第78話 十五歳、倉庫から人を救う
十五歳の冬、学都アウルムは雪に閉ざされた。
最初の二日間は、誰も深刻に考えていなかった。
冬に雪が降るのは珍しくない。北門へ続く街道が一時的に使えなくなることもある。学院食堂には保存食があるし、商人たちだって冬を見越して倉庫へ穀物を積んでいる。
ところが三日目になっても雪は止まなかった。
四日目。
東街道が閉鎖。
五日目。
北から来るはずだった食料馬車が三隊とも到着しない。
そして六日目の朝、フィアが食堂へ飛び込んできた。
「レン、まずい」
「雪?」
「在庫」
それは、俺にとって雪より怖い言葉だった。
学院の食料倉庫へ向かう。
扉を開けた瞬間、一見すると食料は十分にあるように見えた。
麦袋。
豆。
芋。
干し肉。
燻製。
塩漬け魚。
保存野菜。
樽も積んである。
「あるじゃん」
俺が言うと、フィアが無言で一冊の帳簿を渡した。
読む。
現在の学院滞在者。
生徒。
教師。
職員。
寮の使用人。
雪で帰れなくなった来訪者。
全部合わせると、普段より人数が多い。
そこへ一日の消費量を掛ける。
俺の顔から血の気が引いた。
「……これ」
「いつもの量で食べたら、十日くらい」
「街道は?」
「最短でも復旧まで一週間。ただ、次の雪が来る可能性もあるって」
十日。
安全圏じゃない。
頭の中が急に忙しくなる。
食事を減らす。
保存食を優先。
一日二食。
配給。
俺はその場で判断した。
「今日から食事量を減らそう」
フィアが顔を上げる。
「待って」
「待ってる余裕ないよ。全員に知らせて、一人分を――」
「レン」
「早い方が――」
「だから待って!」
珍しく強い声だった。
でも俺は焦っていた。
料理長へ話し、昼食からパンの量を減らす。
さらに「食料搬入が止まっているため節約が必要」と食堂へ告知を出した。
判断としては、間違っていないと思った。
その日の夕方までは。
「レン!」
今度はフィアが本気で怒っていた。
手に市場の価格表を持っている。
「何したか分かってる?」
「配給減らした」
「その告知を見た生徒が、放課後に街で保存食を買い始めた」
嫌な予感がした。
「それが?」
「学院だけで何百人いると思ってるの!」
市場へ走った。
ひどかった。
乾パン。
干し肉。
豆。
芋。
値段が朝より上がっている。
店によっては売り切れ。
学院の生徒だけじゃない。
「学院が食事を減らした」という話を聞いた街の人たちまで、食料を買い込み始めていた。
俺は立ち尽くした。
やった。
また。
自分では、食料を守ろうとした。
でも「足りなくなる」と受け取られる伝え方をしたせいで、本当に街の食料が偏り始めた。
フィアが横へ立つ。
「物が足りない時ほど、情報の出し方まで考えて」
怒鳴らなかった。
その方が痛かった。
「……ごめん」
「私にじゃない」
分かってる。
昔からそうだ。
俺は答えが見えると、そこへ走る。
料理なら早く作る。
問題なら早く解く。
でも、俺が走ったことで人まで動くようになった。
もう八歳の子供じゃない。
「どうすれば戻せる?」
フィアが少しだけ表情を緩める。
「まず、本当に足りないのか調べる」
学院へ戻った。
ここからは、焦って決めない。
倉庫の物を全部数える。
正確に。
麦。
豆。
肉。
油。
塩。
芋。
乾燥野菜。
樽の底まで。
さらに保存期限も分ける。
古いもの。
新しいもの。
早く食べるべきもの。
長く持つもの。
そこで、また問題が見つかった。
「これ、去年の豆?」
俺が袋を持ち上げる。
倉庫番が頷く。
「奥に入ってたからな」
今年届いた豆が手前に積まれ、古い袋が奥へ押し込まれている。
芋も同じ。
新しいものから使っている。
そのせいで、古い食材が傷み始めていた。
「古い方から使おう」
俺は倉庫の床へ線を引いた。
