↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『ソウルストーン ~神々を滅ぼす最後の継承者~』  作者: シロの空


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/26

第1章《太古の継承者編》 第12話《追魂の痕》

●評価●ブックマーク●アクション●感想●

12話の感想待ってます!


読者様が応援してくれると嬉しいです!

 エリシアがそう尋ねると、広場の端に置かれた荷台へ腰掛けていたレオンは、痛みの残る左膝を押さえたまま、すぐには答えなかった。


 先ほど治療所の裏手へ現れた《灰牙》の男はすでに姿を消しているが、村の中から危険まで消えたわけではない。広場では自警団員たちが怒鳴り合うように連絡を取り、北側の農地から避難してきた住民たちが荷車の周囲へ集まっており、普段なら穏やかな村の人声が互いを押し潰すほど重なっていた。


「危険だから行くなとは言うと思う。でも、それを聞いたあとでどうするかまで、俺が勝手に決めるのは違う」


 レオンはようやく答えた。


「ただし、今すぐ行きたいって言われたら止める。エリシアはまだ長く歩けないし、俺もこの膝じゃまともに走れない。それに《灰牙》が何人いるのかも、遺跡のどこまで入っているのかも分からないから、今の俺たちだけで戻るのは危険すぎる」


 エリシアはその返事を聞きながら、胸の奥に残っていた緊張が僅かにほどけていくのを感じた。


 行くことを無条件に認めてもらいたかったわけではない。


 危険を無視してほしかったわけでもない。


 ただ、自分が何をするのかという最後の部分まで、知らない誰かの都合で決められることが怖かった。


「だったら、今は行かない」


 エリシアが答えると、レオンは少し驚いた顔をした。


「いいのか?」


「行きたい気持ちは変わらない。でも、今の私が行ったら、誰かに守ってもらわないと帰ってこられないでしょう。それなのに自分で決めたって言っても、たぶん途中から他の人に全部任せることになる」


「そこまで一人でやる必要はないと思うけどな」


「一人でやりたいんじゃない。自分で決めたことのために、誰に何を頼むのかくらいは分かっていたいの」


 言葉にしてみると、それが今の自分にとって一番近い答えだった。


 エリシアには、この時代で何が危険なのかさえ十分に分からない。


 ソウルストーンという言葉も、村の暮らしも、《アークレシア王国》という国も、自分が眠っていた古代施設が現在では遺跡と呼ばれていることも、ここ数日のうちに知ったばかりだった。


