第20話「血冠裁判」
裁判の最初の証人は、ルルクだった。
青灰色の身体が建国盟約を包み、紙を傷つけないよう薄く広がる。
『紙、五百年以上。インク、同じころ。表紙の糸、古いスパイダー族の糸』
血冠側の書記が立ち上がった。
「清掃用スライムの言葉を、国家の歴史より信じるのですか」
「毒殺審理では、同じ鑑定を黒冠院が採用しています」
セヴランが記録を示す。
「都合の悪い時だけ、種族を理由に精度を否定することはできません」
「保管庫から宮廷まで、誰が運んだ」
血冠側の問いに、井戸を使う契約へ署名した住民三人が立った。
「私たちが封をして、妃殿下とは別の馬車で運びました」
原本の箱には、住民、古冠院の書記、鉱山から戻った役人の印が重ねてある。
アレクシア一人が中身を入れ替えられる時間はなかった。
次にニムが、大きな帳簿を台へ積んだ。
「血冠家の支出記録です」
「なぜお前が持っている」
「裁判資料として提出を命じられたものを、数えました」
ニムは細い指で、同じ費目を示した。
「旧種族街の封鎖費。王統史の写本作成費。古文書の整理費。百二十年間、名前を変えながら毎年払われています」
「危険な地下道の維持費だ」
「それなら、崩れた年に増えるはずです」
ニムは二つの費目を並べた。
「封鎖費が増えているのは、王統史の写本を作り直した年です。地下道が崩れた年ではありません」
ニムは支払命令を並べた。
「王統史の写本から人間族の頁を落とす。旧法の『九種族』を『諸種族』へ改める。人間族代表の印を別紙へ移す。全部、血冠家の命令です」
「命令書に血冠本人の署名はない」
「はい。歴代当主のものです。血冠家は一人で百二十年も生きていません」
ニムは現当主だけを罪へ結びつけるために、数字を曲げなかった。
「でも、閣下が当主になった年から『原本確認費』が増えています。西鉱山へ役人を送った支出と、爆薬の受領札も同じ日です」
広間が静まり返った。
「捏造です」
西鉱山の地下室から救出された、血冠家の役人が呼ばれた。
役人は膝をついた。
「血冠閣下から、王統を守れと命じられました」
「鉱夫を殺せとは命じていない」
「不利な記録を消せとは命じたのね」
アレクシアが問う。
血冠は長い沈黙の後、目を閉じた。
「命じた。人間国は、かつて人口を増やして議席を求め、穀倉と水源を奪って独立した。同じことを繰り返させるわけにはいかない」
「だから歴史を消した?」
「国を守るためだ」
「人間が旧連合で起こした加害は、今日の判決で消えるのですか」
血冠の問いは古冠へ向けられた。
「消えない」とアレクシアが先に答えた。「人間国の記録も提出させます。けれど、過去に被害を受けた者が、現在の鉱夫を殺してよい理由にもならない」
血冠は魔王へ向き直った。
「あなたが人質から戻ったとき、王族は皆、あなたを異国に染まった子だと疑った。私が血統を示し、王にした。人間の妃を迎えれば、同じ疑いが戻る。私はあなたを守ろうとした」
魔王はしばらく叔父を見つめていた。
「あなたが守ったのは、私ではない」
「陛下」
「あなたの望む王統の器だ。私が何を選び、誰と国を作るかは、一度も見ていない」
「王は個人ではありません」
「個人でない王に、国は変えられない」
血冠の顔に、深い疲れが浮かんだ。
判決は古冠が読み上げた。
建国盟約を真正と認める。
後世の王統法にある「人間族の妃に官職を分け与える権利はない」という条文は、建国盟約に反するため無効。
婚姻契約の停止を解く。
人間族代表の席は、独立後も廃止されていない。アレクシアは魔王の配偶者としてその席を預かり、魔王へ官職者を推薦できる。
血冠は王統法と人事を管理する権限を失う。席は当面保留され、本人には王統史の再編纂と、削除した史料の復元を命じる。
「なお、これは人間族へ特権を与える判決ではない」
古冠は傍聴席を見渡した。
「建国盟約を現在も国の根拠とするなら、都合のよい条文だけを使うことは許されない。王家も八氏族も人間族も、同じ原本に拘束される」
アレクシアが勝ち取ったのではない。国が、自分たちの制度を守るために、人間族の名を戻したのだ。
「処刑しないのね」
裁判後、アレクシアは魔王へ言った。
「望むのか」
「いいえ。死ねば、自分を国へ捧げた忠臣で終われる」
血冠には、自分が消した名を一つずつ書き戻してもらう。それは死より長い判決だった。
さらに、復元した史料には血冠院の改変箇所と責任者を併記し、九種族すべての代表が閲覧できることになった。
書き直して、また隠すことはできない。
旧離宮へ戻ると、門の前に馬車が列を作っていた。
外れていた門は、ガランの手で両側とも開くようになっていた。
玄関で雨を受けていた六つの桶は、今では薬草を育てる鉢に使われている。
それでも、来客を通せる部屋は二つしかなく、書記たちは廊下へ机を並べていた。
血冠が失った官職を求め、貴族たちが贈り物と推薦状を抱えて押しかけてきたのだ。
「人間妃ではなく、人間族代表へご挨拶に参りました」
先頭の貴族が笑う。その背後で、いくつもの黒い文字が開いた。
アレクシアは門を閉めさせた。
「役職を、戦利品と勘違いしているようね」




