↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『ソウルストーン ~神々を滅ぼす最後の継承者~』  作者: シロの空


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/26

序章《滅びゆく古代》 第4話《旅を続ける人》

●評価●ブックマーク●アクション●感想●

待ってます!

①文字数が何文字が良いななど

②もっと更新してなど

読者様が応援してくれると嬉しいです!

その変化を言葉として理解することと、実際の計画へ組み込むことはまったく別の問題だった。


昼前にエリシアとの話を終えたラウルは、娘をセレネとともに休憩区画へ戻したあと、時相制御区画に残っていた研究員を集め、先行離脱失敗後の運用を組み直し始めた。ゼフィール自身の時相離脱は成立しているため、彼を現在へ呼び戻す作業はできず、いま優先すべきなのは停止した補助系統の復旧と、後続者を同じ状態へ送り込まないための原因確認だった。


問題は、それだけではない。


先行者が予定した未来へ出る保証を失った以上、未来側で後続者を受け入れるという計画条件そのものが崩れている。エリシアを含む後続者を予定通り送り出したとしても、それぞれが異なる時代へ再接続する可能性まで考えなければならなくなった。


円形の作業卓には、予定されていた携行物資の一覧が表示されていた。


個人用保存食。


携帯浄水器。


簡易治療具。


古代文字と生活語を記録した端末。


地域地図。


最低限の工具。


それらは本来、未来へ先行したゼフィールが受け入れ拠点を作ったあとに使用することを想定した補助物資であり、一人の人間が見知らぬ時代へ突然放り出される状況を前提にはしていなかった。


「この構成を全部変える」


ラウルが言うと、周囲の研究員たちが一斉に顔を上げた。


「後続者一人につき、最低でも七日間は外部支援なしで生活できる装備を持たせる。再接続地点が施設内部とは限らない以上、浄水、止血、火種、簡易防寒、言語記録を個人単位へ分散する」


「容量が足りません」


記録担当者がすぐに指摘した。


「現行の保護槽で安全に保持できる質量には上限があります。個人装備を増やせば、保存資料か他の対象者を削る必要が出ます」


「分かってる」


「何を減らしますか?」


その問いに、ラウルは表示された資料一覧を見た。


古代文明の技術記録。


社会制度。


農業。


医学。


魂力工学。


歴史。


戦争記録。


どれも未来へ残す価値があると判断されてきたものだった。


しかし、いまの計画は記録を未来へ届けること自体が目的ではない。


未来へ行った人間が生きなければ、いくら資料を残したところで誰も使えない。


「復元技術記録を三割減らす」


室内が静かになった。


「ラウル、それは中央評議会が最優先保存に指定してる」


隣にいた研究主任が言った。


「知ってる」


「文明再建に必要だと――」


「未来へ送られた人間が水も作れずに死んだあとで、都市規模の魂導炉設計図が何の役に立つ?」


「それでも技術を失えば、俺たちが積み上げたものが――」


「失う」


ラウルは相手の言葉を遮ったものの、声を荒らげることはしなかった。


「全部は残せない。人間も、記録も、街も、俺たち自身もだ。だから優先順位を決めるしかない」


研究主任は口を閉じた。


誰も納得したわけではない。


ただ、反論するなら別の何かを削らなければならない。


保存容量は増えない。


装置の状態も良くならない。


時間も戻らない。


ラウルは各項目を順番に確認し、重複している研究記録と、未来側に即座の用途がない大型設備資料を削減候補へ回した。その代わり、個人が単独で再接続した場合に必要になる生活知識と、地域環境が古代と大きく変わっていても利用できる基礎技術を優先して残す。