 だからこそ、分からないまま一人で決めることと、分からないから他人に全部決めてもらうことの間に、別の方法があるのだと思いたかった。


「それなら、俺も手伝う」


 レオンが言った。


「俺もあの遺跡について調べたいし、この右手が何なのかも知りたい。それに《灰牙》が何を探してるのか分からないまま放っておくのは、村にとっても危ない」


「でも、レオンも今日は動けないんでしょう?」


「だから今日は――」


 言い終わるより先に、広場の北側から鋭い警笛が響いた。


 一度ではない。


 短い音が三回続いたあと、少し間を置いてさらに二回鳴る。


 周囲にいた自警団員たちが一斉に顔を上げ、村長ハベルの近くへ集まっていた男の一人が、北側の柵へ向かって走り出した。


「何の音?」


 エリシアが尋ねる。


 レオンもすぐには答えられなかった。


 代わりにノアが立ち上がり、広場の向こうを見ながら言った。


「北側で人が見つかったときの合図だと思う。でも、さっきと回数が違う」


 その意味は、間もなく分かった。


 北側から戻ってきた自警団員が広場へ飛び込み、村長の前で足を止める。


「北の畑沿いに三人確認! 一人はさっき村へ入った男と同じ灰色の外套です! こっちへ来るんじゃなく、旧採掘場へ戻る方向へ動いてます!」


 広場の人々がざわめいた。


 村長ハベルがすぐに問い返す。


「追っている者は?」


「ダルさんたち四人が距離を取って追跡しています。ただ、相手にも契約石持ちがいるので、近づかないよう指示されています」


「バルガスは?」


「北柵です。向こうから回ると言ってました」


 エリシアは知らない名前と状況を頭の中で結びつけようとした。


 先ほどの男は一人ではなかった。


 少なくとも三人が北側にいる。


 しかも、彼らは村そのものを襲うより、遺跡へ戻ろうとしている。


「やっぱり、あの場所が目的なんだ」


 レオンが低く言った。


「私じゃなくて?」


 エリシアが尋ねると、レオンは首を横へ振った。


「分からない。さっきの男はエリシアを見て反応した。でも、最初から君を探して来たのか、遺跡で見たから重要だと思ったのかは判断できない」


 エリシアは頷いた。


 分からないことを、分かったことにしない。


 その区別だけは、少しずつ自分にもできるようになってきた。


 ところが次の瞬間、広場の西側から別の声が上がった。


「村長! 裏道にも足跡があります!」


 人々の視線がそちらへ向く。


 治療所の裏から伸びていた灰色の砂跡を調べていた自警団員が、土の付いた布を片手に走ってくる。


「一人分じゃありません。途中で重なってます。少なくとも二人、村の西側まで入った形跡があります」


「まだ中にいるのか?」


「分かりません。ただ、北へ抜けた跡が見つかってません」


 広場の空気が一段変わった。


 北側にいる三人だけを見ていればいい状況ではなくなった。


 村の中にも別の《灰牙》が残っている可能性がある。


 エリシアは無意識に周囲を見た。


 家々の間。


 荷車の陰。


 治療所の裏道。


 先ほどまで人が多いことに安心していたのに、今度は人の多さそのものが視界を塞いでいるように感じる。


 誰が村人で、誰が外から来た者なのか、自分には見分ける方法がない。


「エリシア、治療所へ戻ろう」


 ノアが言った。


 今度はエリシアも反対しなかった。


 外に残る理由がない。


 治療所の中なら入口を限定できるうえ、動けない患者も集めて守ることができる。


「レオンも来る?」


「行く」


 レオンが立ち上がる。


 左脚へ体重を掛けた瞬間に僅かに眉を寄せたが、歩けないほどではないらしい。


 それでも、エリシアは昨日の砂地に残った足跡を思い出した。


 本人が大丈夫だと言っても、身体が同じ答えを出しているとは限らない。


「急がなくていいよ」


 エリシアが言う。


「でも――」


「私も走れないから、同じ速度で行こう」


 レオンは一瞬だけ言葉を止め、それから頷いた。


「分かった」


 三人は治療所へ向かった。


 広場から建物までは遠くない。


 それでも、警戒のため人々が移動を始めたせいで道は混み合っており、荷車を避けながら進むだけでも時間が掛かった。


 エリシアは自分の布袋を胸元へ抱える。


 水。


 乾いた食べ物。


 布。


 それだけしか入っていない小さな袋だったが、誰かに運んでもらうのではなく、自分で持っているという事実が妙に心強かった。


 治療所まで残り十数メル。


 そのとき、レオンが急に足を止めた。


「待って」


 エリシアも止まる。


「どうしたの?」


 レオンは道ではなく、右側にある倉庫の軒下を見ていた。


 人はいない。


 少なくとも、エリシアにはそう見える。


 しかし次の瞬間、倉庫の裏から低い声が聞こえた。


「そいつだ」


 身体が固まった。


 声の意味を考えるより早く、レオンがエリシアの前へ半歩出る。


 倉庫の陰から二人の男が現れた。


 灰色の外套。


 一人は短い片刃剣を持ち、もう一人は右手首に濁った黄色の石を固定している。


 先ほど治療所の裏で見た男とは違う。


 つまり、少なくとも別の二人が本当に村へ入り込んでいた。


「走るなよ」


 剣を持った男が言う。


「こっちはガキを殺しに来たわけじゃねえ。遺跡まで案内してもらえればそれでいい」


 レオンは答えない。


 男の視線がレオンの右手へ向く。


 黒い痕。


 次にエリシアへ移る。


「地下から出てきた女も一緒だ。そっちも連れていく」


 エリシアの背中に冷たいものが走った。


 自分が目的なのかどうか分からなかった。


 今、少なくともこの男たちは自分を連れていこうとしている。


「嫌」


 考えるより先に言葉が出た。


 男が眉を動かす。


「何だ?」


「行かない」


 声が震えた。


 それでも言い直さなかった。


「私はあなたたちとは行かない」


 男の表情から僅かな余裕が消える。


「お前に聞いてねえ」


 その言葉を聞いた瞬間、エリシアの胸の奥で恐怖とは別の感情が動いた。


 自分に聞いていない。


 だから連れていく。


 それは、エリシアがこの数日ずっと恐れていたものを、そのまま言葉にしたように聞こえた。


「だったら、なおさら行かない」


 エリシアは答えた。


 男が一歩進む。


 レオンも前へ出ようとする。


「レオン」


 エリシアが呼ぶと、彼は止まった。


「何?」


「一人で前に出ないで」


 レオンは男たちから視線を外さないまま頷いた。


「分かった」


 ノアがエリシアの横へ寄る。


 三人と二人。


 人数だけならこちらが多い。


 けれど、レオンは負傷している。


 エリシアも長く動けない。


 ノアは武器を持っていない。


 相手には剣とソウルストーンがある。


 戦えば不利なのは、説明されなくても分かった。


「治療所まで行けば人がいる」


 ノアが声を抑えて言った。


 入口までは二十メルほど。


 しかし二人の男がその間に立っている。


 後ろへ戻れば広場。


 距離はもっと長い。


 エリシアは周囲を見る。


 倉庫。


 石壁。


 狭い通路。


 足元には乾いた土と、荷車から落ちた細かな砂。


 風が吹くたび、軒先から吊るされた木札が小さく鳴る。


 逃げるには狭い。


 けれど、相手にとっても同じだった。


 石を付けた男が右腕を上げる。


「面倒だ。脚だけ止める」


 濁った黄色の石が光った。


 レオンが叫ぶ。


「下がれ!」


 地面が鳴った。


 エリシアはノアに腕を引かれ、後ろへ二歩下がる。


 直後、さっきまで立っていた場所の土が盛り上がり、拳ほどの石が突き出した。


 もし動かなければ、足首か膝をまともに打っていた。


「これが……ソウルストーン?」


