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『ソウルストーン ~神々を滅ぼす最後の継承者~』  作者: シロの空


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第2章《神々の継承者編》 第22話《最後ではない日常》

●評価●ブックマーク●アクション●感想●

22話の感想待ってます!


読者様が応援してくれると嬉しいです!

翌朝、セリオス・ヴァルディンが中央大神殿の記録棟へ向かった頃には、夜明けから吹き続けていた風が神殿都市アルヴァの高い回廊を抜け、灰色の外套の裾を絶え間なく片側へ押していた。


左肩の再診では炎症がほぼ治まっていると判断され、魂力義手も通常出力まで戻してよいという許可が出たものの、《裁刃》を使った高負荷訓練については今日一日だけ控えるよう条件が残されている。そのため午前の訓練指導を副担当へ任せ、普段なら午後に回す書類仕事を先に行うことにした。


空いた時間ができたから記録を読むのではない。


昨夜、自分で閲覧申請を出した。


その順番を曖昧にしたくなかった。


記録棟は七柱中央大神殿の西側にあり、礼拝堂や謁見区画とは違って装飾がほとんどない。外から見れば白い石造建築の一部にしか見えないが、内部には数十年分の騎士団報告、契約事故、地方神殿との通信、裁定記録、保護命令の実施書類が階ごとに分けられて保存されている。


