第五章 至高の魔法(1)
■第五章 至高の魔法
セレーナは座っていた椅子のベルトを外し、立ち上がった。
床が軽い磁力で彼女のブーツを捕らえている。
彼女は、僕に向きなおった。
「……始めましょう」
彼女の言葉に、僕はうなずいた。
「ジーニー・ルカ、演算の条件を与える。ターゲットは、ファレンの衛星。パネルに拡大画像を」
そのオーダーに、五つめのパネルが灯る。
直径数十キロメートルの小さな衛星。
灰色でいびつなその姿が中心に小さく映る。
そう、ターゲットをあれにしてしまえば――少なくとも、爆発の第一波は、艦隊の兵隊たちを巻き込むことは無い。
「カノン砲身の方位調整。再反転位置は衛星の質量重心」
『かしこまりました』
「衛星その周囲のエミリア艦隊は認識できてるかい?」
『はい、九百六十隻の艦船を確認』
十六行動単位。計算上はぴったりだ。
問題は、爆発の第二波、真に恐ろしいその第二波は、波頭の切り立った反重力波、つまり、反重力津波だ。
あまりに強力な第二波は、戦艦の装甲を無視し、中の人間を潮汐力で粉々に引きちぎってしまうだろう。
しかし弱すぎても効果が無い。
ぎりぎり戦艦の隊列をかき乱す重力の大渦を作る。
そのパラメータは、ジーニー・ルカが『知る』。
「では、爆発の威力は、そのすべての艦船のいずれの乗員にも死者を出さず、かつ、すべての艦艇に当面回復不可能な航路の乱れを生むものだ。乗員に被害が無いなら、航行システムにダメージを与えてもいい。厳密な推論は必要ない、直感でその爆発規模を知れ」
『……かしこまりました』
これで、条件はすべてそろったはずだ。
最後の一つを除いて。
「……セレーナ、最後の準備をしたい。少し時間が欲しい。それから、申し訳ないけど、毛利、マービン、浦野、キアラ……すべてが終わるまで、この管制室から出ていてもらえるかな」
僕がセレーナと手をつないで見つめあっているところを見られたくない、なんていう身勝手なお願いなんだけど。
「いいわよう、きっと、最後の操作は、ほかの人には知られたくないんだよね? それは、きっと、ジーニーの本当の秘密」
浦野は本当に鋭いことを言うようになった。
そんなことを思いながら、僕は、ゆっくりとうなずく。
四人は、そっと席を立って出ていく。
コントロールルームの扉が開き、それから閉じたのを確認してから、僕は、セレーナに向き合った。
「どうして彼らを追い出したの?」
「……君に、ちょっと恥ずかしいことをしてもらわなきゃならない」
「恥ずかしいこと?」
彼女は首をかしげる。
……やっぱり言わなきゃだめだろうな。
「ジーニー・ルカが真実の数字を知るために、僕と両手をつないで、見つめあわなきゃならない」
僕が言うと、セレーナは途端に吹き出した。
「こんな時につまらない冗談はやめて。……っと、冗談……じゃ、無いのかしら」
僕の顔がまったく真剣なままなのを見て、彼女も真顔に戻っていく。
「……じゃ、説明してもらうわよ。なぜ、そんなことが必要なのか」
それは、できれば説明せずに済ませたかった。
けれど、彼女がこんな顔で僕に説明を求めた以上、完全な説明をせずに終わらせるわけにはいかないのだろうな。
だから、僕は意を決して口を開いた。
「君は前に、ジーニー・ルカにとっての特異点は君自身じゃないかと疑った。僕はそれを否定したけれど、本当の答えには、確信がなかった。……リュシーを発つ前の晩、僕はそれをついに確認したんだ」
「……じゃあ、やっぱり?」
言いながら、彼女は右手を自分の胸に置いた。
「……いいや。ジーニー・ルカにとっての特異点は、僕だった」
セレーナは驚きで目を丸くし、しかし直後に、それは訝る表情に変わった。
「私はそんな無茶な偶然なんて信じない。あらゆる偶然が重なって出会ったあなたが、よりによってジーニー・ルカにとっても特別な人だったなんて」
そうだろうな。
だから、何もかも説明しなくちゃならなくて。
そして、僕は語る。
