第76話 十四歳、名前を隠して食べ比べる
十四歳の秋、俺は自分の料理が一番うまいと思っていた。
正確に言えば、学院の実習で出された課題――安い根菜と酸味の強い果実酢を使った冷製ソースなら、かなり自信があった。
何度も作っている。
温度も測る。
油を加える順番も分かる。
乳化の失敗だって、もうほとんどしない。
だから試食会で俺の皿に一番多く票が集まった時も、驚かなかった。
「二十三票」
集計をしていた生徒が読み上げる。
「二位、料理科助手のラウラさん。十五票。三位、フィア。十一票」
俺は腕を組んだ。
「ふっ」
レオルが嫌そうな顔をした。
「何だその顔」
「いや、別に」
「明らかに勝ち誇ってる」
「結果が数字で出ただけだよ」
フィアが票の束を見つめている。
なぜか笑っていない。
「レン」
「何?」
「もう一回やろう」
「いいけど」
「今度は、誰が作ったか分からなくして」
俺は瞬きをした。
「なんで?」
「だって今日、試食する前に全部名前が書いてあったでしょ」
確かに。
俺の皿には「レン」。
ラウラさんには「ラウラ」。
全員分、作った人の名前が書いてあった。
「それが何?」
フィアは呆れた。
「レン、学院で有名なんだよ?」
「そう?」
「温度計、衛生実験、研究祭。料理が得意なのも知られてる」
レオルが頷く。
「『レンが作った』って時点で、美味いと思って食べた奴がいるかもしれない」
なるほど。
期待。
先入観。
前世でも聞いたことがある。
高いワインだと思って飲むと美味しく感じるとか、有名店の料理だから評価が上がるとか。
「じゃあ、名前を隠す?」
「それだけじゃない」
フィアは三つの皿を見る。
「置く順番も変えた方がいい」
俺は少し驚いた。
「なんで?」
「最初に食べたものと、最後に食べたものって印象違わない?」
……確かに。
酸味の強いソースなら、最初の一口と三皿目では舌の感じも変わる。
レオルが紙を取る。
「試食する人を三組に分ける。出す順番を変えよう」
一組目。
甲、乙、丙。
二組目。
乙、丙、甲。
三組目。
丙、甲、乙。
俺は三人を見る。
「なんか俺より実験上手くなってない?」
フィアが当然のように答える。
「何年一緒にやってると思ってるの」
ちょっと嬉しい。
そして、ちょっと悔しい。
翌日。
同じ材料。
同じ予算。
作り手は俺、フィア、料理科助手のラウラさん。
ただし完成した皿には名前を書かない。
厨房に入らない教師が、俺たちの知らないところで番号札を付ける。
俺自身も、試食会場へ運ばれた時点ではどれが誰のものか分からない。
「これなら文句ないでしょ」
フィアが言う。
「上等」
ちょっと燃えてきた。
**「見せてもらおうか。名前なしでも俺の料理が選ばれるかどうか」**
「また変な言い方してる」
「気にしないで」
試食開始。
生徒だけではなく、教師、厨房職員、街から来ていた料理人にも参加してもらった。
評価項目は三つ。
味。
香り。
また食べたいか。
さらに今回は、材料費も別に記録する。
結果が集まる。
俺は余裕を装っていた。
内心はかなり気になる。
集計終了。
一位。
ラウラさん。
「……え?」
二位。
俺。
三位。
フィア。
俺は紙を見た。
もう一回見る。
数字は変わらない。
「俺、一位じゃない」
レオルが肩を叩く。
「現実だ」
「慰め方!」
ラウラさんは二十二歳。学院厨房で働き始めて五年になる。
彼女のソースをもう一度食べる。
うまい。
酸味の角がない。
香草も強すぎない。
油の重さも少ない。
「なんで?」
素直に聞いた。
ラウラさんが笑う。
「根菜を先に少し塩揉みしたの。水分が出るから、ソースが薄まりにくい」
「あ」
「それから香草は混ぜ込まず、最後に刻んで足した。香りが残るから」
知らなかった。
いや、考えれば分かることかもしれない。
でも俺は乳化の安定ばかり見ていた。
料理としての完成度では、普通に負けた。
悔しい。
かなり。
でも同時に。
「それ教えて」
俺が言うと、ラウラさんは笑った。
「もちろん」
負けたら覚えればいい。
料理では、昔からずっとそうしてきた。
ところがフィアは集計表をまだ見ていた。
「待って」
「何?」
「値段を入れると変わる」
材料費。
俺のソースは、ラウラさんのものよりかなり安かった。
彼女は香りの良い上質な油を使っている。
俺は学院食堂で大量に使えることを想定して、安い油と、捨てられがちな香草の茎まで利用した。
そこで評価方法を変える。
味だけではなく、
**一食あたりの費用。**
保存のしやすさ。
大量に作った時の再現性。
そこまで含める。
結果。
食堂向け総合評価では、俺が一位になった。
「よし!」
拳を握る。
レオルが言う。