入口へ近づくにつれ、人の声が増えた。


静かな書庫を想像する者もいるだろうが、実際の記録棟は一日中誰かが歩いている。


書類を運ぶ神官。


地方報告を整理する実務官。


閲覧許可を待つ騎士。


破損した記録紙を修復する職員。


扉が開くたびに風が入り、紙を押さえる重しが机の上で小さく鳴る。


セリオスは受付へ神殿証明札を出した。


「昨日申請した《保護規定運用記録》の閲覧だ」


受付担当者が台帳を確認する。


「セリオス・ヴァルディン師範ですね。閲覧許可は出ています。ただ、全件ではなく、過去十五年以内の西部および中央管轄案件に限定されています」


「十分だ」


「対象は四十七件あります」


思っていたより多い。


セリオスが少し眉を寄せる。


「すべて強制移送か?」


「いいえ。《保護命令》の発令案件が四十七件で、結果は複数に分かれています」


「結果別の索引は?」


「あります」


一冊の薄い索引帳が出される。


セリオスは立ったまま開いた。


本人同意による中央移送。


十四件。


地方神殿での一時保護。


九件。


家族・地方自治体による保護継続。


七件。


危険消失により命令解除。


六件。


緊急強制移送。


八件。


その他。


三件。


セリオスの指が止まった。


《保護命令》という一つの言葉から、実際には複数の結果へ分かれている。


当たり前といえば当たり前だった。


規定本文にも選択肢はある。


それでも現場で《保護》という言葉を聞けば、中央移送を最初に連想する者が少なくない。


カイが出発したときも、中央側はレオンとエリシアを移送するための宿泊区画を仮確保していた。


準備としては間違っていない。


しかし、その準備が人の認識へどの程度影響しているのか。


「緊急強制移送八件から見る」


受付担当者が少し顔を上げる。


「古い順ですか?」


「新しい順でいい。そのあと、移送せず現地保護を継続した案件を同数出してくれ」


「比較ですか?」


「ああ」


「承知しました」


閲覧室へ案内される。


窓の細い部屋だった。


外からの風は直接入らないが、廊下の扉が開閉するたびに衣服の背中へ冷たい空気が流れ込む。


セリオスは外套を脱がずに椅子へ座った。


少しして、最初の記録箱が運ばれてくる。


八件。


一つずつ読む。


最初は五年前。


地方神殿で契約石の暴走を起こした成人男性。


本人は錯乱。


周辺へ高熱を放出。


家族三名が負傷。


地方設備では安定化できず、本人の意思確認も困難だったため、中央治療院へ強制移送。


三日後に契約経路を切離。


本人回復。


その後、本人同意のもとで地方へ帰還。


セリオスは記録へ印を付けない。


頭の中で条件だけ整理する。


切迫した危険。


本人の意思確認不能。


現地で治療不能。


中央移送によって具体的な改善が期待できる。


強制する理由は明確だった。


二件目。


真名級の石と契約した十四歳の少年。


夜間の睡眠中だけ無意識の魂力放出。


周辺家屋への損傷。


本人と両親は中央移送を拒否。


地方側は監視と隔離居住を提案。


中央は再発時の被害を理由に強制移送。


セリオスは少し長く読んだ。


移送後。


中央で二か月観察。


原因は、本人の石ではなく寝具の下に埋設されていた旧式魂導器具との干渉と判明。


器具を除去。


本人は帰還。


人的被害なし。


記録上、中央移送そのものが原因究明に必要だったとは書かれていない。


ただ、中央で観察したから干渉が見つかった可能性もある。


逆に、地方で設備を持ち込めば同じことが分かった可能性もある。


結果だけでは判断できない。


三件目。


高齢女性。


契約石内部に未知の人格反応。


本人が石との対話継続を希望。


周囲へ危害なし。


しかし当時、人格反応を持つ石の取り扱い基準が未整備だったため、中央へ強制移送。


「……これも保護か」


思わず小さく声が出た。


閲覧室の反対側にいた記録官が顔を上げたが、何も言わなかった。


読み進める。


移送理由は《本人および周辺住民の安全確保》。


中央で九日観察。


危険反応なし。


本人が精神的負担を訴え、地方への帰還を希望。


さらに十二日後、危険性が確認できないまま命令解除。


合計二十一日。


石は返還。


その後五年間、事故なし。


セリオスは椅子へ背を預けた。


この案件は結果論で「移送しなくてよかった」と言うことができる。


しかし当時の担当者には、人格反応を持つ未知の石が何をするか分からなかった。


だから中央へ送った。


判断の理由は理解できる。


それでも、分からないことそのものを危険として扱った結果、本人の意思は二十一日間止められた。


正しかった。


間違っていた。


どちらかの一言では処理できない。


四件目。


五件目。


六件目。


セリオスは一つずつ読む。


暴走した石。


他者への強制契約を試みた契約者。


未知の病状。


家族内での監禁。


保護名目の移送にも、必要性が明確なものと、今読み返せば選択肢を狭く取りすぎているものが混ざっていた。


七件目で、セリオスは初めて書類の途中へ付箋を挟んだ。


地方の古代施設から発見された青年。


身元不明。


記憶欠損。


施設へ戻ることを本人が希望。


地方神殿は危険性を理由に中央移送を申請。


中央は強制移送を承認。


状況だけを抜けば、今のエリシアと似て見える。


しかし詳細は違った。


青年は施設から離れると全身痙攣を起こし、逆に施設へ近づくと症状が安定した。


地方側はその事実を把握していた。


それでも「未知施設から遠ざけることが保護」と判断し、中央へ移送。


移動途中で症状悪化。


結果として施設から半日の地点で移送中止。


本人は地方へ戻された。


後の調査で、青年の体内へ埋め込まれた古代治療装置が、施設から一定範囲内でしか安定しない構造だったと判明している。