 エリシアは思わず呟いた。


 レオンが答える余裕はない。


「そうだけど、今は名前覚えなくていい!」


 もっともだった。


 剣の男が前へ出る。


 レオンは腰を落とした。


 しかし左膝へ負担を掛けた瞬間、姿勢が僅かに崩れる。


 男はそれを見逃さない。


「怪我人か」


 距離を詰める。


 レオンは後ろへ下がった。


 戦おうとしているのではない。


 エリシアたちとの距離を保ったまま、男との間を空けようとしている。


 それでも相手の方が速い。


「レオン!」


 剣が横から振られる。


 レオンは身体を捻って避けた。


 刃は服の端を裂いただけだったが、急な動きに耐えられず左脚が崩れ、片膝を地面へつく。


 男がさらに踏み込む。


 エリシアは息を呑んだ。


 逃げなければならない。


 しかし、レオンを置いて走れば自分だけが助かるかもしれない。


 昨日なら、その考えだけで身体が動かなかったと思う。


 今は違う。


「ノア、治療所へ行って!」


「エリシアは?」


「人を呼んで! 私たちはこっちへ下がる!」


 ノアは一瞬迷った。


「でも――」


「一人だけなら走れるでしょう!」


 ノアの顔が変わった。


 それから頷く。


「絶対に広場と反対へ行かないで!」


「分かった!」


 ノアが走った。


 剣の男が追おうとする。


 その進路へレオンが身体を入れた。


「行かせるか!」


「邪魔だ!」


 男が剣を振る。


 レオンは避ける。


 完全には避けられない。


 刃が右腕を掠め、服が裂けた。


 赤い線が走る。


「レオン!」


「浅い!」


 そう叫んだ声とは裏腹に、レオンの呼吸は乱れていた。


 膝。


 右腕。


 昨日から残る疲労。


 どれも消えていない。


 それでも、ノアが人を呼ぶまで時間を稼がなければならない。


 石を使う男が再び腕を向ける。


 今度はレオンではない。


 エリシアへ。


「そいつを止めろ!」


 地面が震えた。


 エリシアは横へ動こうとした。


 足が遅い。


 避けきれない。


 そう思った瞬間、レオンの右手が熱を帯びたように赤黒く光った。


 空気が変わった。


 エリシアは以前にも同じ感覚を知っている。


 遺跡。


 目を覚ました直後。


 レオンが近くにいたとき、もっと遠い場所から何か巨大なものが呼吸しているような圧力を感じた。


「レオン、その手……」


 本人も驚いていた。


 黒い痕から赤い光が滲んでいる。


 石を持っていない。


 それなのに、周囲の空気が震えるほど濃い魂力が右腕へ集まっていく。


 剣の男が足を止めた。


「何だ、それ」


 レオンにも分からない。


 そのことは表情だけで分かった。


「俺だって知りたいよ!」


 右腕を振る。


 赤い魂力が放たれた。


 狙いは男。


 しかし、当たらなかった。


 男が避けたからではない。


 レオンの腕を離れた直後から軌道がずれ、倉庫の石壁へ直撃した。


 轟音。


 壁の一部が砕ける。


 石片が飛び散る。


 エリシアは両腕で顔を庇った。


「レオン!」


 砂埃の向こうで、レオン自身が呆然としていた。


「違う……こんなつもりじゃ……」


 威力だけなら、相手の攻撃よりはるかに大きい。


 けれど、狙った場所へ届かない。


 それどころか、倉庫の壁を壊したせいで足元へ瓦礫が散り、治療所側へ逃げる道が狭くなった。


 剣の男が顔を引きつらせる。


 恐れている。


 それでも逃げない。


「制御できてねえじゃねえか!」


 その通りだった。


 レオンがもう一度右腕へ力を集めようとする。


 エリシアは反射的に叫んだ。


「待って!」


「でも、こいつらを――」


「また外したら、今度は治療所に当たる!」


 レオンが動きを止める。


 後ろには治療所がある。


 窓の向こうには動けない患者がいる。


 敵へ当てようとした力が、そちらへ飛ばない保証はない。


「じゃあ、どうすれば……」


 レオンの声に焦りが混じる。


 エリシアにも答えはない。


 自分は戦えない。


 ソウルストーンの使い方も知らない。


 レオンの右手に何が起きているのかも分からない。


 それでも、分からないことを全部レオンへ任せるのではなく、自分に見えるものだけは伝えられる。


「当てようとしなくていい!」


「何?」


「私たちが逃げられればいいんでしょう!」


 その言葉を聞いても、レオンはすぐには動かなかった。


 敵を倒す。


 自分たちを守る。


 二つが同じことのようになっていた。


 けれど、違う。


 男たちを倒さなくても、治療所まで逃げて自警団と合流できればいい。


「右!」


 エリシアが言った。


 倉庫の壁と荷車の間。


 狭い。


 一人ずつなら通れる。


 ただし、途中に崩れた木箱が積まれている。


「そこを抜ければ治療所の横へ出られる!」


 レオンが見る。


 剣の男も気づいた。


「行かせるな!」


 二人が動く。


 エリシアも走ろうとする。


 三歩。


 四歩。


 すぐに息が上がる。


 それでも止まれない。


 レオンが後ろから来る。


 左膝を庇っているため遅い。


「先に行け!」


「一緒に行くって言ったでしょう!」


 エリシアは速度を落とした。


 男たちとの距離が縮まる。


 木箱まであと少し。


 しかし箱が道の半分を塞いでいる。


 普通なら乗り越えればいい。


 今の二人には難しい。


 レオンの右手が再び熱を帯びる。


「これなら……」


「敵じゃなくて箱?」


 エリシアが聞く。


「そうだ」


 レオンが右腕を向ける。


 人間より大きな木箱。


 距離も近い。


 それでも、さっきの威力をそのまま出せば周囲まで壊れる。


「小さくできる?」


「分からない」


「じゃあ、壊す場所を一つだけ見て!」


 レオンは木箱を見る。


 箱全体ではない。


 下側。


 積み重なった板の一本。


 右腕の赤い光が強くなる。


 エリシアは怖かった。


 また外れるかもしれない。


 それでも、今度は敵を追って狙いを変える必要がない。


 動かないものへ、近い距離から使う。


「レオン!」


「分かってる!」


 放つ。


 赤い衝撃が木箱へぶつかった。


 大きすぎる。


 箱は板一枚だけではなく半分ほど吹き飛んだ。


 それでも、さっきのように壁までは壊さなかった。


 通路が開く。


「行け!」


 エリシアが先へ入る。


 狭い。


 肩が壁へ当たる。


 足元には割れた板が散らばっている。


 踏めば転ぶ。


 急ぎたいのに、足を置く場所を選ばなければならない。


 後ろから剣の男が迫る音がする。


 レオンも続く。


「エリシア、前!」


 治療所の横口が見えた。


 十メル。


 その先から人声が聞こえる。


 ノアが呼んだのだ。


「こっち!」


 誰かが叫ぶ。


 エリシアは進む。


 あと七メル。


 五メル。


 そのとき、背後で鈍い音がした。


 振り返る。


 レオンが倒れていた。


 左膝が限界を迎えたらしい。


 男がすぐ後ろまで来ている。


「レオン!」


 エリシアは戻ろうとした。


「来るな!」


 レオンが右手を地面へつく。


 赤い光。


 また使うつもりだ。


 近すぎる。


 この距離で放てば、レオン自身まで巻き込むかもしれない。


 男もそれを察し、剣を構えたまま一瞬止まる。


「撃てるのか?」


 挑発するような声。


 レオンの右腕が震える。


 撃てる。


 おそらく力は出る。


 しかし当てられるとは限らない。


 エリシアは周囲を見る。


 狭い通路。


 左右は壁。


 足元には崩れた板。


