第3章《継承者修練編》 第23話《海上戦線》
●評価●ブックマーク●アクション●感想●
23話の感想待ってます!
読者様が応援してくれると嬉しいです!
その問いが《神殿都市アルヴァ》から届いた頃、レオン・アークレイアは《エルダ村》の治療所ではなく、グランゼ方面へ通じる街道沿いに設けられた王国側の臨時調査拠点で、右手の黒い痕へ何度目かの測定具を当てられていた。
旧第七採掘遺跡を巡る最初の調査では、カイ、エレナ、バルガスの三人だけが先行して第一区画を確認し、その後に条件を整えたレオンたちも既知区画まで入った。そこで施設はレオンを《古代継承候補》、カイを《神代権限保持者》として別々に認識し、どちらか一人だけを正規の利用者として扱っているわけではないことが判明したため、神殿が当初想定していた「レオンと施設の単純な接続を切れば解決する」という見方は、さらに狭められることになった。
加えて、内部で起動した防衛機構への対処を通じ、レオンの右手から出る力は強ければ強いほど有利になるものではなく、本人の身体へ明確な負荷を残すことも確認された。
遺跡を調べる。
その目的そのものは変わっていない。
しかし、以前と同じやり方では先へ進めない。
だから一行は、次の大きな調査へ向かう前に、王国側と神殿側の共同拠点で数日だけ身体と能力の基準を取り直すことになった。
「右手を開いてください」
目の前に立つ女性が、淡い緑色の細い計測線をレオンの手首へ巻いた。
年齢はレオンより少し上に見える。
淡い桃金色の長い髪を背中でまとめ、灰白色の旅装の上から、治療担当であることを示す淡緑色の帯を腰へ結んでいる。左手首には小さな魂晶を組み込んだ腕輪があり、その周囲には水滴を思わせる透明な魂力が薄く漂っていた。
「握らなくていいんですか?」
レオンが尋ねる。
「今日は最大出力ではなく、何もしていない状態から測ります。力を入れたら安静時の値ではなくなってしまいますから、そのまま楽にしてください」
言葉は柔らかい。
しかし、指示ははっきりしている。
レオンは素直に右手を開いた。
女性は計測線の端を小型の魂晶板へ接続し、表示された数値を順番に記録していく。
名前はリーナ・セルフィア。
グランゼ近郊で治療活動をしており、今回の遺跡調査で負傷者が増えたことを受け、王国側から臨時治療班へ加わった人物だった。
レオンが彼女と正式に話すのは今日が初めてだったが、昨日までにも治療区域で働いている姿は何度か見ている。特に印象に残っているのは、誰かの傷へ触れる前に必ず本人へ説明し、痛みの強さだけでなく、どの動作ならできるかまで細かく確認していたことだった。
「安静時の魂力流は、左腕と比べても極端な偏りはありません」
リーナが言った。
「じゃあ治った?」
「そこまでは言えません」
「やっぱり?」
「安静にしていると問題が出ないことと、高い出力を使っても問題がないことは違います。昨日の記録を見ると、あなたは力を使ったあとで右前腕から肩にかけて魂力経路の乱れが増えています」
レオンは自分の肩を見る。
痛みはない。
日常動作にも困らない。
そのせいで、本人としてはほとんど治ったように感じていた。
「でも、今は痛くない」
「痛みが消えたのは良いことです。ただ、痛みだけを回復基準にすると、身体が耐えられる範囲より先に力を使ってしまう人がいます」
言いながら、リーナは測定具を外した。
「心当たりがありますか?」
エリシアが横から尋ねた。
レオンが振り返る。
彼女は少し離れた椅子へ座り、自分の水筒を両手で持っている。遺跡へ初めて戻った頃より歩ける距離は伸びているものの、長時間の調査後には疲労が残るため、今日はレオンの測定を見ながら休憩することになっていた。
「何で俺を見るんだよ」
「レオンだから」
「説明になってない」
リーナが小さく笑った。
「本人が自覚しているなら改善できます」