セリオスは最初の申請書へ戻った。


《未知古代施設との接続可能性があるため、安全確保のため隔離を要す》


接続。


その言葉がある。


意味は現在のレオンとは違う。


それでも、未知の関係を「危険な接続」と見なし、切り離す方向だけを安全と考えた。


その結果、本人の身体状態を悪化させた。


セリオスは書類の端へ触れた。


記録紙は乾いている。


当事者の痛みも、移動中の呼吸も、何年も経てば数行の文章になる。


だからこそ、数行を読む側が簡単に処理してはいけない。


八件目を読み終えた頃には、午前の鐘が一度鳴っていた。


セリオスは肩を回す。


義手に問題はない。


それでも一度席を立ち、水を飲む。


閲覧室の外へ出ると、廊下を行き交う人の数が増えていた。


昼前の業務交換時間らしい。


書類を抱えた神官同士がすれ違い、誰かが窓を閉めるよう声を掛けている。


風が強くなっていた。


外套の前を留め直す。


戻ると、現地保護継続案件の記録箱が追加されていた。


今度は八件。


最初の一件を開く。


未登録の高位石へ適合した地方商人。


石が本人以外へ強い拒絶反応。


周辺に軽傷者。


本人は中央移送を拒否。


地方側は自宅隔離と外出制限、毎日二回の観察を提案。


中央は条件付きで承認。


十日後、拒絶反応の範囲が本人から三メル以内に限定されると判明。


人を近づけない運用で事故なし。


二か月後、本人が自ら中央での詳しい検査を希望し、同意移送。


強制しなかったため危険が増えた記録はない。


二件目。


戦闘で魂力制御を失った騎士。


本人は中央へ行くことを希望。


しかし負傷が重く、長距離移送そのものが危険だったため、地方治療院に留置。


中央医療官を派遣。


結果として回復。


三件目。


十六歳の少女。


未知石と接触後、周囲の魂晶灯が一斉消灯する現象。


人的被害なし。


中央では移送意見が強かったものの、本人が重度の乗り物酔いと呼吸障害を持ち、移送自体が危険だった。


そのため地方で観察。


三週間後、原因は本人ではなく、住居地下の壊れた魂力中継器だったと判明。


セリオスは書類を閉じた。


強制移送の記録にも似た事例があった。


そこでは中央へ連れていき、あとで外部装置が原因と分かった。


こちらでは本人を残し、外部装置が原因と分かった。


結果だけなら同じ。


違うのは、本人が何を失ったか。


移動。


生活。


仕事。


家族との距離。


それらは危険判定表の大きな欄には書かれない。


けれど、なくなるわけではない。


「セリオス師範」


後ろから声を掛けられた。


振り返る。


記録官が立っている。


「午前閲覧時間が終わります。継続される場合は、午後枠へ引き継げますが」


「続ける」


「昼食は?」


「食堂へ行って戻る」


「では箱をそのまま封印しておきます」


「頼む」


立ち上がる。


左肩に痛みはない。


それでも長時間同じ姿勢だったため、背中が少し固い。


廊下へ出ると、ちょうど昼の鐘が鳴った。


     ◇


食堂は混んでいた。


訓練を終えた騎士と神官、記録棟の職員が同じ時間へ流れ込んだため、普段より人声が重なり、入口近くでは空席を探す者が立ったまま盆を持っている。


セリオスは今日の献立を受け取る。


麦飯。


鶏肉と豆の煮込み。


酢漬け野菜。


薄い果実水。


空いている場所を探し、奥の長机へ向かった。


一席だけある。


向かいには既に一人の女性が座っていた。


白金に近い淡い髪を後ろでまとめ、左目の下から頬へ細い古傷が残っている。体格はセリオスより僅かに高く、食事中にもかかわらず姿勢が崩れていない。


聖騎士長オルガ・レナス。


セリオスは何も言わず、空席を指した。


「座っても?」


「どうぞ」


向かいへ座る。


オルガは食事を続けた。


セリオスも汁を一口飲む。


温かい。


午前中、記録室で冷えた身体へ熱が戻る。


しばらく互いに話さなかった。


人声が周囲へ満ちている。


隣の机では若い騎士たちが訓練の失敗について話し、その向こうでは記録官二人が午後の作業分担を相談していた。


「西部案件を調べているそうですね」


オルガが食事の途中で言った。


「耳が早いな」


「保護規定の閲覧申請に、あなたの名前があれば分かります」


「閲覧を止めに来たのか?」


「食事に来ただけです」


「ならいい」


「止められると思っていたんですか?」


セリオスは少し考えた。


「思っていない。ただ、何か言われるとは思っていた」


オルガは鶏肉を切る。


「では言います。カイの現地判断に肩入れしすぎないでください」


セリオスは匙を止めなかった。


「どこからそう見える」


「中央移送へ慎重な意見を出し、現地治療者の判断を優先し、再調査延期まで支持した」


「全部、理由を書いた」


「読みました」


「なら何が問題だ」


オルガはすぐに答えなかった。


人の声が続く。


厨房では大鍋を動かす金属音が響いている。


「カイはあなたの弟子です」


「知っている」


「本人の判断を評価するとき、他の騎士より甘くなる可能性は否定できません」


セリオスはようやく匙を置いた。


「だから記録を読んでいる」


「それで消えるものですか?」


「消えない」


即答した。


オルガが僅かに目を細める。


「なら?」


「自分に偏りがある可能性を知ったうえで、材料を増やすしかない」


「中央側にも偏りがあると言いたい?」


「あるだろう」


「何だと思います?」


「安全を中央へ集める方が管理しやすい」


オルガの表情は変わらない。


セリオスは続けた。


「危険対象を一か所へ集めれば、設備も人員も使いやすい。監視もできる。報告経路も短い。それ自体は利点だ」


「なら移送は合理的です」


「合理的な場合がある」


「今回もそうかもしれない」


