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『ソウルストーン ~神々を滅ぼす最後の継承者~』  作者: シロの空


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第2章《神々の継承者編》 第20話《届かない座標》

●評価●ブックマーク●アクション●感想●

20話の感想待ってます!


読者様が応援してくれると嬉しいです!

集会所の会議室へ足を踏み入れたレオンが最初に見たのは、神殿騎士の象徴として想像していた華美な白鎧ではなく、旅の泥が残った軽装と、椅子の脇へきちんと立てかけられた二つの鞍袋だった。


窓際に立っている少年は、レオンとほとんど年齢が変わらないように見える。


濃紺の短い髪は長旅の風で少し乱れ、灰白色の上着には街道の泥が乾いた跡が残っている。腰には白銀の剣があり、その柄近くに嵌め込まれた石から、レオンには説明できないほど整った魂力の圧がごく薄く感じられた。


あれが《天律》。


そう理解した瞬間、右手の黒い痕へ意識が向いた。


熱はない。


色も変わらない。


《レグナ・ゼオ》へ近づいたときとも、《灰牙》が残した砂を前にしたときとも違う。


つまり、少なくとも今この距離で《天律》へ直接反応してはいない。


レオンはそれだけを記憶した。


少年の隣には、短い淡青色の髪を持つ若い女性が座っている。銀灰色の目は三人が入った瞬間から一度ずつ顔と手元を確認したものの、武器へ手を伸ばすことはなかった。


村長ハベルが紹介する。


「こちらが神殿騎士カイ・アルヴァレイン。それから同行のエレナ・サフィールさんだ」


カイが立ち上がった。


「カイ・アルヴァレインです。事前通知どおり、今回の目的は旧第七採掘遺跡で起きている異常魂力現象の確認と、レオン・アークレイア、エリシア・アルセレア両名の安全状態を確認することです」