「最近、ずっとそれ言われてる」
「なら、周囲の人も同じことに気づいているんでしょうね」
味方がいない。
そう思ったが、口には出さなかった。
リーナは新しい紙を一枚出し、中央へ一本の線を引いた。
「今日からは、あなたがどの程度の力を出せるかではなく、どの程度までなら安全に繰り返せるかを測ります」
「繰り返す?」
「一回だけなら身体への負担を無視して大きな力を出せる人は珍しくありません。でも、その一回で動けなくなれば、戦闘や探索では周囲の人があなたを運ぶことになります」
レオンは少し表情を変えた。
《灰牙》との戦い。
右手から大きな力を放ったあと、自分はほとんど役に立てなくなった。
勝ったとは言いづらい。
逃げ道を作った。
仲間を助けた。
でも、そのあと自分を治療した人間もいる。
「じゃあ、強い技を一回使えるより、小さい力を何回も使えた方がいい?」
「場合によります」
リーナの答えはカイと似ていた。
レオンが少し嫌そうな顔をすると、彼女は続ける。
「一回の大きな力でなければ助からない場面もあるでしょう。でも、それを使うなら、その後に自分が動けなくなることまで判断へ入れる必要があります」
「だから場合による?」
「はい」
「その言葉、最近嫌いになりそう」
エリシアが笑う。
「カイもよく言うから?」
「みんな言う」
そのカイは、調査拠点の外で別の訓練をしていた。
木剣がぶつかる音が、薄い壁越しに規則正しく聞こえてくる。
強くぶつける音ではない。
間隔も一定。
レオンには、その整い方自体が少し気に入らなかった。
「カイはもう訓練していいの?」
「彼は負傷していませんから」
「俺も怪我ほとんど治ったけど」
リーナがレオンを見る。
「今の測定結果をもう忘れましたか?」
「忘れてない」
「なら、今日は基礎だけです」
「基礎って何するの?」
「魂力を使わずに、立つ、歩く、避ける、止まる、荷物を持つ。それから休む」
レオンは数秒黙った。
「最後の一つ、訓練なの?」
「あなたには必要そうです」
エリシアがまた笑う。
レオンは反論しようとしたが、自分でも完全には否定できなかった。
◇
午後の訓練場は、王国軍が使っていた古い荷捌き場を転用したものだった。
土の地面。
低い石壁。
木製の柱。
一角には壊れた荷車の車輪が積まれ、反対側では魂晶式の簡易測定器が低い機械音を立て続けている。
レオンがいつも想像していた「修練」とは、もっと剣を振り、魂力を撃ち、相手を倒すためのものだった。
現実は違った。
最初に渡されたのは武器ではない。
砂の入った袋だった。
「これを持って、向こうの柱まで歩いて戻ってください」
リーナが言う。
「どのくらい重い?」
「約八キルです」
「遺跡の荷物より少し重いな」
「はい。右腕は補助程度に使って構いませんが、痛みや痺れ、熱感が出たらすぐ言ってください」
レオンは袋を抱える。
両手で持てる。
右腕に痛みもない。
「これくらいなら普通に――」
「まだ始めてません」
言われて黙る。
開始。
最初は歩けた。
十メル。
二十メル。
柱まで四十メルほど。
折り返す。
戻りは少し肩が重くなる。
それでも問題はない。
「何か変化は?」
リーナが尋ねる。
「肩が少し疲れたくらい」
「右と左、どちらが強い?」
レオンは考える。
「右」
「数字なら?」
「二くらい」
「そのままもう一往復」
「分かった」
二往復目。
今度は途中から右前腕にも重さが出た。
痛くはない。
ただ、袋を持つため無意識に左へ寄せていることに気づく。
柱で折り返したところで、リーナが止めた。
「ここまでです」
「まだ持てる」
「持てることを測っているわけではありません」
「歩き方?」
「はい」
リーナは土へ残った足跡を指した。
最初の往路。
左右ほぼ同じ。
二往復目。
戻る途中から、左足の踏み込みが深い。
「右腕をかばって左へ荷物を寄せたので、身体全体が傾いています」
「でも転んでない」