 男の後ろにはもう一人。


 前には自分。


 逃げ道は一本。


「レオン、撃たないで!」


「でも――」


「立てる?」


「膝が……」


「じゃあ私が戻る!」


「駄目だ!」


「一人で残らないって言ったでしょう!」


 エリシアは戻った。


 身体が重い。


 呼吸も苦しい。


 それでもレオンの腕を取る。


「肩使って」


「エリシアまで遅くなる」


「もう遅いから同じ!」


 レオンが歯を食いしばりながら立つ。


 重い。


 エリシアの身体では支えきれない。


 それでも、完全に持ち上げる必要はない。


 左脚へ掛かる体重を少し減らせればいい。


 二人で進む。


 男も追ってくる。


「止まれ!」


 止まらない。


 前から足音が近づく。


 複数。


 自警団。


 あと少し。


 男も気づいた。


 追うか。


 逃げるか。


 その迷いが速度に表れた。


「エリシア!」


 ノアの声。


 角を曲がって三人の男が現れる。


 先頭にいる大柄な男を、エリシアは知っていた。


 バルガス。


 片手に大剣を持っている。


 彼は状況を見ると、エリシアたちへ向かって叫んだ。


「そのまま来い! 振り返るな!」


 エリシアは従った。


 レオンの腕を肩へ回したまま進む。


 バルガスとすれ違う。


 その瞬間、大剣が鞘ごと横へ振られた。


 剣の男が受ける。


 金属同士がぶつかる鈍い音が狭い通路へ響く。


「下がれ」


 バルガスの声は大きくない。


 それでも、さっきまでの誰よりも強く聞こえた。


 《灰牙》の男が距離を取る。


 後ろにいた石使いが右腕を上げる。


 地面が震える。


 バルガスは足元を見た。


 次の瞬間、半歩だけ横へ動く。


 石が突き出る。


 当たらない。


「なるほどな。地面を持ち上げるだけか」


 男の顔が変わる。


 バルガスは攻撃を急がない。


 大剣を抜きもしない。


 エリシアには、そのことが不思議だった。


 レオンは一撃で相手を倒そうとして失敗した。


 バルガスは相手の攻撃を一度見ただけで、何ができるのかを確かめている。


「レオン!」


 ノアが二人を治療所側へ引き込む。


「座って!」


 レオンは壁際へ座る。


 右腕の傷から血が流れている。


 左膝も腫れている。


 さらに、さっき力を二度使ったせいなのか、顔色まで悪くなっていた。


「エリシアは?」


 ノアが聞く。


「大丈夫……じゃないけど、立てる」


「なら座って。二人とも」


 エリシアも壁へ背中を預ける。


 脚が震えていた。


 自分では止められない。


 怖かった。


 それでも、視線だけは通路から外せなかった。


 バルガスと《灰牙》の二人が向かい合っている。


「お前ら、村で何を探してる?」


 バルガスが尋ねる。


 剣の男は答えない。


「地下の石か?」


 反応があった。


 僅かに目が動く。


「そこの娘か?」


 今度は動かない。


「両方か?」


 石使いの男が叫んだ。


「黙れ!」


 右腕を地面へ向ける。


 バルガスが低く構える。


 地面が盛り上がる。


 同時に前へ出る。


 攻撃を避けながら距離を詰め、鞘に収めたままの大剣を男の腕へ叩きつけた。


 石使いが呻く。


 契約石を付けた腕が下がる。


 バルガスは追撃しない。


「もう一回使ったら腕を折る」


 男が後退する。


 剣の男が間へ入る。


「俺たちを殺せば、次はもっと来るぞ」


「殺す必要がどこにある?」


 バルガスが答える。


「村から出ていけばいい」


「遺跡を渡せ」


「村の土地だ」


「お前らには扱えねえ」


「扱えるかどうかと、お前らに渡すかどうかは別の話だ」


 剣の男が舌打ちする。


 遠くからさらに足音が近づいてくる。


 自警団員が増えている。


 二人も理解した。


 ここに残れば囲まれる。


「行くぞ」


 剣の男が言った。


 石使いが睨む。


「でも――」


「目的は喧嘩じゃねえ」


 二人が後退する。


 バルガスは追わない。


「逃がすの?」


 エリシアが思わず聞いた。


 ノアが答えるより先に、バルガスが振り返らず言った。


「村の中で追えば、別の奴がどこにいるか分からなくなる。出口を見張らせる方が先だ」


 やがて二人は倉庫側へ戻り、そのまま姿を消した。


 自警団員が追跡のため散っていく。


 バルガスだけが残った。


 彼は大剣を背へ戻し、レオンたちのところへ歩いてくる。


「生きてるか?」


「何とか」


 レオンが答える。


「右腕見せろ」


「浅いって」


「傷の深さだけ聞いてねえ」


 バルガスはレオンの前へしゃがんだ。


 右腕の傷。


 左膝。


 顔色。


 呼吸。


 最後に黒い痕を見る。


「使ったな」


「二回」


「何をした?」


「分からない。右手に力が集まって……最初は敵を狙ったけど外して壁を壊した。二回目は木箱を壊して道を作った」


 バルガスの目が少し細くなる。


「二回目は狙ったところへ当たったのか?」


「だいたい」


「一回目と何が違った?」


 レオンは答えようとして止まった。


 エリシアには分かった。


「動いてる人じゃなくて、動かない木箱を狙った」


 バルガスがこちらを見る。


「他には?」


「近かった。それから、全部を壊すんじゃなくて、通れるところを作ろうとしてた」


「なるほどな」


 レオンが顔をしかめる。


「それが何なんだ?」


「お前の力が弱くなったわけじゃねえ。目的が小さくなったから、必要な場所を見られるようになったんだろう」


「目的が小さい?」


「敵を倒すなんてのは、今のお前にはでかすぎる目的だ。相手は動くし、距離も変わるし、外せば誰かに当たる。木箱をどかして道を作るだけなら、見る場所はずっと少なくて済む」


 レオンは右手を見る。


 黒い痕はまだ赤みを帯びている。


「じゃあ、練習すれば使える?」


「そこまでは言ってねえ」


 バルガスの返事は厳しかった。


「むしろ今は使うな」


「何で?」


「自分の腕を見ろ」


 言われて、レオンが右腕を見る。


 剣で切られた傷とは別に、手首から肘へかけて皮膚の下が赤くなっている。


 細い血管が浮き出ているようにも見える。


 レオンの顔から少し血の気が引いた。


「これ……いつから?」


「たぶん二回目のあとだ」


 エリシアが答えた。


 最初は砂埃で見えなかった。


 しかし木箱を壊したあと、レオンの腕は明らかに震えていた。


「痛い?」


「今になって痛くなってきた」


「痺れは?」


 バルガスが聞く。


「指先が少し」


「なら治療所へ入れ。魂力を流した反動かもしれん」


 レオンが立とうとする。


 左膝が動かない。


 結局、バルガスが肩を貸した。


「俺が運ぶ」


「歩ける」


「さっきそれで倒れただろ」


 レオンは反論できなかった。


 エリシアも立ち上がろうとしたが、今度は自分の脚が言うことを聞かなかった。


 ノアがすぐに支える。


「エリシアも無理」


「私も歩ける」


 言った直後、昨日のレオンと同じことを言っていると気づいた。


 ノアも同じことを思ったらしく、少しだけ眉を上げる。


「今の言葉、昨日どこかで聞いた気がする」


 エリシアは諦めた。


「……手を貸して」


「うん」


 ノアの肩を借りる。


 それでも、自分の足で治療所へ入った。


 ◇


 治療所の中は、外より静かではなかった。


 村の北側から移された高齢者や子供たちが増えたため、普段使われていない部屋まで開放され、廊下には水桶や毛布が並べられている。負傷者はレオンたちだけではなく、北側の見張りで転倒した自警団員や、避難中に足を痛めた住民も運び込まれていた。