「そうかもしれない」


オルガは少しだけ眉を動かした。


「否定しないんですね」


「何を期待している」


「カイの判断が正しいと言い切るのかと」


「まだ分からん」


「なら、なぜ強制移送へ反対したんです?」


「反対していない」


セリオスは果実水を飲んだ。


「現時点で自動的に選ぶなと言っている」


「違いがありますか?」


「ある」


「説明してください」


セリオスは午前中に読んだ記録を思い出す。


「過去十五年の保護命令四十七件。そのうち緊急強制移送は八件だ」


オルガは黙って聞く。


「八件全部が不適切だったわけじゃない。現地では止められない暴走や、本人が意思表示できない案件もあった。中央へ運んだから助かった者もいる」


「それなら――」


「だが、未知だから遠ざけるという判断だけで移送した案件もある」


セリオスは七件目の古代施設の青年について話した。


施設から離す。


症状悪化。


移送中止。


後に施設との距離そのものが治療装置の安定条件だったと判明。


オルガの手が止まる。


「その記録は知っています」


「なら何を学んだ」


「一件の失敗からすべての移送を否定することはできません」


「同意する」


「では?」


「一件の成功からも、すべての移送を正当化できない」


オルガは黙った。


セリオスは食事を再開する。


「今回、レオンが遺跡に近づいていなくても施設側の変動が出た」


「報告は読みました」


「それで本人を中央へ送れば、安全になる部分はある。《灰牙》から距離を取れる。未知施設からも離せる」


「その通りです」


「だが、施設の危険が消えるわけではない」


「別班を送ればいい」


「右手との関係をどう調べる」


「中央でレオンを調べる」


「施設と離して?」


オルガが答えに詰まる。


セリオスは責めるようには続けなかった。


「できないとは言わん。中央で本人側を調べ、別班が施設側を調べ、記録を照合する方法もある」


「それなら可能です」


「時間と通信差が増える」


「現地へ置くより安全です」


「本人にとってはな」


オルガの目が僅かに細くなった。


「村にとってもでしょう」


「《灰牙》がレオンだけを追っているなら」


「二重反応がある」


「候補がレオンとエリシアだとは確定していない」


「だから二人とも移送する案がある」


「二人を移しても針が村を指したら?」


オルガは黙った。


それはまだ誰も確認していない。


「セリオス」


「何だ」


「あなたは何をしたいんです?」


質問が変わった。


規則ではない。


カイでもない。


セリオス自身。


「正しい判断をしたい」


「誰でもそう言います」


「なら言い直す」


セリオスは少し考えた。


「間違ったときに、何を見落としたか分かる判断にしたい」


オルガが目を細める。


「随分弱い答えですね」


「絶対に間違えないと言うよりはましだ」


「神殿は人の安全を預かっています。判断する側が最初から間違うことを前提にしていいんですか?」


「前提にしない方が危険だ」


セリオスの声が少し低くなった。


「私は左腕を失う前、自分の判断が正しいと思っていた」


オルガは何も言わない。


この話を詳しくするつもりはない。


今は必要な範囲だけでいい。


「退避命令を一段遅らせた。自分なら持たせられると思ったからだ。結果として、守るつもりだった隊員を二人余計に負傷させ、自分も腕を失った」


「その件は、あなた一人の責任では――」


「責任の話ではない」


セリオスは遮らず、静かに続ける。


「私が間違える可能性を、当時の私は判断材料に入れていなかった。それが問題だと言っている」


オルガは食事を止めたまま聞いている。


「今のカイに、同じことをさせたくない?」


「それもある」


「やはり弟子だからでしょう」


「そうだ」


否定しなかった。


「だが、カイだけではない。次に同じ命令を受ける騎士にもだ」


オルガは少しだけ視線を落とした。


「私は、移送に賛成です」


セリオスは頷く。


「知っている」


「少なくともエリシアは中央へ移した方がいいと思っています」


「理由は?」


「古代施設から発見された身元不明者で、記憶欠損があり、複数の古代名称に反応している。本人自身に悪意がなくても、利用しようとする者が現れる可能性が高い」


「灰牙もその一つかもしれない」


「そうです」


「中央なら守れる?」


「エルダ村よりは」


そこは否定できない。


防壁。


騎士。


治療院。


監視。


交通。


アルヴァの方が設備は多い。


「本人が嫌だと言っても?」


セリオスが尋ねる。


「危険が十分に高ければ」


「どこから十分だ」


「そこを決めるために神殿があるんでしょう」


「本人は?」


「本人の意見も聞きます」


「意見を聞いた結果、結論が変わる可能性はあるか?」


オルガが止まった。


わずかな沈黙。


周囲の食堂では会話が続いている。


誰も二人を見ていない。


「あります」


やがてオルガが答えた。


「なら、私たちはそこまで違わん」


「違います」


「どこが」


「私は、危険が高いと判断した時点で本人の意思より移送を優先します。あなたは、危険の原因が本人にあると確認できるまで待とうとしている」


「そこは違う」


セリオスは認める。


「待っている間に被害が出たら?」


「その可能性もある」


「だから私は移すべきだと思う」


「分かった」


「反論しないんですか?」


「結論を一致させる必要があるのか?」


オルガが少し驚いた。


セリオスは残った麦飯を食べる。


「お前は移送の安全上の利益を調べろ」


「私が?」


「中央で保護した場合、具体的に何ができる。何人必要だ。本人の自由はどこまで制限する。期間はどうする。拒否された場合はどうする。遺跡との比較調査をどう維持する。その案を作れ」