声は思っていたより普通だった。


偉そうでもない。


柔らかくもない。


必要な情報だけを順番に伝える声だった。


エレナも続ける。


「エレナ・サフィールです。調査補助と現場安全の確認を担当します。よろしくお願いします」


「レオン・アークレイア」


レオンも名乗る。


「こっちはエリシア。それからノア」


「ノア・フェルディです」


ノアが記録帳を持ったまま頭を下げる。


カイの視線が帳面へ向いた。


「記録担当ですか?」


「最初はレオンの探索記録でした。でも今は、私とエリシア、それから村の人たちから聞いたことも書いてあります」


「確認しても構いませんか?」


ノアはすぐには渡さなかった。


レオンを見る。


以前なら、その確認をされる前に自分から帳面を取ったと思う。


今はそうしない。


「俺はいい」


エリシアも頷く。


「私のことを書いた場所は、私も見ながらなら」


ノアがカイへ向き直る。


「二人ともこう言ってるので、必要なところなら見せます」


カイは少しだけ目を細めた。


不満ではないらしい。


「分かりました。最初から全ページを預かる必要はありません。話の中で確認したい記録があれば、その箇所だけ見せてください」


レオンは椅子へ座った。


エリシアが右隣。


ノアが左。


向かいにカイ。


少し離れてエレナ。


村長ハベルは端の席へ座った。


机には水差しと木杯、それから簡単なパンと乾燥果実が置いてある。


長い話になる可能性があるため、ハベルが準備したらしい。


「食べながらでも構わない」


村長が言った。


「昼から待ってたんだから、必要なら先に口に入れてくれ」


レオンは少しだけパンを見る。


緊張しているせいか空腹感は薄い。


けれど朝から治療と荷物確認を続け、昼食も軽く済ませている。


途中で頭が回らなくなる方が困る。


「じゃあ少しもらう」


パンを左手で取る。


右腕はまだ完全に固定を外されていない。


カイがそこを見る。


「右腕の状態を先に確認しても?」


「何を?」


「現在の痛みと、魂力使用による後遺症です。直接触れる検査は、まだしません」


レオンは少し考えた。


「痛みは一くらい。痺れはほとんどない。でも治療所からは、魂力を使うなって言われてる」


「治療担当者の判断ですか?」


「ああ」


「その判断は尊重します。今日は能力再現を求めません」


レオンはパンを噛みながらカイを見る。


思っていた答えと違った。


もっと早く《天律》を使って確認したいと言われると思っていた。


「神殿って、俺が力出すところを見に来たんじゃないのか?」


「必要なら後日、条件を整えて確認する可能性はあります。ただし、負傷中に再現させる必要はありません」


「だったら、何しに来た?」


質問が少し強くなった。


ノアが横からこちらを見る。


レオンは気づいたが、言い直さなかった。


カイも怒らない。


「何が起きているのかを確認しに来ました」


「それで?」


「必要なら止めます」


レオンの手が止まった。


やはりそこは変わらない。


「何を?」


カイは一度だけ黙った。


その間にレオンは、昨日から決めていた質問を思い出す。


《接続》とは何か。


《天律》は何を切るつもりなのか。


「現時点では、まだ決めていません」


カイが答えた。


「通知には《接続解除》って書いてあっただろ」


「書いてあります」


「だったら、俺と《レグナ・ゼオ》の間を切るつもりなんじゃないのか?」


「必要性が確認できれば、その可能性はあります。ただし、到着前に判断を変更しました」


レオンの眉が動く。


「変更?」


「《レグナ・ゼオ》とあなたの間にあるものを、俺たちはまだ十分に理解していません」


エリシアが反応する。


「それ、私たちも昨日話してた」


カイが彼女を見る。


「どういう意味ですか?」


ノアが記録帳を開く。


例のページ。


最初にレオンが《接続?》と書いた場所。


そこから後の記録。


最後に修正した一文。


ノアが帳面を机の中央へ置いた。


「最初に《接続》って言葉を使ったのは、たぶんレオンです。でも最初は仮説でした」


カイが読む。


レオンは自分で説明する。


「右手が熱くなって、施設が反応して、《レグナ・ゼオ》に近づいたら力が流れた感じがした。だから俺が《接続してるのかもしれない》って書いた」


「その後は?」


「俺たちが普通に《接続》って呼ぶようになった。それが村の記録にも入って、グランゼにも行って、そのまま神殿まで行ったんだと思う」


カイはページをめくる。


「神殿側でも《接続》は暫定表現です」


レオンは顔を上げた。


「本当に?」


「はい。ただし、報告を読む段階では、俺自身も《天律》で切断可能な関係である可能性を高めに見ていました」


「今は違う?」


「今朝、《灰牙》が使っていたと見られる追跡道具を確認しました」


カイがエレナへ合図する。


彼女が鞍袋から小さな木箱を取り出し、机の端へ置いた。


蓋は閉じたまま。


「直接触らないでください」


「砂と針?」


ノアが聞く。


「報告資料と形状は類似しています。途中の街道で回収されたものです」


レオンの右手が僅かに熱を持った。


強くない。


けれど、確かにある。


思わず右手を見る。


黒い痕の端が薄く赤みを帯びている。


エリシアも気づいた。


「レオン」


「反応してる」


カイの姿勢が変わった。


剣へ手を伸ばしたわけではない。


レオンの右手と木箱の距離を目で測っている。


「痛みは?」


「ない。前に村の砂へ近づけたときと似てる」


「近づけても?」


レオンは反射的に頷きそうになった。


治療所で言われたことを思い出す。


「待って。どのくらい?」


カイが答える。


「箱のまま半メル程度ずつ。異常が強くなればすぐ止めます。魂力を流す必要はありません」


「治療所の人にも聞きたい」


レオンが言うと、カイは頷いた。


「それがいいと思います」


レオンは少し拍子抜けした。


「止めないのか?」


「本人の身体に関係する確認です。急ぐ理由がないなら、治療側の判断も聞くべきです」


ノアが小さく笑う。


「レオン、ちょっと残念そう」


「何でだよ」


「反対されたときの言葉、考えてたんじゃない?」


「少しだけ」


カイがこちらを見る。


「反対されると思っていましたか?」


「神殿ってもっと、危険だから今すぐ調べるって言うと思ってた」


「必要なら言います」


「今は?」


「必要性はありますが、切迫性がありません」


「違うんだ」


「違います」


言い方がはっきりしている。


レオンは少しだけ食べかけのパンへ視線を戻した。


最初の印象が崩れる。


神殿だから全部命令する。


そう思っていた。


少なくとも、カイは今のところそうではない。


「さっきの話、続けて」


レオンが言う。


「どうして《接続》を切る判断を変えた?」


カイは木箱へ目を向けた。


「追跡道具の砂と針へ《天律》を使いました」


レオンの胸が僅かに強く鳴る。


「切ったのか?」


「切れませんでした」


「《天律》でも?」


「俺が何を切れば追跡作用が止まるのか理解できていなかったからです」


エリシアが身を乗り出す。


「《天律》って何でも切れるんじゃないの?」


「違います」


カイは即答した。


「少なくとも俺が使う《断絶》は、俺自身が理解し、認識し、切断対象として指定できない関係には作用しません」


レオンは少し黙った。


それは噂で聞いた《何でも切る剣》とはまったく違う。


「じゃあ、《レグナ・ゼオ》と俺の間も?」


「構造を理解できないままでは切りません」


「切れない?」


「切れない可能性があります。それ以前に、無理に試すべきではないと判断しています」


「何で?」


「間違った関係を指定する可能性があるからです」


カイは自分の白銀の剣へ触れた。


「例えば、あなたと《レグナ・ゼオ》の関係だと思って切ったものが、実際にはあなた自身の魂力経路だった場合、何が起きるか分かりません」


レオンの右手が急に重く感じられた。


エリシアも表情を変える。


「それでも神殿は、必要なら切れって言ってるんでしょう?」


エリシアが聞く。


「神殿の命令は《必要時接続解除》です。《天律》を必ず使えとは書いていません」


「じゃあカイは?」


「まず、接続と呼ばれているものが何なのか調べます」


「そのあと危険だと思ったら?」


「止める方法を考えます」


「私たちが嫌だって言ったら?」


部屋の空気が少し変わった。


カイもすぐに答えなかった。


その沈黙を、レオンは以前なら敵意として受け取ったかもしれない。


今は待つ。


「理由を説明します」


カイが答える。


「それでも嫌だって言ったら?」


「危険が切迫していなければ、考える時間を取れます」


ノアが記録帳から顔を上げた。


自分が聞くつもりだった質問への答えが先に出た。


「切迫してたら?」


エリシアが続ける。


「その場合は、本人の意思より安全を優先する可能性があります」


レオンの胸へ反発が戻る。


「結局、勝手に決めるんじゃないか」


「場合によります」


「その言い方、便利だな」


「便利だから使っているわけではありません」


カイの声は変わらない。


「あなたの力が突然村全体を壊し始めたとして、本人が止めるなと言えば、神殿は見ているだけでいいですか?」


「そんなこと起きてない」


「今は起きていません」


「だったら、今の俺に使う話じゃないだろ」


「だから今は使わないと言っています」


言葉がぶつかる。


レオンは少し前のめりになった。


「でも神殿は、危険かもしれないってだけで俺たちを中央へ連れてく可能性がある」


「可能性はあります」


「それが嫌だって言ってる」


「理由を聞かせてください」


「村を離れたくないからじゃない」


自分でも、すぐにそう言ったことに気づいた。


確かに村は大事だ。


家族もいる。


でも、それだけではない。


「《レグナ・ゼオ》を調べたい。俺が最初に見つけたからじゃなくて、右手が何なのか知りたいし、エリシアの記憶とも関係してるかもしれない。中央へ連れていかれて遺跡から離されたら、それができなくなるかもしれない」


