第4話:ハイ・エルフ、商人の国の進取の気風に触れる
ヴォルフさんが三種類ともまとめ買いしていったのを皮切りに、『ひだまりパン亭』のカウンターは、これまで私が経験してきたどの職場よりも目まぐるしい戦場と化した。
「い、いらっしゃいませ! 新商品はいかがですか!温め直しも出来ますよ!」
次から次へとドアをくぐってくるのは、人間の常識しか知らなければ腰を抜かすような、多種族の街マルセークならではのお客さんたちだ。
そして驚いたことに、ドリーがこねて私がハーブを選んだ三種類の新メニューは、それぞれ全く違う層の胃袋へと吸い込まれていった。
「あら、この『ローズマリーとくるみ』、肉の匂いが引き立つ良い香りね! 今日の猪肉のシチューに合わせるられるわ!」
そう言って、犬のような鼻をフンスと鳴らして買っていったのは、大の肉好きとして知られるコボルトの主婦だ。ローズマリーの清涼感が肉の脂っぽさを切ってくれるという私の狙いが、見事に的中した。
「おい、尖り耳の嬢ちゃん! 噂のオレガノのパンをくれ! ドリーの野郎が『ビールに合う』って言ってたってな! 帰ったらエール酒と一緒に流し込んでやるわ!ガハハ!」
赤ら顔に立派な髭を蓄えたドワーフの職人さんは、私の説明を聞くや否や、酒好きの血が騒いだらしく『オレガノとローストアーモンド』を豪快に鷲掴みにして買っていった。
(わ、私の選んだ組み合わせが、ドワーフの鍛冶屋さんにもウケてる……!)
そして、最も意外だったのは――。
「……懐かしいな。このパセリの青々とした香りは、故郷の森の朝露を思い出させる」
店にやってきたエルフの旅人が、『パセリとカシューナッツ』を愛おしそうに眺めていたことだった。
黄金樹の森では変わり者扱いされていた私の知識が、巡り巡って、故郷を遠く離れて商人の国を行く同胞の心を「懐かしい」と慰めている。そう気づいた時、私の胸の奥に小さな灯がともったような、何とも言えない、こそばゆい喜びが込み上げてきた。
もちろん、いつもの普通の堅パンや白パンを買っていく街の人たちも大勢いた。けれど彼らもまた、カウンターの上の物珍しい新商品を興味深そうに眺め、
「へえ、エルフの目利きとオークの腕で作ったのかい? 面白いね、一つもらおうか」
と、ためらいもなく財布を開いていくのだ。
これが、百五十年前につくられたばかりの新興国家、商人の国マルセークの空気なのだ。
古い因習に囚われ、新しいものを『異端』として排除していた私の故郷の森とは、まるで違う。ここには、良いものであれば種族の垣根を越えて積極的に取り入れ、楽しもうとする、瑞々しい『進取の気風』が満ち溢れていた。
「あはは、ユウ! 凄いじゃないかい、新メニューが飛ぶように売れていくよ!」
厨房の奥から、追加のパンを焼きながらマルタさんが嬉しそうな悲鳴を上げる。
ドリーも粉まみれの顔で「おいユウ、これじゃ粉挽きが追いつかねえぞ! 嬉しい悲鳴ってやつだな!」と、白い牙を覗かせて笑っていた。
*
夕方になり、ついにすべてのパンが完売して閉店の時間を迎えた。
心地よい疲労感のなか、私は調理台の上に並べられた三つの貯金箱を見つめる。パンの種類ごとに売上金を分けて入れておいたのだ。
「さあて、第一回売上バトルの結果発表だよ!」
マルタさんがジャラジャラと中身をひっくり返し、手際よく硬貨を数え始める。私とドリーは、ごくりと唾を飲み込んでその手元を見守った。
数分後、マルタさんはぱちくりと目を丸くして、それからガハハと豪快に笑い出した。
「いやぁ、勝負がつかないねぇ! 見事にどれも、ほぼ完全に同点さ!」
「ええっ、同点ですか!?」
「コボルト、ドワーフ、エルフ、それに街の人間たちが、綺麗に自分の好みに合わせて買っていったからね。どれか一つを定番にするつもりだったけど……これじゃあ全部残すしかないじゃないかい」
「おいおいマルタ、そりゃあ嬉しいけどよ」
ドリーが自分の太い腕を叩きながら、呆れたようにため息をつく。
「勝負がつかないってことは、明日からも俺は毎日三種類分の粉を挽いて、生地をこねなきゃいけないってことか? 俺の腕がもつかなぁ」
「大丈夫ですよドリーさん! 私も毎日一生懸命、毒草が混ざらないようにハーブを選別しますから! 食べられるなら泥をすする覚悟はできています!」
「ハハ、頼もしいねぇユウ。……っと、そうだ」
マルタさんは空っぽになった厨房の木樽やハーブの棚を見回し、ふうと息をついて微笑んだ。
「在庫ほとんどなくなっちゃったわ。わたしゃ明日は仕入れに行くとするよ。ユウは図書館に行って勉強してきな」
「あ……! はい、分かりました!」
――『休日にでも図書館に行って、歴史を調べてみるんだね』
働き始めたその日に、マルタさんが私に言ってくれた言葉が頭に蘇る。
これほど優しくて、新しくて、面白い多種族の国がどうやってできたのか、私はもっと知りたかったし、何よりマルタさんとの約束を果たす絶好の機会だ。
明日はいよいよ、初めてのお休み。
私はまだ見ぬ街の大図書館に思いを馳せながら、弾む心で厨房の片付けを始めるのだった。




