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神々のいない食卓~日本の消えた異世界で、料理好きの俺は和食を作る~  作者: ちゃむたろう
第六章 学都アウルム――八歳、学校へ行く

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第56話 魔法には、文法がある

入学して最初の一週間、俺は思っていた以上に苦戦していた。


実技では困らない。火を出せと言われれば出せるし、水を動かせと言われれば動かせる。問題は、その前後に先生が説明する言葉だった。


「魔力流路の形成後、属性変換点を安定させ、出力節へ接続する。この時、術式内で余剰魔力が循環しないよう注意すること」


分からない。


言っていることの半分くらいは、たぶん俺が普段やっていることだと思う。でも、名前がついた瞬間に急に知らないものになる。


俺は机の上の紙へ、必死に文字を書き写した。


隣ではレオルが迷いなく筆を走らせている。


「属性変換点って、どこ?」


小声で聞く。


レオルが一瞬だけ俺を見る。


「昨日も説明された」


「昨日分からなかったから今日聞いてる」


「威張るな」


呆れながらも、レオルは自分の紙へ簡単な図を書いてくれた。


魔力を流す。


性質を変える。


形を整える。


維持する。


図にされると少し分かりやすい。


「つまり、俺が火を出す時もこれやってる?」


「やってる。お前は全部無意識でやってるだけだ」


「便利じゃん」


「だから腹立つんだよ」


まだ言っている。


でも最近は、怒っているというより半分呆れている感じになってきた。


前の席に座るフィアが振り返った。


「レン、分からないならちゃんと覚えた方がいいよ」


「覚えてる途中」


「昨日、魔術式の記号と市場の香辛料の名前を同じ紙に書いてたけど」


「紙がもったいなかったから」


「見づらいでしょ」


その通りなので何も言えない。


やがて教壇に立っていた教師が杖で黒板を叩いた。


名前はアルノー先生。三十代くらいの男で、細身の体に灰色の長衣を着ている。話し方は淡々としているが、質問すると必ず答えてくれるので、俺は結構好きだった。


「では、今日は火属性について扱う」


黒板に大きな円が描かれる。


その中へ、いくつもの線と記号が追加されていく。


「火属性魔法とは、魔力を火性へ変換し、熱と光を発生させる術式の総称だ。初等科では火そのものの制御を中心に学ぶ」


俺はそこで少し引っかかった。


火と熱。


同じように扱っている。


先生は説明を続ける。


「火性魔力を強めれば温度は上がり、弱めれば下がる。これが基本だ」


手が上がった。


自分の手だった。


アルノー先生がこちらを見る。


「レン」


「火がなくても、熱くなることありますよね?」


教室が少し静かになった。


先生の眉がわずかに上がる。


「具体的には?」


「例えば鍋です。火に当たってるのは底だけなのに、中のスープは全部温まります」


何人かがこちらを見る。


俺は続けた。


「あと、鉄の棒の片方を火に入れると、火に触れてない方まで熱くなる。あれって、火が移動してるわけじゃないですよね?」


先生はすぐには答えなかった。


代わりに黒板へ向き直り、円の横へ一本の棒を描く。


片方に炎。


もう片方に手。


「確かに、火性魔力が棒の中を流れているわけではない」


「ですよね」


「だが熱は伝わる」


「うん」


自分でも、何をそんな当たり前のことを言っているんだろうと思う。


前世なら、小学校か中学校で習った話だ。


たしか熱伝導。


対流。


放射。


そのくらいの言葉は覚えている。


でも、細かい式なんて無理だ。


アルノー先生は黒板の棒をしばらく見た後、俺へ聞いた。


「君は、火と熱を別のものとして考えているのか?」


「たぶん」


「たぶん?」


「前の……故郷では、そういうふうに習った気がします」


日本と言いかけて止めた。


まだここで軽々しく口にする必要はない。


「火は熱を作る一つの方法で、熱そのものは別というか。熱いものから冷たいものへ移る、みたいな」


今度こそ、教室が静まった。


レオルが俺を見ている。


フィアも。


アルノー先生は、ゆっくり黒板へ文字を書いた。


**熱の移動。**


「熱いものから、冷たいものへ?」


「基本は」


「逆には?」


「勝手には行かない……はずです」


そこから先は自信がない。


冷蔵庫は熱を冷たい場所から暖かい場所へ運んでいたはずだが、それには仕事だとか電気だとか、何かが必要だった。


俺は正直に言った。


「でも、無理やり移す方法はあります。前の世界には冷蔵庫っていう道具があって」


「冷蔵庫?」


フィアが食いついた。


「食材を冷やして保存する箱」


「冷却箱じゃなくて?」


「似てる。でも魔石を直接冷たくする感じじゃなくて……中の熱を外へ運んでた、と思う」


アルノー先生の目が変わった。


「思う、というのは?」


「仕組みを作れるほど詳しくは知らないです。料理する側だったから、使ってただけで」


先生は少し考え込んだ。


ここで「じゃあ再現しろ」と言われたら困る。


俺は冷蔵庫の中に何が入っているかなんて知らない。圧縮機とか冷媒とか、名前を聞いたことがある程度だ。


でも先生は、意外なことを言った。


「それで十分だ」


「え?」


「完成品の作り方を知らなくても、問いは残る」


先生は黒板の「熱の移動」という文字を杖で叩いた。


「我々はこれまで、火属性魔法を『火を生み出す術』として整理してきた。だが君の見方では、火は熱を扱う手段の一つにすぎない」


教室の空気が少し変わった。


さっきまでただ授業を聞いていた生徒たちが、黒板を見始める。


レオルが手を上げた。


「先生。もし熱そのものを移せるなら、火を出さずに物を温められるんですか?」


「可能性はある」


「逆に、冷やすことも?」


今度はフィア。


「理屈の上ではな」


俺は思わず口を挟んだ。


「それ、厨房でめちゃくちゃ便利です」


アルノー先生が俺を見る。


「君は本当に何でも料理へ持っていくな」


「だって便利ですよ。鍋の底だけ焦がさず中身を温められたら、煮込みとかソースとか――」


「授業を戻すぞ」


止められた。


でも先生の口元は、少し笑っていた。


授業の最後、アルノー先生は黒板を消さずに残した。


いつもなら授業が終われば全部消すのに、今日は「熱の移動」という四文字だけが残っている。


「次回までの課題を一つ追加する」


教室から悲鳴が上がった。


俺も嫌な顔をした。


「火を使わず、物体間で熱が移動していると分かる例を一つ探してこい」


今度は俺が原因だった。


周囲の視線が刺さる。


「レン」


レオルが低い声で呼ぶ。


「何?」


「宿題増やすな」


「俺だって増えると思ってなかった!」


フィアはもう何か考えているらしい。


「日向の石と日陰の石とか?」


「それ、太陽じゃない?」


「火ではないでしょ」


三人で話しながら教室を出る。


俺は最後に、黒板を振り返った。


魔法には文法がある。


今日の授業で、その意味が少し分かった気がする。


俺は今まで、言葉を知らないまま会話していたようなものだった。


火を弱くしたい。


水を動かしたい。


冷やしたい。


そう思って、感覚だけで魔力を使っていた。


でも文法を覚えれば、もっと複雑なことができるかもしれない。


そして逆に。


俺が前世で当たり前だと思っていたことも、この世界の魔法という文法で書き直せば、今まで誰も作らなかったものになるかもしれない。


そう考えると、難しい授業が少しだけ楽しみになった。


ただし。


宿題が増えるのは、やっぱり嬉しくなかった。


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