第五章 至高の魔法(3)
エミリア艦隊千隻は四方八方に飛び散りさまよった。
化学推進であの混乱を収めるには、おそらく数時間、あるいは数日はかかるだろう。
強烈な重力津波の波頭の直撃を受け、姿勢制御システムの慣性ホイールなどは文字通り破壊されたかもしれない。
少なくとも、戦術的には壊滅だ。
すべてが終わると、通信回線の向こうから、狼狽のうめき声が複数聞こえてきた。
『殿下……、一体、何をなされたのです』
回線の向こうから、ロッソの低く震える声が聞こえてきた。
「申し上げました。これが、私の至高の魔法、エミリアの民を守る私の力」
ロッソの回線には、叫び声が次々と入ってくる。
聞こえる声は、ファレン駐留艦隊の壊滅を伝えるものだった。
「摂政様のご心配はこれで無くなりましたでしょう。この私は、宇宙で最も強い軍隊を、ただの一声で消し飛ばすことができるのです」
『トリックだ!』
コンラッドが横合いから叫ぶ。
『どうせ貴様ら、示し合わせてデュエットダンスを踊って見せただけだ』
いつもの柔和な口調はどこかへ飛んで行ってしまっていた。
「いいえ、コンラッド閣下。私は、私の意志で、エミリア軍を壊滅させました。もはや戦争は必要ありません。それでも信用できぬとおっしゃるなら、どうぞ、ファレンに進駐を。私はここにいます。逃げも隠れもしません。戦う力を持たぬ私たちをなぶり殺しになさい」
『殿下……なんということを……』
再び口を開いたのはロッソだ。
『もはや、エミリアはおしまいです。エミリアの防空艦隊の大半も、ファレンにおりました。それらも失い、いずれマジック鉱の独占も崩れ……もはや侵略に晒され民は皆殺しになるでしょう……』
セレーナは、ロッソの映るパネルに鋭い視線を向けた。
そして、不敵な笑みを浮かべる。
「いいえ、申し上げました通り、この王女は、この至高の魔法の力で、エミリアを守りましょう。この命のある限り」
顔を上げる。その先には、エミリアの繁華街を映すパネルがある。
「エミリアの民よ。私はみなさんに苦難を与える道を選びました。みなさんの選択をお聞かせなさい。この私の選択を是とするなら、オレンジか白のハンカチを。そうでなければ、それ以外のハンカチを。窓からつるしなさい」
その言葉に、誰も答えなかった。
パネルの映像にも何も変化はなかった。
ただ、町行く人々が、街頭パネルや手元の情報端末に映る王女の姿を食い入るように見つめているだけの、十数秒。
やがて一人の女性が、バッグを開け、何かを取り出して頭の上で振り回し始めた。
それは、真っ白のハンカチ。
それに気づいた周りの人々が、大急ぎでバッグやポケットを探っている。
そして、次々に白いハンカチを振り回し始めた。
中には、オレンジのハンカチを見つけ出したものもいる。
ある男性は白いシャツの袖を引きちぎって振り回し始めた。
家々の二階の窓から白いハンカチが次々と現れた。
オレンジのクッションを引き裂いて詰め物を放り出し、物干し竿の先に括り付け、屋根の上で振り回すものが映った。
雑貨屋で、オレンジのハンカチの奪い合いが起こっていた。
町は、白と、そして少しのオレンジで満たされた。
それは、エミリアのナショナルカラー。エミリア王女、セレーナ・グリゼルダ・グッリェルミネッティの正装のように。
『定期レポートです。セレーナ王女の支持率、百パーセントです』
突然、コントロールルームに響き渡る、懐かしい声。
「ジーニー・ルカ!?」
最初に驚いて声を上げたのは、もちろんセレーナだった。
『ご心配おかけしました。無事、重力津波を乗り切ることが出来ました。博士たちは、とても良い仕事をなされました』
その言葉に、セレーナは無言で涙を落とした。
***
白と少しのオレンジに満たされた町の映像。
ロッソはそれを見て、静かに肩を落としている。
その心に何があるだろう。
