第37章 ④
試用期間が始まった。
最初に泊まったのはエマだった。
仕事を終えてから森まで来た。
着いた時には、少し息が切れていた。
でも、休む前に赤ちゃんを見る。
赤ちゃんもエマを見た。
そして泣いた。
まだ覚えていなかったらしい。
エマは少し落ち込んだ。
それでも抱く。
泣かれても、背中を撫でる。
揺らしすぎないように気を付けながら、家の中を歩く。
その日は、眠るまでに時間がかかった。
次の日はハンスが来た。
赤ちゃんはハンスを見た。
少し考える。
それから泣いた。
ハンスも落ち込んだ。
でも、指を出す。
赤ちゃんが掴む。
泣き止んだ。
ハンスは嬉しそうだった。
指は洗ってあった。
覚えていたらしい。
二人は交代で来た。
エマは赤ちゃんの食事を覚える。
食べさせる量。
水を飲ませる時。
眠そうにする前の顔。
泣き方の違い。
まだ全部は分からない。
私も全部は分からない。
でも、毎日見ていれば少しずつ分かる。
ハンスは布を替えるのに苦戦した。
赤ちゃんは寝返りをして逃げる。
足を上げる。
ひっくり返ろうとする。
ハンスが押さえる。
強くはできない。
逃げられる。
布が曲がる。
やり直す。
また逃げられる。
ニコが隣で見ていた。
「へた」
ハンスが止まる。
「難しいんだ」
「みー、はやい」
「知っている」
何度も見せた。
それでも遅い。
でも、毎回自分でやった。
三日目。
二人で来た。
交代でと言ったはずだった。
「今日は休みなので」
エマが言った。
「二人で世話をしたいんです」
仕方ない。
泊まるのは一人。
帰るまでは二人でいい。
ハンスは何かを背負ってきていた。
木で作った、小さな柵だった。
赤ちゃんが動き始めても、火の近くへ行かないようにするものらしい。
家具職人だった。
家の中を見て、必要だと思ったという。
柵を置く。
赤ちゃんを中へ入れる。
赤ちゃんは柵に掴まった。
揺らす。
丈夫だった。
イナが外から覗く。
赤ちゃんが手を伸ばす。
イナは柵を越えた。
意味がなかった。
「犬の柵ではないので」
ハンスが言う。
それは分かっている。
一週間が過ぎた。
赤ちゃんは、二人を見てもすぐには泣かなくなった。
二週間が過ぎた。
エマが来ると、赤ちゃんは手を伸ばすようになった。
ハンスが来ると、指を探す。
三週間が過ぎる頃には、二人が並んで戸口に立つだけで声を出した。
「あう」
多分、呼んでいる。
まだ名前ではない。
でも、二人に向けた声だった。
二人は赤ちゃんの世話だけをしていたわけではない。
エマはサラとニコの服も直した。
破れていない服まで確認する。
ミラに縫い方を教える。
ハンスは椅子の脚を直した。
棚も直す。
戸の閉まりも良くした。
カイルとルークが作るものにも口を出した。
二人とも少し嫌そうだった。
でも、聞いていた。
イナには何もしなかった。
直すところがなかったから。
多分。
一か月が過ぎた。
魔力は発現していない。
二人の態度も変わらなかった。
魔力について聞くこともなかった。
赤ちゃんが眠った。
泣いた。
食べた。
笑った。
それだけを見ていた。
私は決めた。
「町の家を見る」
二人が頷いた。
次の休みの日。
みんなで町へ行った。
また全員だった。
赤ちゃんが暮らす家だから。
ハンスとエマの家は、家具を作る仕事場の隣にあった。
大きくはない。
でも、二人と赤ちゃんが暮らすには十分だった。
床は掃除されている。
窓には柵がある。
火を使う場所と、赤ちゃんが過ごす場所も離れていた。
寝る部屋には、小さな寝台が置かれている。
ハンスが作ったらしい。
柵が高い。
赤ちゃんが少し大きくなっても落ちない。
その隣に、もう一つ小さな家具があった。
椅子だった。
まだ、一人で使わせるには早い。
「早くない?」
私が聞く。
ハンスが椅子を見る。
「作ってしまいました」
嬉しかったらしい。
仕方ない。
エマが赤ちゃんを抱いて家の中を歩く。
赤ちゃんは知らない場所を見回していた。
泣かない。
寝台へ寝かせる。
柵を掴む。
ハンスとエマを見る。
それから私を見る。
私は少し離れた場所に座る。
赤ちゃんは泣かなかった。
エマが声をかける。
赤ちゃんがエマの方を向いた。
何を言われたかは分かっていないかもしれない。
でも、声は分かっていた。
大丈夫だと思う。
絶対ではない。
これから先、何があるかは分からない。
それでも。
二人なら、困った時に困ったと言える。
間違えた時に、自分達だけで正しいと思い込まない。
五人育てた女もいる。
商人もいる。
私達も町へ来る。
何かあれば見に来られる。
私はエマを見る。
「お願いします」
エマが赤ちゃんを抱いたまま、深く頭を下げた。
「はい」
ハンスも頭を下げる。
「必ず、大切に育てます」
私は頷いた。
サラが赤ちゃんの手を握る。
ニコも反対の手を握った。
ミラは二人の頭を撫でる。
カイルとルークは少し離れて見ていた。
イナは床の匂いを嗅いでいる。
帰る時間になった。
赤ちゃんはエマの腕にいる。
私が手を振ると、赤ちゃんも手を動かした。
多分、振った。
「また来る」
サラも手を振る。
「またね」
ニコも真似をする。
町へ来れば会える。
ハンスとエマも森へ来る。
別れではない。
この子の家が決まっただけだった。




