↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神は赦しても、私は赦しません ――信仰心ゼロの聖女ですが、神の声が聞こえるので悪党どもを逃がしません  作者: tomato.nit
2章 赤髪のアグネス

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
26/27

第26話 明日の分


 男に教えられた教会は、下町の外れにあった。


 小さな鐘楼のある、白い石造りの建物だった。


 入口から道へ向かって列が伸びている。老人もいれば、子供を連れた女もいる。仕事着のまま並んでいる男たちの中には、先ほどアグネスの炊き出しで見かけた顔もあった。


 イレイナは列から少し離れたところで足を止める。


「思ったより、普通ですね」


「少なくとも、外から見る限りは」


 リリアナの言う通りだった。


 列を整理する神官は穏やかで、声を荒らげる者もいない。順番が来れば、机の向こうから紙に包まれたパンが一つ渡される。


 イレイナは黙って何人かを見る。


 男が一人。


 老婆が一人。


 母親には一つ。その横にいた子供にも一つ。


 どれも同じ大きさだった。


「……本当に、あれだけなんですね」


「そのようです」


 イレイナは列の脇を抜け、配給机へ向かった。


 こちらに気づいた神官が目を見開き、慌てて背筋を伸ばす。


「これは、イレイナ様。まさかこちらへお越しになるとは」


「突然すみません。配給の様子を少し見せていただいても?」


「もちろんです。どうぞ、こちらへ」


 快く場所を空けられ、イレイナは机の上を覗いた。


 並んでいるのは、掌より少し大きい程度のパンだった。焼き色は悪くないし、見る限り質を落としている様子もない。


「こちらを、一人に一つ?」


「はい。どなたにも同じものをお渡ししております」


「一日分として?」


「そうです」


 神官は何の迷いもなく答えた。


 イレイナはそれ以上聞かず、少し横へ退いた。


 配給はそのまま続いていく。


 名前を確認し、パンを一つ渡す。


 受け取った者は頭を下げ、紙包みを抱えて帰っていく。


 しばらく眺めてから、イレイナは小声で尋ねた。


「足ります?」


「足りないでしょうね」


 間髪を入れず返ってきた。


 イレイナはリリアナを見る。


「ですよね」


「はい」


 それだけ確認すると、もう一度配給所へ目を向けた。


 奥から空になった籠が運び出され、代わりに新しい籠が入ってくる。その後ろで扉が開いた。


 中に木箱が積まれているのが見えた。


「すみません。あちらは?」


「保管庫です」


「見ても構いませんか?」


 神官は一度だけ奥を振り返った。


「ええ。もちろんです」


 案内された保管庫には、思っていた以上の量があった。


 棚にも、木箱にも、布を掛けた籠にもパンが入っている。今日配っているものと同じものだった。


 床は乾いていて、壁際には虫除けの香草まで吊るされていた。


 イレイナは手前の箱を覗く。


「ずいぶんありますね」


「明日以降に配る分もありますから。今年は寄進が多く、大変ありがたいことです」


「足りなくて一つしか渡せないわけではないんですね」


 神官が少し不思議そうな顔をした。


「ええ。今のところ、その心配はありません」


「だったら、もう一つ渡してもいいのでは?」


 今度は返事までに少し間があった。


「今日、ですか?」


「今日です。あれでは足りないでしょう」


 神官は困ったように眉を下げる。


「ですが、今日多くお渡ししてしまえば、明日の配給を受けに来られない方も出ます」


 イレイナは箱の中から顔を上げた。


「明日も来てもらう必要があるんですか?」


「毎日お渡しするための配給ですから」


 神官は当然のこととして答えた。


「一度に多く渡すより、必要な日に必要な分をお渡しする。その方が長く支援を続けられます」


 イレイナはもう一度、箱の中を見た。


 パンはある。


 少なくとも、今日の分が足りないわけではない。


「責任者の方と、お話しできますか?」


     


 配給を取り仕切っている男は、教会の裏手にある執務室にいた。


 五十を少し過ぎたくらいだろうか。白い法衣は襟元まできっちり留められ、机の上の紙も綺麗に揃えられている。


 イレイナを見るなり立ち上がった。


「聖女様にお越しいただけるとは。何か至らぬ点がございましたか?」


「少し気になることがありまして。配給について伺っても?」


「もちろんです。何なりと」


 勧められた椅子へ向かう途中で、壁に掛けられた大きな板が目に入った。


 いくつもの教会名と、その横に数字が並んでいる。


「これは何ですか?」


「ああ、救恤の実績です」


 男は嬉しそうに立ち上がり、板の前まで歩いた。


「各教会が月にどれだけ支援を行ったか、人数を集計しております。互いの取り組みを知るためにもなりますので」


 この教会は二番目だった。


 一位との差は、あと僅かしかない。


「随分、上の方なんですね」


「昨年も二位でした。今年こそは首位をと、皆で力を入れているところです」


 男は二位の数字を指で示した。


「今月は特に順調です。配給を始めてから、利用される方も着実に増えています」


 イレイナは椅子に座らなかった。


「一つ聞いても?」


「ええ」


「配るパンを少なくしているのは、その人数を増やすためですか?」


 男の眉が寄った。


「少なくしている、というのは?」


「一度に十分渡せば、翌日は来ないでしょう」


「ああ」


 ようやく意味が分かったらしい。


 男は小さく頷いた。


「確かに、数日分をまとめて渡すことはしておりません。食べ物は、一度渡して終わりではありませんから」


「でも、あの量では今日一日も持ちませんよ」


「だからこそ、明日も来ていただけます」


 あまりに自然な返事だった。


 イレイナは男を見る。


 男もイレイナを見返している。


「毎日足を運んでいただければ、こちらも毎日その方の様子を確認できます。今日も無事だった。明日も食事を受け取れた。それを積み重ねることが、継続した救済になると考えています」


 男は壁の板へ目を向けた。


「それに、一人の方へ一度に多く渡すより、その分を多くの方へ行き渡らせた方が、救える人数も増えます」


「倉庫には余っていましたよね」


「余っているわけではありません。明日のために残しているのです」


 イレイナは少し黙った。


「今日、お腹を空かせている人がいるのに?」


「明日、お腹を空かせる人もいます」


 返事は早かった。


 男は本気だった。


 困っている者を見捨てているつもりなど、おそらく少しもない。


 壁には二位の数字がある。


 窓の向こうでは、今日も列が伸びている。


「一人が今日と明日、一度ずつ食事を受け取れば」


 イレイナが言う。


 男は頷いた。


「二日続けて、その方を救うことができます」


 そこで、ようやく分かった。


「……なるほど」


「ご理解いただけましたか?」


「ええ」


 イレイナは笑った。


「とてもよく」


 その声に何かを感じたのか、リリアナがわずかに顔を上げる。


 イレイナは壁の順位表を見た。


 二位。


 首位までは、あと少し。


「今日の配給は、夕方まででしたね」


「はい。この調子なら、本日もかなりの人数になるでしょう」


「それは素晴らしいです」


 イレイナは聖女らしく微笑んだ。


「せっかくですから、最後まで見せていただきますね」


「ええ、ぜひ。現場の者たちも励みになります」


 男は嬉しそうに頭を下げた。


 その横で、リリアナだけが何も言わなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。