第一節
春になった。
こっちの春は、日が延びるのが早い。冬のあいだ短くなっていた日没の鐘が、日ごとに遅くなっていく。気づくと、夕方が長くなっていた。
中庭の石の隙間から、また草が出ていた。
去年掘ったのと同じ場所だった。同じ種類かどうかは分からない。葉の先が丸いので、たぶん同じだと思う。
ティアの部屋の窓辺には、鉢がある。
去年の草は、冬を越した。一度、葉が全部落ちて、駄目かと思った。イルゼさんが「根が生きていれば戻ります」と言って、その通りになった。
今は葉が九枚ある。ティアが毎朝数えている。
「みおり、きゅうまい」
「うん、九枚」
「きのう、はちまい」
「増えたね」
「ふえた」
その子は六つになった。
背が伸びて、去年の服が着られなくなった。袖を出しても足りないので、全部作り直した。手習いの字は、私より上手くなっている。
私は、シッターに戻った。
戻ったというより、辞めていなかった。冬のあいだ、王妃陛下が任を解かなかったので、そのまま続いている。名簿には載った。給金も出るようになった。銀貨で受け取って、いくつかを芋に換算する癖は、まだ抜けていない。
声は、まだ完全には戻っていない。
長く喋ると、途中で掠れる。掠れると、しばらく出なくなる。医者は「戻る」と言い、癒し手は「傷ではない」と言い、シリルさんは「分からない」と言った。
歌ってはいない。
試していないのではなく、試すたびに、途中で止まる。三番まで通せたことが一度もない。
歌えていないので、効いているかどうかも分からない。
「みおり」
「はい」
「うた」
ティアが言った。
朝の手習いが終わって、板を片付けたところだった。
「あの、まだ喉が」
「しってる」
「うん」
「みじかいのでいい」
その子は、私の前に座った。
指を立てて、こちらへ向けた。
手遊び歌だった。ひとさし指を立てて、とんとん、と合わせるやつ。一年前、この子が六回やらせたやつだ。
私は、指を立てた。
声を出した。
最初の一節で、掠れた。
止まった。止まったところで、ティアが指を止めた。止めて、待った。
私は、もう一度出した。
続いた。二節目まで行って、そこでまた掠れた。
ティアが、私の指に自分の指を合わせた。
とん、とん。
声が出ていないところで、その子が合わせてきた。合わせて、口を動かした。音は出ていなかった。口の形だけ。
私の歌だった。
この子が、覚えていた。
私は、指を動かした。声は出さなかった。出さないまま、二人で指を合わせた。
とん、とん。とん、とん。
最後まで、やった。
やり終えて、ティアが言った。
「できた」
「できたね」
「みおり、こえ、なくてもできる」
私は、返事ができなかった。
できないので、その子の頭に手を置いた。
置いたら、頭突きみたいに押し返された。
「もっかい」
「もう一回は、無理かな」
「もっかい」
結局、三回やった。
三回目には、私は声を出していなかった。ティアも出していなかった。
二人で、指を合わせていた。
昼を過ぎて、イルゼさんが呼びに来た。
「みおり様。厨房から、砂糖が届いております」
「あ、はい」
「三掴みぶんとのことです」
「三掴み」
「詰所からの依頼だそうで」
私は、少し笑った。
飴だった。あの人たちは、しつこい。
「ティア様、飴作る?」
「つくる」
「じゃあ、行こうか」
「みずやってから」
その子は鉢のところへ行って、器で水をやった。慎重にやる。こぼさないように、ゆっくり。
やり終えて、私を見上げた。
「きょうで、なんかい?」
私は、指を折った。
折って、途中で分からなくなった。
「……分からない」
「わからないの?」
「うん。数えるの、やめちゃった」
ティアは、少し驚いた顔をした。
それから、笑った。
「みおり、かぞえるのすきなのに」
「うん。好きだったんだけどね」
その子は、器を置いて、私の手を掴んだ。
「いこ」
厨房へ行く途中、窓から中庭が見えた。
石畳に、日が当たっていた。
人が何人か出ている。洗濯物を運ぶ人。荷車。犬。壁の上を歩く人。
全部、去年と同じだった。
同じなのに、名前が分かる人が増えていた。