「あなたは?」


「現地保護を継続した場合の条件を整理する」


「二案を比べる?」


「そうだ」


オルガはしばらくセリオスを見た。


「私に、反対案を作らせるんですね」


「お前は反対だと思っていないだろ」


「そうですが」


「なら最も強い案を出せ」


セリオスは盆を少し前へ動かした。


「弱い移送案と現地保護を比べても意味がない」


オルガの口元がほんの少し動いた。


笑ったのかもしれない。


「分かりました」


「期限は今日中でなくていい」


「なぜ?」


「現地から次の観測結果が来る」


「待つんですか?」


「使える材料が来るなら使う」


「その間に状況が変わる可能性もあります」


「変わったら案も変える」


オルガはようやく食事へ戻った。


二人の結論は一致していない。


それでも、次にすることは決まった。


それで十分だった。


     ◇


午後の記録閲覧で、セリオスはさらに八件を読み終えた。


強制移送しなかったことで事故が起きた案件もあった。


本人の意思を優先し、地方での監視を継続したものの、三日後に高位石が暴走し、家屋二棟が焼けた。


死者はない。


ただし重傷者一名。


その後、本人は中央へ同意移送。


記録には《初回時点で中央移送していれば事故を防げた可能性あり》と残っている。


セリオスはそこにも付箋を挟んだ。


現地保護が常に優れているわけではない。


本人の意思を尊重することが、そのまま安全になるわけでもない。


逆も同じ。


強制移送すれば安全になるとは限らない。


結局、見るべきなのは方法の名前ではない。


何が危険なのか。


どこまで分かっているのか。


何を失うのか。


何を戻せるのか。


そして、判断を変える条件をあらかじめ持っているか。


最後の記録を閉じたところで、記録官が新しい通信板を持ってきた。


「西部調査班からです」


「今度は何だ」


受け取る。


旧第七採掘遺跡の入口外へ設置した観測板。


三か所。


レオンは村に残したまま。


一刻ごとの変動。


結果。


一番入口に近い観測板で弱い周期変動。


二番目で微弱。


三番目ではほぼ検出不能。


レオンの右手は同時間帯に無反応。


エリシアにも目立った体調変化なし。


ただし、村内に保管している《灰牙》の追跡針が、同じ時間帯に一度だけ北側へ動いた。


セリオスは読み直した。


「同時刻か?」


記録官が答える。


「完全同時ではありません。施設側変動から十数分後です」


「なら因果は未確認だ」


「はい。現地もそう記録しています」


次。


カイの判断。


《レオンを施設変動の唯一原因とする仮説をさらに下方修正》


《灰牙追跡道具が施設変動を直接追っているかは未確認》


《本人二名を現時点で移送しても、施設側異常の解消は期待できない》


そこまでは理解できる。


最後。


《明日、レオンとエリシアを同行させず、カイ、エレナ、バルガスの三名のみで入口内部の第一区画を確認する案を提案》


セリオスの眉が寄る。


「本人たちは?」


「レオンは反対。エリシアも自分が行く方が情報が増えると主張。ノアは記録上、まず三人だけで安全確認する案にも理由があると述べています」


「決まったのか?」


「まだです」


続きがある。


村長ハベルは、現地の警戒要員が確保できるなら限定調査を認める方向。


治療担当者は、レオンとエリシアの身体状態だけなら同行可能と判断。


カイは、施設側が本人不在でも反応することが分かった以上、初回内部確認では二人を危険へ近づける必要性が下がったと主張。


レオンは、自分がいなければ右手との比較ができないと反論。


エリシアも、古代文字を読める可能性を理由に同行希望を維持。


議論は継続中。


セリオスは通信板を机へ置いた。


朝までとは違う。


今度は、カイが安全側へ寄せた。


それに対してレオンとエリシアが、自分たちも調査へ参加する必要があると主張している。


同じ構図が逆転している。


最初は神殿が移送を考え、本人たちが現地へ残ることを望んだ。


今はカイが安全確認のため残れと言い、本人たちが同行を望んでいる。


「セリオス師範」


記録官が尋ねる。


「中央として指示を出しますか?」


セリオスは少し考えた。


「出さない」


「神律特級案件ですが」


「現地に判断権を渡している」


「ただ、意見対立があります」


「対立したら中央が答えを出すという規則ではない」


「では見守る?」


「違う」


セリオスは通信板を引き寄せた。


返答欄を開く。


