第15話「三割消えた軍費」
「三割という根拠を聞かせて」
アレクシアが言うと、ニムは三冊の帳簿を床へ並べた。
一冊目は王宮倉庫の購入記録。二冊目は北方軍から戻された装備の修理記録。
三冊目は、旧離宮へ捨てられた品についた荷札を、ニムが一晩で書き写したものだった。
「王宮は昨年、北方軍へ槍を千本送ったことになっています。でも、受領の印があるのは七百本です」
「残りは輸送中に壊れたのではなくて?」
「壊れた品にも返却札がつきます。三百本分だけ、何もありません」
ニムは折れた槍の柄を一本持ち上げた。
「しかも、これは三度修理したことになっています。同じ傷に、違う日付の修理札が三枚ついていたから」
「一本の槍へ、三本分の費用を払った」
「はい。制服も革靴も同じです。全部合わせると、だいたい三割」
「だいたい?」
ニムの片目が、わずかに泳いだ。
「……三割二分。正規の帳簿がないので、その先の桁は言えません」
「言いたそうな顔ね」
「言いたいです」
布で片目を隠したゴブリンが、挑むように見返してきた。
「輸送中の紛失や、戦場で回収できなかった分は?」
「過去五年の平均を引きました。去年だけ急に、すべての品が同じ三割ずつ消えるのはおかしいです」
アレクシアは別の荷札を一枚抜き、わざと裏返して置いた。
「では、この革鎧も二重に請求されている?」
ニムは札を見ただけで首を振った。
「それは二度目が修理費です。数字が同じでも、盗まれたとは限りません」
都合のよい数字へ飛びつかない。それが何より信用できた。
「その布は、怪我?」
「いいえ。開けていると、見えたものを全部数えてしまうんです。仕事のとき以外は塞いでおきます」
「では、あなたを旧離宮の会計係にします。王宮の帳簿へ触れる方法は、私が作るわ」
「条件があります。あなたのための裏帳簿も作りません」
人間国で派閥を率いていたころ、アレクシアは表へ出せない贈り物や謝礼を別の帳面へ書かせていた。
誰も盗んでいないことを確かめるためだったが、外から見れば横領と変わらない。
「敵に見せない帳簿は必要よ」
「秘密にするのと、なかったことにするのは違います。記録したうえで鍵をかけます」
「私が消せと命じても?」
「その命令も書きます」
セヴランが眼鏡の奥で、わずかにうなずいた。
「気に入ったのね」
「業務上の同意です」
「顔に出ているわ」
セヴランは書類で口元を隠した。
「採用します」
帳簿の頁が開く。
――ニム。ゴブリン族。会計係。受諾。
ニムの片目を覆う布の下で、淡い銀色の光が一度だけ瞬いた。
正規の軍費帳簿は、砦冠の管理下にある。人間の妃が見せろと言って、見せるはずがない。
だが翌朝、セヴランが一枚の公示を持ってきた。
「西鉱山の冬季補給を、競争方式で決めるそうです。参加者には、過去三年分の納入記録が開示されます」
王宮の各家が同じ予算を受け取り、十日以内に食料、道具、薬を鉱山へ届ける。
最も損失の少なかった家が、翌年の補給契約を得る。
「砦冠は、私が参加するとは考えていないのね」
旧離宮には金も馬車もない。いるのは雑役や下働きとして送られた使用人と、王宮が捨てた品だけだ。
「参加を申し込みます」
黒冠院の担当官は何度も聞き返した。
「失敗した場合、受け取った予算は返していただきます」
「不足が出れば、旧離宮の予算から補填。期限を過ぎれば、契約違反として補給資格を三年停止。それで合っている?」
「……はい」
担当官は、まさか条文まで読んでいるとは思わなかったらしい。
「成功すれば、過去の帳簿を見せるのね?」
「規則上は」
「なら、問題ないわ」
ニムは廃材から荷車を直し、曲がった釘を打ち直した。
ルルクは古い薬瓶を洗い、残った成分ごとに分ける。
厨房のオークたちは、傷みかけた根菜を日持ちする干し物へ変えた。
途中、荷運びを請け負ったオーガたちへ、王宮の相場より低い賃金を示した使用人がいた。
「力仕事なら誰でも同じだと思った?」
ニムは見積書を突き返した。
「この重さを人間用の馬車で運べば、車輪が二つ余計に壊れます。彼らへ正しい賃金を払ったほうが安い」
情けを語るのではなく、数字で相手の価値を守る。だから反論する者はいなかった。
新品を買う量は、ほかの家の半分で済んだ。
七日目、旧離宮の一行は西鉱山へ着いた。
参加者へ開示された納入記録を、ニムは馬車の中で確かめた。
根拠のない支出は三割を少し超え、その多くが砦冠系の商会へ流れている。
推測は数字になったが、三年分を持ち帰る前に原本を返す決まりだった。
「写しを取る時間は?」
「全部は無理です。商会名、日付、金額、それと原本の頁番号を記録します。あとで否定されても、どこを見ればいいか示せます」
ニムは一人で抱え込まず、数字を読む者と頁を確認する者を分けた。
間違いがあれば、確認者の名も残す。
アレクシアの裏帳簿なら、一人が書けば済んだ。この方法は二人分の手間がかかる。
その代わり、書いた者が一人消されても、記録は残る。
「支柱が足りません」
荷下ろし場で、大柄なオーガが監督へ訴えていた。
「昨日も言いました。南坑道の音がおかしいです」
「荷運びが口を出すな。考えるのが遅いお前に、坑道の何がわかる」
オーガは言い返さず、地面へ片手をつけている。
次の瞬間、低い音が山の内側から響いた。
オーガが顔を上げる。
「伏せてください!」
爆発音が続いた。
南坑道の入口から黒煙が噴き出し、山肌が崩れ始めた。
アレクシアの帳簿に、一本の黒い線が走った。
事故ではない。