 エリシアは寝台へ座らされ、呼吸と脈を確認された。


 大きな怪我はない。


 足の裏に軽い擦れ。


 疲労。


 それから、急に走ったことで呼吸が乱れている。


 今日はもう歩行訓練をしないよう言われた。


 反論しなかった。


 隣の部屋ではレオンの治療が続いている。


 右腕の切り傷そのものは深くなかった。


 問題はその内側だった。


「魂力の通り道が荒れてる」


 治療担当の女性が言う声が、開いた扉越しに聞こえる。


「石を持ってないのに、どうしてこんな流れ方をしてるの?」


「俺に聞かれても分からない」


「右手の痕から?」


「たぶん」


「たぶんで二回も使ったの?」


 沈黙。


 エリシアには、その沈黙の意味が分かる気がした。


「怒られてるね」


 ノアが隣で言った。


「うん」


「でも今回は怒られた方がいいと思う」


「私も」


 二人で小さく頷いた。


 しばらくして、バルガスが治療室から出てきた。


「エリシア」


「はい」


「少し聞いていいか?」


「何を?」


「さっき、レオンの力を見て何か思い出したか?」


 エリシアはすぐには答えなかった。


 思い出した、と言っていいのか分からない。


 映像として戻ったわけではない。


 名前も出てこない。


 ただ、あの赤い光を見た瞬間、胸の奥に知っているという感覚があった。


「見たことがある気がします」


「どこで?」


「分からない。でも、レオンが最初に力を出したときより、木箱を壊したときの方が……知ってるものに近かった」


 バルガスの表情が変わる。


「どう違った?」


 エリシアは考える。


「最初は広がってた。二回目は、狭かった」


「威力か?」


「違うと思う」


 うまく説明できない。


 目に見えた光だけの話ではない。


 もっと別のもの。


「力がどこへ行くかが、二回目の方が決まってた感じがした」


「魂力の流れが?」


 その言葉に反応する。


 魂力。


 現在の言葉。


 自分が昔使っていた言葉と同じかどうかは分からない。


「たぶん」


 エリシアは慎重に答えた。


「でも、本当にそうなのかは分からない。私がそう感じただけ」


「それでいい」


 バルガスは否定しなかった。


「分からないものを確定した話にしなきゃいい。感じたことまで捨てる必要はねえ」


 その言い方はレオンと少し似ていた。


 エリシアは頷く。


「もう一つあります」


「何だ?」


「レオンの右手が光ったとき、遺跡にいたときと同じ感じがした」


「遺跡?」


「私が目を覚ました場所。あそこにも、もっと大きいけど似たようなものがあった気がする」


「《レグナ・ゼオ》か?」


 エリシアはその名前を聞いて黙った。


 知っている。


 そう思った。


 しかし、思い出したわけではない。


 名前を聞いた瞬間に胸の奥が反応しただけだ。


「その名前……」


 バルガスが待つ。


「聞いたことがある気がする」


「意味は?」


「分からない」


「誰から聞いた?」


「分からない」


「場所は?」


「分からない」


 三度答えたところで、エリシアは自分が役に立っていないような気持ちになった。


「ごめんなさい」


「何で謝る?」


「何も分からないから」


「一つ分かっただろ」


 エリシアが顔を上げる。


「《レグナ・ゼオ》って名前に反応した。それが本物の記憶か、誰かから最近聞いた言葉が残ってるだけかは、まだ分からねえ。でも、調べる材料にはなる」


「それだけでも?」


「材料ってのは、最初から答えになってる必要はねえよ」


 バルガスはそう言ってから、廊下の奥を見る。


「問題は別にある」


「何ですか?」


「《灰牙》が、その名前を知ってるかどうかだ」


 エリシアは息を止めた。


「さっきの人たちは、特殊な魂波の石って言ってた」


「そうだ。少なくとも俺が聞いた範囲じゃ、《レグナ・ゼオ》とは呼んでない」


「じゃあ、知らない?」


「そこまでは言えねえ。知らないふりをしてる可能性もあるし、上の奴だけが知ってる可能性もある」


 また、分からない。


 けれど、今度は何が分からないのかが少しはっきりしている。


「捕まえた人に聞けないんですか?」


「昨日保護した奴には村長たちが聞いてる。ただ、あいつも全部を知らされてるわけじゃなさそうだ」


「誰に頼まれたかは?」


「そこを今調べてる」


 バルガスが言ったところで、外から声がした。


「戻ったぞ!」


 自警団員たちが帰ってきたらしい。


 バルガスが立ち上がる。


「ここにいろ」


「私も聞きたい」


「外へ出るのは駄目だ」


「じゃあ、ここで聞けるようにして」


 バルガスがエリシアを見る。


「自分のことだから?」


「それもあります。でも、私がいた場所のことを聞くなら、私が思い出せることがあるかもしれない」


 少し考えたあと、バルガスは頷いた。


「村長に聞く。駄目なら諦めろ」


「はい」


 それで十分だった。


 決める人に、自分の希望を伝えてもらえる。


 すべてが思い通りになるわけではない。


 それでも、何も聞かれないまま決まるのとは違う。


 ◇


 しばらくして、村長ハベルが治療所へ入ってきた。


 一緒に来たのはバルガスと、北側の自警団をまとめていたダル・ヘイムだった。


 ダルは五十歳ほどの大柄な男で、短く刈った髪に土埃を付けたまま、右肩へ木製の盾を背負っている。エリシアは名前を聞いたことがなかったが、彼が入ってきた途端に治療所の人々が道を空けたため、この村で警備を任されている人物なのだと分かった。


