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第二章 それ、誰でもできるよ

「ひより、ちょっと音取ってみようか」


歌のレッスン中。


先生に言われて、日和莉は一人でフレーズを歌った。


一度。


もう一度。


「うん、今の方がいいね」


「ありがとうございます」


席に戻る。


次は莉歌の番だった。


同じフレーズ。


声が出た瞬間。


日和莉は、思わず顔を上げた。


まっすぐ伸びる。


迷いがない。


同じ歌なのに、景色が変わる。


歌い終わると、日和莉は小さく拍手した。


「莉歌しゃん、すごい」


「急にどうしたの」


「声が遠くまで行きそう」


「どこまで?」


日和莉は少し考えた。


「……埼玉くらい?」


「近いな!」


周りから笑いが起こる。


莉歌も笑った。


「せめて海外とか言ってよ」


「じゃあ韓国」


「距離の話じゃないのよ」


また笑い。


日和莉も一緒に笑った。


でも。


先生が次の説明を始めると、日和莉はもう一度、莉歌の横顔を見た。


歌。


分かりやすい。


「あの子といえば、これ」


そう言えるもの。


やっぱり、ちょっと羨ましかった。


◇


その日の午後はダンスレッスンだった。


今度は莉緒が前に立っている。


細かい動きの確認。


身体の角度。


重心。


振付の先生に言われたことを、莉緒はすぐ自分の身体に落とし込んでいく。


日和莉も真似をする。


「……こう?」


鏡を見る。


なんか違う。


もう一度。


「こうかな」


今度はさっきより近い。


休憩に入ると、日和莉は一人で同じ振りを繰り返した。


真姫が横を通る。


「珍しいね」


「何が?」


「ずっと踊ってる」


「私もできるようになりたいから」


「それはみんなそうじゃない?」


「うん」


日和莉は鏡を見たまま言う。


「でも、何か欲しいの」


真姫が足を止めた。


「何か?」


「私といえば、これっていうやつ」


「まだ考えてたんだ」


「考えてるよ」


「木登りは?」


「たぶん違う」


「よかった」


日和莉は笑った。


でもすぐ、また鏡を見る。


「歌も、ダンスも、もっと頑張ったら武器になるかな」


真姫は少し考えてから、


「なるかもしれないね」


と言った。


それだけだった。


否定もしない。


大丈夫とも言わない。


日和莉は少し意外そうに真姫を見る。


「止めないんだ」


「なんで止めるの?」


「なんとなく」


「やりたいならやればいいと思う」


「そっか」


「うん」


真姫は水を取りに行った。


日和莉はもう一度、鏡を見る。


足。


手。


角度。


覚える。


上手くなる。


何か。


自分にも。


◇


それからしばらく。


日和莉はいろんなことを試した。


歌の自主練。


ダンス動画の見直し。


SNS用の美容情報を調べてみたり。


トークで使えそうな話題をスマートフォンにメモしたり。


好きなものを増やしてみたり。


興味を持つこと自体は楽しかった。


「最近なんか忙しそうだね」


乃々香に言われた。


「武器探してるの」


「武器?」


「うん」


「やば、物騒」


「そういう武器じゃないよ」


「知ってる」


乃々香は笑う。


日和莉は真面目な顔でスマートフォンを見る。


『最近気になるもの』


犬。


自然。


美容。


食べ物。


韓国。


雲。


木。


「……多いな」


「いいじゃん」


「でもバラバラ」


「ひーちゃんっぽいけど」


「そうかな」


「うん」


乃々香はそれ以上深く考えず、別の話を始めた。


日和莉は画面を見たまま。


「ひーちゃんっぽい」


その言葉を小さく繰り返した。


それだけでいいのかな。


まだ、よく分からなかった。


◇


数日後。


外仕事を終えて戻ってきたメンバーの一人が、いつもより静かだった。


「お疲れさま」


「お疲れー」


笑っている。


普通に返事もする。


でも。


日和莉には、何となく違って見えた。


何が違うのか。


説明はできない。


笑顔が少しだけ薄い。


というより。


笑っているのに、目があまり笑っていない。


日和莉は近づこうとして。


一度止まった。


――自分に何ができるんだろう。


歌を教えられるわけでもない。


ダンスを直せるわけでもない。


何か気の利いた言葉があるわけでもない。


「大丈夫?」


それだけなら、誰でも言える。


そう思った瞬間。


少し迷った。


でも。


その子が一人で荷物を片づけているのを見て。


やっぱり近づいた。


「ねえ」


「ん?」


「アイス食べない?」


相手がきょとんとする。


「今?」