カイは途中で口を挟まなかった。


レオンが話し終えるまで待つ。


「つまり、あなたが守りたいのは自分の自由だけではなく、調査を続けられる条件でもある?」


「そうだ」


「中央へ行けば調査できないと考える理由は?」


「俺たちのやりたい順番で調べられる保証がない」


「神殿側の手順が信用できない?」


「まだ信用できるか分からない」


カイはそれを否定しなかった。


「分かりました」


レオンは逆に戸惑う。


「それで終わり?」


「何がです?」


「神殿を信用しろって言わないのか?」


「まだ会ったばかりの相手に、立場だけで信用しろと言う理由がありません」


エレナが隣で少しだけ口元を緩めた。


レオンはカイを見る。


予想していた相手像がまた崩れる。


「じゃあ、カイは俺を信用してるのか?」


「していません」


今度は即答された。


「おい」


「同じです」


「同じ?」


「まだ会ったばかりです。報告書だけであなたを危険人物とも安全な人物とも決めません」


「だったら、今何だと思ってる?」


カイは少し考えた。


「未知の能力を持ち、現時点では周囲の制止を受け入れている人物です」


「何だそれ」


「確認できている範囲です」


ノアが笑いを堪えている。


レオンは少しむっとしたが、間違ってはいない。


「エリシアは?」


エリシア本人が聞いた。


カイは彼女を見る。


「古代施設から保護され、記憶の一部を失っている人物。現在までに他者へ危害を加えた記録はなく、自身の扱いについて説明を求めている」


「危険だと思ってる?」


「本人そのものを危険人物とは判断していません。ただし、遺跡の異常とあなたの関係は分からない」


「だったら、私を中央へ連れていきたい?」


「今は必要だと思っていません」


エリシアの肩が僅かに下がった。


「今は?」


「状況が変われば判断も変わります」


レオンがまた口を挟もうとする。


エリシアが先に言った。


「それは、私も同じかもしれない」


レオンが彼女を見る。


「何が?」


「私は今、中央へ行きたくない。でも、神殿にしか分からないことがあって、それを知るために行った方がいいって自分で思ったら、行くかもしれない」


カイが静かに聞く。


「その判断をするために、何が必要ですか?」


「何が分かるのか教えてほしい。それから、行ったら何をされるのかも」


「分かる範囲で説明します」


「分からないことは?」


「分からないと言います」


エリシアは頷いた。


それだけのやり取りで、彼女の表情が少し変わった。


レオンには、その変化が分かった。


神殿へ従ったわけではない。


安心しきったわけでもない。


相手が何を言うのかを聞く余地ができた。


「じゃあ次」


ノアが記録帳を開いた。


「私から聞いていい?」


カイが頷く。


「どうぞ」


「今日話したあと、危険がすぐじゃなければ、私たちだけで考える時間をもらえますか?」


「はい」


「どのくらい?」


「内容によります。数刻で足りる話もあれば、一日必要な場合もあるでしょう」


「神殿が結論を急いだら?」


「理由を説明します」


「理由に納得できなかったら?」


カイは少しだけノアを見た。


「異議として記録します」


「それだけ?」


「危険が切迫していなければ、判断を一度止めることもできます」


「カイが止められる?」


「現地判断権は俺にあります」


レオンが聞く。


「神殿の命令と違っても?」


「裁量範囲なら変えます」


「変えられない命令なら?」


「従う義務があります」


「じゃあ神殿が『今すぐ連れてこい』って言ったら?」


「現時点では、その命令はありません」


「もし来たら?」


「根拠を確認します」


「それでも命令だったら?」


カイは黙った。


部屋の空気が少し張る。


「俺に裁量がなく、正式な命令として有効なら、従うことになります」


レオンの目が細くなる。


やはり神殿騎士だ。


どこまで話しても、最後には命令がある。


「でも」


カイが続けた。


「それが現地の事実と合わないと思えば、その記録と異議は残します」


「従うのに?」


「俺一人が命令を無視して終わらせれば、その後の制度は変わりません」


「制度?」


「次に同じ状況になった人間も、同じ命令を受けます」


レオンは言葉を止めた。


自分なら、間違っていると思った命令にはその場で反発する。


カイは違う。


命令に従うことと、命令を正しいと考えることを分けている。


理解できるような、できないような感覚だった。


「それ、嫌じゃないのか?」


「何が?」


「自分が間違ってると思うことやるの」


「嫌です」


カイは普通に答えた。


「でも、俺が自分の判断だけを最終規則にする方が危険だと思っています」


レオンの右手が机の下で僅かに握られた。


そこが違う。


カイは、自分一人の判断で世界を動かすことを危険だと考えている。


レオンも最近になって、自分だけで決めることをやめ始めた。


それでも、命令へ従うというところまでは同じにならない。


「俺なら、間違ってると思ったら止まる」


「それで被害が増えても?」


「増えるって分かってたら別だ」


「では、何が違います?」


レオンは答えようとして止まった。


ノアがこちらを見る。


エリシアも黙っている。


「たぶん」


レオンは考えながら言う。


「誰が決めたかじゃないか」


「誰が?」


「俺が自分で納得して決めたか、誰かに言われてやったか」


カイはすぐに反論しなかった。


「あなたにとって、納得は重要ですか?」


「当たり前だろ」


「俺にとっては、納得していなくても守る必要がある手続きがあります」


「そこが嫌なんだよ」


「分かります」


「分かるのに守る?」


「はい」


「変なの」


「そうかもしれません」


予想外にあっさり認める。


