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神々のいない食卓~日本の消えた異世界で、料理好きの俺は和食を作る~  作者: ちゃむたろう
第六章 学都アウルム――八歳、学校へ行く

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第60話 大図書館で、日本を探す

アウルム学院へ来てから、俺は何度も大図書館の前を通っていた。


そのたびに入りたいと思っていた。


でも授業が始まれば覚えることはいくらでもあるし、実技の後にはアルノー先生から追加課題が飛んでくる。食堂へ顔を出せば料理長に捕まり、フィアからは「火の魔力消費を測る約束、忘れてないよね」と言われる。


気づけば、入学から数か月が過ぎていた。


そして今日。


俺はついに、サヨから預かった紙を鞄へ入れ、大図書館の正面に立っていた。


「……でかいな」


何度見ても、やっぱり大きい。


学院本館より少し低い程度の建物が、丸ごと本のために使われている。正面には太い石柱が並び、その上には開いた本と羽根を組み合わせた紋章が刻まれていた。


扉をくぐった瞬間、空気が変わる。


紙。


革。


木。


古い埃。


それに、わずかに薬品のような匂い。


嫌いじゃない。


むしろ胸が高鳴った。


入口からすぐ先には、天井まで続く吹き抜けがあった。


一階。


二階。


三階。


さらに上。


何階あるのか、一目では分からない。


壁という壁が本棚だ。


中央には螺旋状の階段が伸び、上の階では学生や研究者が静かに行き交っている。本棚の間には移動用の梯子が取り付けられ、天井近くでは小さな箱型の魔法具が、何冊もの本を載せてゆっくり飛んでいた。