良かれと思ってやっていたことが、民に受け入れられなかった絶望感だろうか。
それ以外の何かだろうか。
本来、彼に、悪気は無かったはずなのだ。
むしろ、彼の戦略は良くできていた。
彼が、本気で民を救おうとしたことは、評価されなければならない。
ただ、エミリアの民は、戦う自由を――キアラのように、誇り高く立ち上がる自由を――求めていた。
それだけだ。
もはや、趨勢は決した。
この戦争は、終わりだ。
完膚なきまでに軍事力を削がれたエミリア王国。
それを包囲するロックウェル連合国。
さあ、宇宙のバランスは、崩れた。
一つの軍事大国が、もう一つの大国を消滅させようとしている。
宇宙のバランスを重んじる国が、あったはずだ。
そう、すぐそばに。
『……コンラッド・マルムステン国務統括本部長閣下』
その声は、地球外交官、オオサキ・アヤコのものだった。
『まずは、無用の戦争をおやめください。ファレン周辺に進駐した艦隊の戦闘態勢解除、そして撤兵を。新連合からのお願いにございます』
母さんは、深々と頭を下げた。
『新連合国オオサキ外交官殿、これは我が国がファレン共和国の要請をもって開始した奪還作戦に過ぎません、どうぞ、干渉無きよう』
笑みではなく、厳然とした面持ちを浮かべて、コンラッドは要請を拒否した。
『いいえ、我が地球新連合国はこの状況に臨み、これを看過するわけにはまいりません』
語尾を食うように母さんは不干渉を否定した。
『エミリア王女は自ら戦争を放棄なさいました。であれば、もはや平和的交渉以外の道はありません。あなた方の作戦そのものがもはやなんの大義も持たないのです。我々、地球新連合が、見届け人です』
新連合は、いつからこの答えを用意していたのだろう。
いや、もしかすると、母さんの一存かもしれない。
いつか、エミリアを変えると決意を表してセレーナが旅立った時から心に秘めていた、母さんの気持ち。
たかが一外交官が決めるにはあまりに大きな決断に違いない。
もし間違えていたら、どのようなペナルティがあるかもわからない。
それでも、母さんは、セレーナを信じる、と、今ここで口にしてしまった。
『……まさに、解釈の相違でございます。よって、ロックウェルは、ファレン空域のエミリア軍を完全に掃討し降伏させ、それから、改めて、新連合国外交官殿のお話を伺うことになりましょう』
硬い表情を崩さず、宣言するコンラッド。
彼が言ったのとほとんど同じ時だった。
『セレーナ王女、ファレン空域にロックウェル艦隊の艦船が次々に現れています』
ジーニー・ルカの警告。
エミリア軍壊滅。
その事実を引き金に、ロックウェルは行動を開始した。
もはや軍事的に行動する必要はないはずなのに。
おそらくそれは、より勝利を完全なものとするために。
ロックウェルを悩ませてきたエミリア王国とその最強の防空軍を宇宙から消滅させる。
その魅力に、コンラッドも現場の指揮官も、抗えなかったのかもしれない。
僕は思わずパネルを叩いて送話を止めた。
「ジーニー・ルカ、ロックウェルはどういうつもりだ。……この際に、エミリア軍の殲滅を?」
『おっしゃるとおりかと推測いたします』
僕の問いに、全知の魔人は、肯定の返事をした。
「馬鹿な。そんなことをしたらロックウェルは地球からどんな制裁を受けるか――」
「そのリスクと、これが私たちの狂言であるリスク、それを天秤にかけた結果が、これなんだわ」
一語一語を、セレーナはゆっくりと区切りながら、僕に向かって言った。
「……ごめん、ジュンイチ。甘く見ていたことは謝る。そうよね、地球は明日の侵略を止める力はあっても、一時間後の戦闘を止める力は、無いのかもしれない」
「だからって……」
あきらめたような表情を見せるセレーナに抗議しようとするが、言葉が見つからない。
「……ともかく、交渉を続けるしかない。エミリアの民は私を、私こそを選んだ。これは私の責任。……万一もあるわ。ジュンイチたちは、脱出の準備をしておいて」
