第38章 ⑥
次はニコだった。
町へ行く前に聞いた。
「何を勉強したい?」
ニコが少し考える。
「全部」
広かった。
「文字?」
「うん」
「計算?」
「うん」
「他は?」
「知らないこと」
知らないことは多い。
多すぎる。
私にも多い。
「知らないことの、何を知りたいの?」
ニコは困った。
知らないから、答えられないらしい。
正しかった。
今日はニコと町へ来た。
二人だけではない。
イナもいる。
ニコは本を抱えていた。
前にギルドマスターから借りたものだった。
何度も読んでいる。
私には難しかった。
ニコにも難しいはずだった。
でも、読めないところへ印を付けていた。
紙は挟んである。
本へ直接書かない。
それくらいは分かっている。
ギルドへ入る。
受付の人が私を見る。
ニコを見る。
本を見る。
今日は身構えなかった。
本を返しに来たと思ったらしい。
半分は合っている。
「ギルドマスターいる?」
受付の人が身構えた。
やはり駄目だった。
「本の返却でしたら、こちらで承ります」
「相談もある」
「どのような?」
「勉強」
受付の人がニコを見る。
ニコは本を抱えたまま立っている。
「少々お待ち下さい」
奥へ行く。
しばらくして、ギルドマスターが出てきた。
私達を見る。
少し嫌そうな顔をした。
商人と同じだった。
失礼な大人が多い。
「今度は何だ」
「勉強」
「誰の?」
ニコを指す。
ギルドマスターは少し安心した顔になった。
何だと思っていたのだろう。
奥の部屋へ入る。
私は椅子へ座る。
ニコも座る。
イナは床へ伏せた。
ニコが本を机へ置く。
「ありがとうございました」
ギルドマスターが本を見る。
「読めたか?」
「分からないところがありました」
「どこだ?」
ニコが本を開く。
挟んでいた紙を一枚ずつ出す。
一枚。
二枚。
三枚。
まだ出る。
ギルドマスターの顔が少し変わる。
「全部聞くのか?」
「はい」
多かった。
今日中には終わらないかもしれない。
私は止める。
「それは後」
ニコが私を見る。
「返す前に聞きたい」
「先に勉強する場所」
本の一つの言葉を知るより、これからも聞ける人を探す方が大事だった。
多分。
ニコは紙を本へ戻した。
少し残念そうだった。
ギルドマスターが私を見る。
「勉強する場所とは?」
「学校」
「学校?」
無いらしい。
この世界にも学校くらいあると思っていた。
ラノベには学園がよく出る。
貴族と平民が同じ教室にいる。
身分差で揉める。
試験がある。
魔法を測る。
事件が起きる。
でも、この町にはないらしい。
「子供が文字とか計算を習うところ」
「貴族なら家庭教師を雇う。大きな町には、神殿や商会が子供へ教える場所もある」
「この町は?」
「ない」
終わった。
「作る?」
ギルドマスターが私を見る。
「すぐ作ろうとするな」
まだ作るとは言っていない。
聞いただけだった。
「町の子供は、どうやって覚えるの?」
「家で教わる。職人なら親方。商人なら商会。ギルドで働く者は、仕事に必要な分をここで教わる」
「家で教えられない子は?」
「覚えないまま働く者もいる」
普通らしい。
でも、ニコは覚えたい。
私は文字を少し読める。
書くこともできる。
簡単な計算もできる。
この世界の暮らしに必要なことなら、三年で覚えた。
でも、それ以上は教えられない。
分からないから。
ニコがギルドマスターを見る。
「ここで教えてもらえますか?」
「ギルドで働くのか?」
「まだ分かりません」
「なら、仕事として教えることはできない」
ニコの顔が下がる。
ギルドマスターは少し考える。
「だが、教えられる者はいる」
顔が上がった。
「誰?」
「書記だ」
前にも聞きに行った人だった。
商人にも分からない文字。
ギルドマスターにも分からない文字。
最後に聞く人。
「書記さん、先生?」
「違う。ギルドの記録を作る者だ」
「教えてくれる?」
「本人に聞け」
話は早かった。
ギルドマスターが人を呼ぶ。
しばらくして、女が入ってきた。
前に一度会った。
年は分からない。
私よりは若い。
多分。
髪を後ろで一つに結んでいる。
指に黒いインクが付いていた。
「お呼びでしょうか」
「この子が、文字と計算を習いたいそうだ」
女がニコを見る。
ニコも見る。
「どこまでできますか?」
「文字は読めます。書けます。計算も少しできます」
「少しとは?」
ニコは考える。
「足す。引く。少し掛ける」
「割るのは?」
「分けるの?」
「そうです」
「同じ数ならできます」
女が机の紙を取った。
そこへ数字を書く。
十二個のカルト芋を、三人で同じ数に分ける。
一人何個か。
「四個」
ニコが答える。
次。
二十三個のカブを、一籠に五個ずつ入れる。
籠はいくつ必要か。
ニコが止まる。
指を使う。
何度か数える。
「五個?」
「籠が?」
「四つと、余ったのに一つ」
「では、いくつ?」
「五つ」
合っていた。
女が頷く。
次は文字だった。
紙へ一文書く。
