第35章 ①
研究所の外は、まだ騒がしかった。
町の人が出入りしている。
毛布を運ぶ人。
水を運ぶ人。
鍋を火へ掛ける人。
ギルドの人達も走っている。
やることは、まだたくさんあるらしい。
私は子供達を見る。
ルーク。
サラ。
カイル。
ミラ。
ニコ。
全員いる。
イナもいる。
でも。
みんな疲れていた。
サラは私の服を掴んでいる。
ニコは立ったまま、目を擦っていた。
ミラも眠そうだった。
カイルは大丈夫な顔をしている。
大丈夫ではない顔だった。
ルークは研究所を見ていた。
もう誰も。
ここへ連れて来られない。
多分。
私はルークの肩へ手を置く。
「帰ろう」
ルークが私を見る。
少しだけ目を見開いた。
「もう、いいの?」
「いい」
あとは大人の仕事だ。
私も大人だけど。
今日は終わり。
ギルドマスターを見る。
向こうも私に気付いた。
「帰るのか」
私は頷く。
「子供達、疲れた」
ギルドマスターが皆を見る。
それから頷いた。
「そうだな。ここは任せろ」
商人も来た。
まだ顔が怖い。
今日はずっと怖い。
「何かあれば知らせる」
「うん」
「中央の件もだ」
「任せる」
私はそれだけ言った。
今は。
聞いても頭に入らない。
子供達も同じだと思う。
私はニコを抱き上げる。
ニコはすぐに私の肩へ顔を置いた。
「歩ける」
小さな声で言う。
「知ってる」
「ニコ、歩けるよ」
「今日は抱く」
ニコは少し考えた。
それから私の首へ腕を回す。
歩かなくていいと分かったらしい。
サラも私を見る。
抱っこは無理。
二人は持てる。
でも。
帰り道までずっと二人を抱くと、またルークが変な顔をする。
私は空いている手を出した。
サラが握る。
それで帰る。
研究所から離れる。
誰も振り返らない。
イナだけが何度か後ろを見た。
それから私達の周りを歩く。
前へ行く。
後ろへ戻る。
全員いるか確認しているみたいだった。
「イナ」
呼ぶと隣へ来る。
サラがイナの背中へ手を置いた。
イナは歩幅を緩める。
町を抜ける頃には、誰も話さなくなった。
カイルも。
ミラも。
ルークも。
足を動かしているだけだった。
今日は長かった。
朝からずっと。
色々あった。
考えるのは明日でいい。
家が見えた。
いつもの家。
煙は出ていない。
誰もいないから当然だった。
でも。
ちゃんとある。
戸も。
屋根も。
畑も。
全部ある。
私は少しだけ息を吐いた。
帰って来た。
全員で。
誰も欠けていない。
戸を開ける。
イナが最初に入った。
中を一周する。
何もいない。
大丈夫らしい。
皆も入る。
カイルが荷物を壁際へ置いた。
引っ越すかもしれないと思って、まとめた荷物。
そのままになっている。
私は見る。
今日は片付けない。
明日も片付けないかもしれない。
引っ越さなくていいと分かってからでいい。
ニコを毛布の上へ下ろす。
寝るかと思った。
寝なかった。
座ったまま。
こちらを見ている。
「お腹空いた?」
ニコが頷く。
サラも頷く。
ミラも小さく頷いた。
カイルがまとめていた袋を開ける。
「堅パンがある」
「それでいい」
料理はしない。
火も起こさない。
今日はもう何もしない。
カイルが堅パンを出す。
人数分。
固い。
見ただけで分かる。
私は別の袋を開けた。
奥に入れていた缶を取り出す。
丸い缶。
みかん。
ご馳走。
子供達が見る。
ルークが缶と私を見比べた。
「それ、取っておくんじゃなかったの?」
「今日食べる」
「でも」
「今日はご馳走の日」
何のご馳走かは分からない。
研究所が止まった日。
皆で帰って来た日。
頑張った日。
何でもいい。
今日は開ける。
缶を開けた。
甘い匂いが広がる。
ニコが立った。
眠そうだったのに。
みかんは強い。
器を出す。
洗ってある。
良かった。
片付けていた昨日の私。
偉い。
器へみかんを分ける。
一房。
二房。
三房。
全員分ある。
まだある。
汁もたくさんある。
サラが器を覗き込む。
「きれい」
薄皮のないみかん。
つるつるしている。
異世界では珍しいと思う。
私は自分の堅パンを割る。
みかんの汁へ浸す。
皆が見る。
「こうする」
ニコも堅パンを持つ。
そのまま器へ落とした。
ぼちゃん。
汁が少し跳ねる。
ミラが笑った。
小さな笑いだった。
でも。
今日初めて聞いた気がする。
少し待つ。
汁を吸った堅パンを取る。
柔らかくなっている。
食べる。
甘い。
みかんの味。
堅パンも食べやすい。
「美味しい」
サラも浸す。
ルークも続く。
カイルは少し迷ってから堅パンを割った。
ミラはニコの器から、沈んだ堅パンを拾ってやっている。
ニコが食べる。
目が丸くなった。
「おいしい」
「うん」
イナがこちらを見ている。
みかんは駄目。
代わりにイナ用の干し肉を出す。
今日はイナも頑張った。
一枚。
少し考える。
もう一枚。
イナの尻尾が床を叩いた。
皆で食べる。
誰も研究所の話をしない。
明日の話もしない。
みかんを食べる。
汁を吸った堅パンを食べる。
それだけだった。
それで良かった。
今日はもう。
帰って来ただけで。
十分だった。