「さっきまで負けを受け入れてた顔はどこ行った」
「部門が違えば勝負も違う」
「急に元気になったな」
いいんだ。
高級店の一皿でラウラさんに負けても、毎日何百人へ出す料理なら俺の強みがある。
安い材料を美味しくする。
それは、前世からずっと俺がやってきたことだ。
試食会は成功だった。
しかも、面白い結果がもう一つ出た。
最初の試食会では二十三票だった俺の料理が、名前を伏せると十五票まで落ちた。
逆にラウラさんは増えた。
つまり。
「名前って、味に影響するんだな」
俺が呟くと、アルノー先生が訂正した。
「味そのものではなく、評価だろう」
「でも食べる側からしたら、ほとんど同じじゃない?」
先生は少し考える。
「それを区別するために、今回のような試験が必要なのだろうな」
料理だけじゃない。
薬。
魔導具。
新しい保存方法。
誰が作ったか、何を期待しているかを隠して比較すれば、もっと公平に結果を見られる。
また一つ、前世では当たり前に存在していた考え方が、学院の研究方法へ入り始めた。
その日の放課後。
俺は厨房に残って、ラウラさんから香草の扱い方を教わっていた。
「葉は最後。茎は煮出して香りを移す方法もあるよ」
「なるほど」
「レン君って、意外と素直だよね」
「意外と?」
「もっと『自分のやり方が一番』って子かと思ってた」
「昔はちょっとそうだったかも」
笑っていると、厨房の入口から声がした。
「レン」
フィアだ。
「まだやってたんだ」
「うん。これ食べる?」
改良版を小皿へ入れる。
フィアが受け取る。
一口。
俺は反応を待つ。
「……酸っぱい」
「え?」
おかしい。
ラウラさんにはちょうどいいと言われた。
もう一度自分で食べる。
普通だ。
「フィア、酸味強いの苦手だったっけ」
「今さら?」
言われて思い出す。
そうだ。
フィアは昔から、酸味の強い料理だけ少し残す。
夏市でも、酸っぱい果実水より甘い香草茶を選んでいた。
何年も一緒にいるのに、研究用の「平均的な味」ばかり考えて忘れていた。
「ちょっと待って」
俺は別の器を取った。
酸味を減らす。
油を少し。
塩。
香草。
フィア向けに調整する。
渡す。
「今度は?」
一口。
フィアの目が少しだけ細くなる。
「……うん。こっち好き」
「よかった」
それだけだった。
本当に、それだけのはずだった。
「レンって」
フィアが皿を見たまま言う。
「こういうところだけ、ずるいよね」
「何が?」
「分からないならいい」
「いや、気になるんだけど」
答えてくれない。
そこへ、別の男子生徒が厨房へ顔を出した。
商業科のアデルという十四歳の少年だ。最近フィアとよく話している。商会同士で取引があるらしい。
「フィア、いた。お父上から預かった書類――」
「ありがとう」
二人が自然に話し始める。
俺は鍋を混ぜる。
別に何もない。
普通だ。
フィアは商家の娘。
商業科に知り合いくらいいる。
アデルも感じのいい奴だ。
「来月の商会会合も来る?」
「たぶん。父さん次第だけど」
「なら一緒に――」
なんだろう。
急に鍋を混ぜる手に力が入った。
ラウラさんが俺を見る。
「レン君」
「何?」
「それ、もう十分混ざってるよ」
「知ってる」
「じゃあなんでそんな敵みたいに混ぜてるの?」
知らない。
俺にも分からない。
**「俺の知らないところで話が進んでいる……だと?」**
何の話だ。
自分で自分に突っ込む。
アデルが帰った後。
フィアが俺を見る。
「何?」
「別に」
「ずっと見てたけど」
「見てない」
「見てた」
前にもこんな会話した気がする。
嫌な予感がしたので、俺は料理へ逃げた。
「ほら、ソースもう一回食べる?」
フィアが笑う。
「食べる」
小皿を渡す。
その瞬間。
近い。
前なら何とも思わなかった距離なのに、妙に意識した。
手が触れそうになる。
触れなかった。
なのに心臓だけ少し速い。
何だこれ。
魔力異常?
いや違う。
十四歳にもなって、さすがに俺でもそれくらい分かる。
たぶん。
少しずつ。
フィアを、昔と同じようには見られなくなっている。
でも。
まだ名前をつけるのは早い気がした。
今日の実験で学んだばかりだ。
名前を先に見せると、判断が引っ張られることがある。
だったら、この感情にもまだ札をつけないでおこう。
ちゃんと自分で確かめる。
……恋愛まで比較実験みたいに考えている時点で、何か間違っている気もするけど。
俺はフィアが食べている皿を見る。
彼女用に少しだけ酸味を抑えたソース。
今日の試食会には出していない。
大勢に一番好かれる味でもない。
でも。
フィアは、それが一番好きだと言った。
なぜか。
一位を取った時より、そっちの方が少し嬉しかった。




