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『ソウルストーン ~神々を滅ぼす最後の継承者~』  作者: シロの空


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第2章《神々の継承者編》 第18話《第八の戦略》

●評価●ブックマーク●アクション●感想●

18話の感想待ってます!


読者様が応援してくれると嬉しいです!

そう書き残して第二中継宿で一夜を過ごしたカイ・アルヴァレインは、翌朝の出発時刻を一刻遅らせることになった。


前日に街道強盗へ遭遇したことで予定より半日遅れていたため、本来なら夜明けと同時に西へ向かう方が到着時刻だけは早くなる。しかし二頭の馬には長時間の走行による疲労が残り、昨日の戦闘で消費した治療用品と食料の補充分も、宿の倉庫から受け取れるのは朝の荷役が始まってからだった。


速く着くことだけを優先し、途中で馬を使えなくすれば、結果としてさらに遅れる。


その程度の判断をするために迷う必要はなかった。


「保存肉は予定量まで戻りました。治療布は昨日使った二枚分に加えて、予備をもう一枚増やせます」


宿の食堂で朝食を取りながら、エレナ・サフィールが補給帳を読み上げた。


薄く焼いた平パン、豆と根菜を煮込んだ温かい汁、それに塩気の強い干し肉が二切れずつ並んでいる。遠征中の食事としては十分だったが、昨夜まで風の強い街道を移動していたせいか、温かい汁を飲むと腹だけでなく肩の力まで少し緩んだ。


「増やした一枚の重量は問題ありませんか?」


カイが尋ねる。


「左右へ分ければ誤差です。ただし水を満量まで積むなら、カイ側の鞍袋から予備の金属固定具を一つ外した方がいいと思います」


「固定具を減らして、布を増やす理由は?」


「昨日の荷車事故です。遠征者二人だけを考えれば標準量で足りますが、今回の目的地では既に複数の負傷者が出ています。現地へ着いたあと、村の備蓄へ依存しない方がいいでしょう」


カイは少し考え、頷いた。


「賛成です。ただ、固定具は全部外さず、一組だけ残してください。馬具が壊れた場合に布では代用できません」


「分かりました」


エレナは帳面へ書き込む。


その手元を見ながら、カイは昨日まとめたエルダ村での面談項目をもう一度頭の中で確認していた。


レオンの右手。


《レグナ・ゼオ》。


エリシアの記憶。


《灰牙》の追跡道具。


《二重反応》。


現地側が守りたいもの。


神殿が危険だと考えるもの。


報告上では一つの事件へまとめられているが、それらが本当に同じ原因から生じているとは限らない。


「カイ」


エレナが顔を上げた。


「さっきから食事の速度が落ちています」


「考えていました」


「食べながら考えるのは構いませんが、出発前に残したら補給計画がずれます」


「食べます」


言われて平パンを口へ運ぶ。


セリオスといい、エレナといい、遠征へ入ると食事や水分について細かく指摘されることが増える。


けれど、空腹や睡眠不足が判断へ影響することは訓練でも分かっているため、そこへ反発する理由はない。


「昨日書いていた質問ですが」


エレナが続けた。


「どれです?」


「《本人が守ってほしいものと、神殿が守ろうとしているものは同じか》という項目です」


「あれは直接質問する文章ではありません」


「それは聞きました。では、具体的にはどう確認しますか?」


カイは匙を置かずに考えた。


「レオンには、遺跡へ戻る理由を聞きます」


「右手を調べたいから、と答えたら?」


「それだけなら、神殿側の調査目的とも一致します」


「エリシアなら?」


「過去を知りたいと答える可能性が高いでしょう」


「それも調査と一致するのでは?」


「表面上は」


カイは汁を一口飲んだ。


「ただ、俺たちが《保護》と言ったとき、中央大神殿へ移して危険から遠ざけることまで含めて考えています。エリシアが過去を確かめるため遺跡へ戻りたいなら、同じ『本人を守る』でも行動が逆になります」