レオンは少し笑った。


「カイって、もっと腹立つ奴だと思ってた」


エレナが小さく咳払いした。


カイは表情をほとんど変えない。


「まだ会って半刻も経っていません」


「そうだった」


「今後腹が立つ可能性はあります」


「自分で言うのかよ」


今度はノアも笑った。


張っていた空気が少しだけ緩む。


エリシアが木杯へ水を注ぐ。


一度に飲まず、少量。


その仕草をレオンは何となく見ていた。


カイも気づいたらしい。


「体調は?」


エリシアへ聞く。


「今は大丈夫。午前中の歩行も終わって、昼に休んだから」


「面談を続けても?」


「うん。でも、頭が痛くなったら止めたい」


「分かりました」


「記憶のこと聞く?」


「聞く予定はあります。ただし、無理に思い出してもらう必要はありません」


「じゃあ今、聞いていいよ」


カイが少し姿勢を変える。


「《アルセリア》という名称へ既視感があると報告されています」


「うん」


「意味は?」


「分からない。でも、お父さんやお母さんといた頃に聞いた気がする」


「場所ですか?」


「たぶん。でも都市か国かまでは分からない」


「《アルクレイン》は?」


エリシアの表情が僅かに固くなる。


レオンが気づく。


「エリシア」


「大丈夫」


一度呼吸を整える。


「《アルクレイン》も知ってる感じがする。でも《アルセリア》より弱い」


「誰かの名前である可能性は?」


カイが尋ねる。


エリシアの目が一瞬動いた。


「……分からない」


「ここで止めますか?」


「ううん。今はまだ大丈夫」


「なら最後に《レグナ・ゼオ》です」


その名前を聞いた瞬間、エリシアの指先が木杯の縁で止まった。


「やっぱり、知ってる感じがする」


「どんな感覚です?」


「説明できない。ただ、初めて聞いた言葉じゃないと思う」


「危険なものという感覚は?」


エリシアは時間を掛けた。


「分からない」


「怖い?」


「今は怖い」


「名前そのものが?」


「違う」


エリシアはカイを見る。


「私が何か知ってるかもしれないのに、それを思い出せないことが怖い」


カイは一度だけ頷いた。


「分かりました」


それ以上は聞かなかった。


レオンは少し驚く。


「終わり?」


「今日は」


「もっと聞かなくていいのか?」


「本人が覚えていないものを、質問数で増やすことはできません」


「でも、神殿なら古代の記録とかあるだろ」


「あります。ただ、今の三つの名称と一致する資料があるかは、ここでは分かりません」


「中央へ問い合わせる?」


「します」


エリシアが聞く。


「私のことも全部送る?」


「必要な範囲だけです」


「何が必要?」


「名称への既視感、記憶欠損があること、古代施設から保護されたこと」


「家族のことは?」


「今の照会には必要ありません」


エリシアが少し安心したように頷く。


レオンはそこで、自分の記録帳のことを思い出した。


情報を残す。


でも、何でも残せばいいわけではない。


ノアも同じことを考えたのか、エリシアの発言を記録する前に聞いた。


「今の家族の話、書かない方がいい?」


「書かなくていい」


「分かった」


ノアは筆を止めた。


     ◇


最初の面談が一刻近く続いたところで、村長ハベルが一度休憩を提案した。


カイも同意した。


話を続けられないほど疲れた者はいないものの、同じ姿勢のまま長時間座っていたことで、レオンの左膝には軽い重さが戻り、エリシアも肩を何度か動かしていた。


集会所の裏には小さな炊事場がある。


昼食の残りを温め直した野菜汁と、薄く切ったパンが出された。


レオンたちは午前中に食べている。


カイとエレナは移動中の昼食が軽かったらしく、少し多めに取った。


同じ机で食事をすることになった。


会議中より妙な感じがする。


《天律》の使い手。


神殿の騎士。


そう聞けば、もっと違う食事をするものだと思っていた。


カイはパンを汁へ浸して普通に食べている。


エレナも同じ。


「神殿の騎士って、祈ってから食べるんじゃないのか?」


レオンが聞く。


カイが顔を上げる。


「しますよ」


「してなかっただろ」


「出発前の朝祷でまとめて行っています。遠征中は食事ごとに長い祈りをしない場合もあります」


「そんなもんなのか」


「何を想像していたんです?」


「もっと何でも神様に聞くのかと」


カイの手が少し止まる。


「神々へ祈ることと、判断を全部委ねることは違います」


「でも神殿だろ?」


「はい」


「神王がこうしろって言ったら?」


エレナがレオンを見る。


先ほどより踏み込んだ質問だと思ったのかもしれない。


カイは食事を続けながら答えた。


「神王本人から直接命令を受けた経験はありません」


「もし来たら?」


「内容を聞きます」


「神様に理由聞くの?」


「理由が分からなければ」


レオンは本気で驚いた。


「いいのか、それ」


「何がです?」


「神殿の騎士が神に理由聞いて」


「祈ることと、考えないことは同じではありません」


エリシアがその言葉に反応する。


「それ、村長と少し似てる」


「何が?」


レオンが聞く。


「村長も、命令することがあるけど、自分が絶対正しいからじゃないって言ってた」


カイがハベルを見る。


「そう話したんですか?」


「村を守る話の中でね」


「妥当だと思います」


ハベルは少し笑う。


「中央大神殿の騎士に言われると不思議な感じだな」


食事を続ける。


話題は一度、村の警戒へ移った。


《灰牙》の姿は昨日から確認されていない。


ただ、完全に退いたという証拠もない。


北側の畑は一部だけ作業を再開。


外縁見張りは継続。


カイたちが持ってきた治療用品の一部は、使わなければ村へ提供できるらしい。