「平らな地面だからです。遺跡の濡れた床や段差で同じことをすれば、転倒する可能性が上がります」
レオンは足跡を見る。
自分では普通に歩いているつもりだった。
「本人がまだ行けると思っても、身体は先に動き方を変えるんだ」
エリシアが横で言った。
彼女も別の軽い荷物を使い、歩行状態を確認していた。
「エリシアも同じことやった?」
「私は疲れると歩幅が小さくなるって言われた」
「じゃあ同じだな」
「同じだけど、私は止められたら止まったよ」
「俺も止まっただろ」
「一回『まだ持てる』って言った」
「確認しただけだよ」
「そういうことにしておく」
話していると、訓練場の反対側から木剣の音が止まった。
カイとエレナがこちらへ来る。
カイの訓練服には薄く汗が滲んでいるが、息はほとんど乱れていない。
レオンにはそれが気に入らない。
「何やってた?」
レオンが尋ねる。
「足運びと《天律》を使わない制圧訓練です」
「《天律》使わないの?」
「毎回使えるとは限りませんから」
「魂力切れ?」
「それもあります。それに、狭い場所や一般人が近い場所では、使わない方が安全な場合があります」
レオンは昨日までの遺跡を思い出す。
防衛機構。
細い通路。
エリシアやノアが近くにいる状態。
カイは《天律》を使ったが、何でも切ったわけではない。
「じゃあ、今日は俺も戦う訓練?」
「まだです」
リーナが横から答えた。
レオンは顔をしかめる。
「何でカイじゃなくリーナが決めるんだよ」
「身体状態については私の担当だからです」
「カイは?」
「訓練内容の担当です」
カイが言った。
「俺も、今日はレオンに実戦形式をさせるつもりはありません」
「二対一じゃん」
「多数決ではありません」
「分かってるよ」
少しだけ腹が立つ。
けれど、以前のように無理に進もうとはしない。
それを見ていたエレナが、小さな木箱を持ってきた。
「基礎制度の確認もあります」
「制度?」
レオンは嫌な予感がした。
訓練場で制度を学ぶ意味が分からない。
エレナは箱を開く。
中には三つの小型ソウルストーンが並んでいた。
どれも灰色の台座へ固定されており、レオンが村で見慣れている農具用の石より小さい。
「これ、全部契約石?」
「いいえ」
エレナが一つ目を示す。
「これは契約済みの一般級石。所有者の許可を得て、訓練用に一時貸与されています」
二つ目。
「こちらは未契約の一般級石。登録だけされています」
三つ目。
「これは魂晶器具の動力用で、人格反応も所有者選択も確認されていません」
レオンが眉を寄せる。
「全部同じ石に見えるけど」
「外見だけで扱いを決めないために制度があります」
カイが言う。
「契約石と魂晶って、別なんだな」
「完全に別の物質という意味ではありません」
エレナが説明する。
「ソウルストーンのうち、個人との契約関係が成立したものを契約石として扱う場合があります。一方、器具用に加工され、個人契約を前提としない石は魂晶と呼ばれることが多いです」
「俺、村じゃ全部ソウルストーンって呼んでた」
「日常会話ではそれでも通じます」
カイが言う。
「ただ、誰かの契約石を勝手に使うことと、公共器具の魂晶を交換することでは意味が違う」
レオンは三つを見比べる。
「《レグナ・ゼオ》は?」
部屋の空気が僅かに変わった。
カイが答える。
「今のところ、どちらにも分類していません」
「俺と反応してるのに?」
「反応していることと契約成立は別です」
「契約って、何があれば成立なの?」
エレナが説明しようとする。
カイが先にレオンを見る。
「自分ではどう思っていますか?」
「何が?」
「《レグナ・ゼオ》と契約した感覚がありますか?」
レオンは言葉を止めた。
契約。
村で契約石を持つ者から聞いた話では、石へ魂力を流し、互いの反応が安定すると、身体のどこかへ明確な結びつきを感じる者が多いらしい。
自分には?