「一つだけ質問を送る」


「誰へ?」


「全員だ」


筆を取る。


《第一内部確認の目的を一文で再定義し、その目的に対して各同行者が必要な理由と、同行によって増える危険を並べて報告せよ》


記録官が読む。


「それだけですか?」


「それだけだ」


「同行可否は?」


「目的を決めずに人数だけ決めるな」


「カイ騎士は安全確認だと――」


「なら安全確認だけで終えるのかを確認しろ」


セリオスは続けた。


「レオンは右手との比較をしたい。エリシアは古代文字を見たい。もう目的が増えている」


「三つに分かれている?」


「ああ」


「なら別日に?」


「それも選択肢だ」


「一度に済ませた方が早いのでは?」


「早いことが必要ならな」


記録官は頷き、通信を送る準備へ入る。


セリオスは閲覧机へ残った。


目的を一つにする。


それだけで解決するとは思わない。


しかし、何のために行くかが違うまま一行を作れば、現場で判断が分かれる。


入口だけで帰る者。


右手を試したい者。


記憶を確かめたい者。


その全員が「調査」という一言で同じつもりになれば危険だ。


カイがどこまで考えるか。


レオンがどう答えるか。


セリオスは待つ。


その間に、午前中の記録をもう一度読み返した。


     ◇


返答が届いたのは夕方だった。


窓の外では風が弱まり、記録棟から見える広場へ仕事帰りの神官たちが出始めている。遠くでは配食用の鍋が運ばれ、昼とは違う人声が少しずつ増えていた。


通信板には、現地で整理した三つの案がある。


第一案。


《入口第一区画の安全確認のみ》


同行。


カイ、エレナ、バルガス。


レオン、エリシア、ノアは村内待機。


目的。


罠、防衛機構、崩落、未知魂力変動の確認。


利点。


非戦闘者および負傷回復途中の人物を危険へ入れない。


欠点。


レオンの右手、エリシアの記憶との比較ができない。


第二案。


《安全確認+レオンの右手反応比較》


同行。


上記三名にレオンを加える。


利点。


施設と右手の関係を同時記録できる。


欠点。


反応が強まった場合、本人への負荷と施設起動の可能性が増える。


第三案。


《安全確認+右手比較+古代記録確認》


エリシアとノアも含む。


利点。


一度の進入で情報量が最大。


欠点。


護衛負荷、撤退人数、滞在時間、食料、水、治療物資が増える。


最後に、現地で決めた暫定案。


第一案を先に行う。


無事に帰還したあと、その結果を本人三名へ共有。


安全が確認できた範囲だけを使い、第二または第三案を別日に実施するか決める。


セリオスはそこまで読み、少しだけ息を吐いた。


「カイが決めた?」


記録官が答える。


「最終案を出したのはノア・フェルディだそうです」


「ノアが?」


「はい。《一回で全部やろうとするから人数が増えるなら、分けたらいい》と」


セリオスは一瞬黙り、そのあと小さく笑った。


「現場は面白いな」


「褒めていますか?」


「事実だ」


どこかで聞いた言い方になった。


カイの癖が移ったのか、自分の癖がカイへ移ったのかは分からない。


「レオンは?」


「不満を示したものの了承。ただし第一案の結果は、帰還直後に自分たちへ説明することを条件として希望」


「エリシアは?」


「同意。古代文字が出た場合は記録板へ残すよう要望」


「カイは?」


「了承」


「村長は?」


「第一案を明朝実施する方向で認可」


「なら中央から止める理由はない」


通信板へ承認を書く。


ただし神殿としての最終承認ではない。


現地判断継続。


それだけ。


記録官が受け取り、部屋を出る。


セリオスは閲覧した書類を箱へ戻し始めた。


強制移送八件。


現地保護八件。


どちらにも成功がある。


失敗もある。


今日だけで、神殿の《保護》に対する答えが出たわけではない。


むしろ単純な答えはなくなった。


それでよかった。


少なくとも、中央へ移せば保護になるという前提だけでは足りないことが分かった。


逆に、本人の意思を聞けば保護になるという前提も足りない。


必要なのは、選択肢ごとの利益と損失を出し、状況が変われば判断を変えられる状態を残すことだ。


記録棟を出る。


外は夕方。


風は朝より弱いが、まだ外套の裾を少し揺らしている。


広場には、日中とは違う人々が歩いていた。


仕事を終えた者。


これから夜勤へ入る者。


食料を運ぶ者。


子供の手を引いて礼拝堂から出る家族。


セリオスはその中を歩く。