「エリシア」


 村長ハベルが言う。


「バルガスから聞いた。話を聞きたいそうだね」


「はい」


「君に関係することもある。ただし、まだ確認できていない情報が多い。聞いたことを全部事実だと思わないでほしい」


「分かりました」


 その前置きが少し嬉しかった。


 分からないことを、分からないまま伝えてくれる。


 村長たちは寝台の横へ椅子を置いた。


 隣室のレオンも話を聞きたいと言ったため、治療担当の女性が許可した範囲でこちらへ移ってくる。


 右腕には包帯。


 左膝にも新しい固定布。


 歩くことは許されず、バルガスに支えられて椅子へ座った。


「情けない」


 レオンが呟く。


「今日二回倒れた人が言っても説得力ないよ」


 ノアが返す。


 レオンは何も言えなかった。


 村長ハベルが話を始める。


「まず、村へ入った《灰牙》は最低三人いた。君たちを襲った二人と、最初に治療所裏へ現れた一人だ」


「捕まった?」


 レオンが尋ねる。


「一人だけだ」


「誰?」


「最初に現れた男だ。北側へ逃げようとしたところをダルたちが拘束した。残り二人は村の西側から外へ出たらしい」


 ダルが続ける。


「追跡は途中で止めた。向こうの人数が分からねえ状態で森へ入る方が危険だからな」


 レオンは悔しそうだった。


 しかし反論はしなかった。


「北側にいた三人は?」


「そっちも退いた。少なくとも一人は遺跡方向へ戻ったが、残りは森へ散れた」


 つまり、危険は終わっていない。


 むしろ《灰牙》が遺跡周辺にいることが確定した。


「捕まえた人は何て言ってるんですか?」


 エリシアが聞く。


 村長ハベルは少しだけ間を置いた。


「彼らが探しているのは、強い魂波を出す古代の石だそうだ」


「名前は?」


「知らないと言っている」


 《レグナ・ゼオ》という名前は出ていない。


「どうして場所が分かったんですか?」


「数日前から、この辺りで普段とは違う魂波が出ているという情報を買ったらしい」


 レオンが右手を見る。


「俺が遺跡に入った日?」


「時期は近い。ただし、正確な時間までは聞き出せていない」


「誰から情報を買った?」


「そこは本人も知らないと言っている。《灰牙》の中で依頼を受けた人間が別にいるらしい」


「じゃあ、《灰牙》自身が欲しくて探してるわけじゃない?」


 ノアが尋ねる。


「その可能性が出てきた」


 村長の答えに、部屋の空気が変わった。


 エリシアは理解するまで少し時間が掛かった。


 《灰牙》が誰かから頼まれて探している。


 ならば、彼らを追い払っても終わらないかもしれない。


「頼んだ人がいる?」


「そういうことになる。ただし、それが誰かはまだ分からない」


「私のことも頼まれたんですか?」


 エリシアは一番気になっていたことを聞いた。


 村長ハベルは首を横へ振った。


「捕らえた男の話では、依頼に少女の話はなかったそうだ」


 エリシアは瞬きをした。


「じゃあ、どうして私を連れていこうとしたの?」


「遺跡の中から君が出てきたと仲間から聞き、石の場所を知っている可能性があると判断したらしい」


 胸の奥にあったものが少しだけ形を変えた。


 最初から自分を探していたわけではない。


 少なくとも、今ある情報ではそう考える理由がない。


「つまり、私が何か特別だから探してたわけじゃない?」


「現時点では、そういう証拠はない」


 完全に否定されたわけではない。


 しかし、「自分を狙って何者かが来た」という考えを、そのまま事実として抱え続ける必要もなくなった。


 エリシアは息を吐いた。


 怖さが消えたわけではない。


 ただ、怖さの形が変わった。


「レオン」


「何?」


「さっき、私が目的かもしれないって言ったよね」


「ああ」


「違うかもしれない」


「そうだな」


「少し安心した」


「でも、遺跡へ戻るのは危険になった」


「うん」


 それも事実だった。


 村長ハベルが続ける。


「もう一つある」


 全員が見る。


「捕らえた男の荷物から、これが見つかった」


 机の上へ小さな布袋が置かれた。


 開かれる。


 中から出てきたのは、灰色に近い細かな砂だった。


 エリシアは首を傾げる。


「これ、さっき道に落ちてた砂?」


 レオンが身を乗り出しかけ、右腕の痛みで顔をしかめた。


「似てる。でも、遺跡の外の砂より細かい」


 ダルが説明する。


「俺たちも最初は靴に付いた土だと思った。だが、袋に入れて持ってたってことは違う」


「何に使うの?」


 ノアが聞く。


「分からん」


 また、その言葉。


 けれど今回は、その直後にバルガスが付け加えた。


「ただし、さっき逃げた二人の足跡にも同じ砂が混じってた」


 エリシアは砂を見る。


「袋からこぼれた?」


「それなら一人だけに付くはずだ。三人とも同じように持ってた可能性がある」


 レオンが考え込む。


「道しるべ?」


「何の?」


「分からない。でも、遺跡から村まで来る途中で何かを撒いてたとか」


 バルガスが首を横へ振る。


「村へ入った経路には連続して残ってねえ。必要な場所だけで使ってる可能性が高い」


「必要な場所……」


 エリシアは砂へ手を伸ばしかけた。


「触るな」


 バルガスに止められる。


「何か分からないものを素手で触るな」


「ごめんなさい」


「見るだけにしろ」


 エリシアは手を引いた。


 砂。


 灰色。


 細かい。


 見覚えはない。


 少なくとも、自分の記憶は反応しない。


 村長が布袋を閉じようとした。


 そのとき、レオンの右手が僅かに光った。


 全員が止まる。


「今……」


 レオン自身が一番驚いている。


 黒い痕が赤くなった。


 戦っていたときほど強くない。


 ほんの僅か。


 それでも確かに反応した。


「何もしてない」


 レオンが言う。


「俺は力を出してない」


 バルガスが砂袋を見る。


「離せ」


 村長が袋を机の反対側へ移す。


 光が弱くなる。


「近づけるぞ」


 今度はゆっくり戻す。


 再び痕が赤くなる。


 エリシアは息を呑んだ。


「砂に反応してる?」


「断定はするな」


 バルガスがすぐに止める。


「袋かもしれねえ。中に別のものが混じってるかもしれねえ。それに、レオンの腕がさっきの力のせいで不安定になってるだけかもしれない」


「じゃあ、どうする?」


「一つずつ分ける」


 布袋。


 砂。


 机。


 距離。


 レオン本人の状態。


 条件を変えながら確かめる。


 エリシアはそのやり方を見ていた。


 答えを急がない。


 一つ反応したからといって、すぐに意味まで決めない。


 十分ほど掛けて確認した結果、袋そのものでは反応しなかった。


 机でもない。


 砂を別の器へ移し、一定の距離まで近づけたときだけ、レオンの右手の痕が僅かに熱を持った。


「これで砂だって確定?」


 レオンが聞く。