ジーニーとは何なのか。
ブレインインターフェースとは何なのか。
「……じゃあ、私の脳は、ジーニーの感覚の拡張器ってわけ?」
それは、自らより多くを知ることを望む、知性の欲求を持つ機械。
「自分で多くを知ろうとするですって? 知能機械が? ……いや、そうかもしれないわね。そうある方が、知能機械として優秀だと最初に定義づけられたのだとしたら」
そして、その欲求のため、自らのブレインインターフェースの触覚を伸ばしていく存在。
「待って。感覚を拡張するために、触覚を伸ばす……? それじゃあ、つまり……」
セレーナはゴクリとなにかを飲み込むような仕草を見せ、
「……ジーニーは、ブレインインターフェースを持つ主人を……操るの?」
「……うん」
僕は小さくうなずいた。
「僕は、だから、君を疑った。君があの日、あの土手沿いの道で僕に出会ったのは。全て、仕組まれたものかもしれない、って」
それはジーニー・ルカが否定してくれたはずのことだけれど。
ロミルダは何と言ったか。
そう、僕が勝手に納得して、僕の考える自由を勝手に与えるな、と。
だから、僕は、僕の感じた怖れと絶望を、語る。
語らなきゃならない。
「君が僕に出会ったのはジーニーがそうしたかったから。君が僕に期待をしてくれたのもジーニーがそうさせたから」
セレーナの表情は、変わらない。良くわからない。
「一度別れて、あれは夢だったんだと思ってた時、再び君が僕を頼りに百光年を飛んできてくれたのも、ジーニーがそうさせたから」
管制室は静まり返り、遠くで冷却システムが静かにファンを回している音が聞こえてくる。
「僕が誘拐された時、自分の危険もかえりみず助けに来てくれたのも、ジーニーがそうさせたから」
ジーニー・ルカが灯した嘘の退避勧告ランプがまだ遠くでチカチカしている。
「君が僕に伝えてくれた苦しみや楽しさも、全部、ジーニーがそうなるように君を作り変えたから」
いろんなことを楽しく、苦しく、語らい合ったドルフィン号の操縦席とナビゲータ席の風景がふと、セレーナの香水の匂いとともに脳裏を通り過ぎていく。
「君の強さも僕の誓いも、全部、ジーニーがそうあるべきだと思ったから」
彼女の魔法で膝をついて騎士の誓いを終えたあと、見上げたセレーナの顔が、思い出せない。
「何もかもを諦めてしまいそうになった時、君が立ち上がったのは、ジーニーがそうさせたから」
灯りが作る影が床に縫い付けられ、その影が僕の足首を掴んで僕を引きずり込もうとしている。
「浦野やキアラへの友情だって毛利やマービンへの信頼だって、それは全部、君というセンサーを僕の横に置くために、ジーニーが植え付けた」
セレーナの誰かに対する思いは全て僕をそこに置くためのもので。
「全部。ジーニールカが。君を――彼のセンサーを――僕のそばに置くために。だから……」
喉が詰まる。
「……っ、君は、ただの人形だ」
これが、僕がセレーナに与える、戦う自由。
彼女が戦い打ち破るべき、残酷な真実。
――けれど、セレーナは、ふっと優しく微笑んだ。
「嘘ね」
にこりと笑いを漏らす。
その意味が計りかねる僕と、優しい微笑みの彼女の間に、数瞬の沈黙が、流れる。
「私、悩んでた」
そう言い始めた彼女の表情は、とても悩んでる人のそれには見えない。
「私は、ずっと、操り人形だった。お父様の。摂政の。貴族たちの。……エミリアという伝統の。そうあるべきだという姿をして見せるだけの存在だった」
ゆっくり両手を胸の前に上げて、心臓を包むように胸に当てる。
「そんな自分の在り方に慣れすぎてたから。私が特異点かも知れないと思ってから、ああ、やっぱり私はジーニー・ルカのパーツに過ぎないのかも、ジーニー・ルカの人形に過ぎないのかも。そんな風に思っちゃって」
ふと彼女が目線を向けたのは、さっきジーニー・ルカと別れを告げてきた、扉の向こう。
「じゃあ私のこの気持ちももしかして」
その小さな手が、ゆっくりと握り込まれていく。