右手が熱くなる。
力が流れる。
施設が反応する。
でも、それを「契約」と感じたことは一度もない。
「分からない」
「なら、今はそこまでです」
カイが言う。
「またそれか」
「分からないものへ名前を付けて先へ進むと、前回の《接続》と同じことになります」
レオンは何も言えなかった。
確かに、自分たちは一度それをやった。
仮説だった《接続》が、いつの間にか確定した事実のように使われた。
「じゃあ《レグナ・ゼオ》は、まだ俺の石じゃない?」
「所有権の話ですか?」
「うん」
カイは少し考えた。
「少なくとも《見つけたから所有者》とも、《反応したから契約者》とも決めていません」
「神殿のものでもない?」
「はい」
「王国のもの?」
「それも未確定です」
「誰のものでもない?」
エリシアが尋ねた。
カイが彼女を見る。
「今は、その可能性も含めて確認中です」
エリシアは三つの石を見る。
「石が自分で誰と一緒にいるか決めることもあるの?」
エレナが少しだけ表情を変えた。
「あります」
レオンが聞く。
「石が?」
「所有者を選ぶ性質を持つソウルストーンは確認されています。すべてではありませんが、人間側が契約しようとしても拒絶されることがあります」
「拒絶?」
「魂力を受けつけない、変形しない、能力が起動しないなど、石によって違います」
レオンは右手を見る。
《レグナ・ゼオ》は自分を選んだのか。
その考えが浮かぶ。
同時に、以前より慎重な自分が別の考えを置く。
そう見えるだけかもしれない。
まだ分からない。
「だったら、俺があの石を使いたいって思っても、向こうが嫌なら使えない?」
「そう考えるべき石もあります」
カイが答える。
「じゃあ逆は?」
エリシアが尋ねた。
「逆?」
「石の方がレオンを選んだとしても、レオンが嫌なら断れる?」
カイはすぐには答えなかった。
レオンも同じだった。
エレナが言う。
「通常の契約制度では、本人の同意なしに契約を強制することは認められていません」
「制度では?」
エリシアはそこを聞き逃さなかった。
「実際には、事故や強制契約装置などの例外があります」
「じゃあ、石が選んだから人間が従わなきゃいけない、にはならない?」
「なりません」
今度はカイがはっきり答えた。
「少なくとも、神殿の現行制度では」
エリシアは頷いた。
レオンはその横顔を見る。
彼女がなぜそこを気にしたのか、自分には少し分かる気がした。
選ばれた。
必要とされた。
だから従う。
古代で何があったのかまでは思い出せなくても、エリシアはその形そのものを警戒している。
レオンも同じだった。
《レグナ・ゼオ》が自分を選んだとしても、それだけで自分の未来が決まるわけではない。
「なら俺も、あの石を使うか自分で決めていい?」
「危険が周囲へ出ない範囲なら」
カイが答える。
「また条件付くのか」
「当然でしょう」
「俺一人なら?」
「自分だけが傷つく場合でも、神殿の監督下で危険な実験を許可するとは限りません」
「何で俺の身体なのに?」
問いは自然に出た。
カイは少し黙る。
「それは、俺も完全には同じ答えを持っていません」
レオンが意外に思う。
「神殿の人なのに?」
「神殿の規則を知っていることと、そのすべての境界について迷わないことは別です」
「じゃあ今は?」
「あなたが一度倒れれば、治療する人と運ぶ人が必要になります。少なくとも今回の調査隊では、《自分の身体だから何をしてもいい》だけでは済みません」
レオンはリーナを見る。
彼女は何も言わない。
ただ、先ほどの測定結果を書いている。
自分が右手の力を使えば、その後の処置をするのは彼女かもしれない。
ノアやエリシアが運ぶ可能性もある。
「……分かった」
完全に納得したわけではない。
それでも、理由は分かる。
カイはそれ以上押さなかった。
「今日は制度の確認はここまでです」
「短いな」
「覚えていない状態で量だけ増やしても意味がありません」