入ってきた日付順に並べる。
古いものを手前。
新しいものを奥。
「先に入ったものから、先に出す」
フィアが頷く。
「商会でも似たことやる」
「名前つけようかな」
「必要?」
「ちょっと格好いい」
前世では当たり前だった。
先入れ先出し。
ただ、言葉を持ち込むことより、習慣にすることが大事だ。
次に一日あたりの消費量。
料理長と献立を分解する。
肉をどれだけ使う。
麦をどれだけ使う。
捨てている部分は。
骨。
野菜の端。
固い茎。
「これ、捨てる?」
「今まではな」
「出汁にしよう」
大量の骨を焼く。
野菜の端も洗って煮る。
濃い出汁が取れる。
それを豆と芋の煮込みへ使えば、肉の量を減らしても物足りなくなりにくい。
パンも一人一個ではなく、大鍋の粥や煮込みと組み合わせる。
温かい汁物は満腹感がある。
ただ減らすんじゃない。
**少ない材料でも「食べた」と思える献立へ変える。**
レオルは厨房とは別の場所で戦っていた。
「寮の暖房魔力、夜間出力を一割落とせる」
「寒くならない?」
「廊下と空き教室まで同じ温度にする必要はない」
人がいる場所へ集中。
使わない部屋は最低限。
トーマは壊れていた鍋蓋を直し、蒸気漏れのひどい大鍋へ新しい蓋を取り付ける。
断熱。
余熱。
加圧鍋。
俺たちが何年も積み上げてきたものが、一つずつ役に立った。
三日後。
もう一度計算する。
「……二十三日」
俺は数字を見直した。
フィアも確認する。
「条件が悪化しなければ」
最初は十日だった。
それが二十三日。
食べる量を半分にしたわけじゃない。
捨てていたものを使う。
古いものから使う。
燃料を減らす。
献立を変える。
在庫を正確に知る。
それだけで倍以上になった。
料理長が帳簿を見て、低く笑った。
「倉庫の中に、十日分以上隠れてたようなもんだな」
「隠れてたんじゃなくて、俺たちが見えてなかった」
その日の夕食。
豆と芋の濃い煮込み。
骨から取った出汁。
薄く切った燻製肉。
少量のパン。
量だけ見れば以前より少ない。
でも湯気が立っている。
匂いがある。
身体が温まる。
生徒たちの顔も、最初に配給を減らした日のように暗くない。
食堂の壁には、新しい告知を貼った。
**『学院には、現在の人数で二十日以上を維持できる食料があります。街道復旧まで、献立を変更しながら通常の食事提供を続けます』**
不足を煽らない。
数字を示す。
何をするかを説明する。
市場にも学院から状況を伝え、生徒へ不要な買い込みを控えるよう正式に通知した。
数日かけて、価格も少しずつ落ち着いた。
夜。
食堂の最後の鍋を洗い終えた俺は、椅子へ座り込んだ。
「疲れた……」
レオルが向かいへ座る。
「魔物討伐より疲れてる顔だな」
「魔物は倒したら減るじゃん。在庫は食べたら減るんだよ」
フィアが笑う。
トーマは机へ突っ伏している。
誰も剣を振っていない。
派手な魔法も使っていない。
でも。
今日も何百人が温かい飯を食べた。
街道が閉じても。
雪が降っても。
倉庫の中身と、俺たちが知っている方法で。
俺は空になった鍋を見る。
昔の俺なら、「料理で人を救う」と聞けば、病人へ一皿作る場面を想像したと思う。
今は違う。
一人分じゃない。
何百人が、明日も食べられるようにする。
それも料理人の仕事だった。
そして。
最初に俺が失敗しなければ、気づけなかったこともある。
正しいことを知っていても。
伝え方を間違えれば、人を不安にする。
数字は安心させることも、怖がらせることもできる。
料理人になりたい。
そう言ったばかりなのに。
俺が覚えなきゃいけないことは、まだ山ほどあるらしい。
窓の外では、まだ雪が降っていた。
でも食堂の中は暖かかった。
そして倉庫には。
明日の飯が、ちゃんと残っていた。




