第35章 ②
朝になった。
目を開ける。
体が重い。
痛くはない。
でも動きたくない。
隣を見る。
サラがいる。
ニコもいる。
ミラもいる。
少し離れた所にカイルとルークが寝ていた。
イナは戸の前。
全員いる。
昨日と同じだった。
私はもう一度目を閉じる。
今日は何もしない。
そう思った。
でもお腹は空く。
子供達も起きる。
仕方ない。
朝ご飯を作る。
簡単に。
パン。
干し肉。
残っていたみかんの缶詰。
汁まで分ける。
甘い。
朝から甘い。
今日はいい。
食べ終わっても、誰も動かなかった。
片付けもしない。
器を重ねただけ。
カイルが壁際の荷物を見る。
引っ越すためにまとめた荷物。
まだ、そのままだった。
ルークも見る。
でも何も言わない。
今日は触らない。
私は外を見る。
日が出ている。
温泉。
冬の間は寒かった。
行くまでに冷える。
帰りも冷える。
だからたまにしか使わなかった。
でも今日は暖かい。
昨日は疲れた。
皆も疲れている。
今入らずに、いつ入るのか。
私は立ち上がった。
「温泉に入ろう」
全員が私を見る。
ニコが首を傾げた。
「おんせん?」
「大きいお風呂」
ニコの目が少し開く。
サラも立った。
「お風呂?」
「うん」
私は手拭いを出す。
桶も持つ。
その瞬間。
イナが立った。
私を見る。
手拭いを見る。
桶を見る。
一歩下がる。
「イナ」
イナが逃げた。
戸を押して外へ出る。
速い。
「入れないよ」
聞いていない。
畑の向こうまで走って行った。
昨日は研究所へ飛び込んだ。
今日は桶から逃げている。
仕方ない放っておこう。
私達は着替えを持って外へ出る。
イナは遠くから見ていた。
付いて来ない。
温泉の方角を知っているらしい。
賢い。
でも少し失礼。
家から歩く。
敷地の奥。
木の囲いが見えてくる。
温泉を誰かに取られないため、町の人達が建てた囲い。
その後で家も建てた。
ここは私の家の敷地になった。
多分温泉を守るため。
私を住ませるためでもあったと思いたい。
囲いは二つある。
男と女。
入口も別。
カイルが男側を見る。
私を見る。
少し困った顔だった。
「ニコを洗えばいい?」
「うん。ルークも一緒」
ルークが頷く。
ニコは何も分かっていない。
桶を持って嬉しそうにしている。
「熱かったら入らない」
「分かった」
「走らない」
「分かった」
「ニコを沈めない」
「沈めないよ」
カイルが少しだけ笑った。
良かった。
男性組は向こう。
私とミラとサラはこっち。
囲いの中へ入る。
湯気が立っていた。
広い。
家の樽よりずっと広い。
サラが立ち止まる。
「おおきい」
壁の向こうから声がした。
「おおきい!」
ニコだった。
同じだった。
サラが笑う。
ミラも笑った。
私も少し笑う。
服を脱ぐ。
先に体を洗う。
サラの髪を洗うと、泡が垂れた。
目を閉じるように言う。
遅かった。
「目、いたい」
「閉じて」
「もう入った」
「流す」
お湯を掛ける。
サラが顔を振る。
水を浴びたイナみたいだった。
ミラは自分で洗っていた。
でも髪は長い。
後ろを手伝う。
泡を流すと、茶色い髪が背中へ張り付いた。
「きれい」
サラが言う。
ミラは少し照れた。
向こうから水音がする。
「ニコ、立って」
カイルの声。
「立ってる」
「座ってるだろ」
「立ってる」
「それは座ってる」
ルークが笑った。
小さな声だった。
私は手を止める。
もう一度、笑い声が聞こえた。
昨日までとは違う。
いつもの声に近かった。
「入ろう」
私は湯へ足を入れる。
温かい。
少し熱い。
でも丁度いい。
ゆっくり入る。
腰。
胸。
肩まで。
息が出た。
「あ゛あ゛……」
力も出た。
体の中に残っていたものが、お湯へ溶けていく。
昨日の声。
研究所の匂い。
白い服。
子供達の顔。
全部。
今は考えない。
サラも入る。
ミラが手を繋いでいる。
二人でゆっくり沈む。
「熱い?」
「だいじょうぶ」
サラは口元まで入ろうとする。
止める。
「そこまで」
「もっと」
「駄目」
向こうから大きな水音がした。
続いて、カイルの声。
「ニコ!」
「およいだ!」
「泳ぐな!」
ニコは元気だった。
元気すぎた。
「走らせないで」
壁越しに言う。
「走ってない! 泳いだ!」
それも駄目。
ルークがまた笑っている。
ミラも肩を揺らした。
サラが壁へ向かって言う。
「こっちも大きいよ!」
「こっちも!」
見えないのに話している。
囲いの向こうに三人。
こちらに三人。
全員いる。
私は目を閉じる。
温かい。
静かではない。
ニコの声がする。
サラも喋っている。
カイルが止める。
ルークが笑う。
隣ではミラが息を吐いた。
それでいい。
静かでなくていい。
家がある。
温泉もある。
皆もいる。
引っ越さなくていいかは、まだ分からない。
国が何を言うかも分からない。
でも。
今日はここにいる。
全員でいる。
それで十分だった。
囲いの外から、小さく鳴き声がした。
イナだった。
結局来たらしい。
「イナ」
呼ぶ。
返事はない。
少しすると、入口の隙間から鼻だけが見えた。
私と目が合う。
「入れないよ」
鼻が消えた。
まだ信用していない。
昨日は頼りになった。
今日は温泉の外で警戒している。
私は肩まで沈む。
もう一度、息を吐く。
春になった。
やっと。
温泉に入れた。