「うん」


「なんで?」


「私が食べたいから」


「じゃあ一人で食べればいいじゃん」


「一人だと二個食べちゃうかもしれない」


「一個だけ買えば?」


日和莉は少し考える。


「……それはそう」


相手が吹き出した。


「何その誘い方」


「行かない?」


数秒。


「……行く」


◇


二人でコンビニへ向かった。


仕事の話はしなかった。


日和莉は、道端に咲いていた小さな花の話をして。


途中で犬を見つけて立ち止まって。


コンビニでは三分くらいアイスの棚の前で悩んだ。


「まだ決まらないの?」


「決まらない」


「さっき食べたいって言ってたのに」


「食べたいのが多い」


「幸せな悩みだね」


「うん」


結局、二人とも違う味を買った。


店を出て、近くのベンチに座る。


「おいしい」


「よかったね」


「そっちは?」


「おいしい」


「じゃあ交換しよ」


「なんで?」


「両方食べたい」


「最初からそれ狙ってた?」


「違うよ」


「ほんとかな」


また少し笑う。


しばらくして。


相手がアイスを見たまま、ぽつりと言った。


「今日さ」


「うん」


「仕事で失敗しちゃって」


日和莉は顔を上げた。


「そうなんだ」


「結構ちゃんと失敗した」


「ちゃんと?」


「そこ拾わなくていい」


「あ、ごめん」


相手が少し笑う。


それから。


ぽつぽつ話し始めた。


言われたこと。


できなかったこと。


悔しかったこと。


自分だけ上手くいかなかった気がしたこと。


日和莉は聞いていた。


何か言おうとはしなかった。


最後まで聞いて。


しばらく黙る。


「……ひーちゃん」


「ん?」


「何かないの?」


「何か?」


「励ますとか」


日和莉は困ったように眉を下げた。


「何て言えばいいか分かんない」


「ええ」


「でも」


日和莉は残っていたアイスを一口食べた。


「今日失敗したってことは、今日ちゃんとやったってことじゃない?」


相手が止まる。


「……何それ」


「違う?」


「分かんない」


「私も分かんない」


また沈黙。


日和莉は空を見る。


「でも、明日になったら今日じゃなくなるよ」


「……当たり前じゃん」


「うん」


「何その言葉」


「変だった?」


「変」


「そっか」


日和莉は笑った。


相手も。


少しだけ。


笑った。


◇


帰り道。


駅の前で別れる時。


相手が言った。


「ひーちゃん」


「ん?」


「ありがと」


日和莉は首を傾げる。


「何が?」


「アイス」


「ああ」


「だけじゃなくて」


日和莉はますます分からない顔になる。


「私、アイス食べただけだよ?」


「……うん。そういうところ」


「どういうところ?」


「もういい」


相手は笑って帰っていった。


日和莉は、その背中を少しだけ見送った。


やっぱり分からない。


自分は何もしていない。


ただ一緒にアイスを食べただけ。


話を聞いただけ。


そんなの。


「……誰でもできるよね」


小さく呟く。


「何が?」


後ろから声がした。


振り返る。


真姫だった。


「びっくりした」


「ごめん」


「いつからいたの?」


「今来たところ」


真姫は日和莉の手にあるアイスの袋を見る。


「食べたの?」


「うん」


「珍しい時間に」


「一緒に食べてた」


「そっか」


日和莉は少し迷って。


「真姫ちゃん」


「ん?」


「誰かの話聞くのって、誰でもできるよね」


真姫はすぐには答えなかった。


「できるんじゃない?」


「だよね」


日和莉が頷く。


「でも」


真姫が続ける。


「誰にでも話したいわけじゃないと思う」


日和莉が真姫を見る。


「……どういう意味?」


「そのまま」


「分かんない」


「じゃあ、そのうち分かるかも」


「今日の真姫ちゃんちょっと意地悪」


「そう?」


「うん」


真姫は少し笑った。


「帰ろ」


「うん」


並んで歩き出す。


しばらくして。


日和莉が空を見上げた。


「真姫ちゃん」


「なに?」


「今日、月ちょっと薄いね」


真姫も見上げる。


「そうだね」


「でも、なくなってない」


「……うん」


「なんか不思議」


日和莉はそれだけ言って歩き続けた。


真姫は横目で、その顔を見る。


本人はもう、別のことを考えているらしい。


自分が今どんな言葉を言ったのかも。


たぶん。


深く考えていない。


真姫は少しだけ笑った。


一方の日和莉は。


今日もまだ。


自分の武器を探していた。


ーー続く

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