第67話 十一歳、魔法を強くするな
十一歳になった春、俺たちは中等科へ進んだ。
制服の基本的な形は変わらない。それでも授業内容は明らかに難しくなり、魔術式は長くなった。初等科では「正しく発動できるか」が重視されていたのに、中等科では「なぜその術式を選ぶのか」「もっと少ない魔力で同じ結果を出せないか」まで問われる。
そして進級後、最初の総合実習。
俺たちの前には、人間一人なら余裕で入れそうな巨大な鍋が置かれていた。
「……これ、鍋?」
「鍋だ」
アルノー先生が答える。
「風呂じゃなくて?」
「入るなよ」
まだ入ってない。
黒板には今日の課題が書かれていた。
**『規定量の水を、可能な限り短時間で沸騰させよ。ただし、使用魔力量も評価する』**
速ければいいわけではない。
少ない魔力だけでも駄目。
その両方。
俺、レオル、フィア、トーマの四人で鍋を囲む。
レオルが最初に俺を見る。
「今日は先に相談するぞ」
「分かってるよ」
「前に冷却箱を作った時、お前が一人で突っ走って魔石を半分近く使ったのを忘れたとは言わせない」
「三年前だぞ」
「三年で性格が直ったなら言わない」
直ってないと思われている。
フィアが淡々と補足する。
「私も直ってない方に一票」
「投票制なの?」
開始の合図が出た。
周囲の班が一斉に動く。
火属性魔法が立ち上がり、実習場の空気が一気に熱くなった。
隣の鍋では炎が底だけでなく側面まで包んでいる。さらに向こうでは二人が同時に火力を上げ、赤い炎が天井近くまで伸びた。
「でかっ!」
轟音。
熱風。
魔石が眩しく輝く。
思わず口から出た。
**「お前ら、サードインパクトでも起こす気か!」**
全員が一瞬こちらを見る。
レオルも見る。
「何だそれ」
しまった。
「世界が終わりそうなくらい派手ってこと」
「最初からそう言え」
俺の中ではかなり的確な表現だったんだけどな。
とはいえ、他の班の勢いを見ると焦る。
こっちはまだ火すらつけていない。
「まず普通にやってみよう」
俺が火を出す。
レオルが術式を整え、鍋底全体へ均等に熱を回す。
一気に水温が上がった。
六十。
七十。
八十。
温度を測れるようになってから、こういう実験は格段に楽になった。
以前なら「かなり熱い」で終わっていたものが、今は数字として比較できる。
「もっと上げられる?」
フィアが聞く。
「いける」
出力を上げる。
炎が強くなる。
八十四。
八十七。
八十九。
でも。
フィアが魔石を確認して、眉をひそめた。
「レン」
「何?」
「もう半分近く使った」
「え?」
見る。
本当だ。
まだ水は沸騰していない。
レオルが言う。
「このままだと、速くても消費量で負けるぞ」
火を少し落とす。
すると今度は温度の上昇が鈍った。
八十九。
八十九。
少し待って。
九十。
それから、またほとんど動かない。
「なんで上がらない?」
トーマが鍋へ近づく。
俺も手をかざした。
鍋の側面から熱が逃げている。
上からは湯気。
周囲の空気まで暑い。
その瞬間、頭の中で何かがつながった。
「……俺たち、何してるんだ?」
「湯を沸かしてる」
レオルが答える。
「そうじゃなくて」
鍋を見る。
熱を入れる。
逃げる。
もっと入れる。
もっと逃げる。
だから、さらに強い魔法で押し込もうとしていた。
「火を強くする前に、逃げる熱を減らせばいい」
三人が鍋を見る。
最初にフィアが口を開いた。
「蓋?」
「そう」
前世なら当たり前だ。
湯を沸かすなら蓋をする。
煮込みなら火を弱くして蓋をする。
魔法瓶や保温容器だって、熱を作り続けているわけじゃない。逃がさないようにしている。
それに、昔作った断熱箱でも同じことを経験した。
外から熱を入れない。
今度は逆。
中から熱を逃がさない。
「トーマ、蓋作れる?」
「完全なやつは無理。でも金属板なら組める」
「完全密閉はしなくていい。蒸気の逃げ道は残して」
そこは大事だ。
前世の圧力鍋の詳しい構造は知らない。
でも蒸気を全部閉じ込めるのが危ないくらいは知っている。
トーマが薄い金属板を組み合わせる。
フィアは材料置き場を見ていた。
「側面も何かできない?」
「火が当たる場所は駄目だけど、上の方なら」
