第59話 学食がまずいなら、仕組みから変えろ
学院生活にも少し慣れてきた頃、俺には一つだけ、どうしても我慢できないものがあった。
学食だ。
まずい。
いや、正確に言えば「食べられないほどまずい」わけではない。むしろ毎日何百人もの生徒へ決まった時間に食事を出していることを考えれば、十分立派だと思う。
でも、煮込みは野菜が全部同じ柔らかさになるまで煮られている。肉は火を通しすぎて固い。味付けは塩と香草が中心で、どの皿を食べてもどこか似ている。
そして今日の昼も、俺の前には茶色い豆煮込みがあった。
「……またこれか」
スプーンですくう。
豆は潰れかけている。根菜も形がない。肉は小さいのに妙に硬い。
隣でレオルが普通に食べている。
「何が不満なんだ」
「全部一緒に煮すぎ」
「煮込みなんだから煮るだろ」
「煮ればいいってもんじゃないんだよ」
前に座っていたフィアが俺の皿を見る。
「また始まった」
「だって、同じ材料でももっと美味しくできる」
「じゃあ作れば?」
「そうする」
立ち上がった。
レオルが嫌な顔をした。
「お前、その顔で立つ時はだいたい何か起こすぞ」
失礼な。
でも最近の実績を考えると否定しづらい。
食堂の奥にある厨房へ向かうと、当然止められた。
「生徒は入るな!」
大きな声を出したのは、腕の太い中年の男だった。白い前掛けに、額には汗。厨房の料理長らしい。
奥では十人以上の料理人が動いている。
巨大な鍋が五つ。
焼き台が二つ。
野菜の籠が山のように積まれ、洗い場では皿が次々と運ばれている。
俺は入口で一度立ち止まった。
見れば分かる。
忙しい。
ものすごく忙しい。
一つの鍋には、俺なら全力で抱えても持てない量の煮込みが入っている。料理人は味を見ながら別の鍋を気にし、さらに配膳の時間まで確認していた。
「あ……」
さっきまで俺は、単純に「俺ならもっと美味しくできる」と思っていた。
でも、一人前を作るのとは全然違う。
「何だ」
料理長が睨む。
「文句があるなら食わなくていいぞ」
「いや、その……何人分作ってるんですか?」
「今日の昼は六百二十人分だ」
六百二十。
思っていたより多い。
「何人で?」
「仕込み込みで十四人」
俺は厨房を見る。
少ない。
少なくとも、俺にはそう見えた。
「薪代は?」
料理長の眉が上がる。
「なんでそんなこと聞く」
「予算とか決まってるんですよね」
「当たり前だ。学院だからって金が湧くわけじゃねえ」
さらに聞く。
肉の量。
野菜の仕入れ値。
調理開始時間。
配膳までの時間。
残飯の量。
聞けば聞くほど、事情が見えてきた。
大量に作るから、途中で鍋を細かく分けられない。
火を何度も使い分けると薪が増える。
高級な香辛料なんて当然使えない。
しかも生徒が授業を終える時間は決まっている。
俺は頭を掻いた。
「……ごめんなさい」
料理長が少し驚く。
「何がだ」
「さっき、俺ならもっと美味しくできるって思ってた」
「ずいぶん正直だな」
「でも、一皿作るのと六百人分作るのは別でした」
料理長は鼻を鳴らした。
「分かればいい」
ここで帰ってもよかった。
でも、やっぱり気になる。
材料を見る。
昨日使った骨が一部捨てられている。
根菜は全部同じ大きさ。
肉も朝から鍋へ入れているらしい。
「……条件変えずに、一品だけ試していいですか?」
「何?」
「材料費増やさない。人も増やさない。薪もできるだけ増やさない。時間も同じ」
料理長が腕を組む。
「それで美味くする?」
「やってみたい」
しばらく俺を見た後、男は笑った。
「面白い。明日の豆煮込み一鍋分だけ任せてやる」
「一鍋って何人分?」
「百五十」
