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第十三話 数えるな

皿を六枚並べるようになって、四日が経った。


 朝、棚の前で数える。六枚。夕、卓に並べて数える。六枚。壺は四十のうち九つ空いた。樽は十一のうち二つ。


 厨房の裏の板に、わたくしは炭で数字を足していた。マルテのやり方を真似ている。字は書かない。数字だけ。


 書いていると、背中に人が立った。


「数えるな」


 振り返らずに、誰か分かった。


 わたくしは炭を置いた。


「いけませんでしょうか」


「いけない」


 旦那様は板を見ていた。並んだ数字を、上から下へ目で追っている。


「あなた様は、前に、数えるなとは言わないとおっしゃいました」


 言ってから、自分の声が思っていたより固いのに気づいた。


 旦那様がこちらを見た。


「言った」


「はい」


「取り消す」


 それだけだった。この方は、言い訳をなさらない。


「理由を伺ってもよろしいですか」


「言えない」


「では、従えません」


 自分でも意外な言葉が出た。


 この館へ来てから、わたくしは一度も逆らったことがない。逆らう理由がなかったし、逆らって何かが変わる立場でもなかった。


 旦那様は、少しのあいだ黙っておられた。


 厨房の竈で、薪が崩れる音がした。ミルカが火掻き棒を握ったまま、こちらを見ないようにしているのが分かった。


「君は」


「はい」


「昨日、この館に何人いた」


「八人でございます」


「一昨日は」


「八人」


「その前は」


「八人でございます。四日前から変わっておりません」


 旦那様が板から目を離した。


「即答するな」


「はい」


「考えてから答えろ。数えたふりをしろ」


 言われている意味が取れなかった。


「わたくしは、数えております」


「知っている」


「では」


「知られるな」


 それだけ言って、旦那様は厨房を出ていかれた。


 炭が指に残っていた。黒くなった指先を、わたくしは前掛けで拭った。


 ミルカが火掻き棒を戻した。


「奥様」


「はい」


「あたし、聞いてません」


「はい」


「でも、あの」


 その子は言葉を探して、見つからなかったらしい。竈の火を見て、それから鍋の位置を右へずらした。竈の左は火が強い。教わったとおりにやっている。


 外へ出て、井戸のあたりまで歩いた。


 考えごとをするときに歩く癖は、実家にいた頃からある。廊下では足りないので、雪を踏んだ。三歩で膝まで沈んで、そこで止まった。


 沈む場所と沈まない場所がある。旦那様はそう言った。知っている者は沈まない場所を歩く、とも。


 わたくしは足を抜いて、少し右へずらして踏んでみた。沈んだ。もう少し右。沈んだ。


 四度目に、沈まないところがあった。


 しゃがんで手のひらで押してみると、下が固い。何かが埋まっているのではなく、雪の締まり方が違う。人が繰り返し歩いた場所は、こうなるのだろう。


 立ち上がって、その筋を目で追った。


 井戸から裏口へ、細い帯のように続いている。言われなければ気づかない。言われても、探さなければ見えない。


 森への道も、こういうものなのだろうか。


 昼、針子部屋へ行った。


 繕い物を頼みたかったからではない。袖を濡らした上着の裏地が縮んでいて、直せるかを聞きに行った。


 部屋には二人いた。針子の女と、その妹。


「奥様」


 妹のほうが先に立ち上がった。厨房のミルカだ。休みの時間に、姉のところへ来ているらしい。


「お邪魔でしたか」


「いえ。ぜんぜん」


 針子の女は手を止めずに、こちらへ会釈をした。膝の上に黒い布がある。喪服ではない。この土地に喪服はない。


「上着を、お預かりしましょうか」


「お願いできますか」


 女は上着を受け取って、裏地を指でさぐった。


「縮んでおりますね。裏を外して、当て直します」


「いつごろになりますか」


「三日いただければ」


 三日。


 わたくしはその言葉を、口に出さずに置いた。この館では、三日先の約束をする人が少ない。


 ミルカが姉の袖を引いた。


「姉さん。奥様に、あれ」


「およし」


「でも」


「およし」


 短い言い方だった。ミルカは口を閉じたけれど、閉じた顔が不服そうだった。


 わたくしは何も聞かなかった。聞けば、この姉妹のどちらかが困る。


 部屋を出るとき、針子の女がこちらを見た。


「奥様」


「はい」


「妹が、ご迷惑をおかけしております」


「いいえ」


「あの子は、口が軽うございます。名前を言ってしまうような子です」


 言い方に、責める調子はなかった。


「でも、悪い子ではございません」


 それだけ言って、女はまた針を動かした。


 厨房を通ると、板の前にミルカが立っていた。


 わたくしが炭で書いた数字を、指でなぞっている。


「奥様。これ、消したほうがいいですか」


「どうしてでございましょう」


「旦那様が、数えるなって」


 その子はこちらを見なかった。板を見たままだった。


「書いてあるだけなら、数えていることにはなりません」


「そうですか」


「そうだと思います」


 言いながら、自分でも確かではなかった。書いてあるものを見て数を知るのは、数えたことになるのかどうか。この土地の作法には、そこまでの決まりがない。


 ミルカは指を下ろした。


「じゃあ、置いときます」


「はい」


「あたしも、書きます。数字だけなら書けるので」


 その子は炭を取って、壺の欄に一つ足した。今日ひとつ空いた分だ。


 数字が並んでいく。誰が数えたのかは、板を見ても分からない。


 部屋に戻ってから、旦那様の言葉を並べ直した。


 数えるな。取り消す。理由は言えない。即答するな。数えたふりをしろ。知られるな。


 六つある。指を折って確かめた。数えるな、と言われた日に、その方の言葉を数えている。


 知られるな、というのは、誰に知られてはいけないのか。


 この館に、わたくしが数えていることを知っている人は何人かいる。ミルカは知っている。針子の女も知っているだろう。書庫の方は、たぶん察している。


 もう一人いる。


 四日前に、この書庫でわたくしと向かい合った人がいる。あの方は、館の者から聞いたと言った。奥様はよく数えておいでだと。


 旦那様は、あの方が来た日の夜には何も言わなかった。


 言い出したのは、今日だ。


 鐘は鳴らなかった。名簿は七のまま。


 厨房に一人。洗濯場に二人。針子部屋に一人。厩に一人。書庫に一人。六人。旦那様とわたくしを入れて、八人。


 即答するな、と言われた。考えてから答えろ、数えたふりをしろ、と。


 言われたとおりにするには、まず正しい数を知っていなければならない。知らないふりをするには、知っている必要がある。


 あの方は、わたくしに数えるのをやめろとはおっしゃらなかった。


 なぜ、数えてはいけないのでしょう。


 答えを持っている方は、言えないとおっしゃった。

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