「トモミに頑張れって応援されて。レオンにメソメソすんなって励まされて。ヨージローに答えはありますって肯定されて。キアラに戦う自由を返せと迫られて」
じっと床を見つめる彼女の顔が、どんな表情なのか、ダウンライトの影になって見えなくなる。
「挫けそうになった時、何度も立ち上がる力をもらった。そんなあなたの強さに支えられたことも」
チー、という小さな音がして、警告ランプの点滅が止まった。
「そうしてやっと得た私の戦う自由は本当に私の意志なのか。最後の最後の瞬間に、私は逃げ出しちゃうんじゃないかって。この瞬間を迎えるのが本当に怖くて」
そして彼女は顔を上げる。
そこにあったのは、僕の予想した怯える表情ではなく、穏やかな笑顔だった。
「カルリージ伯と話した時ね。ふふ、全部言い当てられちゃった。私の不安。私が何も言う前に。そして言われたの。ジュンイチと向き合えって。私の全ての悩みの答えはジュンイチの中にある……って」
胸の前の両手を、ふと離して、見つめながら。
「その言葉を、行動を、情熱を、心を、しっかり見ろと」
僕の、心……?
「私がいろんなものを破って飛び出したとき、それは、初めて私が自由意志を行使したとき、……そして、あなたに会ったとき」
胸の前で手を組んで、何かを握り締めるような仕草をしながら。
「私が自由を行使する様を見ていたあなたが、『私は人形だ』なんて、そんな嘘くさい顔で言うんでしょう? なんだか、ほっとしちゃった」
再び、彼女は、ふふ、と小さく笑った。
「あなた、嘘つくのが下手だもの」
僕は顔が赤くなるのを感じる。
空調の自動動作が、急にぶうんと大きな音を立てた。
「それに」
彼女は握り締めた手に力をこめる。
「私は信じてるもの」
……何を?
「……私がジュンイチに会って自分で楽しいと思ったこと、別れたときまた会いたいと思ったこと、一緒にいたいと思ったこと、あんな気持ちが嘘なわけないもの」
それは、ジーニー・ルカが言ったことと同じことだった。
ジーニー・ルカは、ほんの小さな知性の迷いのある時に、かすかに後押ししただけだと言った。セレーナの本当の自由意思には手を付けていないと。
僕は、別々の口からの同じ言葉を聞いて、それはやっぱり気休めの嘘じゃないと確信して、体中を縛り付けていた鎖が解けていくような気持ちを感じた。
「ジュンイチ。大丈夫。私は私の意志でここにいる」
セレーナの強さに、僕は圧倒されて、多分しばらく放心していただろう。
彼女が再びしゃべりだして、ようやく我に返る。
「……で、カルリージ伯に、何を言われたの?」
「……どうしてそう思う?」
「きっと、何か言われたんでしょう?」
「……君に試練を与えろ、と。僕自身の真実を揺さぶってでも。そう言われた」
「……適役ね。だから私はあなたの言葉を信じないことが出来た。……最後にカルリージ伯ね、こんなこと言ったの」
そしてセレーナは、ロミルダの口調を真似ながら言った。
「嘘をつくのが殿下の仕事。真実を語るのがジュンイチ殿の仕事。そうでございましたわね? 仕事ぶり、しっかり見届けておやりなさい」
くすっと笑い、続けて、
「あなたの仕事、落第点よ。あなたには、嘘をつく才能がない」
結んだ手を解いて、両腕を大きく広げてみせた。
「ということで、あなたの試練は楽々クリアよ」
「そっ、そんなの、ずるいぞ」
もうこうなると、悔しいより恥ずかしい。
何が『君は人形だ』、だよ。かっこつけて。
「……何もかも……カルリージ伯爵の手の上だ。笑っちゃうよ」
僕も、降参の意思を込めて、両手を広げて放り出した。
ロミルダにやられた者同士、ちょっとの恥ずかしさを共有する柔らかな時間が流れる。
「カルリージ伯。彼女は、何が目的だと思う?」
「さあね。真実の絆だとかなんとか言ってたけど、さっぱり」
「でも僕なりに彼女の正体には心当たりがあって」
「……私だって、彼女がただの伯爵位にある一女性だなんて思ってないわよ。さすがにね。あなたほどじゃないでしょうけれど、私なりに、彼女の正体は分かったつもり。きっと――」
