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姫と呼ばれて  作者: イルハ
第4部(その後の話)
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その後 (ルイシーク)

ふと、顔をあげると丸く小さな時計が昼を示していた。

持っていた筆記用具を置いて、ユキが作ってくれた昼食を温め始める。

ケトルという機械で湯を沸かし、コーヒーを入れる。

コーヒーはインスタントにドリップと種類も多いようだが、特にこだわりは無い。

元々、それ程食に執着する方では無いのだ。

ユキが好きだと言うので飲んでいるに過ぎない。もちろん口に合わない訳ではないのだが。


だが、それも変わりつつある。

ユキは自分とは違い食べることが好きなようで、セリンガムにいた頃からよく好きな食べ物の話をしていた。

ユキが美味しいのだと言うと、自分も食べたくなっていたのだからあの頃からどれだけユキに影響されていたのだと笑ってしまう。

こちらに来てからもそんな風に一緒にいるものだから、徐々に自分の食の好みというものが出来てきた。

今日の昼食もそんな自分に合うようにと、ユキが作っていってくれたものだ。


ユキの世界へやって来て一月が過ぎようとしている。

セリンガムはどうなっているだろうかと、考える。

レイのことだ。心配はしていない。

ただ、ボーグが残した傷跡は大きい。

シュリゾナと協力したとしても時間はかかるだろう。

シュリゾナであれ程ボーグが自由に動き回れたのは、要職についていたハームツという男の協力があってこそ。

ハームツは自分の生誕の宴にも国を代表して来ていたが、あまり賢くはないのだろう。

分をわきまえずに、ユキに馴れ馴れしく触れたので自分とレイに目を付けられた。

叩けば埃しか出ないような男だ。

早々にボーグとの繋がりが疑えたのは僥倖だったと言えるのかもしれない。

今頃は、ショルジュ殿から制裁を受けているだろう。

自分がそれを行えないことは未だに腹立たしいが。


最後にボーグと対峙した時。

まさかユキが一人で行動するとは考えていなかった。

ユキには辛い経験だっただろう。

彼女の目の前で多くの死人が出た。

あの緊迫した状況の中では何とか精神を保てたとしても、時間がたてば必ずフラッシュバックが起こる。

特にユキのようにこうした世界で、戦いとは無縁の世界で生きてきた人間にとってはその影響は計り知れない。

だから、クウに頼んで記憶を隠蔽してもらった。

精神に影響する魔道を自分が行うにはリスクが高かったのだ。

だが、同じようにユキを至上の存在とするクウは承諾してくれた。

魔道は自然の力を借りて行う。

その自然そのものが違うので、こちらに来てから魔道士としての力は衰えてしまったが、全く使えなくなった訳ではない。

だから、時間が経つにつれて危うくなっていくその隠蔽魔道の重ね掛け程度ならばできる。

そうしていけばユキの精神を守っていけるだろう。

ユキはこの事実を知ったら怒るだろうか。

隠蔽魔道が効いている間は知ることなどないが。

フラッシュバックなどに屈せず乗り越えられる者も大勢いることは確か。

努力もせずに逃げるのは嫌だと言うかもしれない。

だが、それでも。

守っていきたいのだ。辛い思いはさせたくない。


昼食を食べ終え、食器を洗い片付ける。

ユキの部屋にある食器棚には少しずつ自分の物が増えていく。

その事実に暖かなものが自分を満たしていく。

ユキはこの部屋に家族以外の人間を入れたことはない。

本人に聞いた訳ではないが、まだ残る気配察知能力でそれは察することができた。

自分のことを棚に上げてどうこう思う程、子どもではないので過去は気にしていない。

だが、過去にユキが付き合っていた男がこの部屋で同じように彼女に触れていたのかと思うと、やはり不愉快だった。

そうではないことが単純に嬉しい。


何となく2杯目には紅茶を淹れて戻る。

ここ最近雨が降っていたが、今日は晴れている。

ベランダにはユキと自分の洗濯物が風に揺れているのが見えた。


こんなに穏やかな時間が自分にやってくるとは思っていなかった。

セリンガムでは常に時間に追われていたように思う。

それを苦痛に思うことはなかった。

むしろ、ユキに再会できるという確証がなかったあの頃は必要以上に忙しくしていたように思う。

信頼できる弟に臣下。環境は恵まれていたというのに、心は全く満たされていなかった。

常にユキを探していた。

黒魔道に手を染める人間の気持ちが分かってしまう程に。


そう考えるとやはり自分は王の器ではなかったのだと確信できる。

幼い頃から持て囃されてはいたが、それは処理能力が多少早かったからに過ぎない。

根本が違うのだ。

あのままセリンガムに残っていたとしても、遅かれ早かれ自分は壊れていただろう。

レイはもちろん、ディルバードの方ですら自分よりも向いていたのではないだろうか。


ーー仕方がないですね。その代わり必ずユキを幸せにしてください。


全てをレイに押し付けて、ユキと共に在ることを望んだ自分に対して、呆れたような顔をした後、レイはそう言った。

恐らく、ある程度は予想していたのだろう。


ーー今回はユキの気持ちを尊重して引きますが。次は負けません。必ず兄上に勝ちます。


ユキはリリアーヌ姉上とレイが来世で共に在ることを願うと言った時、その気持ちを喜びこそすれ、実際にそれが可能になるとは思っていないようだったがそれは違う。

クウには及ばないとはいえ、あれだけの力を持った翼竜の使役者なのだ。

姉上の願いは聞き届けられる。

そして、姉上がレイの願いを無碍にすることもないだろう。


来世、自分達はいったいどんな関係性で生まれてくるのか。

考えるとそれは楽しい。

来るなら来ればいい。

こちらこそ、引くことはしない。

何度でも戦おう。


だが、今は。

ユキとの未来を考えていきたい。

それは例えようもなく…生まれてから初めてという程の高揚感のある作業だ。

こちらの知識を吸収することは、正直楽しい。

机にある、こちらの義務教育最終年齢に達する子ども達が取り組んでいるという問題は実に面白い。

つい、セリンガムの子ども達のことを考えてしまうが、詮無いことだと切り替えている。

何より、いつまでもユキに面倒をみてもらっている訳にはいかない。

自分で稼げるようにならなければ、ユキをこちらの法に則った形で伴侶にすることはできない。

クウのおかげで、こちらの世界での戸籍もしっかりしていたので正規の職に就くことができるのは有難かった。


カレンダーを見る。

今日は金曜日。明日と明後日はユキが休みの日だ。

金曜の夜は特に疲れも溜まるようなので、何かさっぱりとした夕食を用意しておくとユキが喜ぶ。

ユキが帰ってくる時間は彼女の気を追えばいいだけなので、大体予想が付く。

夜道は心配なのでいつも駅に迎えに行くようにしている。

自分の姿を見つけた時の、あの照れたような嬉しそうな笑顔が堪らない。


まだ、ユキが帰るまで時間がある。

食材の買い出しに行って夕食の準備でもしていよう。


ユキの弟であるユウキから薦められたこちらの世界の服にも慣れてきた。

鏡で一応確認する。

基本的に髪と瞳の色が同じ人種のこの国で、自分は目立つ外見をしている。

一緒にいてユキが恥ずかしい思いをしたら申し訳ないので、髪の色くらいこちらに合わせた色に変えると提案したのだが、即座に却下された。


これも追々考えていかなければいけないな。


鍵を手にして、家を出る。

外は爽やかな風が吹いていた。

ハームツ…。そんな奴もいた…。

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