「歴史記録は?」


別の研究員が尋ねた。


「残す。ただし、勝者側の公式記録だけにするな」


「戦争記録もですか?」


「ああ。神々が何をしたかだけじゃない。人間側で意見が割れたことも、《天断塔》を巡って争ったことも、俺たち自身が間違えた記録も残す」


「未来の人間を混乱させませんか?」


ラウルはその問いに視線を上げた。


「混乱させないために、一つの答えだけ残す方が危険だ」


研究員はしばらく黙り、それから記録項目へ修正を入れた。


ゼフィールの事故によって変わったのは、装備だけではない。


未来へ何を残すのかという判断そのものが、少しずつ変わり始めていた。


これまでは文明の喪失を恐れるあまり、自分たちが築いたものをできるだけ完全な形で未来へ渡そうとしていた。しかし、完全に残すことに拘れば拘るほど、受け取る未来の人間へ「これを復元しろ」という無言の命令を残すことになる。


ラウルは娘に、文明を復元しなくていいと言った。


それなら計画そのものも、その言葉と矛盾してはならない。


「再接続後の行動指針も修正する」


「指針まで?」


「最優先を《アルセリア系施設の捜索》から《本人の生存環境確保》へ変える。未来側の社会が存在する場合は、その社会と接触するかどうかも本人判断にする」


「古代文明の痕跡を探さなくていいんですか?」


「必要だと思った者が探せばいい」


「計画参加者なのに?」


「未来へ行ったあとまで、俺たちの所属者である必要はない」


室内の空気が僅かに変わった。


そこまでは考えていなかった者が多いのだろう。


継時計画へ参加する。


未来へ行く。


ならば未来でも古代文明の継承者であり続ける。


それを当然だと思っていた。


ラウル自身も、計画を作り始めた頃は完全に切り分けられていたわけではない。


しかし、それでは保存ではなく支配になる。


「待ってください」


研究主任が言った。


「未来へ行った対象者が計画から完全に離脱することまで認めるなら、記録の保全義務はどうなります?」


「義務にはしない」


「では、持たせた記録を捨てる可能性もある」


「ある」


「破壊する可能性も?」


「ある」


「それを認めるんですか?」


ラウルは少し考えた。


娘へ「読まなくてもいい」と言ったときより、重い問いだった。


個人の所有物ではない。


膨大な人間が命を削って残した記録だ。


失えば二度と戻らない。


それでも。


「完全には認められない」


ラウルは正直に答えた。


研究主任が少し意外そうな顔をする。


「なら?」


「記録を残したいと思うのは俺たちの意思だ。できるだけ保存してほしいとも伝える。ただ、それを理由に未来の人間を拘束する仕組みは入れない」


「説得はするが、強制はしない?」


「そうなる」


「曖昧ですね」


「ああ」


ラウルは認めた。


「でも、人間の選択を扱うものを全部明確な命令へ変えれば、たぶん俺たちはまた同じところへ戻る」


何と同じなのかまでは口にしなかった。


それでも、室内にいる多くの者には伝わったはずだった。


神々から未来を決められることに抵抗しながら、自分たちが未来の人間へ同じことをしてはならない。


単純な話ではない。


未来の人間が危険な選択をする可能性もある。


自分たちの記録を悪用する可能性さえある。


それでも、選択肢を奪うことを安全と呼ぶなら、戦争が始まった理由の一部を自分たちで再現することになる。


作業卓の表示が更新されていく。


携行物資増加。


保存資料削減。


単独再接続手順追加。


再接続後の所属義務削除。


計画の形が変わっていく。


ラウルはその変化を確認しながら、初めて自分たちが「未来へ文明を残す」ことばかり考え、「未来へ行く一人の人間がどう生きるか」を十分に考えていなかったことに気づいた。


ゼフィールが予定通りだったなら。


この欠陥は見えないままだったかもしれない。


     ◇


午後になると、研究区の縮小作業が始まった。


ラウルがガイゼル・レグナードと約束した通り、《継時計画》に直接必要のない研究を停止し、人員と魂力を避難・医療系統へ回すためだった。


停止対象の中には、《レグナ・ゼオ》解析区画も含まれている。


大型解析装置の電源が順番に落とされ、長年鳴り続けていた低い機械音が一つずつ消えていく。静かになった研究室では、むしろ作業員が記録箱を運ぶ足音や、金属製の台車が床の継ぎ目を越える音の方が大きく聞こえた。