 バルガスは首を横へ振る。


「砂に混ざってる何かだ。砂そのものかどうかはまだ分からん」


 エリシアは灰色の粒を見る。


「でも、《レグナ・ゼオ》と関係あるかもしれない?」


「可能性はある」


 村長ハベルが言う。


「少なくとも、灰牙が持っていたものとレオンの右手に何らかの反応がある。この情報は村の中だけで判断するには重い」


「どうするんですか?」


「グランゼの領主側へ報告する」


 レオンが顔を上げる。


「王国に?」


「そうだ」


「遺跡も?」


「報告する」


「《レグナ・ゼオ》のことも?」


 村長は少し考えた。


「名前まで確定情報として出すかは別だ。ただ、未知の古代ソウルストーンらしきものがあり、盗賊団がそれを探していることは隠せない」


 レオンは何か言いかけた。


 しかし止めた。


 エリシアには、その理由が分かる気がした。


 王国へ知らせれば、自分たちだけの問題ではなくなる。


 知らない役人。


 知らない兵士。


 知らない規則。


 それらが自分や遺跡へ関わってくるかもしれない。


「エリシア」


 村長ハベルがこちらを見る。


「君についても、遺跡から保護された人物がいることは伝えなければならないと思っている」


 胸が固くなる。


「私の名前も?」


「必要になる可能性が高い」


「どこへ連れていかれる?」


「まだ決まっていない」


「王国の人が来たら、私が嫌だと言っても連れていかれる?」


 村長はすぐには答えなかった。


 その沈黙だけで、簡単な問題ではないことが分かる。


「少なくとも、私は君を物として引き渡すつもりはない」


「でも、村長だけでは決められない?」


「そうだ」


 正直な答えだった。


 エリシアは怖かった。


 《灰牙》だけではない。


 守ってくれる人であっても、自分より大きな決まりの中では選べないことがある。


「だったら、私も話したい」


「誰と?」


「私をどうするか決める人と」


 村長ハベルが目を細める。


「何を伝える?」


 エリシアは考えた。


 今の自分に言えること。


 記憶がない。


 古代施設で目を覚ました。


 《レグナ・ゼオ》という名前に覚えがある。


 灰色の砂については知らない。


 《灰牙》とは行かない。


 そして、遺跡へ戻りたい。


「私は、自分が誰なのかまだ分かりません。でも、分からないからって、知らない人に全部決めてもらいたくありません」


 誰も口を挟まない。


「危険なら、その理由を聞きたい。行けないなら、何が変われば行けるのか知りたい。それを聞いたうえで、自分がどうするか考えたいです」


 村長ハベルはしばらくエリシアを見ていた。


 やがて静かに頷く。


「分かった。それも報告に入れる」


「報告に?」


「《本人は意思疎通が可能で、自身の扱いについて説明と選択の機会を求めている》と書く」


 その言葉を聞いたとき、エリシアは初めて、自分の希望が村の外へ出ていく形を持った気がした。


 ただの「遺跡から見つかった少女」ではない。


 誰かが保護する対象だけでもない。


 自分で話し、自分で嫌だと言い、自分で知りたいと言う人間として記録される。


 それだけで未来が守られるわけではない。


 それでも、何もないよりは違う。


「私も確認していい?」


 レオンが尋ねる。


 村長が頷く。


「何だ?」


「この砂のこと、王国に渡す?」


「一部は渡す。全部は渡さず、村にも比較用を残す」


「遺跡へ調査隊が来るまで、俺たちは近づかない?」


「原則としてはそうしたい」


 レオンの顔が曇る。


 エリシアは横から見る。


「行きたい?」


「行きたい」


 迷わなかった。


「でも今日みたいになるなら、今の俺が行っても邪魔になる」


 右腕。


 左膝。


 どちらも治療が必要だ。


「じゃあ、治す?」


 エリシアが聞く。


「ああ」


「私も」


「それから?」


 レオンが尋ねる。


 エリシアは灰色の砂を見る。


 自分を狙っていたという仮説は弱くなった。


 しかし、遺跡を狙う誰かがいることは確かになった。


 《灰牙》の向こうに依頼者がいる可能性もある。


 レオンの右手と砂の中の何かが反応する。


 そして、自分は《レグナ・ゼオ》という名前を知っている気がする。


 答えは増えていない。


 むしろ、何を確かめなければならないのかが増えた。


「次に遺跡へ行くときは、ただ記憶を探しに行くんじゃなくて、この砂がどこから来たのかも確かめたい」


 エリシアが言う。


「レオンの手が何に反応してるのかも」


 レオンが頷いた。


「俺も知りたい」


 バルガスが二人を見る。


「その前に治療だ」


「分かってる」


 レオンが答える。


「本当に?」


 ノアが横から聞く。


「今日はもう分かったよ」


「昨日も聞いた気がする」


「今回は本当に分かった」


 エリシアは思わず笑った。


 緊張が少しだけ緩む。


 しかし村長ハベルだけは、机の上の砂袋を見たまま考えていた。


「ダル」


「何だ?」


「グランゼへ報告を出す。普通の盗賊被害じゃない。未知の古代魂波、遺跡、灰牙、それからこの砂の反応まで全部だ」


「使いは?」


「一人では出さない。護衛を二人付ける」


 ダルが頷く。


「今日中に出すか?」


「できれば日が落ちる前に」


 レオンが村長を見る。


「俺たちのことも書くんだよな?」


「書く」


「だったら、一つ追加してほしい」


「何だ?」


 レオンはエリシアを見る。


 勝手に言わない。


 その視線だけで、何を確認しているのか分かった。


 エリシアは頷いた。


「俺とエリシアは、遺跡の再調査を希望してる。ただし今すぐ勝手に行くんじゃなくて、安全を確認してから、自分たちも調査に参加したい」


 村長ハベルは二人を見る。


「それを領主側へ伝えれば、認められない可能性もあるぞ」


「分かってる」


「逆に、遺跡へ近づくこと自体を正式に禁じられるかもしれない」


 レオンは少し黙った。


 エリシアも考える。


 黙って行けば、誰にも止められないかもしれない。


 しかし、その場合は自警団にも助けを頼めない。


 《灰牙》がいることを知りながら二人だけで行けば、今日と同じことを繰り返す。


「それでも伝えてください」


 エリシアが先に答えた。


「どうして?」


 村長が尋ねる。


「私が行きたいことを隠したまま、あとで勝手に行く方が嫌だからです」


 レオンが笑う。


「俺も同じ」


「お前は昔から勝手に行ってただろ」


 バルガスが言う。


「だから変えるんだよ」


 その答えに、バルガスは少しだけ口元を緩めた。


 村長ハベルが立ち上がる。


「分かった。希望として記録する。ただし許可ではない。それは忘れないでくれ」


「はい」


 エリシアは答えた。


 村長たちが治療所を出ていく。


 机の上には灰色の砂が少量だけ残された。


 直接触れないよう小さなガラス容器へ移され、蓋には採取した場所と時間が書かれている。