「もらっていいの?」


ノアが聞く。


エレナが答える。


「補給官の許可を取っています。私たちが帰路で必要な分を除き、余った場合だけですが」


「神殿の物資でしょう?」


「任務中に現地へ必要な物資を提供することはあります」


レオンが言う。


「それ受け取ったら、神殿に借りができる?」


カイがパンを置いた。


「そういう条件はありません」


「本当に?」


「提供記録は残ります。ただし、代わりに調査へ従う義務が増えるような制度ではありません」


「じゃあ使った方がいい?」


「必要なら」


「何でカイが決めない?」


「村の備蓄と使用計画を知りませんから」


治療所の女性と村長が判断する。


カイの強さがあっても、村の包帯が何枚必要かは分からない。


レオンはその違いを少しずつ理解し始めた。


力を持っていること。


何でも知っていること。


決める権利があること。


全部別なのだ。


食事を終えると、カイが一度席を立った。


「次に、灰色の砂と針の比較をしたいのですが、レオンの右手へ近づける試験は今日は行いません」


レオンが聞く。


「何で?」


「治療担当者へ確認を取る前だからです」


「治療所まで一緒に行く?」


「そのつもりです」


「俺も?」


「本人が同席した方がいいでしょう」


エリシアが尋ねる。


「私も行っていい?」


カイは少し考える。


「あなた自身の反応を試す予定はありません。ただ、比較記録を見たいなら構いません」


「見たい」


「では一緒に」


ノアも記録帳を持ち上げる。


「私も?」


「本人たちが希望するなら」


レオンが笑った。


「カイ、何でも俺たちに聞くな」


「聞かずに決めると怒るでしょう」


「それはそうだけど」


カイが初めて少しだけ口元を緩めた。


「なら聞きます」


何となく腹が立つ。


でも、嫌ではなかった。


     ◇


治療所へ移動する前、村長ハベルはカイへ一つ確認した。


「遺跡そのものを見るのは、いつにする?」


「今日中に入口だけ確認できればと思っています」


レオンがすぐに反応した。


「行くのか?」


「俺とエレナだけなら」


「俺も行く」


カイはレオンの右腕を見る。


「現在の状態で斜面を往復できますか?」


「平地は歩ける」


「斜面は?」


レオンは黙った。


まだ正式な許可はない。


「治療所で聞く」


「そうしてください」


「許可出たら?」


カイは少し考える。


「目的次第です」


「目的?」


「俺たちが今日確認したいのは、入口の封鎖状態と外から見える異常だけです。内部へ入る予定はありません」


「俺が行く意味は?」


問い返される形になった。


レオンは考える。


自分が最初に見つけた。


道を知っている。


でも、バルガスも道を知っている。


村の見張りも行ける。


「道案内」


「村側から別の案内を出せます」


「俺の右手が近づいたとき反応する」


「今日は能力反応を試さない方針です」


言葉が詰まる。


つまり、今のレオンが行く必要性は低い。


行きたいだけ。


カイはそれを否定しているわけではない。


目的に対して必要かを聞いている。


「じゃあ、俺は行かない方がいい?」


レオンが尋ねる。


「俺はそう思います」


「危険だから?」


「負傷中で、今日の調査目的にあなたの同行が必須ではないからです」


「俺が行きたいことは?」


「知っています」


「それでも?」


「はい」


レオンの胸に反発が生まれる。


でも、以前とは少し違う。


理由が分かる。


だから、ただ命令されたときより腹は立たない。


「エリシアは?」


レオンが聞く。


カイは彼女を見る。


「同じです。今日の入口確認に同行する必要性は低い」


「私も見たい」


「分かります」


「でも行かない方がいい?」


「今の体力なら」


エリシアはすぐには答えなかった。


「じゃあ、見たことを全部教えてくれる?」


「記録も見せます」


「写真みたいに残せるものは?」


カイがエレナを見る。


「簡易記録板があります」


エレナが答える。


「入口周辺の形状なら写せます」


「じゃあお願い」


エリシアは納得したらしい。


レオンはまだ少し残っている。


「俺だけ駄々こねてるみたいだな」


ノアが笑う。


「少しね」


「正直すぎるだろ」


カイが言う。


「行きたいこと自体を否定しているわけではありません」


「分かってる」


「それでも行きますか?」


レオンは黙った。


ここで自分が行くと言えば、カイは止めるかもしれない。


村長も治療所も反対する可能性が高い。


それでも押し通すことはできるかもしれない。


でも、その先に何がある。


入口を見る。


それだけ。


今日無理をして膝が悪化すれば、次に内部へ入れる可能性が遅くなる。


「行かない」


レオンは言った。


「今日は」


カイが頷く。


「分かりました」


「でも、内部へ入るときは俺も行きたい」


「そのときの状態と目的を見て話しましょう」


「またそれか」


「今ここで未来の条件を全部決められません」


レオンは少し笑った。


「それ、俺も最近言われた」


エリシアが横で頷く。


「私も」


カイは二人を見た。


「なら話が早いと思います」


「それとこれとは違う」


「どこが?」


「何となく」


カイはそれ以上聞かなかった。


     ◇


治療所では、レオンの担当をしている女性がカイの説明を最後まで聞いたあと、砂と右手を近づける試験について今日の実施を認めなかった。


カイは反論しなかった。


「理由を確認しても?」


「外見上の傷はかなり良くなっています。でも、前回の魂力使用後に残った内部の負担が完全に消えたかは、村の設備では確認できません。砂へ近づけただけで反応が起きるなら、今は必要性より危険が上です」