一台が俺の頭上を通る。


「本が飛んでる……」


思わず見上げる。


「本ではありません。運搬台です」


受付から声がした。


長い銀髪を後ろでまとめた女性が、こちらを見ている。


年齢はよく分からない。三十代にも五十代にも見える。胸には学院のものとは少し違う、鍵と本を組み合わせた徽章がついていた。


「初等科の生徒ですね」


「はい」


「初めて?」


「はい」


「上を見ながら歩くと柱にぶつかります」


危ないところだった。


俺は前を見る。


「司書のメリナです。利用証を」


学院から渡された小さな金属札を差し出す。


メリナさんが魔法具へ触れさせると、札が淡く光った。


「初等科生が閲覧できるのは一般書庫と初等研究区画まで。希少書、魔術原典、古文書区画への立ち入りは禁止されています」


目的地を先に塞がれた気がする。


「古文書、見たいんですけど」


「駄目です」


「まだ何を見るか言ってない」


「八歳で古文書を見たいと言う生徒は、だいたい同じことを言います」


経験豊富らしい。


でも、今日は諦めるつもりはない。


俺は鞄からサヨの紙を取り出した。


「こういうのを探してるんです」


メリナさんの目が紙へ落ちる。


最初は事務的だった視線が、少しだけ変わった。


紙には、サヨの村に残されていたものが写されている。


三本足の鳥。


勾玉。


意味の分からない幾何学模様。


それから、サヨたちが音だけで伝えてきた言葉を、俺がこの世界の文字で書き添えたもの。


ニホン。


ヒムカ。


ミコ。


メリナさんは紙を持ち上げた。


「これは、どこで?」


質問の仕方が変わった。


「東の方から来た人が持ってたものです」


嘘ではない。


サヨのことをどこまで話すべきかは、まだ決めていない。


「調べたいんです。似た記録がないか」


「何を知りたいのです?」


その質問に、答えが詰まった。


日本がどこにあるか。


なぜ消えたのか。


この世界が本当に未来の地球なのか。


八咫烏はなぜ俺を導くのか。


聞きたいことは山ほどある。


でも今、確実に言えるのは一つだけだった。


「この言葉が、本当に昔からあったのか知りたい」


俺は紙の一番上を指差した。


**ニホン。**


メリナさんがその音を小さく読む。


「ニホン」


何も起きない。


神殿の像も割れない。


空も光らない。


ただ、知らない人が、日本という言葉を口にした。


それだけなのに。


胸の奥が少しだけ熱くなった。


「国名ですか?」


「……たぶん」


本当は「そうです」と言いたい。


でも今の世界に、日本という国は存在しない。


メリナさんは受付の奥へ行き、分厚い索引簿を何冊か持ってきた。


「まず一般索引から探しましょう」


そこから、俺の予想以上に地味な作業が始まった。


ニホン。


なし。


似た発音の地名。


なし。


ヒムカ。


これはあった。


ただし現在の東方地域の古い呼び方として数件。


三本足の鳥。


該当なし。


三脚鳥。


怪鳥伝承が二件。


でも内容を確認すると、どちらも全く違った。


稲。


これも難しい。


この世界では東穀や別の穀物が同じ分類に入れられていて、俺の知っている稲と区別されていない。


「ない……」


二時間近く探したところで、俺は机に額をつけた。


期待していた。


大図書館なら何かあると。


日本という文字が突然本から出てくるような、そんな都合のいいことを。


でも、何もない。


本当に。


不自然なくらい。


「これだけ本があるのに」


目の前には、地理書だけでも何百冊と並んでいる。


古代王国。


滅びた都市。


昔の街道。


何百年前の小国まで記録されている。


それなのに、日本だけがない。


島国一つが消えたというだけなら、どこかに記録くらい残るはずだ。


戦争で滅びても。


海に沈んでも。


名前くらいは。


でもない。


「……やっぱり、消されたんだ」


誰に聞かせるでもなく呟いた。


破壊されたのではない。


記録から。


記憶から。


存在したという事実そのものから。


第10話でヴァルドが言った言葉が、今になって重くなる。


メリナさんが向かいに座った。


「探し物が見つからない時に、一つ覚えておくといいことがあります」


「何?」


「索引にないことと、記録が存在しないことは同じではありません」


顔を上げる。


「どういうこと?」


「名前が変わっている可能性があります。分類が間違っている可能性もある。後世の者が意味を理解できず、全く別の項目へ入れた可能性もあります」


なるほど。


「じゃあ、『日本』じゃない名前で残ってるかもしれない?」


「可能性はあります」


俺は紙を見る。


サヨの村でも、意味が分からないまま形だけ守っていた。


「稲種」という文字を、サヨは読めなかった。


つまり。


誰かが日本のことを書き残していても、後の人がそれを日本の記録だと分からなければ。


全然違う場所に保存されているかもしれない。


「これ」


メリナさんが三本足の鳥の図を指した。


「文字ではなく、意匠から探してみましょう」


その発想はなかった。


メリナさんは別の索引を取り出した。


今度は文章ではなく、古代の紋章や祭具、建築意匠を分類したものらしい。


ページをめくる。


鳥。


太陽。


樹木。


蛇。


船。


何十種類もある。


三本足の鳥そのものはなかなか出ない。


それでも。


メリナさんの指が止まった。


「……これですね」


小さな模写だった。


円。


その中に鳥。


絵が粗いため、脚の本数までははっきりしない。


でも、尾の形が似ている。


俺は身を乗り出した。


「どこにあったの?」


メリナさんが索引番号を確認する。


「東方古代資料、第七保管区」


来た。


「見たい」


「駄目です」


即答。


「なんで!」


「先ほど説明しました。古文書区画は初等科生立入禁止です」


「でもこれ、俺が探してるやつかもしれない!」


「だからこそ、正式な手続きを踏みなさい」


机へ突っ伏したくなった。


目の前にあるのに。


でもメリナさんは意地悪をしているわけではなかった。


古文書は壊れやすい。


読むだけでも専門知識がいる。


勝手に触れば、何百年残ったものを俺が壊す可能性だってある。


米と同じだ。


大事だからこそ、急いではいけない。


「どうしたら見られる?」


俺が聞くと、メリナさんは指を三本立てた。


「高等区分の研究資格を取得する。古文書担当教師の研究補助員になる。あるいは担当教師から個別閲覧許可を得る」


どれも今すぐは無理そうだ。


でも道はある。


「勉強すれば見られる?」


「それが学院です」


痛いところを突かれた。


俺は魔法を覚えたいと思って入学した。


料理にも使える。


冷却箱も良くできる。


それだけでも十分だった。


でも今、初めて別の意味で勉強したいと思った。


文字を読みたい。


歴史を知りたい。


昔の地理を理解したい。


日本へつながるものが目の前にあった時、自分でそれを読めるようになりたい。


「……やるか」


筆記試験で北部三領盟約すら知らなかった俺には、かなり遠い道だ。


それでも、火加減だって最初からできたわけじゃない。


一つずつ覚えればいい。


俺が紙をしまおうとした時だった。


メリナさんがもう一度、索引へ目を落とした。


「待ってください」


「何?」


「この意匠の出典……古文書ではありませんね」


「え?」


メリナさんが細かな文字を読む。


「古い航海記録です」


心臓が一度、大きく鳴った。


「航海?」


「百二十六年前、東方海域を調査した船団の記録。その付属図に、この鳥に似た印があるようです」


「場所は?」


「そこまでは索引には」


俺は立ち上がりかける。


でも、また止まった。


急ぐな。


ちゃんと聞く。


「その航海記録も、俺は見られない?」


「原本は無理です」


やっぱり。


「ただし」


メリナさんが続ける。


「地図部分の複写なら、地理研究室に保存されている可能性があります」


今度は完全に顔を上げた。


原本ではない。


でも地図なら。


そこに何かあるかもしれない。


日本があった海。


今は何もない場所。


そこを、百年以上前の人間がどう描いたのか。


俺はサヨの紙を握った。


今日、大図書館へ来れば答えが見つかると思っていた。


実際には、答えなんて一つも見つからなかった。


代わりに。


次に開ける扉が見つかった。


それだけで、さっきまで静かに見えていた図書館が急に違って見える。


この無数の本のどこかに、誰かが消しきれなかったものが眠っているかもしれない。


日本という名前がなくても。


意味が失われていても。


違う名前をつけられていても。


残ったものは、探せる。


俺は帰り際、もう一度巨大な書庫を振り返った。


いつか、あの奥まで自分で入る。


そして自分の目で読む。


そのためなら。


歴史の勉強も、少しくらい本気でやってやろうと思った。


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