「なるほど」


「レオンも同じです。《レグナ・ゼオ》との接続が危険なら切ることが神殿側の保護になる。でも本人が、接続を維持しなければ正体を調べられないと考えている可能性がある」


「どちらかが間違っていますか?」


「まだ分かりません」


カイは即答した。


「その確認のために行きます」


食堂の扉が開いた。


朝の冷たい空気と一緒に、宿の管理人が入ってくる。


手には細長い木箱を持っていた。


「神殿の騎士さんは、あんたらで合ってるかい?」


「はい」


エレナが立ち上がる。


管理人は木箱を机の端へ置いた。


「今朝、東から来た巡回隊がこれを預けてった。昨日あんたらが捕まえた連中とは別件らしいが、灰色の外套を着た奴が西街道の脇へ捨ててったものだとさ」


カイとエレナが顔を見合わせる。


「中身を確認しましたか?」


「巡回の連中は開けたと言ってた。ただ、変な砂が入ってるから直接触るなと」


カイの視線が箱へ落ちた。


「《灰牙》ですか?」


「そこまでは知らねえ。神殿が似たものを探してるなら見せろと言われただけだ」


「ありがとうございます」


「受領記録が必要なら後で書いてくれ」


管理人は食堂を出ていった。


カイはすぐには箱へ触れなかった。


エレナも同じだった。


「開けますか?」


「食事を終えてからにしましょう」


「今すぐ確認しなくていいんですか?」


「逃げません」


木箱はそこにある。


中のものが危険なら、空腹のまま不用意に触れる方が問題だった。


二人は残りの朝食を終え、手を洗ったあと、宿の裏にある荷物確認室へ木箱を移した。


窓を開ける。


机の上へ厚い布を敷く。


直接触れないための金属挟みも用意した。


「開けます」


エレナが言う。


カイが頷く。


蓋が上がる。


中には小さな布袋が一つ。


細長い金属針。


そして、灰色の細かな砂。


エルダ村から報告されている形状と似ている。


ただし、完全に同じかは現物を比較しなければ分からない。


「砂袋に黒い印があります」


エレナが指した。


「報告書と形は?」


「簡略図では同じに見えます。ただ、線の太さまでは比較できません」


「同一と記録しないでください。《類似》で」


「はい」


エレナが筆記する。


カイは金属針を見る。


片側だけ黒く変色している。


エルダ村からの報告では、この針へ砂を付着させると、何らかの魂波へ向かって僅かな抵抗を示すという。


「試しますか?」


エレナが尋ねる。


カイは少し考えた。


「砂へ直接魂力を流す試験はしません」


「では?」


「まず針だけを砂から離します」


金属挟みで針を取り出す。


別の布へ置く。


変化なし。


次に布袋。


変化なし。


灰色の砂。


目視では普通の細砂に近い。


カイは《天律》の柄へ手を置いた。


「使うんですか?」


「切断ではなく、関係認識だけ試します」


《天律》は、対象を見れば何でも内部構造まで教えてくれる石ではない。


自分が理解できる対象と関係へ、魂力を通した際にどの程度明確な指定ができるかを見ることはできる。


カイは白銀の剣を抜いた。


刃へごく少量の魂力を流す。


灰色の砂。


針。


布袋。


その三つのあいだに何があるか。


報告上では、砂を針へ付けることで追跡反応が出る。


なら、砂と針の間に何らかの作用経路がある可能性がある。


「何か分かりますか?」


エレナが尋ねる。


「まだ」


砂。


針。


再び見る。


魂力を薄く広げる。


それでも《天律》は、切断対象として指定できるほど明確な関係を返さなかった。


カイは眉を寄せる。


「砂を針へ戻してください」


「分かりました」


エレナが少量だけ付着させる。


針が僅かに動いたように見えた。


実際には風かもしれない。


窓を閉める。


もう一度。


今度は確かに、針先が数ミリだけ西へずれた。


エレナも見ている。


「動きました」


「はい」


「では、砂と針の関係を《天律》で切れば止められますか?」


「試します」


カイは剣を向けた。


砂。


針。


追跡作用。


それを切る。


頭の中では理解できているつもりだった。


「《天律》――第一律《断絶》」


白い魂力が細く伸びる。


砂と針の間を通過する。