「もっと知りたい」
「明日もあります」
レオンは少し不満だった。
けれど、止める。
◇
夕方、基礎訓練の最後にようやく木剣を渡された。
レオンは少し機嫌を直した。
相手はカイ。
ただし試合ではない。
勝敗も付けない。
「三回だけ攻撃してください」
カイが言う。
「三回?」
「はい」
「少なくない?」
「今の目的には十分です」
「何の目的?」
「あなたが攻撃するとき、右腕をどこまで無意識に使うか確認します」
リーナが訓練場の端で腕を組んでいる。
その隣ではエリシアが休憩し、ノアが記録を取っていた。
完全に観察されている。
「三回とも避けるの?」
レオンが尋ねる。
「必要なら受けます」
「《天律》は?」
「使いません」
「じゃあ行く」
構える。
右腕に痛みはない。
木剣を両手で握る。
一歩。
振る。
カイが半歩だけ外れる。
空振り。
二回目。
今度は横から。
木剣同士が触れる。
カイは強く受けず、角度を変えて流す。
レオンの身体が前へ出る。
三回目。
少し考える。
最初の二回で、自分は右腕へ思ったより力を入れている。
なら、今度は左を強くする。
踏み込む。
剣を下から上へ。
カイが受ける。
乾いた音。
停止。
「終わりです」
「まだ三回だぞ」
「三回と言いました」
「本当に終わるんだ」
「約束した回数を勝手に増やす理由がありますか?」
ない。
レオンは木剣を下ろした。
リーナが近づく。
「右腕は?」
「少し熱い」
「痛みは?」
「ない」
「熱さは何段階?」
「二」
脈を取る。
肩。
肘。
手首。
指の動き。
「剣を振っただけで少し熱が出ています」
「普通じゃない?」
「左は?」
聞かれて意識する。
左腕には同じ感覚がない。
「ない」
「なら、左右差として記録します」
カイが尋ねる。
「三回目で左を意識しましたか?」
「分かった?」
「二回目までと身体の開き方が違いました」
「右を使わないようにした」
「その結果、右の熱感は増えましたか?」
レオンは考える。
三回目の後。
増えた感じはない。
「変わってないと思う」
「なら、少なくとも動作だけで必ず悪化するわけではなさそうです」
リーナが言う。
「ただし、三回で結論にはしません。休んだあと同じ条件を別日に繰り返して、再現するか確認します」
「今日もう一回じゃ駄目?」
「休んだあと、と言いましたが、同じ日とは言っていません」
「明日?」
「明日の朝、今日の熱感が残っていなければ」
レオンは少しだけ肩を落とした。
カイが木剣を戻す。
「何をそんなに急いでいるんです?」
「早く《レグナ・ゼオ》を使えるようになりたい」
「なぜ?」
「次に遺跡へ行ったとき、また防衛機構が動くかもしれないし、《灰牙》もいる。それにカイだけ戦えて、俺が何もできないの嫌だ」
最後の部分は言わなくてもよかったかもしれない。
でも、言った。
カイは少し黙った。
「俺に勝ちたいんですか?」
「それも少しある」
エリシアが笑う。
ノアも筆を止めて笑っている。
「何だよ」
「レオンらしいと思って」
「悪い?」
「悪くないよ」
カイは笑わない。
ただ、木剣を持ったまま言った。
「なら、今のままでは勝てません」
レオンの眉が跳ねる。
「何で断言するんだよ」
「三回とも、攻撃前に狙っている場所が分かりました」
「どうして?」
「目線です」
「目?」
「一回目は肩。二回目は剣。三回目は左脇。それぞれ振る前に見ています」
レオンは思い返す。
自覚はない。
「そんなので分かる?」
「実戦経験のある相手なら」
「じゃあ直す」
「できますか?」
「練習すれば」
「それなら練習してください」
腹が立つ。
しかし、具体的だ。
「次はいつ?」
「明日です」
「今日は?」
「終わりです」
「三回しか振ってない」
「その三回で右腕に熱感が出たでしょう」
言い返せない。
カイは木剣を片づける。
「強くなることを急ぐのは止めません」
「止めない?」
「俺が止めても、あなたは急ぐと思います」