ニコが読む。
少し詰まる。
でも、最後まで読んだ。
次はニコが書く。
言われた言葉を紙へ書く。
文字の大きさが違う。
少し曲がっている。
一つ間違える。
消せない。
隣へ書き直す。
女はそれも見た。
「誰に習いましたか?」
ニコが私を見る。
「みんな」
私は最初に教えた。
商人も教えた。
ギルドマスターも教えた。
分からない人へ、次々聞いた。
一人ではなかった。
「本は好き?」
女が聞く。
「好き」
返事が早かった。
「どんな本を読みたい?」
ニコが、返そうとしていた本を見る。
「知らないことが書いてある本」
やはり広かった。
女は少し笑った。
「物語は?」
「読む」
「町や国のことは?」
「読みたい」
「動物や植物は?」
「読みたい」
「昔の出来事は?」
「読みたい」
全部だった。
「仕事がありますから、一日中は教えられません」
女が言う。
ニコの顔が少し下がる。
「ですが、仕事が終わった後なら、一刻ほど教えられます」
すぐに上がった。
「毎日?」
「毎日は無理です。週に三日」
「四日は?」
増やした。
女が驚く。
ギルドマスターが咳をした。
笑ったのかもしれない。
「まずは三日です」
「はい」
ニコは素直に頷いた。
「お金は?」
私が聞く。
女が考える。
「教えることだけなら、一日鉄貨三枚で」
普通か分からない。
後で聞く。
誰に聞けばいいのか。
ギルドマスターがいる。
「普通?」
私がそのまま聞く。
「安い方だ」
ギルドマスターが答えた。
「書記の仕事が終わった後だからな。紙やインクを使うなら、その分は別に必要だ」
「本は?」
「ギルドにあるものなら、ここで読む分には構わない。持ち出す時は、今まで通り俺の許可を取れ」
ニコが頷く。
「払える?」
小さな声で私へ聞いた。
一日鉄貨三枚。
週に三日。
紙とインクもいる。
払えない金額ではない。
畑の野菜を売っている。
薬草も採る。
研究所のことでは、国から見舞金も出た。
全部使わずに残してある。
子供達のためのお金だった。
今が使う時だった。
「払えるよ」
ニコが安心した。
でも、すぐに考える顔になる。
「僕も働く?」
「六歳」
「サラも六歳」
「サラは働いてない」
「ルークは八歳」
「ルークも働いてない」
カイルとミラが働き始めた。
自分だけお金を使うのが気になるらしい。
「勉強が仕事」
私が言う。
「仕事?」
「今は」
勉強して。
覚えて。
大きくなってから、自分で何に使うか決める。
今はそれでいい。
多分。
ニコは少し考えた。
「ちゃんと覚える」
「無理はしない」
「覚えないと、お金がもったいない」
六歳が言うことではない。
誰の影響だろう。
商人かもしれない。
「分からない時は?」
書記の女が聞く。
ニコが答える。
「聞きます」
「一度で分からなかったら?」
「もう一回聞きます」
「それでも分からなかったら?」
「分かるまで聞きます」
女が少し止まる。
ギルドマスターを見る。
ギルドマスターは目を逸らした。
多分、知っていた。
ニコは止まらない。
「宿題も出します」
「しゅくだい?」
知らない言葉だった。
私には分かる。
嫌な言葉だった。
「家でやる勉強です」
「たくさん?」
「最初は少し」
「本も読んでいい?」
「読み終わったら」
ニコが嬉しそうに頷く。
勉強する前から増やそうとしている。
「いつから?」
「明日から来られますか?」
「来ます」
「一人で?」
ニコが私を見る。
森から町まで。
六歳を一人で歩かせるつもりはない。
カイルとミラは毎日町へ来る。
二人と一緒なら来られる。
帰りも同じ時間に合わせてもらえばいい。
「カイルとミラと来る」
「帰りは?」
「一緒」
書記の女が頷く。
「では、明日。二人の仕事が終わる少し前に始めましょう」
話が決まった。
契約書はなかった。
仕事ではない。
それでも、教える日。
時間。
お金。
紙とインクのこと。
本のこと。
ギルドマスターが紙へ書いた。
私と書記の女が確認する。
ニコも読む。
一枚で良かった。
ギルドに置いておく。
ニコは返すはずだった本を、もう一度抱えた。
「これは?」
ギルドマスターが聞く。
「まだ聞いてません」
挟んだ紙がたくさんある。
ギルドマスターはしばらく本を見る。
「明日、書記に聞け」
「持って帰っていい?」
「失くすなよ」
「失くさない」
また借りることになった。
部屋を出る。
ニコは本を抱えて歩く。
「嬉しい?」
聞く。
「うん」
「何になる?」
ニコが首を傾げる。
「分からない」
カイルは商人。
ミラは裁縫職人。
ルークは冒険者か魔法使い。
サラは、まだ悩んでいる。
ニコは何になるか決まっていない。
でも。
決めるために、知りたいのだと思う。
知らない道は選べない。
たくさん知れば、道も増える。
多分。
「明日、何を習う?」
「分からない」
ニコは嬉しそうだった。
分からないことが。
明日になれば、一つ分かる。
三人目は、勉強することになった。




