第11話:ハイ・エルフ、ただの反物問屋(設定崩壊)と交渉する
マルタさんが『陛下』と呼んだその男性の顔を、私は床に這いつくばる直前の視界で、もう一度よく凝視した。
髪の色こそ綺麗な銀色(ミスリルの糸と同色だ)だけれど、その顔立ちは、昨日私が大図書館の奥で見た『英雄王ランディ』の若き頃の肖像画と瓜二つだったのだ。マキシマム家の血筋、恐るべしである。というか、やっぱり本物の王様じゃないですかぁ!?
「申し訳ありませんっ! 私はどうなっても構いません! 処刑でも精肉所送りでも泥を啜らせるのでも、なんでも好きにしてください! ですから、このお店だけは平に平にご容赦を!!」
私はカウンターの床に額をパチーン! と擦りつけ、必死に頭を下げた。新入りのどんくさいエルフのせいで、命の恩人であるマルタさんや、ベジタリアンなドリーまでお縄になるなんてこと、絶対に耐えられない。
「……おいおい、顔を上げなよ。ただの反物問屋だと言っただろう。それにだ、黄金樹のハイ・エルフにチョップされるなど、末代までの語り草だからな」
(――今なんか、もの凄く失礼なルビを振られた気がするけど!?)
引きこもりって言ったよね今。
それに、一国の王様がハイ・エルフに脳天チョップを喰らったなんて不名誉な歴史、お願いだから末代まで語り継がないでほしい。王家の裏歴史書に「四代目はうすほそエルフの手刀に屈した」とか書かれたら末代までの呪いだ。私に末代とかあるのか知らないけど。
私が涙目で恐る恐る顔を上げた、その時だった。
店の大きなドアが勢いよく開き、やはり身なりのいい、けれど息をゼェゼェと切らせた数人の男たちが店内へ飛び込んできた。
「へい……じゃなかった、若旦那! 勝手にほっつき歩かないでください!」
「番頭たちがどれだけ血眼になって探したと思っているのですか!」
(あ、その『反物問屋の若旦那』って設定、お供の人たちもまだ一応続けるつもりなんだ……)
あまりにも無理のある設定に、私の心の中のツッコミが追いつかない。そのうちの一人が、私に向かってそっとため息をついた。
「すいませんね、うちの若旦那、やたらと腰が軽くて……」
(あぁ、この人たち、いつもこのワガママ王様相手に振り回されて、苦労してるんだなぁ……)
思わずお供の臣下さんたちに同情の視線を送ってしまう。しかし、『若旦那』ことライル陛下はそんな周囲の空気を意に介した様子もなく、パッと手を振った。
「そんなことはどうでもいい。ところで女将、あの見事なチョコチップブレッドを薄切りにして売っているのか?」
陛下はカウンターの上に並んでいた、スライスされたチョコパンへと視線を落とした。
「……庶民向けの商売としては悪くないが、やはりアレは丸ごと食わないとその醍醐味はわからん。アレは塊のまま味わうべき、至高の逸品だ」
その言葉に、私はハッと目を見開いた。
この人、うちのチョコブレッドを食べたことがあるのか。……あ! そういえばドリーが言っていた、先行販売の初日に一つ銅貨十枚のパンを「これは素晴らしい!」と買って行ってくれたという『好事家の金持ち』って、もしかしなくてもこの人(変装した王様)だったんじゃなかろうか!
「そこでだ、女将。来月の開国記念祭、アルグスヴルクの王宮広場に特設御用達テントを俺様のコネで一つ確保してやる」
ライル陛下は赤くなった頭をさすりながら、マルタさんに向けて一気に告げた。コネとか言ってるところを見ると、まだ設定は生きているらしい。
「そこでこのパンを塊のまま、首都の貴族どもの財布から金を毟り取る勢いで大々的に売り出して見せろ。……あ、俺の分の取り置きは忘れないようにな」
「……っ!」
厨房の奥で、マルタさんの目がカッと見開かれた。王室御用達。お祭りの一等地に、国が用意した特設テント。これ以上ない、私たちの野望への最高のパスポートだ。
「騒がせたな。それから今あるチョコブレッド、まだ塊はあるな? それを全部包んでくれ」
そう言うと、陛下は懐の財布から金貨を四枚、ジャラリと無造作にカウンターへと置いた。金色の輝きが、厨房のランプの光を反射して目眩がするほどにきらめく。この4枚で銅貨10枚のチョコブレット1000個分に相当する。えええ…。
「迷惑料だ。釣りは取っておけ」
「は、はいっ! 喜んでお包みいたします!!」
私はマッハで立ち上がり、厨房に残っていた試作分まで含めたチョコブレッドの塊をすべて、これ以上ないほど丁寧に紙袋へと包んで陛下へと手渡した。
「うむ。開国記念祭を楽しみにしているよ、ハイ・エルフのお嬢さん」
最後まで余計なルビを忘れない銀髪の国王陛下は、お供の男たちに「さあ、帰るぞ」と促して、満足げに高級チョコパンの袋を抱えて店を去っていった。
カランカラン、とドアベルが鳴り響き、再び静けさが戻った厨房。
「通商ギルド連合との貿易路、もっと太くしなきゃいかんなぁ…」
と、遠くから聞こえた気がした。
私とマルタさん、そしていつの間にか後ろに立っていたドリーの三人は、カウンターの上にポツンと残された四枚の金貨を、ただただ言葉を失ったまま見つめ続けるしかなかったのだった。
「嵐のような漢だったな…」
ドリーが呟いた。