「「完全なるジーニー」」
僕とセレーナの声が重なる。
「……または、それに近い何か」
「よかったわね。まだまだ研究テーマはあるみたいよ?」
「……そうだね。きっと、ジーニーのルーツ、そこに近い何かが、彼女の正体だ。……うん、いつか、解き明かす」
「……そうだ。一つだけ、ヒントをもらったの」
「ヒント?」
「ええ。実は彼女、養子なんですって。それも、平民の。カルリージ伯爵家が継嗣不在で潰れる瀬戸際で、仕えていた優秀な家令から取り上げられたの。その時にエミリア風の名前に改称したのだけれど、昔の名前は、エレナ・アイリーン・エンダー。私の秘密を知りたかったら憶えておきなさい、ですって」
これで、ヒントは三つ。マリアナ。クイーン・リーザ。エレナ・アイリーン・エンダー。いつか、解き明かす。その時、隣に誰がいるかは分からないけれど。
「さて、だからなのね。あなたが特異点で、私が観測点で。それがそろったら、完全なジーニーになる。どうしてそんな無茶なことになったのかも、腑に落ちた。それに、あなたといると私の調子がいいことも。……覚えてる? スプリングフェスティバルでの、シュートゲームのこと。あなたと一緒に行った時のこと。私とあなたと、それから、ジーニー・ルカが一緒だったからなのね」
「そんなこともあったね」
「でも、……明日からは、私は、普通の人、ね」
彼女の表情が、微かに、寂しそうに曇る。
全知の力を持つ魔人からの直感支援はなくなるから。
彼は、魔法の火花となって散る運命にあるから。
「……話を戻しましょう。これからの魔法の儀式に必要なこと。ジーニー・ルカが、あなたをより強く感じるための手段。それは、彼のもっともすぐれた感覚器、すなわちこの私の脳で、あなたを直接感じること。分かったわ」
「いいのかい?」
「いいとか嫌とかの問題じゃないでしょう?」
もちろん、そうだとも。
「君にとってはちょっと不本意かもしれないけれど、僕と見つめあうなんていう役割」
「ふふっ、そうね、あなたみたいな馬鹿と、そんな恋人同士みたいなことをする日が来るなんて思わなかったわ」
もちろん僕だって。
「それと……これから起きることは――」
「責任ははんぶんこ。分かってるわ」
「けれど、君自身の手で、君の愛するエミリア国民を傷つけることに」
「何十億の地球人を蒸発させようとしたあなたに言われたくないわ」
彼女は辛辣な言葉を微笑みとともに。
「――ごめん、悪い冗談だった。だけど、私は、そうする、と決めたから。私なんかには、もしかすると負いきれないほどの悲劇を生むかもしれない……でも、どうしても、エミリアを、変えたい。助けたい」
僕も微笑んで見せた。うまく微笑みが浮かべられたか、自信は無いけど。
「それもみんなはんぶんこだ。いいや、扉の向こうで聞き耳を立ててる四人にも分けてやろう」
と言って僕が低く笑うと、四人がばつが悪そうに入ってきた。
「どうして気づいたんだよ」
「お前らの考えることなんて分かりきってるよ」
「だって気になるじゃないのよう」
「浦野のことだから、ここで僕らが愛の誓いでも交わしているとでも思ったんだろう?」
「ひゃあ、大正解。大崎君も成長したねえ」
「セレーナ様が、ジュンイチ様に不埒なことをされているかもしれませんでしたから」
「し、しないよ」
「これからすんだろ?」
毛利のツッコミに僕らは笑いあった。
「何となく、どういう事情かは分かったよ、俺らも脇で見てる、いいだろ?」
「聞かれたんじゃしょうがないな」
「その代わり、悲劇の責任は六等分です」
マービンが言って、うなずいて見せた。
そうとも。
一人より二人。二人より六人だ。
みんなで支えあってここまで来たんだから。
最後は、みんなでそれを分け合おう。
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