西では今、レオンたちが遺跡へ行く順番を決めている。


アルヴァでは、過去の保護記録が棚へ戻る。


大きな事件が起きているからといって、それ以外の日常が止まるわけではない。


治療区には明日も列ができるだろう。


食堂では朝になればまた鍋が並ぶ。


訓練院では見習いが足を滑らせる。


記録官は書類を運ぶ。


そのすべてを続けながら、誰かの危険へ対処しなければならない。


世界は一つの事件だけでできていない。


西部案件へ人も物資も無限には送れない理由が、セリオスには以前より具体的に見えていた。


同時に、レオンとエリシアを「案件」とだけ呼んで処理できない理由も。


人には、その事件以外の生活がある。


エリシアなら、食事をする。


歩く。


服の袖を留める。


自分の過去を知りたいと思う。


レオンなら、家へ帰る。


父と荷物を整理する。


妹にくだらないことを聞かれる。


ノアへ記録帳を預ける。


それらを切り離して安全だけを残すことは、本当に保護なのか。


セリオスはまだ答えを出さなかった。


出すには早い。


執務棟へ戻る途中、聖騎士長オルガ・レナスと再び会った。


朝とは違い、今度は向こうから歩いてくる。


手には数枚の資料。


「もう作ったのか」


セリオスが言う。


オルガは止まった。


「何をです?」


「中央移送案だ」


「途中です」


「なら、その紙は?」


「必要施設と人員の概算だけです」


セリオスは受け取らない。


「口で教えろ」


オルガが資料を見る。


「対象二名を同時保護する場合、独立した二室が必要。監視騎士は常時二名ずつではなく、区画外に二名。治療官一名を待機。古代記録担当を別途配置」


「外出は?」


「初期三日間は制限。その後、危険判定次第」


「本人が拒否したら?」


「強制移送なら制限を継続します」


「期間上限は?」


オルガが止まる。


「現行規定では、初回再審査まで七日です」


「七日後は?」


「継続するなら再承認」


「本人は再審査へ意見を出せる?」


「……明記が弱いです」


「弱い?」


「本人から意見を聴取できる、とあります。ただし必須とは書かれていない」


セリオスは少し黙った。


そこだ。


本人の意思を聞く。


それが担当者の裁量になっている。


まともな担当者なら聞くだろう。


しかし聞かなくても規定違反にならない。


「お前なら聞くか?」


「聞きます」


「カイも聞くだろう」


「そうでしょうね」


「なら、聞かない奴が担当になったら?」


オルガは答えない。


「移送そのものより、そっちの方が気になる」


セリオスは言った。


「規則を変えるつもりですか?」


「まだ材料が足りない」


「またそれですか」


「今日一日で規定を書き換える方が怖いだろ」


オルガの口元が僅かに緩む。


「それは同意します」


「中央移送案は続けて作れ」


「現地保護案も?」


「私が作る」


「いつ比べます?」


「明日の内部確認結果が来てから」


オルガが頷く。


「分かりました」


それで会話は終わるはずだった。


しかし、オルガが数歩進んだところで振り返った。


「セリオス」


「何だ」


「私は今も移送した方が安全だと思っています」


「知っている」


「あなたは?」


セリオスは少し考えた。


朝なら、現地継続寄りだった。


今も大きくは変わらない。


しかし、現地保護で事故が起きた記録も読んだ。


本人の意思を優先した結果、重傷者が出た案件もあった。


「今の情報なら現地継続だ」


「理由は?」


「施設側異常の原因が本人二人と確定していない。本人の行動も今は制御可能。現地に治療と警護があり、神殿騎士もいる。それに、本人を残すことで得られる比較情報がある」


「では、施設がレオンへ強く反応したら?」


「変える」


「エリシアの存在が防衛機構を起動すると分かったら?」


「変える」


「灰牙が大人数で来たら?」


「変える」


オルガが少し笑った。


「随分簡単に変えるんですね」


「変えるために条件を決めている」


「最初の意見を守ることは重要じゃない?」


「人を守るよりは下だ」


その言葉が出たあと、セリオス自身が少し止まった。


所属を守る。


規則を守る。


判断を守る。


そのどれも、目的ではない。


守ろうとしている人間のために使うものだ。


当たり前の言葉に見える。


しかし、自分がいつでもそう行動できていたかと聞かれれば、即答はできなかった。


オルガも何も言わない。


しばらくして頷いた。


「明日、結果を見ましょう」