「いつなら?」


「少なくとも明日の朝、もう一度状態を見る。そのあと、反応試験をするなら距離を決めて短時間だけ」


「俺も同意します」


カイが答える。


レオンが言う。


「神殿の検査より治療所優先するんだな」


「身体状態については、継続して診ている人の情報が多い」


「でも神殿の方が設備すごいんだろ?」


「ここにない設備の話をしても、今日の判断材料にはなりません」


また同じだ。


今あるものを見る。


レオンは少し笑った。


「カイって、思ったより地味だな」


「どういう意味です?」


「《天律》で何でも調べるのかと思ってた」


「そんな能力はありません」


「強いのに?」


「強いことと便利なことは違います」


治療担当の女性が頷く。


「それは覚えておいて」


「俺に言ってる?」


「当然でしょう」


また注意される。


エリシアが笑う。


「今日は私じゃない」


「そのうちエリシアにも言うわよ」


「はい」


治療所では、カイたちが持ってきた砂と村に残る砂を目視で比較した。


色。


粒の細かさ。


袋の縫い方。


針の長さ。


黒く変色した側。


ほとんど似ている。


ただし、同じものだとはまだ断定しない。


ノアが記録する。


《街道回収品とエルダ村押収品は外見上類似。材質・作用の同一性未確認》


カイがその文章を見て言う。


「いい記録ですね」


ノアが少し嬉しそうにする。


「レオンに最初から教えてあげてほしかった」


「何で俺が怒られるんだよ」


「最初の記録、仮説と事実混ざってたから」


「今は直してるだろ」


カイがレオンを見る。


「最初から記録していたこと自体は有用です」


「褒めてる?」


「事実です」


「やっぱり地味だな」


「評価へ感情を足した方がいいですか?」


「いや、いい」


話しながら、レオンは少しずつ相手への距離感が変わっていることに気づいた。


神殿騎士。


《天律》の契約者。


命令を持って来た人間。


それだけではない。


自分と違う考え方をする。


でも、話を聞かないわけではない。


むしろ、レオンより細かく条件を分ける。


だからこそ、これから意見が違えば厄介だと思った。


ただの嫌な奴なら反発すればいい。


理屈がある相手の方が、ずっと難しい。


     ◇


夕方。


カイとエレナはバルガス、ダル、それから村側の見張り二人とともに旧第七採掘場の入口へ向かった。


レオンたちは残った。


本当は見送りにも行きたかったが、治療所の女性から「今日の歩行量はもう十分」と言われ、集会所へ戻って記録を整理することになった。


ノアが新しいページを開く。


「今日分、いっぱいある」


「何から書く?」


レオンが聞く。


「まずカイたちの判断?」


エリシアが言う。


「《接続構造を確認するまで、天律による強制解除をしない》」


ノアが筆を動かす。


レオンが追加する。


「でも危険が切迫したら、強制的に止める可能性はある」


「それも書く」


「私の移送は?」


エリシアが聞く。


「《現時点で必要なし。ただし状況変化で再判断》」


ノアが書く。


レオンは椅子へ背を預けた。


疲れた。


戦ったわけではない。


歩き回ったわけでもない。


それでも頭が重い。


話すだけでこんなに疲れるとは思わなかった。


「カイ、嫌だった?」


エリシアが聞く。


レオンは少し考える。


「まだ分からない」


「またそれ?」


「だって本当に分からない」


「腹は立った?」


「少し」


「どこで?」


「命令なら従うって言ったところ」


エリシアは頷いた。


「私は、そこはちょっと怖かった」


「だよな」


「でも、自分の判断だけを一番上にしないって言ったのは、少し分かる」


レオンは彼女を見る。


「エリシアはカイ側?」


「側って決めないで」


すぐに返された。


「ごめん」


「レオンが何でも自分で決めるのも怖いし、神殿が何でも決めるのも怖い」


「じゃあどうすればいいんだよ」


「だから話してるんじゃない?」


エリシアの答えは簡単だった。


レオンは少し黙り、そのあと笑った。


「最近、エリシアに負けてる気がする」


「何の勝負?」


「分からない」


ノアが笑う。


三人とも少し疲れている。


炊事場から夕食の匂いが流れてきた。


豆を煮る匂い。


焼いたパン。


今日も特別な料理ではない。


でも腹は減っている。


「先に食べる?」


ノアが聞く。


「カイたち待たなくていい?」


「戻る時間分からないでしょう」


エリシアが言う。


「冷めたら食べにくいし」


「じゃあ食べよう」


記録帳を一度閉じる。


食事は集会所の小さな机で取った。


エリシアは最初から自分で量を決める。


レオンは左手で器を持てる。


ノアは食べながら明日の記録用紙を整理している。


「食事中まで書くなよ」


「見てるだけ」


「同じだろ」


「レオンも遺跡の本、食べながら読んでたでしょう」


「昔の話だ」


「一週間も経ってない」


言い返せない。


レオンはパンを汁へ浸した。


口へ入れる。


温かい。


昼より味が濃い。


それだけで、頭の疲れが少し薄れる。


「カイたち、夕食どうするんだろ」


エリシアが聞く。


「帰ってからじゃない?」


ノアが答える。


「遅くなったら?」


「携帯食持ってるだろ」


「神殿騎士もお腹空くんだね」


レオンが笑う。


「何だと思ってたんだよ」


「神殿の人」


「人だろ」


言いながら、自分にも同じことが当てはまった。


会うまでは、カイを《神殿》として見ていた。


今は少し違う。


《天律》を持つ。


命令に従う。


でも失敗する。


分からないと言う。


食事もする。


街道で遅れれば到着も遅れる。


人間だ。


だからこそ、その判断に反対することも、全部を否定することも違うのかもしれない。


     ◇


日が落ちてから半刻ほどして、カイたちは戻った。


一行に怪我人はいない。


しかし、バルガスの上着の裾には細かな土が付き、エレナの靴にも斜面の泥が残っている。


レオンは食事を終えたばかりだったが、すぐに立ち上がった。


「どうだった?」


カイは座る前に答えなかった。


「先に手と装備を洗わせてください。それから話します」


「今言えないのか?」


「泥を机へ持ち込む必要がありません」


「……分かった」


レオンは座り直した。


ノアが笑う。


「待てたね」


「それ毎回言うのやめろ」


十分ほどして、カイたちが戻る。


今度はエレナが簡易記録板も持っている。


机へ置く。


旧第七採掘場の入口。


レオンには見慣れた岩壁。


その一部へ金属構造が露出している。


扉は閉じている。


「内部には入っていません」


カイが言う。


「入口の封鎖状態は?」


「村側の処置は維持されています。新しい侵入痕も、今日確認した範囲ではありません」


「《灰牙》は?」


バルガスが答える。


「人影はなし。ただ、北側の斜面に古い靴跡が残ってる。昨日以前のものだと思う」


「じゃあ何もなかった?」


レオンが聞く。


カイは記録板を一枚めくる。


「一つあります」


二枚目。


入口から少し離れた地面。


そこへ金属杭が刺されている。