「分かってるじゃん」
「だから、急いだ結果として遠回りになる行動だけ止めます」
レオンは一瞬黙り、そのあと少し笑った。
「カイって、やっぱり腹立つな」
「昨日も言われました」
「俺じゃない人にも?」
「セリオスに近い意味で言われたことがあります」
「先生?」
「はい」
「じゃあ、その人とも気が合わないかも」
カイの口元がほんの少し動いた。
「会ったら判断してください」
以前なら、その言い方も気に障ったかもしれない。
今は少し慣れてきた。
◇
夜の臨時拠点は、昼より機械音が大きく聞こえた。
昼間は人の声や訓練音に埋もれていた魂晶式測定器の低い回転音が、食事を終えた後の静かな宿舎では壁越しにも一定の間隔で続いている。
レオンは食堂の端に座り、右手を机へ置いていた。
夕食は麦粥、焼いた川魚、塩漬け野菜。
訓練量は少なかったはずなのに、思っていた以上に空腹だった。
身体は動いた。
でも精神的には、止められてばかりだった気がする。
三回。
それだけ。
「不満?」
向かいに座ったエリシアが尋ねた。
「少し」
「でも右手、まだ熱い?」
レオンは確認する。
もうほとんどない。
「一くらい」
「じゃあ止めてよかったんじゃない?」
「もっとできたと思う」
「できるのと、やるのは別ってカイ言ってた」
「エリシアまでカイ側になるなよ」
「側じゃないって前も言ったでしょう」
また怒られた。
「ごめん」
エリシアは野菜を一口食べる。
「私も今日、もっと歩けたと思ってる」
「じゃあ同じじゃん」
「でも止めた」
「何で?」
「明日も歩きたいから」
簡単な答えだった。
レオンは麦粥を食べながら考える。
今日もっと訓練する。
明日、右腕が悪化する。
それなら確かに遠回りだ。
「俺、今まで一日で考えすぎてたのかも」
「どういうこと?」
「今日できるところまで全部やる、みたいに」
「遺跡でもそうだったね」
「うん」
「今は?」
「明日もあるって分かってる」
言って、自分で少し可笑しくなった。
当たり前だ。
明日は来る。
でも、何かを見つけたときの自分は、それを忘れる。
今すぐ。
ここまで。
もう少し。
その繰り返し。
「じゃあ、明日何したい?」
エリシアが聞く。
レオンは考える。
「右腕が戻ってたら、今日と同じ三回」
「増やさないの?」
「同じ条件じゃないと、今日と比べられないだろ」
エリシアが少し驚いた。
「ちゃんと覚えてる」
「俺だって学ぶって何回言えばいいんだよ」
「言わなくても分かるようになったら?」
「それはまだ先かも」
二人で笑う。
ノアは少し離れた机で今日の記録を整理している。
カイとエレナは王国側の担当者と、明日の予定について話している。
リーナは治療区域。
バルガスは拠点外周の見回りへ出た。
同じ一行でも、夜に全員が同じことをしているわけではない。
それぞれ仕事がある。
「そういえば」
エリシアが言う。
「今日、契約石の話してたでしょう」
「うん」
「私、まだソウルストーン持ってない」
「欲しい?」
「分からない」
「じゃあ探す?」
「だから分からないって」
「見るだけなら?」
エリシアが少し笑う。
「レオン、すぐ探しに行こうとするね」
「だって気になるだろ」
「私は、石を持ったら何が変わるか先に知りたい」
「強くなる」
「それだけ?」
問われて、レオンは止まる。
ソウルストーン。
村にもある。
農具。
護衛。
治療。
戦闘。
でも、契約すればそれで強くなるだけではない。
石によってできることが変わる。
手入れも必要。
登録する場合もある。
石側が人間を選ぶものまである。
「明日カイに聞けば?」
「レオンに聞いたんだけど」
「俺、知らないこと多いから」
素直に認める。
以前なら適当に答えたかもしれない。
「じゃあ明日、一緒に聞こう」
「うん」
その約束をノアが聞いていたらしく、離れた机から声が飛ぶ。
「質問欄に書いとく?」
「聞こえてたのかよ」
「同じ部屋だもん」
「書いて」