ラウルは自分の研究卓に残されていた紙資料を分類していた。


保存。


廃棄。


時相計画へ転送。


医療区画へ回す再利用紙。


紙一枚にまで優先順位を付けなければならない。


「本当に止めるんですね」


背後から声を掛けられた。


ラウルが振り返る。


長年レグナ・ゼオの解析へ関わってきた研究者の一人が立っていた。目の下には疲労があり、両手には大量の記録束を抱えている。


「止める」


「八年ですよ」


「分かってる」


「あと少しだったかもしれない」


「何が?」


研究者は答えられなかった。


ラウルも責めるつもりはなかった。


研究を続けている人間は、いつもそう思う。


あと一日。


あと一回。


次の測定。


次の仮説。


そこに答えがあるかもしれない。


しかし、答えがある保証はない。


「エリシアさんへの反応まで出たんでしょう」


研究者は声を落とした。


ラウルの手が止まる。


「誰から聞いた」


「今朝の解析担当からです。ただ、外へは出していません」


「それ以上広めるな」


「なぜです?」


「意味が分からないからだ」


「だから調べるべきでしょう」


研究者の声には、怒りより悔しさがあった。


「八年前の反応も説明できなかった。今回また反応したなら、今こそ調べるべきです。それを止めてしまえば――」


「娘を装置へ繋いででも?」


研究者が黙る。


「そこまでは言ってません」


「でも次に必要になるのは本人への追加測定だ」


「同意を取ればいい」


「同意を取る時間も、説明する人員も、いまは限られてる。何より、結果が継時計画の安全性を直接上げる保証がない」


「それでも、原因が分からないまま未来へ送る方が危険では?」


正しい。


それもまた事実だった。


ラウルはすぐには反論しなかった。


研究を止めることで見失う情報がある。


続けることで失う人員もある。


どちらかだけを正しいことにはできない。


「最低限の既存記録は保存する」


「追加実験は?」


「しない」


「エリシアさん本人が希望したら?」


その問いで、ラウルは止まった。


自分が禁止する。


それも娘の選択を先に決めてしまうことになるのではないか。


ただし、研究設備を維持するには人員と資源が必要になる。


本人が希望したから無条件で実施できるものでもない。


「その場合は、何を知るために何が必要かを改めて判断する」


「完全停止ではない?」


「研究区としての常設解析は止める。ただし、継時計画の安全判断へ直接必要になった場合だけ限定的に再開する」


研究者はしばらく考えたあと、抱えていた記録束を保存箱へ入れた。


「分かりました」


納得したのではないだろう。


それでも、自分の意見を無視されたわけではないと判断したらしい。


「ありがとう」


「礼を言われるような気分ではありません」


「俺もだ」


ラウルは記録箱の蓋を閉めた。


これで《レグナ・ゼオ》研究区は事実上停止する。


八年どころではない。


多くの研究者が人生の一部を使った場所だ。


その停止命令を出した自分も、明日になれば後悔するかもしれない。


それでも今は、この判断を選ぶしかなかった。


     ◇


研究区縮小で空いた人員の第一陣を、医療区画へ送る準備が整ったのは夕方だった。


ラウル自身も、保存記録の一部を中央保管庫へ運ぶことになった。


本来なら研究主任である彼が荷物を運ぶ必要はない。


しかし、人員を減らすと決めたのは自分であり、その結果として細かな作業を他人へ押しつけるつもりもなかった。


台車には三つの記録箱が載せられている。


一つは《継時計画》。


一つは《レグナ・ゼオ》。


最後は古代戦争末期の議事記録。


床には前日の衝撃で生じた小さな段差があり、重量のある台車を通すたびに車輪が引っ掛かった。


「持つよ」


後ろから声がした。


振り返ると、エリシアが立っていた。


セレネも少し離れたところにいる。


「休んでろと言っただろ」


「休んだよ。三時間」


ラウルは妻を見る。


セレネが頷く。


「本当に三時間寝たわ。あなたより長い」