「何これ?」


ノアが尋ねる。


「村側が置いたものではありません」


バルガスが言う。


「見張りの連中にも確認した」


「《灰牙》?」


「可能性はあるが決められねえ」


カイが続ける。


「杭自体には目立った魂力反応はありません。ただし、周辺の石へ細かな削り痕があります」


「何のため?」


エリシアが聞く。


「今は分かりません」


またその言葉。


けれどカイは続ける。


「重要なのは位置です」


地図を出す。


入口。


杭。


以前見つかった追跡針。


村。


線を重ねる。


「杭の位置は、《灰牙》の追跡針が初期に示していた方向と近い」


レオンが見る。


「じゃあ、追跡道具の一部?」


「可能性があります」


「砂は?」


「見つかっていません」


「なら違うかもしれない」


「はい」


レオンは地図を見続けた。


一つずつ。


まだ意味はない。


でも、入口の外にも誰かが何かを残している。


「それで、これからどうする?」


村長ハベルが尋ねた。


カイは地図を閉じない。


「明日の朝、レオンの身体状態を確認し、治療側が許可するなら砂への反応試験を行います」


「そのあと?」


「結果次第です」


レオンが少し苛立つ。


「また?」


「今決める材料がありません」


「遺跡へは?」


カイがレオンを見る。


「明日、内部調査の必要性を村側と話します」


「俺も参加する」


「身体状態が条件です」


「それは分かってる」


「なら、候補に入れます」


レオンは少しだけ驚いた。


「止めないのか?」


「必要性があると判断できれば」


「俺が必要?」


「あなたの右手が施設反応と関係している可能性がある。内部構造を知るために、本人の感覚が役立つ可能性もあります」


「じゃあエリシアは?」


エリシア自身が聞く。


カイは少し長く考えた。


「あなたも、古代文字や施設への既視感という意味では必要性があります」


「なら一緒に?」


「ただし、体力が不足している」


「今日より明日良くなってたら?」


「治療側の判断を聞きます」


エリシアは頷いた。


レオンは地図を見る。


ついに内部へ戻る可能性が具体的になった。


胸が高鳴る。


今すぐ行きたい。


その感情は消えていない。


それでも今日は行かない。


時間は夜。


身体は完全ではない。


入口には新しい不明物もある。


準備も必要。


同行者も決めなければならない。


昔の自分なら、暗くなる前に少しだけでも見に行こうとしたかもしれない。


今は、その選択が次の日を減らすことを知っている。


「明日の朝、何を準備すればいい?」


レオンが尋ねた。


カイは少し驚いたように見る。


「まず身体状態の確認」


「それ以外」


「内部へ入る可能性を考えるなら、照明、治療物資、水、退路用の縄、それから記録手段」


「食料は?」


「長時間になるなら必要です」


「武器は?」


「持てる者だけ」


「俺の右手は?」


「武器として数えません」


即答された。


「何で?」


「制御確認ができていないからです」


反発しかける。


でも正しい。


自分でも同じことを考えていた。


「分かった」


カイの目が僅かに動いた。


「反論しないんですね」


「反論してほしいのか?」


「いいえ」


「俺だって学ぶんだよ」


バルガスが笑った。


「そいつは今日何度目だ?」


「みんな言いすぎなんだよ」


空気が少し緩んだ。


村長ハベルが聞く。


「同行候補は?」


バルガス。


カイ。


エレナ。


レオン。


エリシア。


さらに記録を担当するノア。


人数が増える。


レオンはすぐにノアを見る。


「ノア」


彼女も分かっていたらしい。


「うん」


「明日、もし内部へ入れるってなったらどうする?」


ノアは少し黙った。


今までの「考える」ではない。


明日の具体的な選択になった。


《灰牙》がいる。


古代施設。


レオンの未知の力。


危険は分かっている。


それでもノアは、記録帳を見てから顔を上げた。


「行きたい」


レオンの胸が少し温かくなる。


でも、そのまま喜ぶ前に聞いた。


「怖くない?」


「怖いよ」


「それでも?」


「怖いから行かないって決めるんじゃなくて、何が怖いか分かったうえで行くか考えた」


「何が怖い?」


「戦えないこと。レオンがまた勝手に力を使うこと。エリシアが途中で動けなくなること。遺跡の中で知らないものが動くこと」


全部具体的だった。


「それでも行きたい?」


「うん」


「何で?」


ノアは記録帳へ手を置く。


「ここまで一緒に記録してきたから、自分で中を見たい。それに、レオンやエリシアが見落としたことを私が見つけられるかもしれない」


レオンは頷く。


「分かった」


それだけ。


行けとも言わない。


来てくれて嬉しいとも、今はまだ言わない。


ただ、ノアが決めたことを受け取る。


カイが口を開く。


「一つ確認します」


ノアが見る。


「何?」


「戦闘能力がないことを理由に、同行を自動的に認めることはできません」


レオンの眉が動く。


「何で?」


「退避が必要になった場合、護衛人数との比率が変わるからです」


「じゃあ駄目?」


ノアが聞く。


「まだ決めません」


カイはバルガスを見る。


「内部で戦闘になった場合、非戦闘者二名を護衛しながら退路確保できますか?」


バルガスが考える。


「地形次第だ。一本道ならやれる。分岐が多いなら厳しい」


「入口からどこまで既知です?」


レオンが答える。


「俺が入った範囲なら地図がある」


ノアが記録帳から別紙を出す。


手描きの簡易地図。


通路。


分岐。


《レグナ・ゼオ》がある区画。


まだ未確認の扉。


カイが見る。


「これなら、最初の到達点を限定できます」


「どこまで?」


「レオンが前回到達した範囲まで。それ以上へは、明日は進まない」


レオンが不満そうな顔をする。


「せっかく行くのに?」


「既知範囲の安全確認と接続構造の調査が目的です」


「新しい場所も見たい」


「目的が増えれば、必要な時間と物資も増えます」


正しい。


それが腹立たしい。


「分かったよ」


レオンは地図を見る。


今までなら、一度入れば行けるところまで進みたかった。


明日は違う。


戻るために行く。


でも全部を見るためではない。


確認したいものを一つ決める。


《レグナ・ゼオ》。


右手。


エリシアの記憶。


そこまで。


「じゃあ明日の目的、決めよう」


レオンが言った。


「何を?」


ノアが聞く。


「《レグナ・ゼオ》のところまで行って、俺の右手と何が起きるか確認する。それとエリシアが何を感じるか見る。でも力は勝手に使わない」


カイが聞く。


「反応が強くなったら?」


「止まる」


「どの時点で?」


レオンは一瞬詰まる。


「痛みが出たら?」


「痛みが出てからでは遅い場合があります」


「じゃあ、色が変わったら?」


「それを基準の一つにしましょう」


エレナが記録する。


「現在の黒色から明確な赤変化が出た時点で一度停止。熱感が強まる、痺れ、外部魂力の流入感、施設側の起動反応が出た場合も停止」


