第2話:ハイ・エルフ、ちょっと悪い顔でハーブを選ぶ
ゴロゴロゴロ……と、軽快な音を立てて大きな石の碾き臼が回っている。
制服のエプロンをきっちりと着こなしたオークのドリーは、私が全体重をかけてもびくともしなかった取っ手を片手で掴み、平然とした顔で回し続けていた。まさに水車小屋並みの腕力だ。
ドリーが小麦を挽いてくれている間、私は調理台に向かい、新しいパンの試作にあたってハーブやナッツ類の選別を始めた。
「ほう、手際は悪くないね」
背後からマルタさんが覗き込んでくる。
手先は致命的にどんくさい私だが、植物の扱いにかけては四百年の歴史がある。乾燥した草の山から、傷んでいるものや鮮度の落ちたものを、指先で的確により分けていく。
「当然です、これでもエルフですからね。……ん、これは香りが高いですけど、少し苦みが強いですね。パンに練り込むなら一度湯通しした方がいいかも。あ、こっちは毒草……って、なんで大衆向けのパン屋の厨房にこんなものが混ざってるんですか!?」
「おっと、すまないねぇ。こないだ仕入れた安物のハーブ袋に紛れ込んでたらしい」
「危うくこの店が別の意味で裏社会の名店になるところでしたよ……。あ、でも、こっちの甘い香りのハーブは、もしあればチョコレートチップと混ぜると、若い女の子たちに人気が出るかもしれません」
ふんふんと鼻を鳴らしながら、順調にハーブを分類していく。
しかし、ある赤紫色の細い葉を手に取った瞬間、私の手がピタリと止まった。
この独特の、甘ったるい刺激臭。
私の生まれ故郷である黄金樹の森の奥深く――その日当たりの悪いジメジメした場所にだけ群生していた、あの植物だ。里では『人誘いの草』と呼ばれていたハーブである。
私は、じっとその葉を見つめ……それから、ちょっと悪い顔をして、マルタさんに提案してみた。
「マルタさん、マルタさん。これ、すっごく良いことを思いついたんですけど」
「なんだい、その詐欺師みたいな顔は」
「これ、微弱ですけど、摂取すると脳がとろけるような依存性があるハーブなんです。もちろん体に害はありません! これをパンの生地に少量混ぜて売れば、うちの店のパンを食べなきゃ気が済まないリピーターが続出して、お店は大繁盛間違いな――痛っ!?」
言い終えるより早く、私の後頭部に乾いた衝撃が走った。
マルタさんの力強い拳骨によるツッコミである。脳がとろける前に、私の視界が火花でちかちかと明滅した。
「うちはまっとうな商売しかしないよ。それはなしだ!」
「ううぅ……す、すみません……。ちょっとでもマルタさんに恩返しをと思ったら、つい魔が差して……エルフの倫理観が……」
「エルフの倫理観はどうなってるんだい! あんたの故郷の森はマフィアのアジトか何かかい!?」
涙目で頭を押さえる私を、マルタさんは呆れ果てた顔で見下ろしている。
石臼を回していたドリーが、ゴロゴロという音に紛れて「おいマルタ、やっぱりその尖り耳、今のうちに肉にしておいた方が世のためじゃないか?」と、物騒なことをボソリと呟いた。
「食べないって言ったでしょ! ほらユウ、変な気を起こしてないで、その痩せた小麦の香りに負けない『まっとうな』ハーブを選びな!」
「はい……大人しく普通のローズマリーにします……」
危うくお縄につくところだった私は深く反省し、気を取り直して、今度は本当に安全で美味しい組み合わせを真剣に考え始めた。
痩せた土地の小麦が持つ、あの力強い野生味とエグみ。それを消すのではなく、がっちりと噛み合って引き立てるハーブとナッツ……。
「マルタさん、ドリーさん。まっとうなやつ、三パターン考えてみました」
「ほう、聞こうじゃないかい」
マルタさんが腕を組み、ドリーも石臼を回す手を止めずにこちらへ耳を傾ける。私は調理台の上にそれぞれの素材を並べながら説明した。
「まず一つ目は、『ローズマリーとくるみ』の組み合わせ。これは王道ですね。ローズマリーの爽やかな香りが小麦の野生味を上品に包み込んで、くるみの香ばしさと油分が、痩せた小麦のパサつきを補ってくれます」
「なるほどね、悪くない」
「二つ目は、『オレガノとローストアーモンド』。オレガノの少しほろ苦い風味が、小麦のエグみと綺麗に同調して、深みのある大人の味になります。カリカリとしたアーモンドの食感も良いアクセントになるはずです。そして三つ目は……ちょっと冒険ですが、『パセリとカシューナッツ』です」
「パセリとカシュー?」
ドリーが怪訝そうに突き出た牙を鳴らした。
「はい。パセリの青々とした清涼感が小麦の雑味をさっぱりと消してくれます。そこに、あえて甘みの強いカシューナッツを合わせることで、噛めば噛むほど味が変わる面白いパンになると思うんです!」
一気に語り終えると、厨房が一瞬、静まり返った。