変化はない。


針はそのまま西を向いていた。


エレナが黙る。


カイもすぐに二度目を使わなかった。


失敗。


理由を考える。


魂力不足ではない。


距離もない。


対象は目の前にある。


「もう一度?」


エレナが尋ねる。


「待ってください」


同じ条件で繰り返しても意味がない。


カイは砂と針を見た。


自分は何を切ろうとしたのか。


《砂と針の追跡関係》。


言葉にすればそれらしい。


しかし、実際にどんな作用で針が動いているのか知らない。


砂が反応源を探しているのか。


針が砂へ引かれているのか。


砂を通して遠くの魂波と針が関係しているのか。


あるいは、別の何かが砂と針の両方へ作用しているのか。


自分はそれを理解していない。


「切れません」


カイが言った。


エレナが少し驚いた。


「《天律》でも?」


「今の俺には」


「理由は?」


「何を切れば止まるのか認識できていないからです」


「砂と針の関係では?」


「それ自体が仮説です」


カイは剣を下ろした。


「俺は《砂と針が追跡している》という報告を読んだだけで、実際の作用を理解したつもりになっていました」


エレナが針を見る。


「でも、実際に砂を付けたら動いた」


「はい。しかし、動いたことと、その原因を理解していることは違います」


《天律》は何でも切れるわけではない。


接続。


経路。


作用。


関係。


それらを自分が認識し、何を切るのか指定できる場合に限って、《断絶》は成立する。


昨日の火炎使いでは、契約石から火炎へ魂力が流れていることが見えた。


腕へ固定する革具も構造を理解できた。


だから切れた。


今は違う。


「正式に記録してください」


カイが言う。


エレナが筆を持つ。


「文言は?」


「《天律》第一律《断絶》は、使用者が理解・認識・指定できない関係には作用しない。対象の存在を認識しているだけでは不十分》


エレナが書く。


「これは既知の制約ですよね?」


「原則としては」


「では、なぜ改めて?」


「俺自身が破りかけたからです」


カイは針を見る。


《天律》を持っている。


目の前で異常が起きた。


だから切れる。


その考え方は、昨日セリオスから指摘された失敗と同じだった。


できる力があることと、対象を理解していることを混ぜている。


「二回目を使わなくてよかったです」


エレナが言う。


「なぜ?」


「一回目で切れなかったから、出力を上げてもう一度やると思いました」


「俺も一瞬考えました」


「認めるんですね」


「考えただけなら記録しても害はありません」


「使っていたら?」


「何も切れないか、別の認識可能な関係へ作用した可能性があります」


それが一番危険だった。


分からないから強くする。


戦闘ならありがちな失敗だ。


しかし《天律》では、指定を間違えれば本来切りたくないものへ干渉する可能性がある。


「この道具、どうします?」


エレナが尋ねる。


「封印して持っていきます。エルダ村に残っているものと比較したい」


「巡回隊へ返さなくていい?」


「受領確認を取り、神律特級調査案件の資料として一時保全します。所有者が確認されたら返却判断をします」


エレナが頷く。


カイは白銀の剣を鞘へ戻した。


柄の手触りはいつもと同じだった。


それでも、自分がこの力をどこまで理解しているのかという感覚だけは、少し変わっていた。


     ◇


補給を終えた二人が第二中継宿を出発したのは、予定より一刻と少し遅い時刻だった。


木箱を追加で積んだため、荷物の重量そのものは大きく増えていないものの、異常な追跡道具を運ぶ以上、鞍袋の位置も変えた。万一破損して砂が漏れた場合に食料や水へ混ざらないよう、カイ側の後部荷袋へ単独で固定している。


予定変更が重なったことで、エルダ村到着は当初より半日以上遅れる見込みになった。


それでも、カイは急行へ切り替えなかった。


馬を消耗させるほどの緊急性は、現時点では報告されていない。


西へ進むにつれて街道の幅は少し狭くなり、平地だった周囲に低い丘が増えてくる。途中には畑へ向かう農民や、二台の荷車を連ねた商人たちもおり、神殿騎士の装備を見た者が軽く頭を下げることはあっても、道を空けて跪くような者はいなかった。