エリシアが答える。
ノアが記録帳へ一行加える。
《契約石を持つことで、生活上どんな責任と制約が増えるか》
レオンが見る。
「強くなる方法じゃないんだ」
「それも聞きたいけど、先にそっち」
「エリシアらしいな」
「そう?」
「俺なら能力から聞く」
「知ってる」
完全に分かっているらしい。
レオンは笑った。
◇
食事を終えて部屋へ戻ろうとしたところで、カイが声を掛けてきた。
「レオン」
「何?」
「明日の予定について一つ変更があります」
また条件か。
そう思ったが、口には出さない。
「何が変わった?」
「午前中の訓練は同じです。ただ、午後に王国側の契約石管理担当から基礎登録について説明を受けることになりました」
「俺、契約石持ってないけど」
「だからです」
「何で?」
「今後、《レグナ・ゼオ》との関係が契約に近いものだと判断された場合、一般的な契約制度と何が違うか比較できる方がいい」
それは分かる。
「エリシアも?」
「希望するなら」
「希望する」
エリシアがすぐ横から答えた。
「ノアは?」
「聞けるなら聞きたい」
離れたところから返事。
カイが頷く。
「では三人」
レオンは少し考える。
「カイもいる?」
「います」
「説明する人がいるのに?」
「神殿側と王国側で、運用の違いがある部分もあります」
「同じ制度じゃないの?」
「基本は近いですが、登録義務や携行規則には地域差があります」
「面倒だな」
「生活の中で使う制度は大体そうです」
「神殿の人がそれ言う?」
「神殿にも面倒な規則はあります」
妙に正直だった。
「カイ」
「何です?」
「今日の訓練、明日も同じ三回でいい」
カイが少し驚いたように見る。
「増やしたいと言うと思っていました」
「増やしたいよ。でも比較するなら同じ方がいいんだろ」
「はい」
「じゃあ同じで」
カイは頷いた。
「分かりました」
そこで終わり。
褒めない。
やっぱり少し腹が立つ。
でも、それでいい。
レオンは自分の部屋へ戻る。
寝台へ座る。
右腕。
熱感はほぼ消えている。
痛みなし。
それでも明日の朝までは「回復した」と決めない。
リーナに見せる。
今日の記録と比べる。
それから三回。
その次を決める。
小さな進み方だった。
けれど以前とは違い、今日は何も進まなかったとは思わなかった。
◇
深夜。
機械音で目が覚めた。
異常ではない。
拠点の測定器が一定周期で基準値を取る音だ。
レオンは暗い天井を見る。
室温は昼よりかなり下がっている。
毛布の外へ出した右手が冷たい。
黒い痕は暗闇ではほとんど見えない。
なんとなく右手を握る。
力は使わない。
ただ、感覚を確認する。
痛みなし。
熱なし。
痺れなし。
寝直そうとしたところで、廊下から足音がした。
誰かが走っているわけではない。
一定の速さ。
少しして扉が軽く叩かれた。
「レオン、起きていますか?」
リーナの声。
「起きてる」
扉を開ける。
リーナは上着を羽織り、手には小型測定板を持っていた。
「何かあった?」
「あなたの身体ではありません」
その言い方で目が覚める。
「じゃあ何?」
「拠点の広域測定器が、北西方向で短い魂力変動を拾いました」
「遺跡?」
「距離的には違います」
「じゃあ《灰牙》?」
「まだ分かりません」
当然の答え。
「カイは?」
「起きています。バルガスさんも戻りました」
「俺も行く」
立ち上がる。
リーナは止めなかった。
「会議室までなら。ただし訓練用の装備は不要です」
「戦闘じゃない?」
「今のところ」
レオンは上着を着る。
廊下へ出る。
冷たい。
昼間とは明らかに温度が違う。
測定器の機械音が、いつもより少し短い間隔で続いている。
会議室にはカイ、エレナ、バルガス、ノア、エリシアが既に集まっていた。
「エリシアも起こしたの?」
レオンが聞く。
「起きてた」
「何で?」
「測定器の音が変わったから」
レオンは気づかなかった。
エリシアは古代施設の機械音に敏感なのかもしれない。
