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閑話 蜥蜴の尻尾

中央研究所の上級統括官は、王城へ呼ばれた。


声明が出た翌日のことだった。


通されたのは、窓の少ない会議室。


長い机を囲むように、王の側近と数人の貴族が座っている。


中央研究所の所長もいた。


上級統括官が入っても、誰も立たなかった。


用意された椅子は一つ。


机の端。


全員の顔が見える場所だった。


嫌な席だった。


上級統括官は座らずに聞く。


「何の御用でしょうか」


王の側近が机の上へ紙を置いた。


「今回の件について、処分が決まった」


「昨日の声明なら確認しました」


「そうか」


側近は紙を上級統括官の方へ滑らせる。


声明とは違う。


処分を記した書類だった。


上級統括官は手に取る。


最初の一行を読む。


止まった。


もう一度読む。


名前があった。


自分の名前だった。


中央研究所上級統括官の職を解く。


全研究資格を剥奪。


研究計画の不正な変更。


地方研究所への規定外の指示。


児童の安全を損なう研究を主導した疑い。


調査が終わるまで身柄を拘束する。


一つずつ並んでいた。


「これは、どういう意味ですか」


「書かれている通りだ」


「私一人で決めたことではありません」


側近は答えない。


上級統括官は、中央研究所の所長を見る。


「所長も承認した」


所長は机の上を見ている。


「各計画には、あなたの印がある」


「最終承認は所長だ」


「提出された書類に問題がないと判断した」


所長が初めて顔を上げる。


「規定を逸脱した内容が含まれているとは知らなかった」


「読んでいないと言うのか」


「君を信頼していた」


静かな声だった。


信頼。


便利な言葉だった。


任せた時にも使える。


切る時にも使える。


上級統括官は、王の側近を見る。


「計画の一部は、王城からの要請で始まったものです」


部屋の空気が変わった。


誰も動いていない。


それでも、先ほどまでとは違う。


側近の目が細くなる。


「何のことだ」


「魔力を持つ者の早期発見。未発現児への投与。発現率を上げる研究。どれも王城から結果を求められた」


「研究の成果を求めたことは認めよう」


側近が答える。


「だが、子供の安全を損なえとは命じていない」


「期限を決めた」


「目標を示しただけだ」


「成果が出なければ、予算を止めると言った」


「限られた予算を、成果のない研究へ出し続けることはできない」


「だから投与量を増やした」


「君の判断でな」


上級統括官は黙った。


間違ってはいない。


投与量を増やすよう指示したのは自分だった。


反応が消えた子供への再投与も認めた。


拒む子供を押さえつける方法も、地方研究所へ伝えた。


王城の者が、具体的な量を決めたわけではない。


命令書には、研究を進めろとしか書いていなかった。


安全を損なえとも。


子供を買えとも。


死なせろとも書いていない。


書かずに、結果だけを求めた。


上級統括官は、その間を埋めた。


自分の判断で。


上の望むものを理解して。


下へ命じた。


それで地位を得た。


研究費も得た。


失敗した者を切り捨ててきた。


今度は、自分の番だった。


「地方研究所へ送った指示は、中央の会議で承認されています」


「記録を確認したが、その事実はなかった」


「あるはずだ」


「なかった」


側近は繰り返した。


上級統括官は中央研究所の所長を見る。


所長は表情を変えない。


「会議録を出して下さい」


「既に提出した」


「私が説明した記録がある」


「君が研究経過を報告した記録はある」


「承認は?」


「ない」


「そんなはずはない!」


声が会議室へ響いた。


扉の前に立つ兵士が、わずかに姿勢を変える。


上級統括官は息を整えた。


この場で怒鳴っても意味はない。


分かっていた。


それでも、声を抑えるのに時間がかかった。


「地方研究所の所長達は、中央の指示だったと証言します」


「中央ではない」


側近が言う。


「君だ」


「私は中央研究所の上級統括官として指示した」


「ならば、責任を負うのは当然だろう」


話が戻った。


どこまで説明しても、同じ場所へ戻される。


上級統括官は処分書を見る。


自分の名前。


自分の役職。


自分の印。


それ以外の名前はない。


「私を処分すれば、収まると思っているのですか」


「国は不正を認め、責任者を処分する」


「一人だけ」


「調査は続いている」


続く。


便利な言葉だった。


いつ終わるかは言わない。


次に誰かが処分されるとも言わない。


「既に各地で噂になっています。中央研究所だけではない。王城が関わっていたことも広まっている」


