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神々のいない食卓~日本の消えた異世界で、料理好きの俺は和食を作る~  作者: ちゃむたろう
第六章 学都アウルム――八歳、学校へ行く

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第57話 卵を焼いたら、先生が黙った

次の火属性実習で、アルノー先生は一人一枚ずつ薄い金属板を配った。


大きさは両手を広げたくらい。厚さは指先より少し薄く、四隅には固定用の穴が空いている。机の上に載せると、鈍い銀色の表面が魔術灯をぼんやり反射した。


「今日の課題は、この板を可能な限り均一に温めることだ」


先生が告げると、教室のあちこちから安堵の声が漏れた。前回の授業で俺が余計な質問をしたせいで、「熱の移動」について何か難しい試験をされると思っていたらしい。


俺としても少し安心した。


板を温めるだけなら簡単だ。


「ただし」


アルノー先生が続ける。


「板の一部だけを過剰に加熱した場合は減点する。火属性魔法は、出力を上げるだけなら容易だ。今日見るのは、面へ均等に力を広げられるかどうかだ」


なるほど。


鍋と同じだ。


俺は一気にやる気になった。


周囲の生徒たちが術式を組み始める。金属板の中央へ魔力を流し、そこから外へ広げるのが学院で教えられている基本らしい。レオルはさすがに手際がよく、板の下へ小さな火性術式を作り、四方向へ均等に魔力を分けていた。


「レン、今日は勝つからな」


「何の勝負?」


「前回の実技、実質お前が一番だっただろ」


まだ気にしていたのか。


俺も板へ魔力を流す。


中心が温まる。


そこから周囲へ。


けれど、すぐに気になることが出てきた。


「……これ、本当に均一?」


触ればある程度分かる。でも熱い板を何度も手で触るわけにはいかない。魔力感知で術式の偏りを見ることはできても、それは魔力の偏りであって、金属そのものの温度とは少し違う。