粘土板を外側へ配置し、その間に空間を作る。
完全な断熱ではない。
時間も材料も足りない。
それでも、何もしないよりはいいはずだ。
準備ができた。
俺は再び火を出す。
さっきより弱い。
隣の班を見る。
相変わらず炎は派手だ。
こちらを見ていた生徒の一人が笑った。
「そんな火で間に合うのか?」
ちょっと腹が立つ。
でも今は結果を見ればいい。
八十九。
九十一。
九十三。
さっき止まりかけていた数字が、普通に上がっていく。
レオルが温度計を見る。
「火力は下げたのに」
「逃げる量が減ったから」
九十五。
九十七。
鍋の中の音が変わる。
細かな泡が増える。
そして蓋の隙間から、勢いよく蒸気が上がった。
沸騰。
「よし!」
四人とも同時に声が出た。
俺は思わずレオルと手を合わせた。
次にトーマ。
フィアにも手を出す。
「何?」
「今の流れで」
「仕方ないなあ」
ぱん、と小さな音がした。
……妙に四人の動きが揃った。
**「瞬間、心を重ねて……って、相手ただのお湯だけど」**
「また何か言ってる」
フィアには流された。
結果測定。
最速だった班は俺たちではなかった。
高出力の班が、一足先に沸騰させている。
でも、魔石の残量を見る。
向こうはほとんど空。
俺たちは、まだかなり残っていた。
フィアが数字を確認し、口元を上げた。
「勝てるかも」
全班終了後、アルノー先生が結果を発表した。
「総合第一位、レンたちの班」
教室がざわついた。
さっき笑っていた生徒が思わず言う。
「でも、あっちの火の方が弱かったじゃないですか」
「その通りだ」
先生はあっさり認めた。
そして俺たちの鍋の蓋を持ち上げる。
「だが、今日の課題は『最も強い炎を作れ』ではない」
黒板を指す。
「水を沸騰させること。そして、使用魔力量も評価することだ」
静かになる。
「彼らも最初は火力で押し切ろうとした。そして失敗した」
そこまで言わなくてもいいのに。
「だが途中で、加える熱だけでなく、失われる熱へ目を向けた」
蓋。
側面の空気層。
必要な時だけ使う魔法。
「魔術師は、魔力があるほど『もっと使えば解決できる』と考えやすい。だが目的は魔法を大きくすることではない」
先生が俺たちを見る。
「目的を、より良い方法で達成することだ」
胸の奥が熱くなった。
こういうのは、かなり気持ちいい。
派手な炎を出したわけじゃない。
新しい上位魔法を使ったわけでもない。
ただ蓋をして。
熱を逃がしにくくした。
それだけで、魔力を大量に使った班より高い評価を取った。
前世では、母さんだって普通に鍋へ蓋をしていた。
そんな日常の知識が、ここでは魔術の使い方そのものを変える。
フィアが小声で言った。
「レン」
「ん?」
「すごく嫌な顔してる」
「どんな?」
「勝った人の顔」
否定できない。
ちょっとだけ胸を張る。
「大きければ強いと思ったか」
「何の話?」
「料理では、火力を上げすぎた奴から焦がすんだよ」
今度はレオルが笑った。
実習が終わった後も、話はそこで終わらなかった。
「これ、暖房にも使えるよな」
レオルが言う。
「壁から逃げる熱を減らせば、同じ魔力でも部屋を暖かくできる」
フィアが続ける。
「宿屋なら薪代が下がる。北の町なら相当違うと思う」
トーマはもう紙へ絵を描いている。
「壁を二重にして、間を空けたらどうなるかな」
俺は三人を見た。
もう、俺が全部説明する必要はなかった。
俺が一つ思いつけば、レオルが理論へつなげる。
フィアが実際に使えるか考える。
トーマが形にしようとする。
俺の知識が、この世界の知識と混ざって、新しいものになっていく。
帰り道。
レオルが思い出したように聞いた。
「ところで、さっきの『さーどいんぱくと』って何だ?」
「まだ覚えてたの?」
「三回目なのか?」
「そこ掘るな」
「一回目と二回目は?」
「本当に掘るな!」
フィアとトーマが笑う。
俺も結局、笑った。
十一歳の春。
少し身長が伸びても、俺たちはまだ学生だ。
失敗する。
競う。
くだらないことで笑う。
そして、そのたびに一つずつ知っていく。
強い魔法とは、たくさん魔力を使う魔法じゃない。
必要なところに、必要なだけ使える魔法。
それはきっと、料理と同じだった。