「比較対象が悪いな」


「お父さんは?」


エリシアに聞かれ、ラウルは目を逸らしかけた。


「一時間半」


「約束は三時間だったよね」


「予定が」


「お父さん、私が約束破ったら怒るでしょ」


返せない。


セレネが少し笑っている。


「次は寝る」


「絶対?」


「絶対だ」


「昨日も聞いた気がする」


「今度は守る」


エリシアは完全には信じていない顔をしたが、それ以上追及せず、台車の横へ回った。


「何運んでるの?」


「研究記録だ」


「《レグナ・ゼオ》も?」


「ああ」


「研究止めるの?」


娘にはまだ伝えていなかった。


ラウルは台車の取っ手から手を離した。


「常設の解析は止めることにした」


「何で?」


「人と魂力を医療や避難へ回す必要がある。それに、今すぐ追加解析を続けても継時計画の安全性が上がる保証がない」


「私のこと、調べない?」


「必要が出た場合は別だ。ただ、お前を調べること自体を目的にはしない」


エリシアは少し考えた。


「私が調べてほしいって言ったら?」


さっき研究者から聞かれたのと同じ問いだった。


「何を知りたいのか聞く。そのために必要なら再開方法を考える」


「私がやりたいって言ったら絶対やる、じゃないんだ」


「ああ。人も物も必要だから、お前一人の希望だけでは決められない」


「じゃあ、私が嫌って言ったら?」


「お前の身体や魂を使う実験はしない」


「みんなが必要だって言っても?」


ラウルは娘を見た。


「しない」


「戦争に勝てるかもしれなくても?」


「しない」


その答えは早かった。


しかしエリシアは父の顔をじっと見ている。


「本当に?」


「本当にだ」


「《レグナ・ゼオ》を軍に使うって話もある?」


今度はラウルが驚いた。


「誰から聞いた?」


「さっき通路で兵士の人たちが話してた。中央制御とか言ってたから」


隠すべきか。


一瞬だけ考える。


しかし、本人の近くで既に話が出ているなら、不完全な噂だけを残す方が危険だった。


「上から固定運用の命令が来てる」


「固定運用って?」


「《レグナ・ゼオ》を古代魂装機の中央制御へ常時接続して、軍全体の判断補助に使う案だ」


「できるの?」


「分からない」


「また?」


「ああ。それが一番の問題だ」


エリシアは台車の記録箱へ視線を落とした。


「お父さんはやらない?」


「拒否する」


「命令なのに?」


「俺は研究責任者として、安全性を保証できないものを軍へ渡せない」


「それだけ?」


娘はよく見ている。


ラウルは少し苦笑した。


「お前への反応もある」


「私が関係あるかもしれないから?」


「ああ。ただし、それだけを理由にはしない。《レグナ・ゼオ》が何に反応しているか分からない時点で、軍全体へ接続するには危険すぎる」


エリシアは頷いた。


「じゃあ、私のためだけじゃない?」


「違う」


「よかった」


「何で?」


「私のためにみんなが負けるって言われたら、嫌だから」


胸の奥に重いものが落ちる。


ラウルはようやく気づいた。


娘は自分が守られる側になることそのものを怖がっているのではない。


自分を理由にして他人の選択や命が奪われることを怖がっている。


「エリシア」


「何?」


「お前を守ることと、お前のせいで誰かを捨てることは同じじゃない」


「でも、そうなることもあるでしょ」


「ある」


ラウルは否定しなかった。


「だから、そのときは誰か一人で決めないようにする」


「お父さんも?」


「俺もだ」


「お父さん、偉い人なのに?」


「偉いから一人で決めていい、にはならないだろ」


エリシアは少し笑った。


「じゃあ運ぶの手伝う」


「重いぞ」


「押すだけならできる」


「転ぶなよ」


「子供じゃない」


「昨日息切れしてたって聞いた」


エリシアがゼフィールから聞いたのだと気づいたらしく、少し顔をしかめた。


「言ったの?」


「本人はいないから聞けないな」


言ったあと、二人とも黙った。


ゼフィール。


