第75話 十四歳、進路希望は料理人です
十四歳の春、俺たちは高等科へ進んだ。
学院へ入った時は八歳だった。気づけば六年。制服の袖だけでなく、周囲を見る高さまで変わっている。レオルは俺より少し背が高くなり、トーマは相変わらず細いが腕だけ妙に逞しい。フィアも、いつの間にか「同い年の女の子」ではなく、少し大人びた雰囲気を纏うようになっていた。
その事実について考え始めると、夏市の夜を思い出すので考えないことにしている。
高等科へ上がって最初に行われたのは、魔術実習でも調理実習でもなかった。
進路面談だった。
「早くない?」
俺が言うと、レオルが呆れた顔をする。
「高等科は三年だぞ。卒業してから考える方が遅い」
「そうだけどさ」
教室の黒板には、卒業後の代表的な進路が並んでいる。
王立魔術研究院。
騎士団魔術部門。
行政魔術官。
商会所属魔導技師。
学院研究員。
地方魔術師。
その他。
俺は最後を見る。
その他。
便利な言葉だ。
「レンは研究院でしょ?」
近くの生徒が当然のように言った。
「え?」
「だって生活魔術研究室から何回も名前出てるじゃん」
別の生徒も加わる。
「温度測定の研究にも関わってたし」
「加圧鍋もだろ?」
「研究祭も優勝してたよな」
話が勝手に積み上がっていく。
俺はちょっと困った。
確かに学院へ入ってから、研究にはかなり関わった。
でも。
研究者になりたくてやっていたわけじゃない。
昼休み。
アルノー先生に呼ばれた。
研究室へ行くと、机の上に一通の封書が置いてあった。
「王都からだ」
「嫌な話?」
「なぜ最初に警戒する」
最近、王都史料庁関係でろくな印象がない。
でも今回は違った。
王立魔術研究院。
生活魔術部門。
高等科卒業後の推薦候補として、俺の名前を登録したいという話だった。
「……俺?」
「君だ」
「十四歳だけど」
「卒業後の話だ」
分かってる。
アルノー先生は椅子へ座り、俺にも向かいを勧めた。
「返事は今すぐでなくていい。ただ、君ほど生活魔術の応用に成果を出している生徒は珍しい」
「成果って言っても、俺が全部作ったわけじゃないですよ」
「だから評価されている」
意味が分からず、先生を見る。
「一人で全てを作ろうとしなくなった。必要な専門家を呼び、条件を整理し、他分野へつなげる。それも研究能力だ」
褒められているらしい。
ちょっと嬉しい。
でも、胸の中には別のものがある。
「先生」
「何だ」
「俺、料理人になりたいです」
沈黙。
長い。
窓の外から鳥の声まで聞こえた。
「……もう一度言ってくれ」
「料理人」
「聞こえてはいた」
じゃあなぜ聞いた。
先生は額へ手を当てた。
「王立研究院の推薦候補へ入った生徒が、第一志望に料理人と書くとは思わなかった」
「駄目?」
「駄目ではない」
でも納得していない顔だ。
「君は魔術研究が嫌いなのか?」
「むしろ好きです」
「ではなぜ」
俺は少し考えた。
自分でも、今までちゃんと言葉にしたことがなかった。
料理が好き。
それだけでも十分な理由だと思う。
でも、学院で六年間過ごして、俺にとっての料理は昔よりずっと広くなっていた。
「料理って、皿の上だけじゃないから」
先生が黙って聞く。
「食材を育てる人がいる。運ぶ人がいる。腐らせない方法がいる。厨房なら水も燃料も必要だし、手を洗わないと病気になる。店にするなら値段も考える。大勢に出すなら順番とか在庫もいる」
村。
ベルク。
学院。
今までの景色が、一つずつ浮かぶ。
「食べる人が病気なら、柔らかいものを作る。冬なら保存食が必要になる。貧しい人なら高い材料は使えない。祭りなら、大勢で同じものを食べることにも意味がある」
そして。
神様へ供える食事。
米。
いただきます。
日本。
そこまでは口にしない。
でも俺の中では全部つながっている。
「俺、魔法を捨てたいわけじゃないです」
アルノー先生を見る。