アルヴァとは違う。


当然だった。


神殿都市の外では、人々の生活に祈り以外の仕事が多くある。


昼を少し過ぎた頃、二人は街道沿いの小さな休憩所で馬を止めた。


屋根。


長椅子。


馬へ水を与える槽。


簡単な炊事場。


それだけの場所だった。


カイは馬の水を先に確認し、自分たちは干し肉と平パンだけの簡単な昼食を取る。


「朝の件、まだ考えてますか?」


パンをちぎりながらエレナが尋ねた。


「何を?」


「《天律》で砂の作用を切れなかったことです」


カイは少し考えた。


「はい」


「失敗したことが気になる?」


「それより、失敗するまで自分が理解していないことに気づかなかった方が問題です」


「でも最初の一回で止めたでしょう」


「結果的には」


「なら、それも判断材料では?」


カイはパンを噛みながら答えを考えた。


「そうかもしれません」


「随分曖昧ですね」


「自分に都合よく評価したくないだけです」


「厳しすぎませんか?」


「緩くする理由もありません」


エレナは干し肉を食べながら、しばらくカイを見た。


「エルダ村でも同じことをしますか?」


「何がです?」


「分からないものに《天律》を使って、切れなかったら考える」


カイは少し黙った。


それは質問というより、今朝の失敗を任務へ当てはめた確認だった。


《レグナ・ゼオ》とレオン。


報告上では接続している可能性がある。


神殿命令には、必要時接続解除とある。


自分は、《天律》なら接続を切れる可能性があると考えていた。


しかし。


その《接続》とは何なのか。


契約なのか。


魂力経路なのか。


一時的な共鳴なのか。


古代施設側からの遠隔作用なのか。


何も分かっていない。


「使いません」


カイが答えた。


エレナが僅かに眉を上げる。


「接続解除が必要になっても?」


「必要だと判断することと、《天律》で今すぐ切れることは別です」


「昨日までは、《天律》を解除手段の一つとして考えていましたよね」


「今も候補ではあります」


「何が変わった?」


カイは朝の金属針を思い出す。


目に見えている。


作用も起きている。


それでも、何を切れば止まるのか理解できない。


「《レグナ・ゼオ》とレオンの関係を理解する前に《断絶》を使うことは、解除ではなく試し斬りになります」


エレナの表情が変わった。


「危険ですね」


「はい」


「では、中央命令へ確認を入れますか?」


「命令には《必要時接続解除》とあるだけで、《天律》を使用しろとは書かれていません」


「だから現地判断?」


「そうです」


エレナは少し考える。


「でも、中央はカイを派遣した時点で《天律》を期待していると思います」


「それは分かっています」


「期待へ応えない可能性もある?」


「必要なら」


即答すると、今度はエレナが黙った。


「何です?」


「いえ。神殿命令を正しいと思っているカイでも、手段までは自分で変えるんだなと思っただけです」


「命令の目的と、こちらが使う手段は同じではありません」


「中央が《天律》で切れと追加命令したら?」


カイは少し長く考えた。


「何を切るのか指定できる資料を要求します」


「それが来なければ?」


「危険を説明します」


「それでも命令されたら?」


問いが続く。


カイは嫌がらなかった。


現地へ着く前に考えておく価値がある。


「俺に裁量がない正式命令なら従う義務があります」


「では使う?」


「その時点で、《天律》を安全に成立させられるだけの認識があるか確認します。成立させられないなら、その事実を報告します」


「命令違反になるかもしれません」


