第6話:ハイ・エルフ、英雄王の肖像に違和感を覚える
図書館の最奥にある薄暗いギャラリー。そこに飾られていた初代国王、英雄王ランディの肖像画は、私の想像を遥かに超えて驚くべきものだった。
「……髪が、黒い?」
私は思わず、飾られた何枚もの絵画の前を何度も往復してしまった。
若き日の精悍な姿、玉座に腰掛ける威厳ある姿、晩年の穏やかな姿――描かれた年代は違えど、どの絵を見ても、彼の髪は一貫して深い夜のような『黒』で描かれている。
だが、この世界において、人間の髪が黒いなどということはおよそあり得ないのだ。
この世界に生きる人類、あるいは私たちハイ・エルフのような亜人類にいたるまで、髪の色というのはその者が生まれ持つ『魔力属性』によって決まる。火の属性なら赤、水の属性なら青、風の属性なら緑、そして私の故郷のように大地の属性なら金髪。魔力濃度の強弱で色の濃さが変わったり、似た属性が混ざった色になることはあっても、それがこの世界の絶対の真理だ。
(真っ黒というのは……一体どういうことでしょうか)
四百年の知識を総動員して考える。
あり得るとすれば、答えは二つに一つ。この世界に存在するあらゆる魔力属性を一切持たない『完全な無魔力』か、あるいは、全ての属性を限界突破して兼ね備えている『全属性の覇者』かのどちらかだ。
湯水のように魔導石を使って超技術のインフラを整えた男が、前者なのか、後者なのか。どちらにしても、彼がこの世界の『常識』の外側にいた存在であることは間違いなかった。
さらに肖像画をじっと見つめるうちに、私はもう一つ、妙に引っかかる部分に気がついた。
「あれ……? どの絵も、左手が見えない……?」
そうなのだ。ある絵ではマントの影に差し込まれ、ある絵では椅子の肘置きの陰に置かれ、どの肖像画も彼の『左手の甲』をさりげなく、けれど不自然なほど徹底して隠すような構図で描かれているのだ。
不審に思った私は、ギャラリーの中央へと視線を移した。
そこには、大理石で彫られた初代国王の等身大の石像が据えられていた。愛剣を正面の床に突き立て、両手をその柄の上に重ねて堂々と佇む、英雄王ランディの勇姿。
「……やっぱり」
私は石像の前に歩み寄り、その手元を凝視した。
石像の右手は生身のままだ。しかし、問題の左手には、手首から先を完全に覆い隠すような厚手のグローブがはめられていた。
ただの意匠やファッションにしては徹底しすぎている。なにかあるのかもしれない。
英雄王の石像の前で、私が腕を組んで考え込んで立ち尽くしていると、背後から静かな足音が近づいてきた。
「やっぱりエルフさんも気になりますか、左手?」
振り返ると、そこには書架を整理していた司書さんが、優しく微笑みながら立っていた。私がコクリと頷くと、司書さんは石像のグローブがはめられた左手をそっと見上げながら、声を潜めて教えてくれた。
「これは半分おとぎ話のような伝説なんですけどね。勇者王様の左手には、『知恵の魔晶石』という、名前通り異次元の知恵が湧き出す石が、生まれた時から埋め込まれていたという言い伝えがあるんです。どこまで本当か分からないですけどね」
「生まれた時から、異次元の知恵が……」
私はその言葉を口の中で繰り返した。
もしその伝説が本当なら、あの奇妙な魔導の箱も、子供たちが振り回していた光る剣も、街を爆走していた鉄の怪物も、すべてはその『異次元の知恵』がこの世界にもたらした落とし子なのだろうか。
「……あっ、お仕事の手を止めさせてしまってすみません。教えてくれてありがとうございました」
「いいえ、良い休日を」
司書さんは丁寧にお辞儀をすると、再び書架の整理へと戻っていった。
隠された左手の甲。そこにはきっと、歴史書には決して残せなかった、この国の根幹に関わる大きな秘密があるに違いない。
「……って、これ以上はただのパン屋の店員が考えることじゃないですね」
私はぶんぶんと頭を振って、急速に膨らみそうになる妄想を無理やり打ち消した。
私は故郷の森じゃ変わり者だったけれど、今はただのどんくさい行き倒れエルフだ。世界の謎を解き明かす冒険者ではない。私の今の本職は、美味しいハーブを選んで、ドリーとマルタさんと一緒にまっとうなパンを売ることなのだから。
けれど、この国を創った風変わりな王様への親近感は、ほんの少しだけ増したような気がした。
「よし、明日からの仕事も頑張りましょう!」
私はお腹の虫がキュゥと鳴いたのを合図に大図書館を後にし、マルタさんとドリーが待つ、香ばしい小麦の匂いがする我が家へと、足早に帰り道を急ぐのだった。