昨日までは、そこへいることが普通だった人。


いまは未来のどこかにいる。


もしかすると、まだ何千年も再接続しない。


あるいは、自分たちから見ればすでに未来側で目を覚ましているのかもしれない。


時間の感覚そのものが分からない。


「ゼフィール、荷物持ってる?」


エリシアが静かに聞いた。


「最低限は」


「七日分?」


「そこまではない」


ラウルは正直に答えた。


「先行拠点を作ることを前提にしていたから、携行量は少なかった」


「じゃあ困ってるかもしれない」


「ああ」


「食べ物なくなったら?」


「未来側に食べられるものがあればいいが、分からない」


「水は?」


「簡易浄水器は持ってる」


「怪我したら?」


「最低限の治療具もある」


エリシアはしばらく黙った。


それから台車へ手を添えた。


「次の人はもっと持っていく?」


「ああ。計画を変えた」


「ゼフィールが困るかもしれないから?」


「そうだ」


「本人には間に合わなかったのに」


「間に合わなかった」


その言葉は重かった。


改善する。


次に生かす。


研究では何度も使う言葉だ。


しかし、人間を相手にすると残酷でもある。


次の人間が助かる方法を見つけても、最初に失敗した人間へ遡って渡すことはできない。


「それでも変えるんだね」


エリシアが言った。


「変えないよりはいい」


「ゼフィール、怒るかな」


「たぶん、自分の失敗を使えって言う」


「失敗って言ったら怒りそう」


「それもそうだな」


二人は台車を押し始めた。


エリシアが横から補助し、ラウルが前を引く。


最初の段差。


車輪が引っ掛かる。


エリシアが力を込める。


台車が少し傾く。


「ゆっくり」


「分かってる」


「右側持ち上げるぞ」


「うん」


二人でタイミングを合わせる。


車輪が段差を越える。


小さなことだった。


未来。


戦争。


文明。


巨大な話ばかりしてきた数日の中で、ただ父と娘が荷物を一つ運ぶ。


それだけの動作が妙に現実的だった。


     ◇


中央保管庫へ着く直前、通路の向こうから複数の兵士と行政官が歩いてきた。


先頭にいる男が持つ金属板には、中央評議会の認証印がある。


ラウルは台車を止めた。


嫌な予感がした。


「ラウル・アルセレア」


行政官は挨拶を省いた。


「研究区縮小命令について確認に来た」


「俺が出した」


「評議会承認を経ていない」


「緊急時の人員再配置権限は研究責任者にある」


「研究停止まで含むとは解釈していない」


「なら今から解釈を争うか?」


「そういう話をしに来たわけではない」


行政官の視線が台車の《レグナ・ゼオ》記録箱へ移る。


「中央評議会は《レグナ・ゼオ》固定運用命令を維持している。解析停止は認められない」


エリシアがラウルの横で黙っている。


行政官は彼女へ一度だけ視線を向けたが、名前を呼ばなかった。


ラウルはそのことに僅かな警戒を覚えた。


エリシアへの反応情報が上まで届いている可能性もある。


「固定運用は拒否した」


「拒否できる命令ではない」


「安全性を保証できない」


「戦況を見ているのか?」


「見てる」


「なら、試す価値があることくらい分かるだろう」


「試す対象が軍全体じゃなければな」


行政官の表情が硬くなる。


「戦線が崩れれば、継時計画も終わる」


「分かってる」


「なら使えるものを使うべきだ」


「使えるか分からないと言ってる」


「分からないから調べるんだろう」


「常時接続は調査じゃない」


二人の声は大きくなっていない。


それでも周囲の空気が張り詰める。


エリシアは父の袖を掴もうとはせず、ただ横に立っている。


ラウルはそれを意識した。


娘へ、自分の選択を見られている。


だから正しいことを言うのではない。


娘がいなくても同じ判断をしなければならない。


「命令を正式に拒否する」


ラウルが言った。


「記録へ残せ」


行政官の目が細くなる。


「意味が分かっているのか?」


「研究責任者としての権限を外される可能性があることなら」


