第17話:ハイ・エルフ、ホテルのエントランスで魔法のカードをかざす
リリリリン、と枕元から涼やかで小気味良いアラームの音が部屋に鳴り響き、私はゆっくりと目を覚ました。
「……えーっと、ここはどこだっけ……?」
あまりにもふかふかで極上のクッションが効いたベッドに、一瞬だけ頭が戸惑う。
──そうだ、私は昨日、魔導列車に乗って大陸の中心たる王都アルグスヴルクへやってきて、最高級のホテルに泊まっていたのだった。
ベッドから起き上がろうとしたけれど、昨晩、二十階の天上レストランであの極厚テンダーロインステーキやローストビーフを貪り食いすぎたせいで、お腹が少し重い。うう、四百歳のハイ・エルフにあるまじき、完全なる胃もたれである。
そんな私自身のどんくさい消化器官に呆れていると、コンコンとドアを叩く音がした。
「おーいユウ、朝飯に行くよ! 朝は普段着でいいってさ!」
マルタさんの元気な声だ。
普段着、かぁ……。私の手持ちの服といえば、支給された『ひだまりパン亭』の純白の厨房服か、あるいは故郷の森を出てくるときに持ってきた、胸元に古代エルフ語の文字が大きくプリントされたTシャツとジーンズくらいしかない。
ちなみにそのTシャツに書かれている古代エルフ文字、意味はズバリ【働きたくない】である。(たぶん人間の街の服飾デザイナーさんが、エルフの文字の字面のカッコ良さだけで適当に配しただけで、本当の意味なんて絶対に知らないと思う。無職の行き倒れが着るには自虐が効きすぎてるよね)。
まぁ、厨房服姿でホテルの朝食会場に行くのも変だし、とりあえずはこれでいいか。もしかしたら、今日の王都見学の途中で市場に寄ったとき、新しいまともな上着くらいは買えるかもしれない。
私は急いでそのTシャツとジーンズを身につけ、十九階の昇降機ホールへと向かった。
*
朝食会場のビュッフェに並ぶと、隣にいたドリーが私の皿を見てにこやかに笑った。
「お、今朝はさすがにお肉は食べないんだな」
「うぐっ……返す言葉もありません……」
私はドリーのベジタリアンな視線から逃げるように、サラダバーで大きめのボウルにレタスを敷き詰め、キャベツの千切りをメインとして多めに、キュウリとプチトマトを乗せた。植物の声を聴く私だからこそ知っているが、キャベツの持つ薬効は胃の粘膜を優しく整えてくれるのだ。
そこに薄味のドレッシングを少しだけかけ、副菜として深めのスープボウルに、カボチャの温かいポタージュを注いで席に着いた。暴飲暴食をした次の日の朝は、これくらいが本当にちょうどいい。
ポタージュをちびちびと飲みながら周りの宿泊客を見回すと、昨晩のドレスやタキシードのきらびやかさが嘘のように、誰もが思い思いのラフな普段着を着ていた。
中には、寝間着のまま平然と席について、高級そうな新聞を読みながら優雅にフォークを進めている人間のおじさんまでいる。
マルタさんはお店で着ているのの色違いの服。そしてドリーは、すっきりとしたチノパンに、仕立ての良いライトジャケットを羽織っていた。……なんか、オークのくせに悔しいくらいお洒落だな、こいつ。
食べ終わって、マルタさんとドリーは食後のコーヒー、私は冷たいリンゴジュースを飲んでいると、給仕服を着たウェイターさんが、私たちのテーブルに一枚の綺麗なメッセージカードを持ってきてくれた。
『お食事が終わりましたら、早速、王都をご案内します。出来ましたら、動きやすい普段着でお越しくださいますよう、お願いいたします。ヘイスティ』
「よし、お迎えが来たようだね。いくよ!」
私たちはジュースとコーヒーを飲み干し、昇降機で一階のロビーへと降りた。
*
そこでは、ケンタウロスのヘイスティさんが、背筋をピシッと伸ばして待っていてくれた。私たちがいつ降りてくるかも分からないのに、ロビーで新聞を読んだりして時間を潰す様子もなく、ただ私たちの到着を凛と待っている。
(……さすがは、あの腰の軽い若旦那の優秀な番頭さんだなぁ)と、そのプロフェッショナルな姿勢に密かに感心してしまう。