「使えないものを使えると言って失敗する方が問題でしょう」


エレナが僅かに笑った。


「セリオスさんみたいなことを言いますね」


「それは嬉しい評価なのか分かりません」


「たぶん褒めても怒ってもいません」


「なら気にしません」


二人は食事を終える。


カイは自分の水筒の残量を確認する。


六割ほど。


次の補給地点までなら十分。


それでも満たせる場所では少し補う。


半日遅れているからといって、水まで削る必要はない。


休憩所を出る前、カイは今朝の《天律》の失敗を遠征記録へ追記した。


《追跡砂および金属針の作用関係を指定できず、《断絶》不成立。出力増大による再試行は行わず。現物を比較資料としてエルダ村へ搬送》


さらに、その下へ一文加える。


《レグナ・ゼオとレオン・アークレイアの接続解除について、関係構造確認前の《天律》使用を保留》


エレナが横から読む。


「現地へ着く前に、もう判断を変えるんですね」


「新しい材料が出たので」


「中央へ送りますか?」


「次の通信所から送ります」


「現地到着を待たず?」


「待つ理由がありますか?」


「ありません」


書き終えた紙を畳む。


カイはそこで、昨日まで自分が立てていた仮説を一つ捨てた。


《レグナ・ゼオ》とレオンが繋がっている。


危険なら《天律》で切る。


その考え方は、手順として成立していない。


切る対象を知らないからだ。


危険かどうか以前に、接続そのものを理解する必要がある。


つまり、現地で最初にするべきことも変わる。


解除判断ではない。


構造確認。


レオン本人の感覚。


施設側の反応。


可能なら第三者による解析。


それらを先に集めなければならない。


「エレナ」


「はい」


「面談項目へ一つ足してください」


「何を?」


「レオンが《レグナ・ゼオ》との接続を、本人の感覚としてどう認識しているか」


「痛み、熱、声、魂力流入の有無?」


「それもです。それから、本人が《接続している》と思っているのか、それとも周囲からそう言われているだけなのか」


エレナが書く。


「重要ですね」


「はい」


報告書では《接続》という言葉が何度も使われている。


しかし、その言葉を誰が最初に使ったのか。


何を根拠にしたのか。


そこまで確認していなかった。


「エリシアにも聞きますか?」


「本人がレオンと《レグナ・ゼオ》の間に何かを感じたことがあるかは聞きます。ただし、記憶へ無理に結びつけないようにします」


「分かりました」


エレナが筆記具をしまう。


二人は再び馬へ乗った。


     ◇


午後から丘陵地へ入ると、移動速度は予想より少し落ちた。


前日の雨で斜面の土が柔らかくなり、荷を積んだ馬を速く進ませれば蹄を滑らせる危険がある。二度ほど下馬して歩かなければならない場所もあり、そのたびに鞍袋の固定を確かめた。


急げば今日中に次の宿場へ着ける。


しかし日没直前になる。


さらに最後の下り道は森へ入る。


カイは途中で地図を確認した。


「今日は手前の集落で止まります」


エレナが空を見る。


「あと一刻半ほど日があります」


「予定の宿までは二刻以上掛かる」


「半刻なら灯りを使えます」


「雨のあとの坂を夜に下る必要はありません」


「了解です」


反論はない。


予定よりさらに少し遅れる。


しかし、到着時刻だけを戻すために移動危険を増やす必要もない。


二人が立ち寄ったのは十数軒ほどの家しかない小さな街道集落だった。


宿泊専用の建物はなく、旅人用の部屋を持つ食堂兼雑貨店へ馬を預ける。店内には焼いた玉葱と油の匂いが残り、夕食時が近いせいで住民らしい者が数人、長机で仕事帰りの食事を取っていた。


