↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神は赦しても、私は赦しません ――信仰心ゼロの聖女ですが、神の声が聞こえるので悪党どもを逃がしません  作者: tomato.nit
2章 赤髪のアグネス

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
27/27

第27話 今日はたくさん救いましょう


 執務室を出ても、教会の前にはまだ長い列が残っていた。


 昼を少し回ったばかりだ。


 配給台では、神官が紙に包んだパンを一つずつ手渡している。受け取った者は頭を下げ、そのまま道の向こうへ消えていった。


 イレイナはしばらく、それを眺めた。


「大変、勉強になりました」


 後ろから出てきた責任者が、満足そうに頷く。


「ご理解いただけたのであれば何よりです。救恤とは、ただ多く与えればよいというものではございませんから」


「ええ。本当に」


 イレイナはにこやかに答えた。


 隣で、リリアナが少しだけ目を伏せる。


「せっかくですので、私もお手伝いしてよろしいですか?」


「もちろんですとも。聖女様から直接お渡しいただければ、皆もどれほど喜ぶことか」


 責任者はすぐに配給台の一角を空けさせた。


 神官たちも歓迎している。


 イレイナはヴェールを整え、積まれたパンを一つ取った。


 最初にやってきたのは、腰の曲がった老人だった。


「いつもありがとうございます」


「こちらこそ、お越しいただきありがとうございます」


 パンを渡す。


 老人は両手で受け取り、深く頭を下げた。


 帰ろうとしたところで、イレイナは呼び止める。


「少しよろしいですか?」


「はい?」


「それで、今日一日足りそうですか?」


 老人は手の中のパンを見た。


「今日一日、ですか」


 少し考えてから、困ったように笑う。


「夕方まで持てば、いい方でしょうな」


「そうですか」


 イレイナは頷いた。


「では、もう一度並んでください」


 老人が目を瞬いた。


 後ろにいた責任者も、同じような顔をしている。


「……もう一度、ですか?」


「ええ。まだ足りないのでしょう?」


 老人はパンとイレイナを交互に見た。


「ですが、今日はもういただきましたし」


「構いません。順番だけ守っていただければ」


 恐る恐る、老人が最後尾へ向かう。


 列にいた者たちが、その背中を目で追った。


「イレイナ様」


 責任者が一歩近づく。


「通常、一度配給を受けられた方には、また翌日に――」


「こちらで一日、足りますか?」


 イレイナは次に来た女へ尋ねた。


 幼い子供を連れている。


 女は渡されたパンを見て、少し迷った。


「この子と分けますので……夜までは難しいかと」


「でしたら、足りなければもう一度どうぞ」


「よろしいんですか?」


「もちろんです」


 女は戸惑いながらも頭を下げ、子供の手を引いて列の後ろへ回った。


 配給台の前がざわつき始める。


 それでもイレイナは、次のパンを手に取った。


 一つ渡す。


 足りるか聞く。


 足りなければ、もう一度並んでもらう。


 しばらくすると、最初の老人が戻ってきた。


「お待たせしました」


 イレイナは二つ目のパンを差し出す。


「これで足りそうですか?」


 老人は二つの包みを見比べた。


「ええ。これだけあれば、今日は」


「それはよかったです」


 老人は今度こそ嬉しそうに笑い、何度も頭を下げながら帰っていった。


 イレイナは責任者を見る。


「二度、救えましたね」


「それは……」


 責任者の口が止まる。


 その横をリリアナが通り、列の方へ向かった。


「まだ足りない方は、もう一度最後尾へお並びください。順番を守っていただければ問題ありません」


 その一言で、空気が変わった。


 最初は周囲の様子を窺っていた者たちも、一人、また一人と列へ戻り始める。


「本当に、また貰っていいんですか?」


 仕事着の男が、不安そうに尋ねた。


「まだお腹が空いているんでしょう?」


「まあ……そりゃあ」


「なら、どうぞ」


 イレイナはパンを渡した。


 男が頭を下げる。


 その後ろでは、子供が母親の袖を引いていた。


 母親はしばらく迷ってから、その手を引いて列の後ろへ向かった。


 パンが減り始めた。


 一つ目の籠が空になり、神官が新しいものを運んでくる。


 それもすぐに底が見え始めた。


「イレイナ様」


 責任者が、今度は声を落として近づいてきた。


「少々、よろしいでしょうか」


「何でしょう?」


「このままでは、明日以降の分まで使うことになります」


「まだ保管庫にはありますよね」


「ですが、それは明日のための――」


「今日、お腹を空かせている方がいらっしゃいます」


 責任者が言葉を詰まらせる。


「一日に何度も配給するというのは、これまでの運用では」


 イレイナは首を傾げた。


「昨日と今日で一度ずつなら二度救えて、今日二度では駄目なのですか?」


「それは……同じ日ですから」


「ですが、二回ですよ?」


 にこりと笑う。


「実績にも二回と記録されるのでしょう?」


 責任者の顔が固まった。


 イレイナは次のパンを取る。


「でしたら、何も問題ありませんね」


「しかし」


「全部配れとは言ってませんよ」


 笑顔は崩さない。