しかし、ロビーからホテルの外の通りへと一歩出た瞬間、私は思わず身震いをした。
「……くちゅんっ! さ、寒いです……」
Tシャツ一枚の腕に、冷たい風が容赦なく吹き付ける。
人間の世界において、十月も半ばになると秋の深まりと共に、一気に気温が冷え込んでくるのだ。私のいる地方都市サイディーンに比べて、この王都アルグスヴルクはずいぶんと北に位置しているらしい。これは何が何でも、今日の市場見学で防寒用の上着を買わなくちゃなぁ……。
そう思って腕をさすっていたら、ヘイスティさんがスッと近寄り、薄手なのに驚くほど軽い、何やら中に鳥の高級な羽毛がみっちりと詰まった不思議な防寒ジャケットを、私の肩へとそっとかけてくれた。
「へい、もとい、若旦那が『あの人間の女将やオークはともかく、あのうすほそにアルグスヴルクの寒さは堪えるだろう』との仰せで、事前に用意してお持ちいたしました。どうぞお使いください、ユウ様」
……。
服をくれたのはめちゃくちゃ嬉しいし、体も一瞬でポカポカと温まってきたけれど。
(――……一言、余計じゃいっ!!!)
うすほそって言うな。私の右手が、無意識のうちに綺麗な弧を描いて脳天手刀を繰り出しそうになるのを、私は奥歯をガチガチと鳴らして必死でこらえた。
ご自身の頭頂部にとんでもない危機が迫っていたことなど一ミリも気づかない様子で、ヘイスティさんは笑顔のまま、大通りに待機していた四人乗りのシンプルな馬車へと私たちを案内してくれた。
*
ほっ、と胸をなでおろす。
もし、あからさまに豪華絢爛で、あからさまに『王宮直属・王室御用達』と書かれた金ピカの馬車が停まっていたらどうしようかと思ったけれど、街に馴染むごく普通の黒塗りの馬車だった。これならお上りさんであっても、周囲から奇異な視線でみられる心配もないだろう。
いざ乗り込もうとした、その時だった。ヘイスティさんが「おっと、忘れておりました」と私たちを呼び止めた。
「皆さまに、若旦那からこれを預かっております」
そう言って手渡されたのは、一人一枚ずつの、不思議な模様が刻印された手のひらサイズの小さな硬質カードだった。
「これ……なんですか?」
私が長い耳をパタパタさせて首を傾げると、ヘイスティさんは大真面目な顔でそれを指さした。
「【クレジットカード】と申します。まぁ、要するに高度な信用取引の魔導具ですな。このカードをお店で見せれば、王都のどの店であっても好きなだけ買い物ができ、その決済はすべて、後日私どもの商会が一括で行います。限度額はありますが、常識的な範囲なら不自由はない筈です」
「へえ、便利なもんだねぇ! おまけにツケは全部そっち持ちとは、あの若旦那、大層な太っ腹じゃないかい!」
マルタさんがカードを指でつまみ、秋の太陽の光にかざしながら、感嘆したように声を漏らす。
好きなだけ買い物をしていいカード。ツケはすべて国王陛下持ち。
その圧倒的な大富豪パワーに、私の脳裏に一瞬、超高級な『陶器の特製ティーセット』の美しい姿がよぎった。……けれど、私はすぐさま頭を振ってその贅沢な妄想を打ち消した。
(ダメです。そんな高級品、どんくさい私が買ったら、数日……いや、確実にサイディーンに持ち帰る途中の平地で派手にコケて、パリンと割る未来しか見えません……。大人しく上着だけにしておきましょう……)
自分の不器用さを深く呪いながら、私は大人しくカードをジーンズのポケットへと仕舞い込んだ。いくらどんくさい私でも、これを落とすわけにはいかないぞ……。
「それでは、馬車にお乗りください。まずは皆様が一番ご興味がありそうな、王都最大の市場へとまいりましょう!」
ヘイスティさんの爽やかな掛け声と共に、馬車が滑らかに走り出す。
手には国王公認の無制限(?)魔法のカード。
引きこもりエルフの王都市街探索は、お財布の心配を完全に消し飛ばした状態で、いよいよその賑やかな幕を上げるのだった。