神殿騎士が二人入っても、全員が会話を止めるわけではない。


少し見る。


それから食事へ戻る。


カイはその方が楽だった。


「二人と馬二頭。夕食と朝食もお願いできますか?」


エレナが店主へ尋ねる。


「部屋は一つしか空いてないよ」


「寝台は?」


「二つある」


「問題ありません」


カイも頷いた。


遠征で男女別の部屋へこだわるほど余裕がない場所は珍しくない。


荷物だけは自分たちで運ぶ。


《灰牙》のものと思われる木箱は、一般の荷物と離して部屋の隅へ置いた。


夕食は厚く切った芋と豆、少量の挽肉を煮込んだものだった。


カイは食事をしながら、店主に西側の街道状況を聞く。


「エルダ村の方へ行くのかい?」


「はい」


「あっちは今、盗賊が出たって話で荷便が減ってる。北へ回る商人もいるよ」


「《灰牙》ですか?」


「名前までは知らん。ただ、灰色の外套を見たって奴はいる」


「いつ頃?」


「二日くらい前かな」


それなら、エルダ村周辺で確認された時期と近い。


「人数は?」


「見たって言ってた木こりは二人だと言ってた。でも同じ連中かどうかは分からんよ」


店主は自分から断定しなかった。


カイはその答えをそのまま記録する。


「ほかに変わったことは?」


「変わったこと?」


「街道で、古い遺物を探している人間や、砂を使った道具を持つ者を見ていませんか?」


店主は考える。


「砂は知らんな。ただ、古い石なら三日前に聞かれた」


「誰から?」


「旅の商人みたいな格好の男だ。『この辺に古い祠や採掘跡はないか』って聞かれた」


エレナがカイを見る。


「灰牙?」


カイは首を横へ振る。


「分かりません」


店主にも尋ねる。


「外套は灰色でしたか?」


「茶色だったと思う」


「武器は?」


「腰に短剣くらい。旅人なら普通だ」


「年齢や髪は?」


「そこまでは覚えてないな」


情報としては弱い。


《灰牙》の仲介者かもしれない。


無関係な遺物商人かもしれない。


「何と答えました?」


「西に壊れた祠があるって教えたよ。昔は街道守りの祠だったらしいけど、今じゃ石が少し残ってるだけだ」


カイはそこで少し止まった。


古い祠。


エルダ村からの追加報告にも、ドルガ・ネインという老人の口伝として、西街道沿いに古い祠跡があると書かれていた。


《アルセリア》。


《アルクレイン》。


七つの古い名前。


それらが祠の話と一緒に伝わったという。


「場所を教えてもらえますか?」


「この先の分かれ道から南へ少し入ったところだ。今の街道からは外れてる」


地図へ位置を示してもらう。


カイは印を付けた。


エレナが小声で聞く。


「明日、寄りますか?」


「いいえ」


「調べない?」


「今の任務目的はエルダ村です。祠へ寄れば少なくとも半刻以上遅れる」


「でも関連している可能性があります」


「あります。ただし、今ここで俺たちが行く必要があるかは別です」


「では?」


「位置だけ記録して、グランゼ側へ渡します」


昨日までなら、自分でも確認しておくべきだと考えたかもしれない。


神律特級調査案件。


未知古代施設。


古い名前。


近隣の祠。


関連しそうに見える。


しかし、関連しそうだからすべて自分で見るというのは効率ではない。


エルダ村到着が遅れれば、その分だけ本来の対象との接触も遅れる。


「優先順位ですか」


エレナが言う。


「はい」


「もし祠を調べた結果、《レグナ・ゼオ》の正体が先に分かったら?」


「その可能性はあります」


「それでも?」


「可能性だけなら、街道沿いのすべての遺跡へ寄る理由が作れます」


エレナが少し笑った。


「レオンと会ったら、同じことを言ってみてください」


「なぜ?」


「報告を読む限り、遺跡を見れば全部入りたがりそうなので」


カイは一瞬考えた。


「本人に会う前に決めつけない方がいいでしょう」


「そうでした」


二人は食事を続けた。


店主から得た情報は、その夜のうちに小型通信札でグランゼ方面へ送った。


祠の位置。


三日前に遺物を尋ねた旅人。


灰牙との関係は不明。


その三点だけ。


余計な推測は加えない。


     ◇


食後、カイは部屋で《天律》の手入れをしていた。


白銀の刀身を乾いた布で拭き、泥や水分が付いていないことを確認する。


契約石そのものに異常はない。


朝の《断絶》失敗による反動も感じない。


問題は石ではなく、自分の認識だった。


エレナは反対側の寝台で補給帳を整理している。


「カイ」


「何です?」


「朝の《断絶》について、もう一つ聞いていいですか?」


「どうぞ」


「切れない関係があることは、以前から知っていたんですよね?」


「はい」


「なのに、どうして今回は切れると思ったんでしょう」


カイは布を動かす手を止めた。


