第36章 ④
翌朝干していたさらしを見る。
まだ少し湿っていた。
夜の間、家の中へ掛けておいた。
火の近く。
近すぎない場所。
何度か向きを変えた。
それでも、一晩では乾かなかった。
切った方も同じだった。
今日はもう一度洗う。
柔らかくなるまで繰り返す。
赤ちゃんを背負う方は、使えるまで待った方がいい。
そう思っていた。
でも。
朝ご飯を作ろうとすると、赤ちゃんが泣いた。
抱く。
泣き止む。
籠へ戻す。
泣く。
また抱く。
泣き止む。
分かりやすかった。
「置かれたくないの?」
聞いても答えない。
私の服を小さな手で掴んでいる。
サラが赤ちゃんを見る。
「さみしい?」
「多分」
昨日まで、誰かに抱かれていたのかもしれない。
置かれた籠の中で、ずっと一人だったのかもしれない。
分からない。
でも、泣いている。
朝ご飯は作らなければならない。
片手では難しい。
私は昨日洗った長いさらしを触った。
まだ少し硬い。
湿っている。
使えない。
それから、赤ちゃんを包んでいた布を見る。
柔らかい。
大きさもある。
商人は捨てずに取っておけと言った。
籠と一緒に、この子の手掛かりになる物だった。
切るのは駄目。
でも、結ぶだけなら使える。
洗ってある。
汚れも落ちている。
「借りるね」
赤ちゃんへ言う。
返事はなかった。
私は布を広げた。
赤ちゃんを抱き、背中へ回す。
ミラがすぐに近付いてきた。
「押さえる?」
「お願い」
落とす心配はない。
でも、手伝ってもらえるなら、その方が安全だった。
ミラに赤ちゃんの背中を支えてもらいながら、布を回す。
肩へ掛ける。
胸の前で交差させる。
赤ちゃんのお尻を包むように通し、前へ持ってくる。
きつすぎない。
緩すぎない。
重さを確かめて、しっかり結ぶ。
手順は覚えていた。
息子だけではない。
姪や甥の子供達も、何度も背負った。
親戚が多い。
子供も多い。
赤ちゃんは珍しくなかった。
こういう時に役立つとは思わなかったけれど。
カイルが心配そうに背中を見る。
「落ちない?」
「落ちない」
ルークも横から確かめている。
「苦しくない?」
「大丈夫」
布と赤ちゃんの間へ指を入れる。
きつくない。
顔も横を向いている。
息もできている。
足の位置も悪くない。
「これでいい」
歩いてみる。
背中に重さがある。
小さい。
温かい。
赤ちゃんは少し動いた。
けれど、泣かなかった。
私の背中へ頬を付けている。
サラが後ろから覗こうとする。
「ねた?」
「まだ」
多分。
私からは見えない。
ミラが確認した。
「目、開いてる」
「そう」
私は台所へ移動した。
両手が使える。
鍋を出して水を入れる。
火にかける。
パンを小さくちぎる。
背中が静かだった。
少し気になる。
「寝た?」
「まだ起きてる」
ミラが答える。
もう少しパンをちぎる。
「今は?」
「起きてる」
何度も聞くと、ミラが笑った。
「ちゃんといるよ」
「見えないから」
背中へ手を回す。
小さな足に触れた。
温かい。
動いている。
大丈夫だった。
パン粥を作り始めると、赤ちゃんが背中でもぞもぞ動いた。
匂いが分かるのだろうか。
それとも、お腹が空いただけかもしれない。
「もう少し待って」
鍋の中でパンが柔らかくなる。
昨日より、しっかり煮た。
粒を潰す。
商人が入れてくれた浅い器へ少し移す。
赤ちゃん用の匙もある。
小さい。
ちょうど良かった。
冷ましている間に、みんなの朝ご飯を用意する。
赤ちゃんを背負ったままでも動けた。
鍋を運ぶ時だけ、カイルに頼む。
熱い物を持って転ぶのは怖い。
私一人なら平気でも、今日は背中にいる。
いつもより気を付ける。
全員の朝ご飯を並べてから、赤ちゃんを下ろした。
布を解く。
ミラに支えてもらい、前へ抱き直す。
赤ちゃんは泣かなかった。
むしろ少し不満そうだった。
「背中、好き?」
口を動かしている。
違う。
お腹だった。
匙へパン粥を少しだけ取る。
温度を確かめる。
口元へ運ぶと、赤ちゃんはすぐに食べた。
昨日も食べた。
今日も食べている。
パンは大丈夫そうだった。
少なくとも、今のところは。
「もっと?」
匙を近付ける。
口を開けた。
食べる。
また開ける。
サラも自分の口を開けていた。
「サラのじゃないよ」
サラが口を閉じる。
少し残念そうだった。
私は赤ちゃんへ、もう一匙食べさせる。
赤ちゃんの世話には慣れている。
抱くことも。
背負うことも。
着替えさせることも。
でも、食べ物は別だった。
姪や甥の子供達を預かった時も、必ず親に聞いた。
何を食べるのか。
どのくらい食べるのか。
食べたことのない物は何か。
アレルギーはないか。
大体の物は食べられる。
アレルギーがなければ。
でも、そのアレルギーが分からない。
勝手に新しい物を食べさせて、何かあったら困る。
この子には、聞ける親がいなかった。
昨日のパン粥は食べた。
だから、今朝も同じ物にする。
一度に増やしすぎない。
今は、それしかできない。
赤ちゃんが匙を追う。
食欲はある。
良いことだった。
器の半分ほどを食べたところで、口を開けなくなった。
顔を逸らす。
「終わり?」
もう一度近付ける。
食べない。
分かりやすい。
私は匙を置いた。
口の周りを柔らかい布で拭く。
少し休ませてから、水も飲ませる。
商人が入れてくれた浅い器が役に立った。
必要な物を、よく分かっている。
商人に子供がいるのだろうか。
今度聞いてみよう。
それより先に、聞くことがたくさんある。
この町では赤ちゃんに何を食べさせるのか。
山羊や牛の乳は使うのか。
布オムツはどうしているのか。
赤ちゃんを育てたことのある人にも会いたい。
それから。
この子を知っている人を探す。
籠と布も見てもらう。
私は赤ちゃんを抱いたまま、ルークを見る。
「今日、町へ行く」
ルークはすぐに頷いた。
「僕も行く」
「私も」
カイルも言う。
全員で行く必要はない。
赤ちゃんを連れて町まで歩くのも心配だった。
でも、置いてはいけない。
家族を探すなら、この子も連れて行った方がいいのかもしれない。
顔を知っている人がいる可能性もある。
私は赤ちゃんを見る。
パン粥を食べて満足したのか、眠そうにしていた。
「背負っていく」
布もある。
背負うことには困らない。
困るのはこの子のことを、何も知らないことだった。