「全部止まるの?」


「一度止めて次を決めるだけです」


エリシアが頷く。


「それならいいと思う」


「私は?」


彼女が聞く。


カイは少し考える。


「頭痛が出た場合は記憶想起を続けない。歩行状態が崩れた場合は、その地点から撤退を検討」


「私がまだ歩けるって言ったら?」


「歩き方も見ます」


レオンが笑った。


「エリシア、砂の足跡のときと同じだ」


「レオンに言われたくない」


二人とも一度は同じ失敗をしている。


痛みだけで判断しない。


本人の感覚だけでも決めない。


別の情報を足す。


「ノアは?」


ノアが自分から聞く。


「息切れや足の疲労が出たら言います。荷物も、自分で全部持てないなら最初から分けます」


「戦闘になったら?」


バルガスが聞く。


ノアは少し緊張した。


「指示された退路へ下がる」


「誰の指示?」


そこまで考えていなかった。


カイが答える。


「現場の退避指示は、バルガスか俺。どちらか一人へ統一しましょう」


「二人で違うこと言ったら?」


ノアが聞く。


バルガスがカイを見る。


「最初に決めとけ」


カイは少し考える。


「遺跡内部の戦闘経験はバルガスの方が上ですか?」


「一般的な遺跡戦ならな」


「では、戦闘時の退避判断はバルガス。施設機構や魂力異常への判断は俺が担当します」


「了解」


役割が分かれる。


誰か一人が全部を決めない。


レオンには、それが少し不思議に見えた。


神殿騎士なのに、カイがすべての指揮を取ろうとしない。


「何でバルガスに譲るんだ?」


レオンが聞く。


「俺より適任だからです」


「《天律》の方が強いだろ?」


「強さの話ではありません」


またそれだ。


レオンは笑った。


「カイ、それよく言うな」


「必要な場面が多いので」


「強ければ何でもできるわけじゃない?」


「できません」


白銀の剣を見る。


神核級。


レオンがこれまで聞いた中では、ほとんど最上位に近い石。


それでもカイは、自分よりバルガスが向いている場面では任せる。


レオンは自分の右手を見る。


未知。


一度に壁を壊すほどの力。


もしこれが強くなれば、自分も何でもできるような気になるかもしれない。


でも、違う。


強さと判断は別。


それを今日、何度も見せられた。


「明日」


レオンが言う。


全員が見る。


「俺は行きたい」


今まで何度も言った言葉。


でも今回は少し違う。


「ただ、右腕と膝が許可されて、荷物を分けられて、ノアとエリシアの同行が安全だって判断できて、村長も遺跡へ入ることを認めるなら行く」


条件を一つずつ言う。


「そのどれかが駄目なら?」


カイが尋ねる。


レオンは少し悔しかった。


それでも答える。


「明日は行かない」


エリシアがレオンを見る。


ノアも。


バルガスは口元だけ少し笑う。


カイは表情を変えない。


「分かりました」


その一言だけだった。


褒められない。


でも、それでいい。


エリシアも自分の答えを続ける。


「私は、朝の体調確認で大丈夫って言われて、自分で必要な荷物を持てる範囲にしてもらえるなら行きたい」


「記憶が戻る保証はありません」


カイが言う。


「分かってる」


「逆に、悪化する可能性もあります」


「それも分かってる」


「それでも?」


エリシアは少しだけ考えた。


「怖いけど、自分で見たい」


カイは頷く。


「その意思も記録します」


エリシアが聞き返す。


「カイは、行かせたくない?」


カイはすぐに答えなかった。


「安全だけを考えるなら、行かない方がいいと思います」


レオンが反応する。


「やっぱり――」


「でも、本人が知る必要もあります」


カイは続けた。


「危険をゼロにするために何もさせないことが、本当に保護になるとは限らない」


エリシアは黙って聞いている。


「だから条件を決めます。条件を満たせるなら、同行に反対しません」


「危険なのに?」


「危険だから準備するんです」


その言葉は、レオンにも少し残った。


危険だからやめる。


危険だから進む。


二つだけではない。


危険だから、進む条件を作る。


それもある。


「じゃあ決まり?」


ノアが聞く。


村長ハベルが首を横へ振った。


「まだだよ」


「何が?」


「今夜の見張り結果と、明日の朝の治療判断。それから食料と治療物資の残量を確認する」


レオンが小さく息を吐く。


「まだあるのか」


「遺跡は待ってくれる」


「《灰牙》は?」


「だから見張る」


「分かった」


以前なら、条件が増えるほど邪魔に感じた。


今は、それが帰るために必要なものだと分かる。


村長が言う。


「最終判断は明日の朝だ」


「うん」


「今日は休め」


「分かった」


「質問整理は?」


「少しだけ」


「何刻?」


治療所の女性からの夜更かし制限を思い出す。


「一刻」


ノアが驚く。


「短くなった」


「明日行けるかもしれないから寝る」


エリシアも笑う。


「私も早く寝る」


「ノアは?」


「記録をまとめてから。でも一刻まで」


三人の予定が揃う。


カイたちは神殿から持ってきた物資を確認。


バルガスは夜の見張り順を調整。


村長は遺跡への立ち入り許可条件をまとめる。


それぞれが同じ場所へ向かう準備をする。


カイが地図を畳んだ。


「一つだけ、明日までに考えておいてください」


レオンが聞く。


「何を?」


「《レグナ・ゼオ》へ到達して、何も新しいことが分からなかった場合です」


「何も?」


「右手も反応しない。エリシアの記憶も戻らない。施設側にも変化がない。その場合、さらに奥へ進みたいと思う可能性があります」


レオンは黙った。


その通りだった。


目の前まで行って何も分からなければ、もう少し先へ。


次の扉まで。


その先まで。


自分なら思う。


「明日は行かない」


自分から答えた。


「決めた範囲までで終わる」


「理由は?」


「何も分からなかったって結果も持って帰れるから」


カイの目が少しだけ細くなる。


「分かりました」


今度は、その一言が少し違って聞こえた。


レオンは立ち上がる。


左膝に重さはある。


でも歩ける。


エリシアも布袋を持つ。


ノアは記録帳を閉じる。


カイたちと出会ったとき、レオンは神殿に何かを奪われるかもしれないと思っていた。


その危険が消えたわけではない。


カイは必要なら強制的に止めると言った。


命令なら従うとも言った。


そこは今も納得していない。


それでも、相手が何を考えているかは少し分かった。


カイもまた、自分たちが何を守りたいのかを聞いた。


答えが同じではない。


だから、明日もう一度同じ場所へ行く。


遺跡へ。


それぞれ違う理由を持ったまま。


集会所を出る直前、レオンは村長へ振り返った。


「明日の朝、条件が全部揃ったら」


「何だ?」


レオンは右腕の固定布を見てから、エリシアとノア、カイたちの顔を順番に見た。


今度は、一人で先へ行く言葉にはしなかった。


「条件が全部揃ったら、明日はみんなで旧第七採掘遺跡へ行こう。」


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