「それだけでは済まない」


「それでもだ」


「《継時計画》の指揮権まで失うぞ」


ラウルの胸が僅かに動いた。


そこは痛い。


自分が外されれば、エリシアの時相離脱判断にも関われなくなる可能性がある。


娘を守るなら、命令へ従った方が自分の立場は残るかもしれない。


一瞬。


本当に一瞬だけ。


そう考えた。


しかし、それでは立場を守るために、自分が危険だと判断したものを軍へ渡すことになる。


「それでも拒否する」


ラウルは答えた。


行政官はしばらく黙ったあと、記録板へ入力した。


「研究責任者ラウル・アルセレアによる中央命令拒否として報告する」


「そうしてくれ」


「評議会の判断が出るまで、《レグナ・ゼオ》に関する新規操作を禁止する」


「それは受け入れる」


「解析再開も禁止だ」


「継時計画の安全確認に必要な場合は?」


「その都度、緊急申請を出せ」


不便になる。


時間も掛かる。


それでも、固定運用を止められるなら今は受け入れるしかない。


行政官たちが去っていく。


通路に機械音だけが戻る。


ラウルは息を吐いた。


「お父さん」


「何だ?」


「怒られた?」


「かなり」


「偉い人じゃなくなる?」


「なるかもしれない」


エリシアは少し不安そうに父を見た。


「私のせい?」


ラウルは即座に首を横へ振った。


「違う」


「でも《レグナ・ゼオ》が私に反応したことも理由なんでしょ」


「理由の一つではある。でも、それをどう判断したかは俺の責任だ」


「私がいなかったら?」


「それでも固定運用には反対してた」


「本当に?」


「ああ。ガイゼルも同じ判断だ」


エリシアはしばらく父の顔を見たあと、ようやく小さく頷いた。


ラウルは台車の取っ手へ手を戻した。


「行こう」


「うん」


二人で再び歩き出す。


中央保管庫まで、あと少し。


だが、数歩進んだところでラウルは自分の端末が震えたことに気づいた。


評議会からの通知だった。


研究責任者権限の一部停止。


《レグナ・ゼオ》運用に関する決裁権剥奪。


継時計画については暫定継続。


完全解任ではない。


しかし、立場は変わった。


「来た?」


エリシアが聞く。


「ああ」


「どうなったの?」


「《レグナ・ゼオ》をどうするか、俺一人では決められなくなった」


「嫌?」


ラウルは少し考えた。


「不便だ」


「それだけ?」


「怖くもある。俺が止めたいことを、俺の知らないところで進められる可能性があるからな」


「じゃあ困るじゃん」


「でも」


ラウルは通知を閉じた。


「俺一人で決められないこと自体が間違いとも思わない」


エリシアは首を傾げた。


「どういうこと?」


「俺が正しい保証もないからだ」


「でも今回は止めたいんでしょ」


「ああ。だから止めるために話すし、反対する。でも、俺に全部の権限があれば安全だと思うのも違う」


「難しい」


「俺も難しいと思ってる」


エリシアは少し笑った。


二人は中央保管庫へ記録箱を運び終えた。


最後の箱を棚へ入れると、エリシアが《レグナ・ゼオ》と書かれた封印札を見つめる。


「ゼフィールは、今も旅してるのかな」


突然の言葉だった。


「旅?」


「だって、どこに着くか分からないんでしょ」


「そうだな」


「まだ着いてないかもしれないし、もう着いてるかもしれない」


「ああ」


「だったら、ずっと途中みたい」


ラウルは娘の言葉を聞きながら、未来へ消えた男を思い浮かべた。


旅。


確かに、それに近いのかもしれない。


出発地点は分かっている。


到着地点は分からない。


本人がどれだけ長い時間を体感するのかさえ分からない。


それでもゼフィールは、自分で行くと決めた。


「もし会えたら」


エリシアが言った。


「何て言う?」


「誰が?」


「私が未来でゼフィールに」


ラウルは少し考えた。


「本人に聞けばいい」


「最初に何て言うか聞いてるの」


「そうだな……遅かったな、じゃないか?」


「私が後から行くのに?」


