第96話 消した役人は、燃やしていなかった
マキさんの家に残っていた返却証を見つけてから、俺たちはもう一度アサヒ村の古い役場へ向かった。
目的は一つ。
ヴァル・ヘイムが持っていった、
**『銀枝降下図』**
の行方を追うためだ。
「九十年前の役所の荷物なんて、本当に分かるの?」
ナギが聞く。
「分からない」
俺は正直に答えた。
「でも、人の物を持っていったなら、何かしら記録があるはず」
フィアが横で頷く。
「誰が受け取ったか、どこへ送ったか、運送費を誰が払ったか」
「……商人怖い」
「褒め言葉?」
違うと思う。
アサヒ村の旧役場は、今では倉庫として使われていた。
村長に事情を話すと、
「火だけ出すなよ」
と言われた。
最近、古文書を調べるたびに似た注意を受ける。
信用って積み重ねだと思う。
俺の場合、何か別の方向へ積み上がっている気がする。
中には税帳。
土地台帳。
住民記録。
農具の貸出。
橋の修繕。
見るだけで眠くなる紙が山ほどある。
レオルはむしろ嬉しそうだった。
「こういう記録の方が改竄されにくい」
「なんで?」
「誰も後世の歴史家に読ませるために書いてないからだ」
なるほど。
格好いい英雄譚は、書く人間の都合が入る。
でも、
「荷車三台、縄四束、代金銀貨七枚」
みたいな記録は、格好つけても仕方ない。
俺はちょっと感心した。
「帳簿、強いな」
フィアが言う。
「でしょ?」
なぜお前が誇る。
三時間後。
俺は机へ突っ伏していた。
「強いけど、多い……」
「起きて」
フィアに額を叩かれる。
その時。
サヨが一冊の薄い記録を持ってきた。
「これでは?」
表紙。
**『官有荷送記録』**
荷物を役所間で移動した時の記録らしい。
時期は。
約九十年前。
俺たちは一気に目が覚めた。
頁をめくる。
穀物標本。
宗教用具。
古い石板。
地方祭祀記録。
東方航路図。
嫌なほど見覚えのある分類が続く。
そして。
あった。
**『異邦人・春 私記 一束』**
その下。
**『証言録 一冊』**
さらに。
**『東方消失時図絵 三枚』**
俺の指が止まる。
「送り先」
フィアが欄を見る。
**王都・旧神話災害対策局中央保管室。**
王都。
やっぱり。
でも、そこで終わりじゃなかった。
図絵三枚の横に、小さな記号がある。
一号。
三号。
そして。
二号だけ。
赤い印。
**『別送』**
「別?」
俺が聞く。
レオルが次の頁を探す。
「理由があるはずだ」
あった。
**『通常封箱への収納を禁ず。神性干渉物として単独輸送。』**
空気が変わった。
「神性干渉物?」
ナギが顔をしかめる。
ただの絵じゃないのか?
ハルが描いた。
空から銀色の枝が降りてくる光景。
それを描いただけの紙に。
神性干渉?
「絵そのものに魔力があった?」
俺が聞く。
レオルは首を振る。
「可能性はある。ただ、九十年前の用語だから、現在の魔術分類と同じ意味とは限らない」
そこは慎重だ。
さらに欄外。
ヴァル・ヘイム本人の署名。
そして。
短い指示。
サヨが読み上げる。
「『焼却を禁ず』」
俺は顔を上げた。
「え?」
もう一度見る。
確かに。
**『焼却を禁ず。』**
その下。
**『破棄も禁ず。』**
さらに。
**『閲覧のみ封ず。』**
誰もすぐには喋らなかった。
俺の中で。
ヴァル・ヘイムという男の像が、少し崩れる。
今まで。
日本の記録を消した男。
そう思っていた。
でも。
「燃やしてない」
フィアが言った。
「むしろ、燃やすなって命令してる」
「じゃあ何で隠した?」
ナギが聞く。
それが問題だ。
レオルは帳面をさらに読む。
ヴァル・ヘイムの追記は続いていた。
**『忘却は必要なれど、事実の消滅を許してはならず。』**
俺は、その一文を二度読んだ。
忘れさせる。
でも。
記録そのものをなくしてはいけない。
矛盾しているようで。
どこか。
セヴァンに似ていた。
危険だから広めない。
しかし。
完全に消すのも違う。
「この人」
俺は呟く。
「俺たちが思ってたより、ややこしいぞ」
「人間なんだから普通だろ」
レオルが言った。
妙に納得した。
悪の秘密組織のボスなら、分かりやすい。
全部燃やせ。
誰にも知らせるな。
それで終わる。
でもヴァル・ヘイムは。
隠した。
持っていった。
名前を削った。
その一方で。
燃やすことは禁じた。
なぜ?