マルタさんは並べられたハーブとナッツをじっと見つめ、それからドリーと顔を見合わせて、ニヤリと笑った。
「面白いねぇ。ユウ、あんたのその長い耳は飾りじゃないらしい。ドリー、粉は挽き終わったかい?」
「おう、バッチリだ。いつでもこねられるぜ」
「よし、じゃあその三種類、全部試作してみようじゃないの!」
そこからは、職人たちの本領発揮だった。
ドリーが挽きたての粉に水と酵母、そして私の選んだハーブとナッツを混ぜ込み、大きな木桶の中で生地をこね始める。
「おおお……!」
私はその光景に目を見張った。
ドリーの丸太のような腕が動くたび、粘り気のある生地がまるで生き物のように形を変えていく。その手つきは、恐ろしい怪力からは想像もつかないほど、繊細で、正確で、無駄がない。
オークの強靭な筋力で完璧に叩きつけられ、こね上げられた生地は、私が見たこともないほど美しい弾力とツヤを放っていた。ただのベジタリアンな怪力豚(失礼)じゃなかった。彼は本物のパン職人だ。
やがて、成形された三種類の生地が、マルタさんの手によって赤々と燃える薪窯の中へと滑り込んでいく。
厨房の中に、じわじわと熱気が満ちていく。
それと同時に、ただの小麦だけではない、ハーブの爽やかな香りとナッツが熱されて弾ける香ばしい匂いが、静かに立ち上り始めた。
「よし、いい焼き色だ。出すよ!」
マルタさんの掛け声とともに、窯の奥から大きな木べらでパンが引き出された。
ゴトゴトとした力強い焼き色のついた、三種類の焼き立てパン。厨房の作業台に並べられたそれらは、パチパチと小さく、まるで「美味しく焼けたよ」と主張するように微かに鳴いている。
「さあ、試食タイムだ。熱いうちにちぎって食べな!」
マルタさんがナイフで手際よく切り分けてくれた塊を、私はふーふーと息を吹きかけながら、まずは『ローズマリーとくるみ』から口に運んだ。
「……っ! 美味しい……っ!!」
噛んだ瞬間、ローズマリーの清涼感ある香りが鼻に抜け、そのすぐ後に小麦の力強い野生味が追いかけてくる。痩せた小麦のパサつきは、くるみの濃厚な油分で見事に相殺され、信じられないほどしっとりとした深い味わいに化けていた。
「おいおい、こっちの『オレガノとローストアーモンド』も凄げえぞ」
ドリーが大きな手でパンを頬張り、突き出た牙を震わせる。
「オレガノのほろ苦さが、小麦のエグみと完全に噛み合ってコクになってやがる。カリカリしたアーモンドの歯ごたえも最高だ。ビールが欲しくなるね」
「私はこの『パセリとカシューナッツ』が気に入ったよ」
マルタさんが目を細めて満足げに頷く。
「パセリのおかげで、あの雑味が嘘みたいにさっぱりしてる。それでいて、後からカシューナッツの優しい甘みがじわっと染み出てくるんだ。これは飽きがこないよ」
三種類、すべてが大成功。
あの混ぜて安売りするしかなかった小麦が、ドリーの完璧な粉挽きと職人技、マルタさんの絶妙な焼き加減、そして私の『目利き』によって、余所では絶対に食べられない絶品パンへと生まれ変わったのだ。
「うぅ……良かった……。私、本当に役に立てたんですね……」
不器用で、どんくさくて、どこに行ってもクビになっていた私が、初めて人から認められた。視界がじわじわと涙で滲んでいく私を見て、マルタさんはガハハと豪快に笑い、私の肩を叩いた。
「あったり前じゃないかい! あんたのおかげで、極上の新メニューが三つもできちまったよ。……さあて、こうなると贅沢な悩みだね。どれも美味すぎて、どれをうちの看板商品にするか決めかねるよ」
「だったらさ、マルタ」
ドリーがエプロンで手を拭きながら、ニヤリと不敵に笑った。
「明日から三種類とも全部店頭に並べてみようぜ。しばらく売れ行きを競わせて、一番売り上げが良かったやつを定番メニューにするってのはどうだ?」
「お、いいねぇドリー! 売上競争かい、商人の街マルセークらしくて最高じゃないの!」
マルタさんはパチンと指を鳴らすと、涙を引っ込めて呆然としている私に、悪戯っぽいウィンクを投げかけた。
「ってなわけでユウ! 明日の開店から、あんたには売り場に立ってもらうよ。自分の提案したパンがどれだけ売れるか、その自慢の耳と目でしっかり見届んだね!」
「えっ、わ、私が接客ですか!? どんくさいのに大丈夫でしょうか……」
「大丈夫、大丈夫! 元気な声さえ出しときゃ、可愛いエルフの店員ってだけで客寄せパンダくらいにはなるさ!」
こうして、違法ハーブによるお縄の危機を免れた私は、翌日から人生初となる「パン屋の売り子」として店頭に立つことになった。
多種族がひしめくマルセークの市場で、果たして私のどんくさい接客は通用するのか。そして、三種類の試作パンの売り上げバトルの行方は――?
私の新しい毎日は、焼き立てのパンよりも熱く、慌ただしく転がり始めていた。




