第8話:ハイ・エルフ、未知なるカカオの調和を識る
「失敗したら俺の給料から天引きされちまう。おい尖り耳、さっさとそのカカオに一番合うハーブと小麦の配合を考えな!」
ドリーの鼻息荒いプレッシャーを受けながら、私は調理台の上に仕分けられた小麦とハーブをじっと見つめた。
南の通商ギルド連合国から輸入された、麗しのカカオ。
この甘美で濃厚な、圧倒的な主役に合わせるべきベースは何か。私は迷うことなく、あの力強い穀物香を持つ『痩せた土地の小麦』の樽を指さした。
「ドリー、粉は痩せた小麦の方を挽いてください。カカオの放つ強烈な風味に合わせるなら、上品で白い肥えた小麦じゃ負けてしまいます。野生味が強くてエグみのあるあの粉だからこそ、濃厚なチョコチップとがっちり四つに組めるはずです」
「ほう、王座に挑むなら力勝負ってわけか。気に入ったぜ!」
ドリーが満足げに牙を鳴らし、凄まじい速度で石臼を回し始める。
粉が挽き上がるのを待つ間、私はカカオに合わせるハーブの選別に入った。私が麻袋から取り出したのは、二種類の植物だ。
「……ミント、それと、ドライラベンダーかい?」
覗き込んできたマルタさんが、珍しく神妙な顔で首を傾げた。
「はい。一つは定番のミントです。カカオの濃厚な甘みに対し、目が覚めるような清涼感を足すことで、食べ飽きない鋭さを生み出します。そしてもう一つは、この乾燥させたラベンダーです。チョコレートのほろ苦い香りに、ラベンダーの華やかでどこか妖艶な花の香りを乗せるんです。これはきっと、高貴な貴族様方の心を惑わせる特別な味になります」
どちらのハーブも、香りが立ちすぎないよう細心の注意を払いながら、まな板の上で細かく、細かく刻んでいく。
やがて、ドリーの丸太のような腕によって、痩せた小麦の粉とカカオマス、そしてチョコチップが混ぜ合わされ、赤紫がかった漆黒の生地がこね上げられた。こればかりは誰も経験がない。未知のパン作りである。
「ドリーさん、生地を伸ばしてください。……よし、まずはミントを入れます。くんくん、……あ、ストップ! ミントはそれ以上入れると小麦の香りが死んじゃいます!」
「おうっ!」
「次はラベンダーの生地です。……少しずつ、少しずつ散らしてください。……くんくん、……うん、良いです! チョコの苦みとラベンダーのフローラルな香りが、まるでお互いを引き立て合うように完璧に調和しています!」
私のエルフの嗅覚だけを頼りに、ドリーの強靭な腕力が生地にハーブを練り込んでいく。香りを確認しつつ、少しずつ、慎重に。
完璧なバランスで成形された二種類の特別な生地が、マルタさんの手によって慎重に薪窯の奥へと滑り込んでいった。
厨房の中に、かつてない緊張感が漂う。
ドリーは腕を組んだままじっと窯の口を見つめ、マルタさんは火の加減を一瞬たりとも見落とさないよう、薪の爆ぜる音に耳を澄ませている。
やがて、窯の隙間から漏れ出してきたのは――言葉を失うほどに贅沢な、チョコレートの焦げる甘い香りと、ハーブの気高い香りだった。
「よし、揚がるよ……っ!」
マルタさんが慎重に木べらを引き出す。
焼き上がりは、完璧だった。
漆黒の肌に美しい亀裂が入り、そこから覗くチョコチップがとろりと艶やかに溶け出している。見るからに重厚で、気品に溢れた二種類の高級チョコパンが、作業台の上でパチパチと誇らしげに声を上げていた。
「さあ、冷めないうちに試食だよ!」
マルタさんが手際よく切り分けてくれた塊を、3人で一斉に口へと運ぶ。
「……っ!!」
噛み締めた瞬間、私の口内は至福の衝撃で満たされた。
ミントを入れた方は、カカオの濃厚さを爽快に突き抜ける大衆向けの新定番。そしてラベンダーを入れた方は、鼻腔をくすぐる優雅な香りが、痩せた小麦の野生味と合わさって恐ろしいほどの高級感を醸し出している。
「これなら天引きどころか、大金星だぜ!」とドリーが感嘆の声を漏らす。
「来月の開国記念祭の目玉商品ができたね」
切り分けた高級チョコパンを愛おしそうに見つめながら、マルタさんが満足げに笑った。
開国の祖、英雄王ランディが剣をとり、マルセーク平定を始めたのが約百五十年前の今の季節、十月頃とされている。それに合わせて、首都アルグスヴルクで年に一度、全土からあらゆる種族が集まる大きなお祭りが開かれるそうだ。
「王室御用達を目指すよ!」
マルタさんが調理台をバン! と叩き、高らかに宣言した。
「ええっ!? お、王室御用達ですか!?」
「あったり前じゃないかい! 通商ギルドの極上カカオに、エルフの目利き、オークの技が詰まったパンだよ? 首都の舌の肥えた貴族どもや、王族の度肝を抜いてやるのさ!」
「へへ、そいつは面白そうだ」とドリーが不敵な牙を覗かせる。
つい先日まで路地裏で行き倒れ、泥をすする覚悟でいた私。そんな不器用なハイ・エルフの選んだハーブが、今度は首都アルグスヴルクで行われる国一番のお祭りで、王室を相手に大勝負を挑むことになってしまった。
憧れの外の世界は、私の想像を遥かに超えて、どこまでも広く、熱く、そして甘美な香りを漂わせながら躍動している。
私は胸の高鳴りを抑えきれないまま、未来の王室御用達(予定)となる漆黒のパンを、もう一度大切に噛み締めるのだった。




