第45章 ⑤
紙の真ん中に線を引いた。
右と左。
カイルが覗き込む。
「一つの取引を、二つに分けて書くって?」
「うん」
「何で?」
「例えば」
店を見る。
棚に布がある。
「あの青い布、いくらで仕入れた?」
「銀貨二枚」
紙の左に書く。
布。
銀貨二枚。
右にも書く。
現金。
銀貨二枚。
カイルが見る。
「同じ金額」
「そう」
「二回書くの?」
「そう」
「何で?」
「布が増えて、お金が減ったから」
紙の左右を指す。
「一つの取引で、二つ動いてるでしょ?」
カイルが紙を見る。
「布と金」
「そう」
「じゃあ、売ったら?」
「やってみよう」
銀貨二枚で仕入れた布を、銀貨三枚で売ったことにする。
商品が減る。
お金が増える。
「銀貨三枚増えた」
「でも、三枚全部が儲けじゃないでしょ?」
「仕入れに二枚使ってるからな」
「そう」
それに、商売には他にもお金がかかる。
荷物を運ぶ。
人を雇う。
店で使う紙や紐を買う。
全部引いて、初めて本当に残ったものが分かる。
「それくらいは今も計算してるよ」
「うん。してるね」
帳面を見る。
ちゃんと書いてある。
だから今のやり方が間違っているわけではない。
「じゃあ、何が違う?」
「全部を繋げて見られる」
「繋げる?」
「今あるお金。持ってる商品。後で払うお金。まだ貰ってないお金。商売で使ったお金」
一つずつ指を折る。
「同じ決まりで書いていくの」
カイルが帳面を見る。
それから、紙を見る。
「店が増えても?」
「同じ」
「書く奴が変わっても?」
「同じ書き方にすればね」
カイルの顔が少し変わった。
そこだったらしい。
「それ、最初から教えてよ」
「今思い出したから」
「今?」
「帳面見て」
本当だ。
そろばんを持ってきた時には、簿記まで教えるつもりはなかった。
カイルがため息をついた。
「おばさん、たまに変なの急に出すよね」
「遠いところには色々あるんだよ」
「便利だね、遠いところ」
便利だと思う。
帰れないけど。
もう一枚、紙を出す。
「じゃあ、実際のでやろうか」
「店の?」
「その方が分かりやすいでしょ」
今日の取引をいくつか出してもらう。
朝。
商品を仕入れた。
その場で代金を払った。
昼。
商品が売れた。
代金も受け取った。
別の商品は、いつも取引している店へ渡した。
代金は後日。
荷運びを頼んだ。
店で使う紙も買った。
一つずつ書く。
最初は私が書く。
次はカイル。
「これは?」
「商品が増えて、金が減った」
「じゃあ書いて」
カイルが左右に書く。
「売った方は、商品が減って金が増える」
「そう」
次。
代金は後日。
カイルの手が止まった。
「まだ金は増えてない」
「でも商品は渡した」
「うん」
「後で何が来る?」
「金」
「じゃあ、今増えたのは?」
カイルが考える。
「……金を貰える分?」
「そう」
まだ持っていない。
でも、受け取る権利はある。
それも記録しておく。
カイルが書く。
「これ、いいな」
「何が?」
「誰からいくら貰ってないか分かる」
「そうだね」
「帳面を遡らなくていい」
今の帳面では、後払いの取引を一件ずつ追っていたらしい。
それは面倒だ。
次。
荷運び。
「金が減った」
「もう一つは?」
カイルが考える。
「商品は増えてない」
「うん」
「何も残ってない」
「物はね」
「……運んでもらったこと?」
「そう」
商売をするために使ったお金。
それも分けて書く。
紙代も同じ。
人を雇ったら、そのお金も。
店を直したら、それも。
カイルは何度か質問しながら書いていった。
途中から、私より早い。
元々商人だ。
何に金が動いているかは、私より分かっている。
必要なのは書き方だけだった。
しばらくして、紙が何枚か埋まった。
「これ、最後どうするの?」
「合わせる」
「何を?」
「右と左」
それぞれをまとめる。
同じ金額になる。
カイルが見る。
「同じだ」
「そう」
「ならなかったら?」
「どこか間違ってる」
「どこ?」
「探す」
「すぐ分かる?」
「分からない時もある」
「面倒じゃん」
「面倒だよ」
そこは昔と変わらない。
一つ違う。
数字が合わない。
探す。
もう一度計算する。
まだ合わない。
最初から見る。
「嫌にならない?」
「なるよ」
「駄目じゃん」
「でも、間違ってるのに気づかないよりいいでしょ」
カイルが黙った。
「それはそう」
納得した。
「合った時は気持ちいいし」
「それは知らない」
そのうち分かる。
多分。
カイルは紙を最初から見直した。
「これさ」
「うん」
「店ごとに同じように書かせたら、全部まとめられる?」
「できるよ」
「人に帳面を任せても?」
「同じ決まりなら」
「後で俺が確認できる?」
「できる」
「誰かが変なことしてても?」
そこまで考えたか。
「数字がおかしくなれば、気づく切っ掛けにはなると思う」
カイルが黙った。
目が帳面に戻る。
完全に仕事の顔だ。
「これ、店増やせるな」
そこ?
「増やしたかったの?」
「増やせるなら」
商人だった。
今までは、自分で確認できる範囲に抑えていたらしい。
人へ任せる。
でも確認する。
その仕組みがあれば、今より大きくできる。
私はそこまで考えていなかった。
「おばさん」
「何?」
「これ、何ていうの?」
「帳簿?」
「この書き方」
「ああ」
昔習った名前を思い出す。
「複式簿記」
「ふくしき……」
「簿記」
「ボキ」
変な響きなのだろう。
カイルが紙の端に書く。
ボキ。
その下。
二つ書く。
「それで覚えるの?」
「分かりやすい」
確かに。
「これも、店の人に教えていい?」
「いいよ」
「商人ギルドにも?」
「カイルが決めれば?」
「本当に?」
「カイルに教えたんだから、その後はカイルのものだよ」
私が使うわけではない。
商人でもない。
この世界の商売がどうなっていくのかも、私には分からない。
使いやすいように変えればいい。
名前だって変えていい。
必要なら広めればいい。
カイルが決めることだ。
「分かった」
カイルはもう一度紙を見る。
その横には、そろばん。
計算する道具。
帳面をつける方法。
どちらも私には珍しくない。
昔からあったものだ。
遠いところでは。
「おばさん」
「何?」
「こんなの、まだある?」
「何が?」
「遠いところの商売のやり方」
考える。
ある。
多分、いっぱい。
でも。
「私、商人じゃなかったからね」
「知ってる」
「詳しくないよ」
「知ってる」
二回言われた。
「思い出したら教えて」
「いいよ」
それくらいなら。
立ち上がる。
「じゃあ帰るね」
「もう?」
「テーブルクロス編まないと」
「暇なんじゃなかった?」
「暇だから編むの」
カイルが笑った。
「忙しそうだけど」
そうかもしれない。
家へ帰る。
サラがいた。
イナもいる。
テーブルには編みかけのレース。
座る。
針を持つ。
設計図を見る。
一つ埋める。
一つ空ける。
また埋める。
今日はカイルに、二つ教えた。
そろばん。
簿記。
使うのはカイル。
その先を考えるのもカイル。
私は知っていることを教えただけだ。
手を動かす。
花の模様が。
昨日より少しだけ大きくなった。




