第14話「ごみ捨て場の居館」
旧離宮は、想像よりひどかった。
門は片方が外れ、庭は腰の高さまで雑草に覆われている。屋根には穴が開き、玄関広間では雨水を受ける桶が六つ並んでいた。
そして裏庭には、王宮から出た壊れた家具、欠けた食器、古い書類が山のように積まれている。
「妃の居館というより、ごみ捨て場ね」
アレクシアが言うと、案内役の役人が目を伏せた。
「血冠閣下からは、ご自由にお使いいただくようにと」
その周りに黒い文字が浮かぶ。
――人間の娘が怒って拒めば、与えられた権利を自ら捨てたと報告する。
――受け取れば、人間の妃にはごみ捨て場が似合うと笑えばよい。
「ええ。ありがたくいただくわ」
役人が顔を上げた。
「よろしいので?」
「王宮の中心から離れている。門があり、塀もある。何より、ここにある物を自由に使っていいのでしょう?」
「廃棄物でございますが」
「持ち主がいない財産ほど、扱いやすいものはないわ」
アレクシアは受領書へ署名した。
人間妃には配下の任命権がないという古い条項は、まだ残っている。
セヴランが見つけた別の条文を使った。
王宮から独立した居館の主人は、その敷地内に限り、家政の役目を自由に与えられる。官職ではないため、血冠の許可もいらない。
国を動かす官職が駄目なら、まず家を動かせばいい。
「ルルク」
青灰色のスライムが、アレクシアの足元へ滑ってきた。
「あなたを、この居館の記録係にします。掃除も続けてもらうけれど、何を捨て、何を残したか、誰がいつ出入りしたかを記録しなさい」
ルルクの身体が小さく波打った。
『きろく、がかり』
「嫌なら断っていいわ」
ルルクはしばらく動かなかった。
やがてアレクシアの靴へ触れ、はっきりした声を出した。
『ひきうけます』
以前より言葉が滑らかだった。
『廃棄物でございますが』
役人の声が、そのまま再生された。
役人が跳ね上がる。
「記録係の仕事です」
アレクシアは真顔で言った。
透明な身体の中心に、小さな銀色の光が生まれる。文字のような形になり、すぐ消えた。
「いまのは?」
セヴランが眼鏡を直す。
「契約魔法に似ていますが、契約書はありません。本人の同意と役目だけで成立したように見えました」
アレクシアにも、帳簿の新しい頁が開く感覚があった。
――ルルク。スライム族。記録係。受諾。
それ以上は読めない。
「あなたもよ、セヴラン」
「私は王宮書庫の所属です」
「婚姻契約の監査を終えるまで、私の客人として滞在できる。居館内では法務係を任せます」
「官職ではないため、違法ではありません。しかし血冠閣下は、条文の目的に反すると主張するでしょう」
「条文に書かれていない目的まで守れというの?」
「いいえ。私が同じ立場なら、まったく同じことをします」
「では、引き受ける?」
セヴランは荒れた玄関を見回した。
雨漏り。割れた窓。記録用の机すらない。
「執務環境について、最低限の改善を要求します」
「具体的には?」
「雨の降らない机、鍵のかかる書類棚、それから一日に二度の食事です」
「安い要求ね。認めます」
「では、お引き受けします」
また、帳簿の頁が動いた。
――セヴラン。悪魔族。法務係。受諾。
折れた角の根元に、黒銀の細い模様が浮かんだ。本人は気づいていない。
その日から、旧離宮の片づけが始まった。
割れた窓には板を打ち、無事な家具を一階へ集める。雨に濡れた書類はルルクが一枚ずつ水分を吸い、読めるものと読めないものへ分けた。
下働きとして送られた使用人たちは、最初はアレクシアを避けた。
人間だからではない。命令に失敗すれば追い出されると思っている。
「できない仕事は、始める前に言いなさい」
アレクシアは全員を玄関へ集めた。
「できると嘘をついて失敗した者は罰します。できない理由を説明し、代わりの方法を出した者は罰しません」
小柄なゴブリンが手を上げた。
「屋根の修理はできません」
「理由は?」
「梁が腐っています。上ったやつから落ちます」
「代わりは?」
「今日は布で水を流す。明日、古い倉庫の梁を外して持ってくる」
「採用」
次に、牙の短いオークが手を上げた。
「夕食を全員分は作れません。食料が足りません」
「代わりは?」
「廃棄予定の根菜をもらってくる。傷んだところを除けば食べられます」
「採用」
少しずつ、手が上がるようになった。
夕方には一室だけ雨漏りが止まり、温かいスープが出た。
上等な食器はない。欠けた器を組み合わせ、長机も高さが揃っていない。
それでも、毒の入っていない食事を自分の居館で食べられる。
「ずいぶん楽しそうだな」
入口に魔王が立っていた。
「招待した覚えはないわ」
「ここは王宮の一部だ」
「契約では、私の居館は不可侵です」
セヴランが即座に契約書を開いた。
「緊急時を除き、魔王陛下も主人の許可なく立ち入れません」
魔王は敷居の外へ一歩戻った。
「入っても?」
「今日は許します」
使用人たちが息を詰める中、魔王は欠けた器でスープを飲んだ。
「うまい」
「毒見なら、先にルルクが済ませたわ」
「食事の感想だ」
その夜、裏庭から大きな音がした。
廃棄物の山が崩れたらしい。
アレクシアが駆けつけると、昼間のゴブリンが一人、古い帳簿に埋もれていた。
「怪我は?」
「ありません。これ、捨てていいんですか」
片目を布で覆った、小柄な女だった。腕には廃材から外した釘を何十本も抱えている。
「王宮が捨てたものは、この居館のものよ」
「じゃあ、数えても?」
「好きになさい」
ゴブリンは夜明けまで裏庭にいた。
壊れた椅子、古い制服、空の酒瓶、折れた槍、使用済みの伝票。誰も価値を認めなかった物を、一つずつ種類ごとに並べていく。
朝になると、彼女は三冊の帳簿を抱えてアレクシアの前へ来た。
「名前は?」
「ニム。王宮の倉庫番です」
「何かわかった?」
ニムは帳簿と、裏庭に並べた廃棄物を交互に指した。
「王宮の帳簿は、三割嘘です」
旧離宮に集められたごみの山が、初めて宝の山に見えた。