そうして、僕の返答も聞かず、彼女はパネルを叩いて送話を再開した。
「……コンラッド閣下、ロックウェル連合艦隊の行動をご説明願います」
セレーナは、コンラッドのパネルを睨み付けた。
『ロックウェルは、ファレン共和国に対して無用な侵略行為を行ったエミリアに対して、ファレン共和国奪還作戦を計画しておりました。そのことは正式に通達しておりましたはずです』
彼は臆せずに、わずかに笑みを含めてセレーナを睨み返した。
「戦う力のないエミリアに対する仕打ちが、それですか」
『私は、今でもエミリア軍壊滅劇はあなた方の茶番だと信じております。この機に、エミリア軍を完全に誅滅せねば、エミリアはまた過ちを繰り返すでしょう。何より、私には、作戦本部に対する権限がございません』
彼の言い分は、ある意味、想定できていたはずだ。王女と摂政、そして彼らの艦隊。その間でちょっとした演劇を上映しただけと解釈することは可能なのだから。
しかし、現実にエミリア軍は壊滅状態にある。
であれば、このチャンスに、その壊滅を永遠のものにしておこうと考えるのは当然だ。
それに、もし――もしセレーナの魔法が本物だとしたら。それがロックウェルに牙をむくかもしれないのであれば。
それは、コンラッドにとっては針の先ほどのリスクかもしれない。
それでも、その針が、一刺しでロックウェルを滅ぼす力を持つ針だとしたら。
今、エミリア軍の防御が崩れ丸裸になった今こそ、それを――魔法の使い手を、永遠に葬り去らなければならない。
彼は、そう考える。きっと。間違いなく。
止める力を持つのは、遥か百何十光年の彼方から見守っているだけの地球。
ロックウェルは、悠々と軍を進め、目的を達する。
新連合はあとから非難決議でも出すだろう。禁輸の制裁措置でも発動するだろう。
そのとき――この空域にいる何万人のエミリア人と、王女の肩書きを持つ小さな女の子の命は、残っていない。
同じことに気づいて覚悟を決めたのか、セレーナは目を閉じて顔を伏せている。
間もなくここに、ロックウェル艦隊が殺到する。
そのとき、セレーナが宇宙から永遠に失われる。
「ごめん、ジュンイチ。ドルフィン号はあなたに。私の友達と新しいエミリアを、お願い」
小さくつぶやくセレーナ。
悲しみで胸が張り裂けそうになる。
絶対に。
絶対にそんなこと、させるものか。
好きになった女の子を守る権利くらい、僕にはあるはずだ。
たとえ本人が覚悟を決めていても。
ドルフィン号を急いで収容して、もう一度、至高の魔法を発動する余裕はあるだろうか。
大丈夫。間に合う。
ロックウェル軍を運ぶカノンにはそこまでの容量と速さはないはず。まだ数時間はかかるはずだ。
今すぐ僕がオーダーすれば。
至高の魔法――もし直撃させれば、宇宙艦隊など原子レベルにまで分解するだろう。
そこにある何万という命とともに。
……セレーナは、それを望まないだろうな。
たとえ敵国の民と言えど、セレーナは、そんなことはしない。
最後まで、自らの命一つで、戦い続けるはず。
だから、僕がやる。
憤怒と後悔に突き動かされて自由圏を吹き飛ばそうと思った時とは違う。
今度は、自分の弱さを隠すためじゃない。
セレーナを守るため。
僕の大好きなセレーナを守るため。
「オーダーだ、ジーニー・ルカ……」
僕が小声でオーダーを始めた、そのときだった。
『……コンラッド閣下、交渉決裂の結論を出す前にお聞きなさい。我が新連合は、貴国が進軍を止めない場合、ロックウェル全領域に対して、即時、認証システムIDの停止という形の制裁ができることをお伝えしておきます』
突然の母さんの言葉に、僕は、あらゆる思考を止めた。
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