閑話 グライナー伯爵
領都へ戻る馬車の中。
誰も話さなかった。
オットーは窓の外を見ている。
妻は俯いていた。
伯爵夫人も黙っている。
重い空気だった。
伯爵だけが書類を見ていた。
学園から送られてきた資料。
首席。
ニコラス。
成績評価。
推薦文。
将来性。
伯爵は最後の紙を机へ置いた。
「惜しいな」
静かな声だった。
馬車の中の空気が止まる。
オットーが顔を上げた。
「父上」
「何だ」
「今、何と?」
伯爵は平然としていた。
「惜しいと言った」
妻も顔を上げる。
伯爵は続けた。
「学園始まって以来の成績らしい」
「優秀だ」
「グライナーの名を継ぐに相応しい」
誰も返事をしない。
伯爵は気にしなかった。
「首席でなければ学園も注目しない」
「王都も注目しない」
「今後、王家や中央との繋がりも期待できる」
淡々としていた。
まるで商談だった。
オットーの妻の顔色が変わる。
「あなたは」
声が震えていた。
「あなたは、それを見て迎えに行ったのですか」
伯爵は眉をひそめる。
何を怒っているのか分からないらしい。
「当然だろう」
即答だった。
「優秀な血筋が戻る」
「家に利益がある」
「何が問題だ」
馬車の中が静まり返る。
伯爵夫人が目を閉じた。
オットーは拳を握る。
伯爵は続けた。
「結果として本人だった」
「ならば尚更だ」
「グライナーの名を与え」
「相応しい教育を受けさせ」
「家の為に――」
「家の為?」
オットーの妻が遮った。
初めてだった。
伯爵の言葉を遮ったのは。
「九年間」
震える声だった。
「九年間いなかったんです」
伯爵は黙る。
「熱を出した日も」
「泣いた日も」
「怪我をした日も」
「あなたは何も知らない」
伯爵は視線を逸らさなかった。
「だから何だ」
妻が息を呑む。
オットーも固まる。
「今いる」
伯爵は言った。
「そして優秀だ」
「失われた九年は戻らん」
「ならば今から利用するしかない」
静かだった。
誰も喋らない。
伯爵だけが普通だった。
それが一番恐ろしかった。
しばらくして。
伯爵はふと思い出したように言う。
「そういえば」
誰も返事をしない。
「ニコラスが言っていたな」
窓の外を見る。
ノルベルクの森はもう見えない。
遠く後方に消えていた。
「もし僕が首席じゃなかったら」
伯爵は小さく笑った。
「迎えに来ましたか」
そして肩をすくめる。
「当たり前だ」
誰も顔を上げない。
伯爵は続ける。
「首席でなければ気付かん」
それが答えだった。
馬車の中は静まり返る。
オットーの妻が顔を覆う。
伯爵夫人も何も言わない。
オットーだけが窓の外を見ていた。
遠く。
もう見えない森の方を。
そこには。
ニコが帰る家がある。
もう二度と。
グライナー家へ戻らないだろう家が。