 エリシアはそれを見つめた。


 砂そのものに覚えはない。


 《レグナ・ゼオ》という名前には、記憶の奥が僅かに反応する。


 レオンの右手も砂へ反応した。


 それらが一本につながっているのか、それとも偶然近くにあるだけなのかは、まだ分からない。


「エリシア」


 レオンが呼ぶ。


「何?」


「さっきの話だけど」


「遺跡?」


「ああ。俺は行きたい。でも、今日みたいに自分が動けない状態なら行かない」


「うん」


「エリシアも、行けない状態なら待ってほしい」


 以前なら、その言葉を「止められた」と感じたかもしれない。


 今は少し違って聞こえる。


「理由を説明してくれるなら」


「する」


「私が納得できなかったら?」


「話す」


「それでも意見が違ったら?」


 レオンは少し考えた。


「そのときは、俺が正しいって決めつけないようにする」


「難しそう」


「難しいと思う」


「私も、自分が正しいって決めないようにする」


「それなら同じだな」


「同じ答えじゃないかもしれないけどね」


 レオンは少し驚き、それから頷いた。


「それでもいいんじゃないか」


 外ではまだ人の声が続いている。


 《灰牙》は完全には捕まっていない。


 村の警戒も解除されていない。


 レオンの怪我も、エリシアの体力も、一日で元には戻らない。


 それでも、今日起きたことによって何をすべきかは少し変わった。


 ただ遺跡へ戻るのではない。


 安全を確保する。


 身体を戻す。


 砂を調べる。


 《灰牙》の依頼者を探る。


 そして、自分たちの希望を隠さず、村の外へ伝える。


 夕方近くになり、グランゼへ向かう報告役の準備が整った。


 村長ハベルが封をした文書を持って治療所へ立ち寄る。


「これを領主側へ届ける」


 レオンが尋ねる。


「返事はどのくらい?」


「早くても数日だ。向こうがすぐ人を出せるとも限らない」


「その間、《灰牙》がまた来たら?」


「村だけで守れる範囲を守る。遺跡へは追い込まない」


 バルガスも入口近くに立っている。


「俺は北側を見てくる。奴らが遺跡へ戻ったなら、入口へ近づかず外から人数だけ確認する」


「俺も――」


 レオンが言いかける。


 バルガスが右腕を見る。


「何だ?」


「……何でもない」


「学習したな」


「うるさい」


 ノアが笑った。


 エリシアも少し笑う。


 そのとき、外から一人の自警団員が走ってきた。


 息を切らしながら、手には細長い布片を持っている。


「バルガスさん!」


「どうした?」


「西の出口で、逃げた奴らの跡を調べてたんですが、これが木に結ばれてました」


 布が机へ置かれる。


 灰色。


 先ほどの砂と似た色。


 端には小さな袋が縫い付けられている。


 中に入っているのは、同じ細かな砂だった。


「道しるべ?」


 レオンが言う。


 自警団員が首を横へ振る。


「違うと思います。道の分岐じゃなくて、村の方角が見える木にだけ付いてました。それに、同じものがもう一つ、北側でも見つかってます」


 バルガスの表情が変わる。


「位置は?」


「村を挟むように二か所です」


 部屋が静かになる。


 エリシアは意味を考える。


 逃げるための目印なら、自分たちが進む道に置くはずだ。


 二か所。


 村を挟む。


 同じ砂。


「これ、何のため?」


 ノアが尋ねる。


 誰もすぐには答えられない。


 バルガスが布片を直接触らずに裏返す。


 小さな袋の縫い目。


 砂。


 そして、その中央に細い黒線がある。


 自然な汚れではない。


 記号のようにも見える。


 レオンが右手を近づけようとする。


「待て」


 バルガスが止める。


「今のお前は反応を見るだけでも負担が出るかもしれん」


「でも――」


「別の方法を探す」


 その言葉に、レオンは手を戻した。


 エリシアは布の黒線を見る。


 知らない。


 そう思った。


 しかし目を離そうとした瞬間、胸の奥に僅かな違和感が走った。


 文字ではない。


 古代施設で見たものとも違う。


 それなのに、何かを示すために位置と位置を結ぶ印として使われているような感覚だけが残る。


「これ……」


 全員がエリシアを見る。


「知ってるのか?」


 バルガスが尋ねる。


「分からない。でも、文字じゃないと思う」


「じゃあ何だ?」


 エリシアは黒線を見た。


「場所を示すもの……じゃなくて、場所と何かをつなぐための印みたいに見える」


「何と何を?」


「そこまでは分からない」


 バルガスは急かさなかった。


 エリシアも無理に思い出そうとはしなかった。


 分からないところまで答えにしない。


 ただし、今感じたことは消さない。


 村長ハベルが報告書を見る。


「この発見も追加する。出発を少し遅らせる」


「村長」


 バルガスが呼ぶ。


「何だ?」


「領主への報告だけじゃ足りねえかもしれん」


「どういう意味だ?」


「灰牙は石を探してるだけだと思ってた。だが、村を挟んで同じものを二か所へ置いたなら、探索以外の目的がある可能性を考えた方がいい」


「例えば?」


「分からん。だから調べる」


 その答えは、エリシアには正しく聞こえた。


 分からないから怖がるだけでもなく、分からないものへ都合のいい意味を付けるのでもない。


 今ある痕跡を調べ、次に何をするか決める。


 村長ハベルは短く頷いた。


「何が必要だ?」


「逃げた奴を追う人間じゃない。この印が他にもないか、村の外周を調べる人間を出してくれ。見つけても触らせるな」


「分かった」


「俺も行く」


 バルガスが大剣を背負い直す。


 レオンが悔しそうに見る。


 エリシアも同じだった。


 自分たちは行けない。


 けれど、今度はそれを「何もできない」とは思わなかった。


「バルガス」


 エリシアが呼ぶ。


「何だ?」


「見つけた場所を全部記録してきてください」


 バルガスが振り返る。


「どうして?」


「位置が大事なのかもしれないから。私が思い出せなくても、並べたら何か分かるかもしれない」


 バルガスは少し考え、頷いた。


「分かった。距離と方角も取らせる」


 自分の言葉が、次に動く人へ渡った。


 エリシアはそれを見送る。


 知らないことは多い。


 危険も消えていない。


 それでも、今度は誰かに運ばれるだけではなく、自分の判断が調査の一部になった。


 バルガスが治療所の扉を開ける。


 外では警戒を続ける人々の声が聞こえている。


 彼は村の外周へ向かう前に一度だけ振り返った。


 エリシアは机の上に置かれた灰色の砂と黒い印を見てから、はっきりと告げた。


 **「バルガス、その印がどこまで続いているのか、村の外から確かめてきて。」**


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。