いい質問だった。


能力の制約を知らなかったわけではない。


訓練でも教えられている。


理解できないものは指定できない。


それなのに今回、自分は剣を向けた。


「名称が付いていたからでしょうね」


「名称?」


「《追跡砂》《追跡用の針》《二重反応》。報告書にはそういう言葉が並んでいた。それを読んで、仕組みまで理解しているような感覚になっていた」


エレナが補給帳を閉じる。


「名前を知ってることと、仕組みを知ってることを混ぜた?」


「そうです」


カイは刀身を見る。


「《レグナ・ゼオとの接続》も同じかもしれない」


「接続という言葉があるから、切れる関係だと思った?」


「はい」


認める。


それが今日の最も大きな収穫だった。


報告では、《レグナ・ゼオ》とレオンが接続していると何度も書かれている。


しかし、接続という名称があるだけで、実態が契約路だと決まったわけではない。


もし《天律》で切断しようとして、実際には別の魂力経路を切ればどうなる。


レオンの身体へ損傷を与えるかもしれない。


《レグナ・ゼオ》側で何が起きるかも分からない。


施設全体へ影響する可能性さえ否定できない。


「命令書、変えてもらいますか?」


エレナが尋ねた。


「命令の目的は変える必要がありません」


「必要時接続解除は残す?」


「残します」


「では、何を変える?」


「俺の手順です」


カイは剣を鞘へ戻した。


「これまでは、危険確認のあと必要なら解除を判断するつもりでした。でも、その前に接続の定義そのものを確かめます」


「本人の証言だけで?」


「いいえ。本人、施設反応、現地記録、可能なら解析器具。それぞれを比べます」


「そこまでやっても分からなかったら?」


「分からない関係を《天律》では切りません」


「危険が迫っていても?」


カイはすぐには答えなかった。


そこだけは単純ではない。


危険が切迫している。


時間がない。


それでも関係を理解できない。


その場合、何もしなければ被害が出るかもしれない。


「解除以外の方法を探します」


「封鎖?」


「場合によっては」


「レオンだけを離す?」


「原因がレオンだと分かれば」


「分からなかったら?」


「人を退避させる」


エレナはしばらく考えた。


「力を切るんじゃなくて、被害を受ける側を離す?」


「それも一つの方法です」


「それで足りなければ?」


「その時点で、理解できている範囲だけを切ります」


「例えば?」


「施設から外へ出ている魂力経路が見えるなら、レオンとの接続が分からなくても、その外部出力だけを切る」


「なるほど」


エレナは紙へ何かを書いた。


カイが見る。


一から七まで、既に検討していた対処案が並んでいる。


現地封鎖。


避難。


本人隔離。


施設停止。


接続解除。


中央移送。


外部経路遮断。


そして、その下へ八つ目。


《分からない関係を無理に切らず、危険が届く経路だけを限定して止める》


「何です、それは」


カイが尋ねる。


「今日の話を整理しただけです」


「対処案として書いたんですか?」


「はい。今までの七つは、どれも対象そのものへ介入する方法でしたから」


カイは紙を見る。


第八。


自分たちが正式に使っている分類ではない。


単なるエレナの整理だ。


それでも、考え方としては使える。


対象を理解できない。


だから対象そのものへ触れない。


代わりに、被害へ繋がる認識可能な経路だけを止める。


「残してください」


「使いますか?」


「現地で必要なら」


「名前は?」


「必要ありません」


「第八案で十分?」


「それで」


エレナは紙を畳む。


「第八の戦略ですね」


「大げさです」


「でも覚えやすいでしょう」


否定するほどでもない。


カイは寝台の横へ《天律》を置いた。


明日には、エルダ村へかなり近づく。


その前に、自分の目的が少し変わった。


レオンと《レグナ・ゼオ》の接続を解除できるか確かめるのではない。


そもそも何が繋がっているのかを確かめる。


危険があるなら、それがどの経路で人へ届くのかを見る。


そこまで分からなければ、剣を抜かない。


「エレナ」


「はい」


「明日の朝、アルヴァへ更新報告を送ります」


「内容は?」


「《天律》による即時接続解除を初動手段から外すこと。それと、追跡道具へ《断絶》が成立しなかった記録です」


「中央から反対されたら?」


「理由を聞きます」


「それでも解除優先と言われたら?」


「現地で必要性を再判定します」


「カイの判断が変わらなければ?」


「そのまま報告します」


エレナは頷いた。


部屋の外から、食堂を片づける皿の音が聞こえる。


遠征先の小さな集落では、神殿の都と違って夜鐘も聞こえない。