アルノー先生は細い棒状の魔道具を板へ当てて確認している。


でも、それも一点ずつだ。


右上。


左下。


中央。


数か所測れば大体は分かるだろう。でも、その間に細かな熱い場所があっても見落とすかもしれない。


前世なら。


そう考えた瞬間、頭の中に台所が浮かんだ。


フライパン。


弱火のつもりなのに、一部分だけ先に焦げる。


ホットプレートでも場所によって肉の焼け方が違った。


そして、焼きムラを見るのに一番分かりやすいもの。


俺は手を上げた。


「先生」


アルノー先生が嫌そうな顔をした。


「今度は何だ」


完全に警戒されている。


「卵ってありますか?」


教室が静かになった。


「……何?」


「卵です」


「聞こえなかったわけではない。なぜ魔術実習で卵が必要なんだ」


「板が均一に温まってるか見たいから」


アルノー先生は数秒、俺を見つめた。


レオルが額を押さえる。


フィアは逆に面白そうな顔をしている。


「レン。また料理する気?」


「料理じゃない。実験」


自分で言って、ちょっと格好いいと思った。


先生は当然すぐには許可しなかった。しかし俺が理由を説明すると、教室の隅にいた実習助手へ何か耳打ちした。


十分ほどして、本当に卵が二つ届いた。


「やってみろ」


許可が出た。


俺は一つを器へ割り入れ、軽く混ぜた。


黄身と白身を完全に混ぜすぎない程度。


それを、自分が均一に温めたつもりの金属板へ薄く流す。


じゅっ。


いい音がした。


同時に教室中から声が上がる。


「うわ」


「固まった!」


「いい匂い……」


そこじゃない。


俺は卵の表面を見る。


中央付近はすぐ白くなった。


右側も早い。


でも左奥だけ、まだ液体のままだ。


「ほら」


俺が指差す。


「ここ、温度低い」


ざわめきが止まった。


アルノー先生が近づいてくる。


卵へ触れず、じっと観察する。


確かに一目で分かる。


熱い場所では卵が先に固まり、温度の低い場所では遅れる。


魔力を見る必要もない。


特殊な魔道具もいらない。


ただ卵を流しただけだ。


「……もう一度やれ」


先生が言った。


今度は俺ではなく、レオルの板で試す。


レオルは少しむっとした顔をしながらも許した。


卵を流す。


中央から綺麗に固まり始めた。


ただし、四隅だけ遅い。


レオルが目を見開いた。


「四方へ同じだけ魔力を流してるのに」


「板の端から熱が逃げてるんじゃない?」


俺が言うと、アルノー先生がすぐ反応した。


「なぜそう思う」


「鍋も端の方が冷えやすいことがあるから。周りの空気に熱を取られてるんだと思う」


正確な説明ができるかと言われると怪しい。


でも、前世でフライパンを使っていれば経験として知っている。


先生はすぐ黒板へ向かった。


板の図を描く。


中央からの熱。


外へ逃げる熱。


魔力を均等に配ることと、温度を均等にすることは同じではない。


そこまで書いてから、アルノー先生の手が止まった。


教室中が先生を見ている。


しばらくして、先生はこちらへ振り返った。


「レン」


「はい」


「君は最初から、これを知っていたのか?」


「卵を焼けば熱いところが先に固まること?」


「そうだ」


「それは普通に」


言いかけて止まった。


普通。


俺にとっては。


でも、この世界では違う。


アルノー先生は俺の返事を待たず、今度は自分の金属板を持ってきた。


「もう一つ卵を寄越せ」


助手が慌てて渡す。


先生自身が術式を組む。


さっきまで生徒へ見せていた見本より、ずっと精密な魔法だった。


卵を流す。


ほぼ同時に固まった。


俺も思わず身を乗り出す。


「すごい」


でも、よく見ると一か所だけ遅い。


「そこ」


先生も気づいた。


術式を書き換える。


もう卵がないので、今度は板へ少量の水を撒いた。


水滴が消えていく速さを見る。


「……なるほど」


アルノー先生が呟いた。


その声は、授業中に俺たちへ説明する時とは違った。


完全に研究者の声だった。


フィアが隣で小さく笑った。


「先生、楽しそう」


「だね」


アルノー先生が急に顔を上げた。


「全員、一度術式を止めろ」


教室中が従う。


「今日の課題を変更する」


悲鳴が上がった。


先生は無視した。


「均一に魔力を流すのではない。卵、水、蝋、その他使えるものを用いて、板の温度差を確認しながら均一化せよ」


レオルが俺を睨んだ。


「またお前のせいで課題増えたぞ」


「でも面白いだろ?」


「……それは否定しない」


その後の実習は、完全に様子が変わった。


誰かが蝋を薄く塗った。


別の生徒は水滴を等間隔に置いた。


フィアは「卵は高い」と言って、小麦粉を水で溶いた薄い生地を使い始めた。


「それ、焼けたら食べられるね」


俺が言う。


「材料費の無駄がないでしょ」


さすがである。


そして授業の終わり。


アルノー先生が俺のところへ来た。


「今日の方法、生活魔術研究室へ報告する」


「卵を?」


「卵ではない」


少し怒られた。


「見えない差を、別の現象へ置き換えて観察するという考え方だ」


俺は一瞬、何を言われたのか分からなかった。


先生は続ける。


「高度な測定用魔道具がなければ測れないと思っていた。だが、変化そのものを見ればいい。単純だが、有用だ」


周囲にいた上級助手まで頷いている。


俺は少しむずむずした。


前世では理科の実験で似たようなことを散々やった。


酸性かどうかを色で見る。


温度で物質の状態が変わる。


直接見えないものを、別の変化から推測する。


俺は研究者でもない。


特別頭が良かったわけでもない。


ただ、日本では子供の頃から、そういう考え方に触れる機会があった。


それがこの世界では、学院の先生を黙らせるほど珍しい。


「……俺、結構すごいこと言った?」


思わず聞いた。


レオルが呆れた顔をした。


「今さら気づいたのか?」


フィアも頷く。


「悔しいけど、今日はすごかった」


「今日は?」


「今日は」


そこは強調しなくていい。


俺が少し得意になっていると、アルノー先生が焼けた卵を見た。


「ところで、これは食えるのか」


「塩あれば」


塩が来た。


先生が一口食べる。


しばらく無言。


それから、もう一口。


「……美味いな」


今度は俺が胸を張った。


「でしょう?」


魔術実習で卵を焼いただけなのに、なぜか新しい実験方法が一つ生まれた。


どうやら学都という場所では、俺が前世で当たり前だと思っていたものまで、ちゃんと使えば立派な知識になるらしい。


だったら。


まだまだ、持ち込めるものはありそうだった。


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