その答えらしきものは、帳面の次の頁にあった。
別送理由。
長い文章ではない。
役人らしく、短い。
**『銀枝の形を正確に認識した者三名に、夜間幻視および神殿樹像への共鳴を確認。』**
ぞくっとした。
「絵を見ただけで?」
ナギが言う。
「三人だけだ」
レオルが訂正する。
「全員ではない」
重要だ。
誰でも危険になるわけじゃない。
でも。
少なくとも何かが起きた。
さらに。
**『一名、睡眠中に未知の言語を反復。』**
未知の言語。
その下に。
聞き取った音が残されていた。
古いヒムカ文字で、無理やり音を写している。
俺には読めない。
ナギが発音する。
「……ユグ……ドラ……シル?」
レオルが固まった。
俺も。
知っている。
この世界の神殿で。
何度も聞いた名前。
世界樹。
**ユグドラシル。**
俺は椅子から立ち上がった。
「待って」
頭の中で。
線がつながる。
百二十五年前。
日本が消えた夜。
ハルは空に銀色の樹を見た。
九十年前。
その光景を描いた絵を見た人間が。
世界樹の名を寝言で口にした。
そして今。
この世界では。
世界樹が。
宗教の中心にある。
「偶然?」
フィアが聞く。
誰も答えられない。
レオルが低い声で言う。
「偶然とするには、かなり材料が増えた」
でも。
まだ足りない。
世界樹が日本を消した?
樹が意思を持って?
それとも、世界樹を使った神がいる?
ハルが見た「人ではない何か」は?
俺は帳面を見る。
そこにはまだ続きがあった。
ヴァル・ヘイムの最終指示。
**『図絵第二号を、中央保管室へ送るべからず。』**
「え?」
さっき送り先は王都だった。
でも中央保管室へは送るな。
では。
どこへ?
次の行。
文字が薄い。
レオルが灯りを斜めに当てる。
俺たちはもう、この方法に慣れている。
影が浮く。
**『王都・大神殿地下 根室へ移管。』**
根室。
嫌な名前だ。
根のない樹の組織が。
「根室」。
フィアが気づく。
「根を切る組織なのに、保管場所は根なんだ」
確かに。
ヴァル・ヘイムは。
何をしようとしていた?
日本神話の根を断つ。
でも証拠は、世界樹の根元へ隠す。
「これ」
サヨが静かに言った。
「消したかったのは、日本そのものではないのかもしれません」
俺は彼女を見る。
「じゃあ?」
「日本へつながる『道』を、隠したかった」
道。
名。
料理。
祭祀。
記憶。
それらを通じて。
神が戻る。
もし。
銀枝降下図そのものが、世界樹へもつながるものなら。
日本神話だけじゃない。
もっと大きな危険を。
ヴァル・ヘイムは見ていた?
俺は深く息を吐いた。
昨日までは。
ヴァル・ヘイムのところへ辿り着けば、
「なぜ隠した」
と問い詰めればいいと思っていた。
今は。
聞くことが増えすぎた。
なぜ日本の記録を隠した。
なぜ燃やさなかった。
なぜ銀枝の絵を恐れた。
そして。
なぜ。
その絵を。
世界樹信仰の中心である大神殿の地下へ運んだ。
帰り道。
俺たちは無言で歩いていた。
途中。
ナギが急に言う。
「難しい話しすぎて腹減った」
全員が止まる。
「……俺も」
俺が答えると、フィアも頷いた。
結局。
道端で昼飯を広げた。
むすび。
塩漬け魚。
ミソを焼いたもの。
神様と世界樹の話をした直後なのに。
食べれば普通にうまい。
俺はむすびを頬張りながら思う。
ヴァル・ヘイムは。
文化を消そうとした人間だ。
それは多分、間違いない。
でも。
単純に悪人ではない。
そして。
もしかすると。
俺たちよりずっと早く。
**世界樹そのものを疑った人間**
だったのかもしれない。
次に探すべきものが決まった。
王都大神殿。
その地下。
根室。
そこに。
日本が消えた夜を描いた絵が。
まだ残っている可能性がある。
そして同時に。
俺が八歳の頃から見続けてきた、
この世界のどこにでもある世界樹。
あれを。
もう。
ただの神聖な印として見ることはできなくなっていた。




