第42章 ⑤
「今まで通りにしてください」
ニコが言った。
伯爵はしばらく何も言わなかった。
ニコを見る。
私達を見る。
最後に役人を見る。
「……分かった」
ようやく言った。
「今は、それでいい」
今は。
また今って言った。
多分、諦めていない。
ニコも気付いたと思う。
でも何も言わなかった。
伯爵が続ける。
「グライナー家として、お前を無理に連れ戻すことはしない」
ニコが頷く。
「ありがとうございます」
「だが、血縁がなくなったわけではない」
「はい」
そこも否定しなかった。
「必要なことがあれば、いつでも連絡を寄越せ」
ニコは少し考えた。
「分かりました」
断らなかった。
少し意外だった。
伯爵も同じだったらしい。
ニコを見る。
「頼る気になったのか」
「必要になったら考えます」
伯爵の顔が微妙になった。
頼るとは言っていないらしい。
ニコは賢い。
「僕からも一ついいですか?」
「何だ」
ニコが私達を見る。
「僕の家族には、迷惑をかけないでください」
伯爵の眉が少し動いた。
「今回のようなことです」
誘拐。
身元隠匿。
思い出した。
私、誘拐犯だった。
忘れかけていた。
「今回の申し立てについては、すでに取り下げる」
伯爵が言った。
「今後も、根拠なく疑いを向けることはしない。約束しよう」
ニコが頷く。
「ありがとうございます」
それで終わった。
役人が書類を確認する。
血縁確認の結果。
ニコ本人の意思。
現在の養育環境を継続すること。
伯爵家が強制的な移住を求めないこと。
一つずつ確認していく。
最後に役人が書類を閉じた。
「本日の確認は以上です」
終わった。
長かった。
帰れる。
立ち上がる。
サラも立つ。
ニコも立つ。
手はまだ繋がっていた。
「サラ」
「なに?」
「手」
サラが繋いでいる手を見る。
「ある」
「あるね」
離さないらしい。
ニコもそれ以上言わなかった。
部屋を出ようとした時。
「ニコラス」
オットーの妻だった。
ニコが振り返る。
妻は少し迷ってから言った。
「また、会ってもいい?」
ニコはすぐには答えなかった。
私は何も言わない。
これはニコが決めることだ。
しばらくして。
「僕は学校にいます」
ニコが答えた。
「家にもいます」
妻がニコを見る。
「それは……会ってもいいということ?」
「会いたいなら」
それだけだった。
妻の目が少し赤くなる。
でも泣かなかった。
「ありがとう」
ニコは小さく頭を下げた。
「では」
今度こそ部屋を出た。
ギルドを出る。
外は明るかった。
昨日もここを歩いた。
今日も歩く。
「帰ろう」
私が言う。
「うん」
「帰る」
「お腹空いた」
カイルだった。
私も空いた。
家へ戻る。
扉を開けた途端。
「わふ!」
イナが来た。
速い。
ニコのところへ行く。
匂いを嗅ぐ。
手。
服。
鞄。
「何もないよ」
「わふ」
多分、食べ物を探している。
「ただいま」
ニコが言った。
イナの頭を撫でる。
「わふ」
サラも入ってくる。
まだニコの隣だった。
「ただいま」
「おかえり」
誰に言ったのか分からない。
多分、二人とも。
「お昼どうする?」
カイルが聞く。
「何か作る」
「何かって何だよ」
「冷蔵庫見る」
台所へ行く。
後ろから椅子を引く音がした。
見る。
ニコが座った。
その隣にサラが座る。
いつも通りだった。
「サラ」
「なに?」
「もう家だよ」
「うん」
「手」
まだ繋いでいた。
サラは考える。
離した。
やっと。
ニコが少し安心した顔をする。
その直後。
サラが椅子ごと近付いた。
ニコが見る。
「何してるの?」
「いる」
「知ってる」
カイルが笑う。
ミラも笑った。
ルークは慣れているのか何も言わない。
私も台所へ戻る。
昔からそうだった。
ニコが小さかった頃。
サラはよく隣にいた。
離れていた時もある。
修行にも行った。
二人とも大きくなった。
それでも帰ってくると。
気付けば、また隣にいる。
今日もそうだった。
ニコの生まれた家が分かった。
本当の名前も分かった。
血の繋がった人達も見つかった。
でも。
帰ってきたニコが座った場所は。
昨日までと同じだった。
サラの隣だった。