「根拠のない噂だ」


「誰も、そう思っていない」


側近の顔から表情が消えた。


「君は研究者だ。民衆の噂で事実を決める立場ではない」


「その噂があったから、私を差し出すのでしょう」


誰も答えなかった。


答えなくても分かった。


地方研究所の所長だけでは足りなくなった。


統括官だけでも足りない。


中央から指示が出ていたことは、既に知られている。


中央研究所の責任者が必要になった。


だが、所長では大きすぎる。


王城の名など出せない。


上級統括官。


中央にいる。


地方へ指示を出せる。


研究計画へ関わっている。


責任者として見せるには、丁度いい位置だった。


上級統括官は椅子へ座った。


もう立っている必要はなかった。


「私が全て決めたことにするのですか」


側近が答える。


「君が行ったことについて、責任を問う」


「聞き方を変えます。私より上の責任は問わないのですか」


「それを決めるのは君ではない」


扉が開いた。


兵士が二人入ってくる。


上級統括官は動かなかった。


逃げても無駄だった。


それに、自分だけが捕まる理由はない。


調べれば分かる。


記録がなくても、知る者はいる。


会議に出た者。


承認した者。


予算を出した者。


結果を求めた者。


自分だけではない。


そう思った。


多分。


兵士に囲まれ、扉へ向かう。


出る直前、上級統括官は振り返った。


中央研究所の所長は、もう別の書類を見ていた。


王の側近もこちらを見ていない。


既に終わったことになっていた。


その日の午後。


中央研究所の上級統括官を拘束したと発表された。


研究を主導した責任者。


地方研究所へ規定外の指示を送った人物。


児童の安全を損なう計画を進めた中心人物。


国は厳正に対処した。


声明には、そう付け加えられた。


人々はその知らせを聞いた。


中央の責任者まで捕まった。


国は本気らしい。


これで終わる。


そう話す者もいた。


だが、その夜。


王都の酒場で、吟遊詩人が歌い始めた。


先日の隅の席にいた男ではない。


若い女だった。


誰から教わったのかは言わない。


軽い調子で弦を鳴らす。


酒場の客が杯を持ったまま顔を上げた。


歌は、穴から逃げ出した蜥蜴の話だった。


追われた蜥蜴。


捕まりそうになり、尻尾を落とす。


尻尾が動く間に、本体は穴へ逃げ帰る。


よくある話だった。


子供でも知っている。


客の一人が笑う。


吟遊詩人も笑った。


そして歌う。


尻尾が落ちた。


本体は無事。


悪い尻尾を落としたと。


蜥蜴は胸を張る。


尻尾はいつか、また生える。


けれど、生えるまでには時間がかかる。


一本だけなら困るだろう。


そこで吟遊詩人は弦を止めた。


客達を見る。


「二本あったら?」


誰かが答えた。


「次を切る!」


笑いが起きる。


弦が鳴る。


「三本あったら?」


「また切れる!」


今度は多くの客が答えた。


歌が続く。


一本落ちた。


次の一本。


それも落ちたら、その次を。


本体は穴で待っている。


新しい尻尾を選びながら。


吟遊詩人が声を上げる。


「尻尾はいったい?」


客達が杯を掲げた。


「何本ある!」


酒場が笑いに包まれた。


蜥蜴の尻尾は一本だった。


それは誰でも知っている。


だから笑えた。


何本も尻尾を切れる蜥蜴などいない。


いないはずだった。


一人の客が隣へ囁く。


「今日、捕まった奴のことか?」


「蜥蜴の歌だろ」


「なら、本体は誰だ?」


「さあな」


二人は王城のある方角を見る。


それから、もう一度笑った。


歌は翌日、別の酒場でも歌われた。


その次の日には、王都の外へ出た。


旅人が覚えた。


商人が口ずさんだ。


子供達が意味も分からず歌った。


「二本あったら?」


「次を切る!」


「三本あったら?」


「また切れる!」


止めることは難しかった。


王の名は出ていない。


中央研究所とも歌っていない。


拘束された上級統括官の名もない。


ただの蜥蜴の歌だった。


歌うなと命じれば、理由を聞かれる。


何故、蜥蜴の歌を恐れるのか。


何故、自分達のことだと思うのか。


誰も命じられなかった。


やがて、中央研究所のお偉いさんが捕まったという話より、蜥蜴の歌の方が広く知られるようになった。


尻尾は落ちた。


本体は無事だった。


それでも、本体がいることだけは、誰も忘れなかった。


歌を最初に作った吟遊詩人が、どこにいるのか。


依頼の報酬を受け取れたのか。


それを知る者はいなかった。



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