「魔法も、衛生も、研究も、商売も。覚えたこと全部、料理に持っていきたい」
先生はしばらく何も言わなかった。
やがて、小さく笑った。
「なるほど」
「変?」
「いや」
推薦状を指先で軽く叩く。
「私の方が、研究者という職業を狭く考えていたようだ」
その日の午後、進路希望票が配られた。
第一志望。
迷わず書く。
**料理人。**
第二志望。
しばらく考える。
料理研究。
第三志望。
さらに考えて。
「……料理に関係する何か」
横からレオルが覗いた。
「最後だけ急に雑だな」
「人生なんて三つに絞れるか」
レオルの希望票を見る。
魔術研究。
騎士団魔術研究。
学院研究員。
真面目。
フィアは商会経営と交易研究。
トーマは魔導具工房。
ちゃんと全員違う。
当たり前だけど、少し不思議だった。
八歳の頃は、明日の授業のことしか考えていなかった。
今は卒業後の話をしている。
放課後。
高等科の合同説明会があった。
王都研究院から来た研究員も壇上にいる。
その人が生活魔術の将来性について話した後、候補生として何人かの名前を挙げた。
俺も入っていた。
周囲がざわつく。
少し誇らしい。
そして説明会の最後。
希望進路の例として先生が生徒へ尋ねる。
「レン・ガルド。君は?」
視線が集まった。
俺は立つ。
「料理人です」
またざわついた。
誰かが笑った。
悪意ではない。
「研究院じゃないのか?」
「もったいなくない?」
そんな声も聞こえる。
壇上の研究員まで少し驚いている。
昔なら、ちょっとムキになったかもしれない。
今は違った。
「もったいなくないです」
自分でも思ったより、はっきり声が出た。
「研究したこと、全部使うから」
温度。
熱。
衛生。
発酵。
乳化。
断熱。
加圧。
大量調理。
まだまだある。
「俺が研究院に行かなくても、研究をやめるわけじゃない。料理人になっても、分からないことは調べるし、必要なら研究者にも聞く」
アルノー先生が腕を組んでいる。
少し笑っていた。
「だから」
俺は続ける。
「研究か料理か、どっちか選べって言われても困ります」
一度息を吸う。
「俺は料理をするために、研究も魔法も使いたい」
今度は笑い声がなかった。
代わりに、壇上の研究員が聞いた。
「料理で、何をしたい?」
難しい質問だった。
店を持ちたい。
美味いものを作りたい。
家族に食べさせたい。
日本料理をもう一度作りたい。
いろいろある。
でも今、一番近い答えは。
「食べた人が、明日も頑張れる飯を作りたいです」
前世。
遅く帰る両親。
妹。
安い材料しかない台所。
あそこから始まった。
たぶん今も、そこは変わっていない。
説明会の後。
廊下へ出ると、フィアが待っていた。
「すごいこと言ってたね」
「恥ずかしいから忘れて」
「無理」
レオルも来る。
「でも、お前らしいんじゃないか」
トーマが笑う。
「研究院を蹴って厨房へ行く人、学院史にいるかな」
「まだ蹴ってないから!」
勝手に伝説を作るな。
歩きながら、フィアが聞いた。
「店、持つの?」
「いつかは」
「どこで?」
止まった。
村。
アウルム。
ヒムカ。
まだ知らない場所。
そして。
もし帰れるのなら、日本。
答えは一つじゃない。
「まだ分からない」
正直に言う。
フィアはそれ以上聞かなかった。
「じゃあ、決まったら教えて」
「うん」
「商売として成立するか見てあげる」
「夢の段階から金の話?」
「大事でしょ」
変わらない。
そのことが、少し嬉しかった。
十四歳。
将来なんて、まだ何一つ決まっていない。
それでも。
俺が何になりたいかだけは、もう決まっていた。
魔術師でも。
研究者でも。
英雄でもない。
料理人。
ただし。
料理しか知らない料理人になるつもりもなかった。
学院で学んだものを全部鍋へ放り込んで。
この世界にまだない料理を作る。
それが今の俺の、いちばん欲張りな進路希望だった。




