第四章 道を示す者(7)
セレーナは、何かを考えている。
交渉は平行線ばかりか、エミリア国民は、摂政たちのやり方をこそ望む、ということになるかもしれない。
今と同じ、気楽で安穏な暮らしを約束するというロッソ。
貴族たちの財産がそれを保証するから気にするなと言われたら。
つい、そんな生活も悪くないと思うかもしれない。
国民の支持が無ければ、魔法は不発に終わってしまう。
至高の魔法の威力を見せ付けたとしても。
ただ、強力な破壊槌を持つだけの為政者を、誰が支持するだろう。
「摂政様」
セレーナがやがて口を開いた。
「私は、ベルナデッダで、ある者に会いました。彼は、エミリアの多くの者がそうであるように、マジック技術に関わるものです」
それは、ルイスのことだ。
「彼は……羽をもがれた鳥でした」
本分である理論研究の道を閉ざされた科学者。
「彼は、マジック技術の研究をするために、ロックウェル連合国内より招致された科学者でした。しかし、我がエミリアは、彼が理論研究をすることを許さず、技術史研究という無意味な役割を与え、飼い殺しにしたのです。その理由はお分かりでしょう、それを命じた摂政様なら」
……技術史研究家が聞いたら、ちょっとその分の支持率を失ってしまいそうだけど。
「宇宙のマジックに関する科学技術を停滞させ、マジック鉱の効率的な利用を妨げれば……」
ビクトリアがやっていたような挑戦を防げば――。
「我がエミリアの利益、我がエミリアでマジック鉱を生み出している人たちの生活、そのことを考えれば、それは明確な誤りとは断じ得ません」
本当にそうなのだろうか。為政者は、多くの人のために一人を犠牲にしてもいいものなのだろうか。
「……ですが、私は、彼に会ってしまいました。為政者として心を通わせてはならぬはずの彼に」
そして彼も、正しく、セレーナを為政者と知っていた。
「彼は、生きる意味を見失い、澱んだ目で為政者である私を見つめました。彼から自由意思を奪い、選択する喜びを、発見する驚きを奪った為政者である私を」
見ると、セレーナの瞳は、少し潤んでいる。
「摂政様、あなたは、これと同じものを、すべてのエミリア国民に与えるつもりですか。あなたは、何億ものエミリアの民から、あの澱んだ瞳で見つめ続けられる覚悟がおありですか。何年も、あるいは何十年も。多くのエミリア国民の、大切な人生を、零れ落ちていくままに見過ごすおつもりですか!」
彼女は口に出せないが、きっと彼女の心の中には、きっとキアラのこともよぎっているだろう。
六年。
輝くような青春時代を過ごせたかもしれない六年を、セレーナは、キアラから奪ってしまった。
その深い後悔の結晶が、彼女の双眸から零れ落ちようとしている。
『殿下、それは誤解です。彼らは、王家からの手厚い保護を受けて幸福に暮らすのです』
「幸福? 無為に老いさらばえる自らを嘆く気力さえ失った人が幸福ですって? あのルイス博士の姿が幸福だったですって? 私のキアラが幸福だったですって!?」
叫ぶ彼女の瞳は光の強さを増す。
「あんなもの幸福じゃない! 私は認めない!」
パネルを見つめるセレーナの歯がくいしばられるのが見えた。
「――幸福とは」
そして彼女は、青い瞳に情熱の炎を燃え上がらせた。
「幸福とは! 自ら選び勝ち取ったものだけをそう呼ぶのです! 人に与えられた富や自由を幸福とは呼びません!」
……なんという。
なんということだろう。
セレーナもまた、そう言うのだ。
僕がセレーナに与えようとしていたものを、真っ向から否定するのだ。
「たしかに、たしかに、あなたの言うように、経済的な保証さえあれば人は安心して暮らせるでしょう。しかし、私はそうは思いません」
彼女にとって何の意味もない自由を与えられて彼女が喜ぶと思うか、と。
「自ら未来を選ぶことのできないことがどれほど悲しいことか、私はそれを私に訴えた人を知っています。そして」
たとえつらい道でも、自ら選び進む道。
それこそが、きっと本当の幸せへの道。
「……そして、私も、ずっと不幸でした。富も権力も思うがまま。それでも、私の未来は私が選べるものではなかった。私の幸せは、地球でごく普通の平民から生まれた十代の高校生のそれにも……全く……及ばなかったのです」
セレーナは顔を伏せる。
横から見ていた僕にだけ見えた。そのまぶたから涙が零れたことを。
同時に、モニターの隅に表示されている市街地の映像が変わった。 足を止め、スクリーンを見上げる群衆の波が、さざめきから静寂へ。
ジーニー・ルカが、定期レポートを読み上げる。セレーナ支持率、77.1パーセント。
「――この数日間の私は、とても幸せでした。自ら切り拓く自由、自ら選び勝ち取っていく喜び」
彼女は顔を上げた。
「王侯たるもの民に寄り添うべし。私は、王侯として民に寄り添い、民に何を与えるべきかを、知りました。この数日間私が感じたのと同じ、幸福を。……ただそれだけなのです」
セレーナが言葉を切る。
数秒の静寂が流れる。
『……それで、殿下はどうするおつもりですか』
ロッソが静寂を破る。
「民に苦難を」
つぶやくように。
「自ら、創意工夫し切磋琢磨し、苦境を乗り越える力を得る自由を」
それでもはっきりと。
「自ら、敵を見返し、復讐し、前に進むことを選べる自由を」
後悔と怒りと羨望を込めて。
