第42章 ③
「戻らないとは、どういう意味だ」
伯爵が聞いた。
ニコは少し考えた。
「そのままの意味です」
「お前はグライナー家の人間だと確認されたんだぞ」
「血が繋がっていることは確認されました」
「同じことだ」
役人が口を開いた。
「同じではありません」
伯爵が役人を見る。
「何が違う」
「血縁関係が確認されたことと、現在の養育環境を変更することは別です」
また難しい話になってきた。
私は黙って聞く。
「ニコさんは九年前から、こちらで生活しています」
役人が私を見る。
また見られた。
「三歳から現在まで、衣食住を提供され、養育されていることはギルドの記録でも確認されています」
伯爵が言う。
「それは感謝している」
初めて聞いた。
「必要ならば、これまでにかかった費用も支払おう」
違った。
そういう話だった。
「要りません」
思わず言った。
伯爵が私を見る。
「しかし――」
「要らない」
もう一度言う。
ニコに使ったお金。
食べたもの。
服。
学校。
薬。
多分、色々。
覚えていない。
数えたこともない。
「家族に使ったお金を返して貰う?何故?」
伯爵が黙った。
「返して貰うと言うのは、ニコが家族じゃ無いようで嫌だ」
上手く説明できない。
でも嫌だった。
ニコが私を見る。
カイルが笑った。
「おばさんに金の話しても無駄だぞ」
失礼だな、お金は好きだ。
くれるなら欲しい。
でもこれは違う。
「お金は好きだよ」
「そこは否定しろよ」
ルークが吹き出した。
ミラも笑う。
部屋の空気が少しだけ緩んだ。
伯爵は笑わなかった。
「ならば、何が望みだ」
「何も」
「何も?」
「うん」
欲しいものはない。
ニコはいる。
それでいい。
伯爵は理解できないようだった。
役人が咳払いをする。
「話を戻します」
戻った。
「ニコさんは現在十二歳。本人の意思を無視できる年齢ではありません」
「十二歳は未成年だ」
「未成年であることと、意思が存在しないことは同じではありません」
伯爵の眉が動く。
役人は続けた。
「まして、今回は九年間の養育実態があります」
「だが本来の保護者は両親だ」
「九年前なら、そう判断されたでしょう」
部屋が静かになった。
伯爵が役人を見る。
「どういう意味だ」
「行方不明直後に発見され、身元が確認されていたなら、両親の元へ戻す手続きが行われたはずです」
それは分かる。
三歳だった。
私も、多分そうした。
親が探していると分かっていたら。
帰したと思う。
多分。
サラは泣いたかもしれないけど。
「ですが、九年が経過しています」
役人が記録へ目を落とした。
「その九年間、ニコさんは別の場所で養育され、家族関係を築いています」
伯爵は黙っている。
「そして、伯爵家による正式な捜索記録は最初の一年で途絶えています」
オットーの妻が俯いた。
オットーも何も言わない。
伯爵だけが役人を見ていた。
「それは昨日説明したはずだ。手掛かりがなくなった」
「承知しています」
役人は頷いた。
「捜索を続けることが困難だった事情と、八年間正式な照会記録が存在しない事実は、別々に記録されます」
伯爵の顔が少し険しくなる。
「我々が捨てたとでも言いたいのか」
役人はすぐには答えなかった。
「私は事実を確認しているだけです」
静かだった。
でも怖かった。
役人は強い。
「今回、伯爵家から正式な調査依頼が出されたのは、学園でニコさんの存在を確認した後です」
「偶然見つけたのだ。当然だろう」
「はい」
役人が頷く。
「ですから、その経緯も含めて判断されます」
伯爵が何か言おうとした。
その前にニコが口を開いた。
「もういいです」
全員がニコを見る。
「昨日聞きました」
ニコは落ち着いていた。
「最初の一年は探した」
伯爵を見る。
「その後は探していない」
「ニコラス、それは――」
「ニコです」
伯爵の言葉が止まる。
ニコは続けた。
「理由も聞きました」
見つからなかった。
何年探しても何も出てこなかった。
だから。
昨日聞いた。
「だから、もういいです」
怒っているようには見えなかった。
悲しんでいるようにも。
ただ決めていた。
「僕は、今まで通り暮らします」
サラが繋いでいる手を握り直した。
ニコも握り返す。
伯爵がそれを見る。
「グライナー家の名も必要ないというのか」
ニコは少し考えた。
「はい」
「その名があれば、将来どれほど――」
「今までなくても困りませんでした」
伯爵が止まる。
「学園でも?」
「ニコで首席になりました」
カイルが顔を逸らした。
肩が揺れている。
多分笑っている。
私も少し笑いそうになった。
確かにグライナーがなくても首席だった。
伯爵は黙った。
役人が記録へ何かを書き込む。
「では、ニコさん本人の意思として記録します」
ニコが頷く。
「お願いします」
血は繋がっていた。
名前も分かった。
生まれた家も分かった。
でも九年間は戻らない。
ニコがニコではなかった時間も戻らない。
私は繋がれたままのサラとニコの手を見る。
血縁確認の魔道具は、もう箱の中だった。
こっちの繋がりは。
多分、あれでは調べられない。