ただ、それも今は仮説だ。
カイが地図を広げる。
「北西方向。ここです」
エルダ村ではない。
旧第七採掘場でもない。
もっと遠い。
街道の先。
川を越えた外側。
「何がある?」
レオンが尋ねる。
王国担当者が答える。
「小規模な魂晶訓練施設と、契約石の一時保管庫があります」
カイの表情が少し変わった。
「保管数は?」
「今日の記録なら四十七。一般級中心で、上級が三つ」
「人は?」
「夜勤二名」
「通信は?」
「今送っています」
まだ事件と決まったわけではない。
測定器の誤差。
施設側の試験。
一時的な契約反応。
可能性はある。
それでも夜中に集められた理由は分かる。
契約石。
今日話したばかりの制度。
その保管場所から異常が出た。
「行く?」
レオンが聞く。
カイはすぐに答えない。
まず王国担当者を見る。
「現地側からの応答を待ちます」
「今すぐ行った方が――」
言いかけて止める。
距離。
時間。
危険。
何も分からない。
また同じだ。
「……応答が来なかったら?」
「その場合は偵察班を出します」
「俺たちは?」
「明日の身体状態次第です」
「またか」
「今のレオンを夜間に遠距離移動させる必要性は、まだありません」
腹は立つ。
でも、もう分かる。
レオンは椅子へ座った。
「分かった。待つ」
エリシアが横へ座る。
ノアは記録帳を開く。
バルガスは入口近くで立ったまま地図を見ている。
数分。
通信装置が鳴った。
王国担当者が受信する。
全員の視線が集まる。
「保管庫からです」
「状況は?」
「人的被害なし。ただし、未契約石の一つが保管台から外れ、収納室内で変形した形跡あり」
レオンが顔を上げる。
「変形?」
「武器形態に近いと」
部屋が静かになる。
所有者選択型。
今日聞いたばかり。
人間が契約したわけではない。
それでも形を変えた。
「誰かいる?」
カイが聞く。
「夜勤二名だけ。どちらも契約反応なし」
「なら、誰を選んだ?」
レオンが思わず言った。
誰も答えない。
エリシアが小さく尋ねる。
「誰も選んでないのに、変わることもあるの?」
カイは資料を見たまま答える。
「通常なら、少なくとも何らかの刺激か反応源が必要です」
「《レグナ・ゼオ》と関係ある?」
レオンが聞く。
「距離が遠すぎます。今の時点で結びつけません」
それも分かる。
何でも一つへ繋げない。
王国担当者が続報を読む。
「変形した石は現在静止。保管室を封鎖し、朝まで接触しないとのことです」
「それでいい」
カイが言う。
「夜勤二名を別室へ移し、体調だけ確認してください。石の近くへ戻す必要はありません」
「了解」
通信が切れる。
事件はまだ終わっていない。
でも、今夜すぐ戦う必要もなくなった。
レオンは地図を見る。
明日。
訓練。
契約制度の説明。
そして、変形した未契約石。
新しい確認対象が増えた。
「カイ」
「何です?」
「明日の午後の説明、この石の記録も見せてもらえる?」
「許可が出れば」
「見たい」
「分かりました」
エリシアも言う。
「私も」
ノアは既に書いている。
レオンはそこで、自分が以前ならどうしたかを想像した。
今すぐ見に行くと言っただろう。
未契約の石が勝手に武器へ変わった。
面白い。
知りたい。
夜でも出た。
今は違う。
身体。
距離。
現地は封鎖済み。
人も無事。
朝まで待てる。
その判断を、自分でも選べる。
「じゃあ寝る」
レオンが立った。
バルガスが少し驚く。
「行くって言わねえのか?」
「明日も訓練あるし」
「成長したな」
「それ言うの禁止にしようかな」
エリシアが笑う。
カイもほんの少しだけ口元を動かした。
レオンは部屋を出る前に、地図をもう一度見た。
北西の保管庫。
動いた未契約石。
それが何を意味するかは分からない。
だから、明日確かめる。
今日ではなく。
レオンは翌朝の基礎訓練を予定どおり続けたうえで、午後に未契約石が変形した保管庫の記録を確認することにした。