代わりに、壁越しに人の話し声や、馬小屋で藁を動かす音が残っている。


カイは自分の手を見る。


《天律》がある。


強い。


多くのものを切れる。


それでも、分からないものまで切れるわけではない。


むしろ強い力を持っているからこそ、分からない状態で使うことには慎重でなければならない。


それはレオンの右手にも当てはまるかもしれない。


本人自身が、自分の力を理解していない。


一度目には壁を壊し、二度目には逃げ道を作った。


力の大きさだけを見れば危険だ。


しかし、本人が何を理解し、どこまで制御できるかを見なければ、本当の危険は測れない。


カイはそこで、一つだけ報告書に書かれていた文章を思い出した。


《本人は、危険を理解した後は力の再使用を控えている》


その行を、以前より少し重く見ることができた。


     ◇


翌朝、出発前の通信でアルヴァ側から反対は来なかった。


カイの更新報告に対する返答は短かった。


《現地判断を継続せよ。接続解除の必要性および実施手段について第一報へ記載すること》


つまり、判断は変わらず自分へ残された。


エレナが通信札を閉じる。


「認められましたね」


「保留されたと言った方が正確です」


「相変わらず細かいですね」


「違うものは分けた方がいいでしょう」


二人は馬へ荷物を積む。


《灰牙》のものと見られる木箱も固定する。


食料。


水。


治療布。


記録。


《天律》。


全部確認する。


出発前、宿の主人へ昨日教えてもらった祠の位置について礼を言う。


「寄らなくていいのかい?」


「今回は別の目的地があります」


「神殿なら古いもの全部調べるのかと思ってたよ」


「全部を一度には調べられません」


主人は笑った。


「そりゃ人間はどこも同じか」


その一言に、カイは少しだけ目を細めた。


神殿騎士。


神核級の適合者。


それでも、できることに限界はある。


だから選ぶ。


どこへ行くか。


何を先に見るか。


何を今はしないか。


二頭の馬が西街道へ出る。


天気は薄曇り。


昨日より路面は乾いている。


予定通りなら、今日の夕方にはグランゼ方面からエルダ村へ入る支道へ到達できる。


そこで一泊し、翌日の午後には村へ着く。


カイは走りながら、昨夜の八つ目の案を思い出す。


《分からない関係を無理に切らず、危険が届く経路だけを限定して止める》


それは《天律》だけの話ではない。


人間同士の対立にも、少し似ているのかもしれないと一瞬思った。


しかし、まだレオンと話してもいない。


そこまで同じものとして扱うのは早い。


カイはその連想を結論へせず、頭の隅へ残すだけにした。


昼過ぎ、エルダ村へ送る到着予定通知を中継所から出す。


当初予定より半日ほど遅れていること。


理由は街道上の強盗事件への対応と、追加資料の受領。


負傷なし。


同行者エレナ・サフィール。


携行している異常追跡道具について、現地資料との比較を希望。


そして、到着後すぐに強制解除を行う予定はなく、まず接続構造と危険経路を確認すること。


通知文の最後まで確認し、カイは署名した。


送信担当が文面を受け取る。


これがエルダ村へ届けば、レオンたちは自分が来る時刻を知る。


何のために来るのかも、昨日より少し具体的に分かる。


カイは馬へ戻る。


「これでいいですか?」


エレナが尋ねた。


「何が?」


「最初から解除するつもりではないことまで知らせて」


カイは少し考えた。


「隠して得るものがありません」


「レオンが安心して、こちらへの警戒を下げるかもしれません」


「それが問題ですか?」


「こちらを信用させるために書いたのなら、問題だと思います」


カイはエレナを見る。


「違います」


「なら?」


「俺自身の判断が変わったから、それを伝えただけです」


エレナは頷いた。


「分かりました」


「それに、警戒するかどうかは本人が決めればいい」


「カイを?」


「神殿も含めて」


二頭の馬が再び動き始める。


西の空はまだ明るい。


街道の先には、カイがまだ見たことのない小さな村がある。


そこで、自分とは違う考えを持つ少年と少女が待っている。


どちらが正しいかを決めるために行くのではない。


まず、何を同じ危険だと見ていて、何を別のものとして守ろうとしているのかを確かめる。


そのためには、《天律》を抜くより先に聞くべきことがある。


そして、切れないものがあるからといって、すぐに相手そのものを危険だと決める必要もなかった。


夕刻前、カイたちが送った到着予定通知は、グランゼ側の中継を経て《エルダ村》へ届けられた。


「神殿騎士カイ・アルヴァレインは、予定より半日遅れて明日の午後にエルダ村へ到着する。」


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