いきなり多い。
でも、ここで逃げるのは悔しい。
翌朝。
俺は授業前から厨房にいた。
まず骨を前日のうちに軽く焼いてもらい、水へ入れて弱火にかけておく。これは新しい食材じゃない。今まで捨てていたものだ。
肉には、鍋へ入れる少し前に塩。
野菜は全部一緒に入れない。
硬い根菜から。
次に豆。
火が通りやすい葉物は最後。
これだけでも違う。
さらに問題は作業だった。
今までは、全員がその時必要なことを声で確認しながら動いていた。
俺は紙を一枚用意した。
**朝一――骨鍋開始。
二刻後――根菜。
次――豆。
配膳前――葉物。**
担当も横に書く。
「何だこれ」
料理人の一人が見る。
「順番」
「見りゃ分かる」
「誰が何するかも書いてある」
料理長が紙を見る。
「こんなの頭に入ってる」
「料理長は入ってても、新しく入った人は?」
男が止まった。
前世の給食室や飲食店の動画で見たような、ちゃんとした工程表じゃない。俺の記憶も曖昧だ。
でも、やることを順番に書けば、「次何だっけ」が減る。
その程度なら分かる。
昼。
二つの鍋が並んだ。
いつもの豆煮込み。
俺たちが手順を変えた豆煮込み。
使った食材はほぼ同じ。
食堂へ運ぶ。
最初に気づいたのはフィアだった。
一口食べて、スプーンを止める。
「今日、何か違う」
レオルも食べる。
「肉が柔らかい」
周囲でも声が上がり始めた。
「豆、いつもより味あるぞ」
「野菜がちゃんと野菜だ」
「肉増えた?」
増えていない。
俺は少し離れたところから見ていた。
胸が気持ちよく膨らむ。
これだ。
高い香辛料もない。
特別な魔物肉もない。
現代日本の料理そのものを作ったわけでもない。
ただ、材料の扱い方と順番を変えた。
それだけで、六百人が食べる料理の一部が変わった。
フィアが厨房から持ってきた記録を見る。
「レン」
「何?」
「これ、残った野菜の量も減ってる」
「本当?」
「あと骨を使ったから、肉を少し減らしても味が薄くならなかったって」
料理長が後ろから来た。
「薪もほぼ同じだ」
俺は思わず笑った。
「じゃあ成功?」
「今日だけならな」
厳しい。
でも料理長は、俺が作った工程表を手に持っていた。
「明日はお前抜きでやる」
「え?」
「毎日生徒に厨房へ入られちゃ困る」
そう言って、紙を折る。
「うちの連中だけで同じ味が出せたら、本当に使える方法だ」
その言葉が嬉しかった。
俺が作ったから美味しい。
それだけでは駄目だ。
俺がいなくても続く。
第五章でずっと学んできたことだ。
翌日。
俺は普通に授業を受け、昼に食堂へ行った。
豆煮込みを一口。
昨日とほとんど同じ味。
少しだけ塩が強い。
でも美味い。
「どう?」
料理長が遠くから聞く。
俺は親指を立てた。
「うまい!」
周囲の生徒が何事かと見る。
レオルが呆れる。
「お前、昨日からずっと嬉しそうだな」
「だって俺が作ってないのに美味しい」
「普通逆じゃないのか?」
「こっちの方がすごいんだよ」
自分一人なら、一鍋だけ変えられる。
でも仕組みが残れば、明日も変わる。
来月も。
来年も。
もしかしたら俺が卒業した後だって。
フィアが原価表を見ながら笑った。
「しかも前より少し安い」
俺は思わず食堂全体を見回した。
六百人。
その六百人が、昨日より少し美味しい昼飯を食べている。
前世では当たり前だった段取りや大量調理の考え方が、この世界ではこんな形で役に立つ。
現代知識って、派手な発明だけじゃない。
毎日繰り返すものを、ほんの少し良くする。
それだって十分、世界を変える力になる。
俺はもう一口、煮込みを食べた。
やっぱり昨日より、うまかった。