「ああ」


二人は反対方向へ歩き出した。


     ◇


夜。


セリオスは自室へ戻った。


神殿上級騎士用の部屋といっても、広くはない。


寝台。


机。


衣装棚。


剣架。


洗面台。


壁際には義手の調整具が並んでいる。


夕食は食堂で済ませた。


左肩の冷却布も外していい時間になっている。


服を脱ぎ、鏡の前で肩を確認する。


赤みはない。


魂力義手を一度解除する。


半透明の左腕が消え、肩から先の空間がそのまま残る。


失った直後は、その空白を見るたびに身体の一部がまだそこにあるような感覚があった。


今は違う。


ないものはない。


それでも生活は続く。


服の着方を変えた。


物の持ち方を変えた。


剣の扱いも変えた。


義手を作った。


できなくなったこともある。


代わりに、別のやり方を覚えたこともある。


セリオスは右手だけで水を汲み、顔を洗った。


机へ戻る。


今日の閲覧メモ。


強制移送。


現地保護。


成功。


失敗。


条件。


まだ整理し切れていない。


しかし、一つだけ以前と違う見方ができる。


安全のために人を動かす。


それは時に必要。


ただ、動かされた先でその人がどう暮らすのかまで含めなければ、《保護》という言葉は狭すぎる。


中央へ来たエリシアが何をする。


部屋へ入る。


治療を受ける。


質問される。


古代語を確認される。


それ以外は?


食事。


散歩。


誰と話す。


レオンやノアと会えるのか。


遺跡の記録を見られるのか。


自分の判断で外へ出られるのか。


「保護対象」と呼ばれた瞬間に、その人の日常まで神殿が預かったつもりになるなら、それは危険だ。


逆に、本人の希望を尊重するからと現地へ置き、生活が《灰牙》への警戒だけで埋まるなら、それも安全とは呼びづらい。


机へ紙を一枚出す。


午前中の見出し。


《神律特級調査案件における保護命令運用差》


その下へ、新しい項目を書く。


《保護後の日常条件》


少し考え、さらに細分化する。


居住場所。


家族・知人との接触。


移動自由。


調査への参加。


治療。


食事。


教育または仕事。


再審査。


本人意見。


セリオスは最後の二つを見た。


再審査。


本人意見。


ここは明日、オルガと詰める。


そして、カイが帰還したら現地で本人へ何を説明し、どう選択肢を出したのか聞く。


その材料を揃えてから、規定の運用改善を提案するか決める。


今夜答えは出さない。


それでいい。


窓の外から、夜のアルヴァの声が聞こえる。


完全な静けさではない。


遅い時間まで働く厨房職員。


夜警。


遠くの宿泊区で話す巡礼者。


風が窓枠を揺らす音。


今日も日常は終わらない。


明日になれば、別の人間が起きて働く。


西ではカイたちが遺跡へ入る。


ここではセリオスが記録を読む。


どちらも、同じ事件のためだけに生きているわけではない。


セリオスは最後に、明日の予定を確認した。


朝。


訓練院。


昼前。


オルガと移送案比較。


午後。


西部通信受領予定。


夕方。


治療区の再診は不要。


通常業務へ戻れる。


紙を閉じる。


机の端へ置く。


義手を解除したまま寝台へ向かう。


その瞬間、通信札が一度だけ鳴った。


緊急音ではない。


通常優先。


西部からの夜間更新だった。


セリオスは寝台へ行くのを止め、通信札を開く。


本文は短い。


《明朝、第一案を実施予定》


カイ。


エレナ。


バルガス。


三名。


入口第一区画のみ。


レオン、エリシア、ノアは村内待機。


ただし出発前に、第一案の目的と撤退条件を本人三名へもう一度説明する。


最後に一行。


《レオンは不満を残しているが、結果を聞いてから次を決めると返答》


セリオスはそこを二度読んだ。


不満が消えたわけではない。


意見が一致したわけでもない。


それでも、次へ進む方法は決めた。


それでいい。


明日、第一区画に何もなければ次がある。


何かあれば予定を変える。


どちらでも、そこで物語が終わるわけではない。


セリオスは通信札を閉じた。


そして翌朝、自分が確認するべき最初の情報を一つだけ決めた。


セリオスは、旧第七採掘遺跡の第一区画から帰還した三人が「何を見つけたか」より先に、「なぜそこで引き返したのか」を確認することにした。


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