「待ってる側なら言いそうだろ」


エリシアは想像したらしく、少し笑った。


「言いそう」


それから笑みが消え、静かに続ける。


「会えなくても、ゼフィールは自分で行ったんだよね」


「ああ」


「私が行かなくても?」


「ああ」


「なら、ゼフィールの旅は私のためだけじゃない」


「そうだ」


エリシアはその答えを聞いて、何かを確認するように頷いた。


ラウルには、娘が未来へ行くことを受け入れたようには見えなかった。


ただ、ゼフィールが先に行ったから自分も行かなければならない、という考えから少し離れたのだろう。


それでいい。


他人の選択は、自分の選択を縛る鎖ではない。


ただ、判断するための一つの材料になる。


保管庫を出る頃には、外の照明時刻は夕方へ変わっていた。


研究区の通路では、縮小された区画から人員が移動し、医療物資を積んだ台車が以前より多く通るようになっている。自分が出した命令によって、実際に人と物が動き始めたことをラウルは初めて目で確認した。


研究室から消えた一人が。


医療区画に増える一人になる。


停止した装置の魂力が。


避難用照明へ回る。


判断は紙の上だけでは終わらない。


誰かの足を動かし。


誰かの仕事を変え。


誰かの今日を少しだけ変える。


ラウルはその結果を見ながら、研究責任者としての権限を一部失ったことを実感した。


以前なら、必要だと思えば自分の判断だけで研究を進められた。


もうできない。


その不自由さを受け入れたことが正しいかどうかは、まだ分からない。


それでも、自分の選択へ異議を唱える人間が存在することを、完全な障害だとは思わなくなっていた。


「お父さん」


エリシアが横から呼んだ。


「何だ?」


「家まで一緒に帰る?」


研究区へ戻って作業を続けるつもりだったラウルは、反射的に断りかけた。


まだ確認する記録がある。


ゼフィールの再接続誤差も調べたい。


評議会への反論書も必要だ。


停止区画の引き継ぎも終わっていない。


やることはいくらでもある。


しかし、娘は「帰って」とは言わなかった。


一緒に帰るかと聞いた。


選ばせている。


ラウルは少しだけ笑った。


「今日は帰る」


「仕事は?」


「明日やる」


「本当に?」


「ああ。それに三時間寝る約束も残ってる」


「三時間じゃ足りない」


「そこは交渉させてくれ」


「お母さんに言う」


「それは困る」


「もう遅いわよ」


後ろからセレネの声がした。


いつの間に追いついたのか、妻が二人の数歩後ろに立っている。


「聞いてたのか」


「最後のところだけ」


「六時間でどうだ」


「七時間」


「戦時中だぞ」


「だからこそ寝なさい」


エリシアが笑った。


ラウルは肩を落としたふりをして、妻と娘の間を歩き始めた。


研究区の機械音は背後へ遠ざかっていく。


戦争は終わっていない。


ゼフィールがどこへ行ったのかも分からない。


《レグナ・ゼオ》を巡る対立も残った。


そして自分の立場は、今日までとは違う。


それでも、すべてを一人で抱えることだけが責任ではないのだと、ようやく少しだけ理解できた気がした。


家へ続く連絡通路の途中で、エリシアが疲れたように歩調を落とした。


以前のラウルなら、「大丈夫か」と聞いたあと、そのまま娘を抱き上げようとしたかもしれない。


しかし今はしなかった。


「少し休むか?」


聞くだけにする。


エリシアは自分の足の疲れを確かめてから頷いた。


「うん。ちょっとだけ」


三人は通路脇の長椅子へ座った。


セレネが中央へ座ろうとしたが、エリシアが先にラウルの隣へ腰を下ろし、父の袖へ肩を軽く預けた。


ラウルは何も言わず、そのまま座っていた。


エリシアは初めて、自分からラウルの肩へ身体を預けたまま休むことを選んだ。

●評価●ブックマーク●アクション●感想●

待ってます!

①文字数が何文字が良いななど

②もっと更新してなど

読者様が応援してくれると嬉しいです!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。