「今日必要な分を、今日渡しているだけです」


 責任者は列を見た。


 何人もの人間が、こちらを見ている。


 その前で聖女が自らパンを渡していた。


 しばらくして、責任者は口を閉じた。


 配給はそのまま続いた。


 先ほどアグネスの炊き出しにいた男もやってきた。


 二度目のパンを受け取ったところで、イレイナが尋ねる。


「これで今日は足りそうですか?」


 男は二つの包みを持ち、少し考えた。


「はい。これなら、仕事を終えて家まで帰れます」


「そうですか」


 今度は、もう一度並べとは言わなかった。


 男はパンを抱え、列から離れていく。


 その後も、必要な量を受け取った者から帰っていった。


 何度も最後尾へ戻っていた人が、一人ずついなくなる。


 気づけば、昼過ぎまで道を埋めていた列は半分ほどになっていた。


 最後の一人へパンを渡した頃には、配給台の籠にも底が見えていた。


 それでも、保管庫には明日の分が残っている。


 イレイナは指についた小麦粉を払った。


「終わりましたね」


「……はい」


 責任者の返事には、先ほどまでの張りがなかった。


 そこへ神官が一人、小走りで近づいてきた。


「責任者様」


「何だ」


「本日の集計なのですが」


 神官は手元の紙を見た。


「一位を上回りました」


「何?」


 責任者の顔が上がる。


「本当か?」


「はい」


 その表情が、一瞬で明るくなった。


「そうか……!」


 壁の順位表が書き換えられる。


 二番目にあった教会の名前が、一番上へ移った。


「おめでとうございます」


 イレイナは両手を合わせた。


「念願の一位ですね」


「ありがとうございます!」


 責任者は胸を張った。


「昨年から、皆で目指してきたものです。ようやく努力が――」


「では、明日からも今日のように配れますね」


 声が止まった。


「……はい?」


「今日、こんなにたくさん救えたじゃないですか」


 イレイナは順位表を見る。


「しかも一位です」


「ですが、首位を維持するためには、今後も安定した件数を――」


「でしたら、同じようにすればよろしいのでは?」


 イレイナはヴェールを整えた。


「お腹が空いている方に、足りるまで渡す。何度も並んでいただけば、その分だけ実績も増えるんでしょう?」


「それは……」


「よかったですね」


 にこりと笑う。


「やり方を変えなくても、もっとたくさん救えますよ」


 責任者は何も言わなかった。


 リリアナが静かに一礼する。


「それでは、私たちはこれで失礼いたします」


「今後とも、皆様をよろしくお願いします」


 イレイナも聖女らしく頭を下げた。


 教会を出るまで、笑顔は崩さなかった。


 角を曲がり、配給所が見えなくなる。


「……くだらねぇ」


 途端に肩が落ちた。


「念願の一位にはなれましたね」


「なりたきゃ最初から、腹いっぱい食わせて一位になれってんだよ」


 リリアナが小さく笑う。


「明日からも、今日のようにしてくださるでしょうか」


「しなかったら、あたしが行く」


「毎日ですか?」


「三日も居座れば嫌になるだろ」


 イレイナは足を止めなかった。


「それでも直さないなら、五日に増やす」


「それは嫌でしょうね」


「だろ」


 二人はそのまま、午後の日差しの中を神殿へ戻った。



 翌朝、アグネスの炊き出しを訪れると、いつもより列が短かった。


 大鍋からは変わらず湯気が立っている。


 だが、昨日まで早い時間から並んでいた顔がいくつか見当たらない。


 昨日、二度パンを受け取った男も来ていなかった。


「減ってますね」


「ええ。今日は少し余るかもしれません」


 アグネスが粥をかき混ぜる。


「だったら残しとけ。今日来なかったからって、明日も腹が減らねぇわけじゃないだろ」


「そういたします」


 アグネスは素直に頷き、鍋の火を少し弱めた。


「そういえば、昨日いらした教会ですが」


「何だよ」


 嫌な予感がして、イレイナは眉を寄せる。


「あの配給方法、以前からではなかったようです」


「は?」


「少し前までは、必要に応じてもう少し多く渡していたそうですよ」


 アグネスは椀へ粥をよそい、列の先頭にいた老人へ手渡した。


 老人を見送ってから、何でもないことのように続ける。


「何か月か前に、救恤のやり方について助言された方がいらしたとか。それから実績を随分気にするようになったそうです」


 イレイナは少し黙った。


「……誰に?」


「そこまでは」


 アグネスは次の椀を取る。


「ただ、あの教会だけではないようです」


 イレイナの眉間に皺が寄った。


「他にも?」


「ええ。救恤の運営が上手くなると評判の方だそうですよ」


「どう上手くしたら、昨日みたいになるんだよ」


「実績は増えていましたでしょう?」


 アグネスが柔らかく笑った。


 イレイナは何も言わなかった。


 鍋から上がった白い湯気が、目の前を横切っていく。


「……ろくでもねぇ奴の匂いがする」


「まあ」


 アグネスは次の粥をよそった。


「また、お仕事が増えそうですね」


 イレイナは深く息を吐いた。


 昨日までなら、それでも悪くないと思っていた。


 今は少しだけ、退屈だった朝が恋しかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。