「自ら、そばにいる信頼できる友を選べる自由を」
単語一つ一つに戦う意思を込め。
『……過酷な競争に苦しめとおっしゃるか』
ロッソの言葉に、セレーナは、そのパネルよりはるか彼方の宇宙の果てへ視線を飛ばした。
「それこそ、私がエミリア国民に与える、戦う自由です」
”それが私が本当に欲しかった……戦う自由です”
キアラの言葉が、重なって、聞こえた。
振り返ると、キアラは溢れる涙も拭わず、ただ真っ直ぐに親友の背中を、見つめていた。
***
パネルの中で、ロッソは首を振った。
『ですが殿下、その先にあるものを殿下はご覧になっていない。戦う自由をお与えになろうとも、過酷な競争は国を疲弊させます』
「それを否定するつもりはありません」
『そうなったとき、このエミリアの民を、エミリアという国家を、誰が守るのですか。従来のように、富にものを言わせて大軍団を持つこともできなくなりましょう』
それが、僕らがずっと、究極を超える兵器を求めてきた理由だった。
セレーナは一度顔を伏せ、それから、僕の方に視線を送った。
そう。
僕らが作り上げた、至高の魔法。
今こそ、それを見せる時が来るのだ。
ジーニー・ルカの定期レポート。
セレーナの言葉を信じる者の数は、99.8パーセント。
僕は、にっこりと笑って見せた。
その意味を理解してくれたのだろう、セレーナも、微笑みを返した。
「摂政様、あなたの心配の行き着く先がそこにあると言うのでしたら、私は答えを用意しています」
そして、再び燃える瞳で宙を焼く。
宇宙の果てまで焦がしつくすその視線で。
「今こそお見せしましょう。宇宙でただ一人、この王女だけが使える至高の魔法を」
『お戯れを――』
「戯れではありません。……摂政様、あなたのご心配は霧散させて見せましょう。……さて、次に、コンラッド閣下」
摂政がまだ何か言おうとするのを無視して、セレーナは矛先をコンラッドに向けた。
「先ほど申し上げた通り、この私がエミリアの実権を握れば、すぐにでもカロル閉鎖を解除し平和的な交渉が出来るかと存じます。……この地で戦争を継続する理由は、もう無いのです」
セレーナの言葉に、コンラッドは顔をゆがめて嘲笑を作った。
『茶番劇ですな。このような茶番劇に参加していることさえ、わが身の不明を恥じ不幸を嘆く思いです』
最後に、鼻息で小さな笑いを漏らす。
舌先だけで軍を退かせようという少女の言葉に対して、それは正しい態度だろう。
『それで我が軍が退いたとして、また、新連合と我が国による制裁が解除されたとして、貴国は即座に手のひらを反してファレンへの干渉を再開するのでしょうな』
「……なるほど、王家の小娘の保証の無い言葉、コンラッド閣下がそうお考えになることも無理もありません」
『その通り。ですから、我が国は、軍を退くこともしないし、制裁を解除することも無い。殿下がどれほど華麗なダンスを踊ろうとも、です』
冷たく言い放つコンラッド。
ロックウェルの態度としては、それは確かに正しいだろう。
エミリアの脅威は、たとえその首脳が入れ替わったとしても消えることはない。
一方、今、ロックウェルにとっては、エミリアの生命線であるマジック鉱独占を打ち破る最大の機会が訪れている。
ロックウェルの安全保障上の要請は、戦争の継続を促すはずだ。
セレーナは、ゆっくりとうなずいて、コンラッドに微笑みかけた。
「閣下は立派です。ですから、私は閣下に、覚悟をお見せせねばならないでしょうね」
コンラッドはその言葉に何も反応を示すことはなかった。
セレーナもそれを気にせず、もう一つのパネルに視線を移した。
「……新連合外交官、オオサキ殿」
彼女の言葉に、母さんがうなずく。
「私の覚悟を、見ていただけますね」
しかし、母さんは首を横に振った。
『……たった五人の子供が、宇宙を二分する戦火の中に手を突っ込む必要はありません』
それは、外交官としてではなく、母としての言葉なのか。
『あなたたちには未来がある。私たちよりも何十年もたくさんの未来がある。あなたたちはそれだけで、私たちより有利なのです。その有利を、ここで捨てる必要はありません』
危険に飛び込んで命を落とすようなことをするな、と、母さんはセレーナに、そして僕らに呼び掛けているのだ。
『手遅れにならぬうちに降伏なさってください。間もなく、その空域で武力衝突が起こるでしょう。ですが今、この地球新連合に対して降伏の意志をお見せいただければ、新連合はエミリアを保護国として、ロックウェル連合と交渉する用意ができるかと存じます。あなたたちの長い未来のうちに、理想を実現する機会も訪れましょう』
母さんのその言葉に、それでもセレーナは目を伏せて首を横に振った。
「寛大なご提案、恐れ入ります。しかし、エミリアは、エミリア王族の手で変えて見せます。新連合はただ、なさるべきことをなさっていただければいいのです」
セレーナの言っている意味が通じるだろうか。
間もなく、歴史上類を見ない規模で、軍事バランスが崩れるところを、新連合は目撃するのだ。
その時、バランサーたる彼らのとるべき行動を、セレーナは示唆している。
母さんは、その言葉の意味を知ってか知らずか、最初に画面に現れたときと同じ、優しげな表情を崩さない。
セレーナは、通信パネルを一叩きした。
送話を止めたのだ。
いよいよ、その時が来た。




