の横に、新しい呼び名が浮かぶ。
――屑拾いゴブリンから、百工ゴブリンへ。
――荷運びオーガから、城砦オーガへ。
「私が、力を与えた……?」
「違う」
魔王が言った。
「役目を与えたのはお前だ。だが、二人は役目を与えられる前に成果を出している」
「二人の変化が、私の叙任とつながっていることはわかるわ」
「つながっていることと、すべてがお前の力であることは違う。お前が誰でも選べるなら、門の外の貴族を強くしてみろ」
ニムは一晩かけて数字を確かめた。ガランは命令へ逆らって家を守った。彼らの力まで、自分の所有物にしてはいけない。
翌日の夜、王宮で夜会が開かれた。
招いたのはアレクシアではない。裁判で勝った側へ近づきたい家が、三日前から準備していた催しだった。
叙任が決まると、名目だけが「新しい官職者を迎える祝い」へ変わった。
広間へ入って、アレクシアはまず席次表を見た。
刷られた名前は名門から順に並び、ニムとガランの二人だけが、最後に手で書き足されている。
席は、給仕の控えの間に近い末席だった。
「昨日の叙任でしたから、刷り直す時間が」
主催の夫人が扇の陰で言った。上級スパイダー族の名門に連なる、帳冠家の遠縁である。
「刷り直さなくても、席は動かせますわ」
アレクシアは書き足された二行を指でたどった。
「書き足す場所を選んだのは、印刷屋ではありません」
夫人の扇が止まった。
アレクシアは、それ以上続けなかった。
責める言葉を重ねれば、相手は言い返す口実を得る。
黙ったままの相手のほうが、周りには狼狽して見える。
代わりに、広間を歩いた。
最初に挨拶したのは、王宮警備を代々務めると言って役職を断られた家の当主だった。
次に、賄賂の箱を最初に返した中級の家。
三番目に、末席の卓へ歩いた。
名門の序列を、そのまま逆へたどっただけである。
誰にも礼を欠いていない。順番しか変えていない。
それでも、三人目を終えたときには、広間の視線が末席へ動いていた。
人の集まる場所へ、権力は移る。
「会計官どの。倉庫の記録について、一つ伺いたい」
声をかけたのは、さきほどまで末席を笑っていた家の次男だった。
「小麦の実数と記録の差は九袋です」
ニムは即答した。
「あなたのお家の商会が納めた分から出ています」
次男の顔が固まった。
「そ、その話はいま関係が」
「関係のある話を、あなたから始めたのよ」
アレクシアは杯を置いた。
社交の技を教える必要は、まったくなかった。
夜会が終わり、馬車を待つ間にガランが言った。
「あの席は、どちらでもよかったです」
「末席でも?」
「はい。……ただ、見物されるのは、少し疲れます」
アレクシアは口を閉じた。
序列を組み替えたのは自分の勝ち方で、二人はその証拠として並ばされていた。制度が直っても、見られる側の疲れは残る。
「次からは、出席するかどうかを選べるようにするわ」
「それは、助かります」
翌朝、二人はさっそく王宮で止められた。
「会計官用の正面扉です」とニムが任命状を示しても、衛兵は使用人用の入口を指した。
ガランが工事記録へ署名すると、書記はオーガ族の字は読めないと言って受け取りを拒んだ。
アレクシアは衛兵や書記を罰する代わりに、拒否の理由を文書にさせた。
二人はその文書を添えて古冠院へ申し立てる。
午後には、正面扉の種族制限と、署名を種族で拒める内規が建国盟約に反するとして停止された。
新しい力があっても、扉は勝手に開かない。役職を制度として通す仕事は、叙任した後から始まるのだ。
「叙任状へ条件を加えます」
アレクシアはセヴランへ言った。
「官職者は、職務上必要な場合、私の命令を拒否できる。拒否を理由に罰してはならない」
「王宮の官職すべてへ適用しますか」
「まず、私が推薦する者すべてに」
「辞任する権利も入れてください」とニムが言った。「拒めても、役目そのものから逃げられないなら、別の鎖です」
「加えます。任期と辞任の手続きも」
夕方、人間国から正式な外交文書が届いた。金の縁取りがある、祝いの書状だった。
王太子エドガーと、ベアトリスの婚約が正式に決まったという。
アレクシアは同じ一文を、三度読み返した。




