第55話 天才って、ちょっと腹が立つ
入学試験の結果が張り出されたのは、三日後だった。
学院本館の前には朝から人だかりができている。子供たちだけでなく、付き添いの親や使用人まで集まっていて、掲示板の前は妙に熱気があった。誰かが自分の名前を見つけて歓声を上げ、その横では母親らしい人が泣いている。
俺は人の隙間から掲示板を見上げた。
「レン・ガルド……あった」
合格。
まずは安心した。
そのまま横を見ると、各試験の評価も書かれている。
実技――特優。
魔力制御――特優。
基礎魔力量――優。
筆記――可。
歴史――可の下。
地理――可の下。
魔術理論――可。
総合順位は、真ん中より少し上。
「……危なかったんじゃない、これ?」
午前中だけなら首席でもおかしくない気分だったのに、午後だけで思い切り引きずり下ろされている。
「実技だけなら一位だぞ」
横から声がした。
振り向くと、入学試験の日に前へ並んでいた赤毛の少年が立っていた。あの時も姿勢が良かったが、今日も背筋が妙に真っ直ぐだ。
掲示板を見ると、名前はすぐ見つかった。
**レオル・アルディス。**
総合三位。
筆記はほとんど全部「優」か「特優」。
「頭いいんだな」
素直に言うと、レオルは少しだけ顔をしかめた。
「お前に言われると、なんか腹が立つ」
「なんで?」
本当に分からない。
「お前、実技であんなことしてただろ」
「火?」
「五つだ」
レオルは自分の指を見た。
「全部違う出力で、しかも一つ消されても他を乱さず戻した。あれ、初等科の入学試験でやる制御じゃない」
そんなにすごかったらしい。
嬉しくないわけではない。
でも俺としては、鍋を複数見ている時にやっていることを少し変えただけだった。
「料理してたらできるようになったんだよ」
そう答えた瞬間、レオルの顔がさらに険しくなった。
「それだ」
「何が?」
「そういうところ」
レオルは俺を睨んだ。
「お前、魔力流路の分割は習ったのか?」
「知らない」
「多重維持術式は?」
「名前も初めて聞いた」
「属性出力の固定法は?」
「……知らない」
答えるたびに、レオルの眉間の皺が深くなる。
最後には、完全に怒っている顔になった。
「それで、なんでできるんだよ」
俺は返事に困った。
できるから、としか言えない。
でも、それを口にしたらたぶん殴られる。
「俺は五歳から家庭教師についてる」
レオルが低い声で言った。
「魔力の流し方を覚えて、術式を書いて、失敗したら最初からやり直して。昨日できたことが今日はできなくなって、また練習して。それでも、あれはできない」
その言葉を聞いて、やっと分かった。
こいつは俺が嫌いなわけじゃない。
悔しいんだ。
俺にも覚えがある。
前世で料理を始めたばかりの頃、動画の料理人が片手で卵を割るのを見て、自分も簡単にできると思った。
当然失敗した。
殻が入った。
黄身も潰れた。
その人が何年やってきたかなんて考えず、「なんで俺にはできないんだ」と腹を立てた。
俺は少し考えてから言った。
「俺も、最初からできたわけじゃないよ」
レオルがこちらを見る。
「前にいた家でも、ずっと料理してた。こっちに生まれてからも、火は毎日のように使ってる。焦がしたこともあるし、鍋駄目にしたこともあるし、魔法で失敗もした」
稲の芽を冷やしすぎた時のことも思い出す。
あれは今でも忘れられない。
「だから、俺にとっては魔法の練習っていうより、料理の失敗を何年も繰り返した結果なんだと思う」
レオルは黙っていた。
納得したようには見えない。
でも、さっきより少しだけ怒りは薄れた気がした。
「それでも天才だろ」
ぽつりと言う。
俺はその言葉に引っかかった。
天才。
褒め言葉のはずなのに、あまり好きになれない。
前世の俺は、別に何かの天才だったわけじゃない。金がなかったから安い材料を使った。妹に美味しいと言ってほしかったから工夫した。それだけだ。
この世界で魔法を使えるのは確かに才能かもしれない。
でも、それだけで全部できるわけじゃない。
実際、俺の筆記はこの有様だ。
「天才って言われるとさ」
俺は掲示板の自分の評価を指差した。
「じゃあこれ何なんだろうなって思う」
レオルも見る。
歴史、可の下。
地理、可の下。
しばらくして、口元が少し動いた。
「ひどいな」
「笑うなよ」
「北部三領盟約も知らなかったのか?」
「昨日まで存在も知らなかった」
今度ははっきり笑われた。
腹が立つ。
でも、さっきよりは話しやすくなった。
そこへ、俺たちの間から一枚の紙が差し込まれた。
「ちょっといい?」
女の子の声。
振り向く。
肩まである淡い茶色の髪。俺たちと同じくらいの年齢だと思う。服は派手ではないが、布地がいい。手には試験結果を書き写した紙を持っていた。
「レン・ガルドってあなた?」
「そうだけど」
「五つの火を同時に出した人?」
「たぶん」
「それ、普通に一つの火を出すより魔力使う?」
最初の質問がそれだった。
俺とレオルが同時に黙る。
女の子は首を傾げた。
「何?」
「いや」
俺は答える。
「小さい火なら、全部合わせても大きな火一個より少ないと思う」
「どれくらい?」
「ちゃんと測ったことはない」
「じゃあ測った方がいいね」
当然のように言う。
「なんで?」
「安いなら使い道あるでしょ」
「安い?」
「魔石代」
彼女は指を折りながら話す。
「厨房で大きな火を一つ作って、必要ない分まで燃やすより、必要な場所だけ小さく加熱できた方が薪も魔石も減るかもしれない。店なら毎日使うんだから、少しの差でも大きいよ」
今度は俺が黙った。
火を細かく分けることは、料理しやすいからやっていた。
金がどれだけ変わるかなんて考えていなかった。
「……名前は?」
「フィア。フィア・ノルン」
商家の娘らしい。
なるほど。
だから最初に金の話が出るのか。
フィアは俺の評価表を覗き込んだ。
「でも筆記は大したことないね」
「初対面でそこ言う?」
「事実でしょ」
「お前、こいつと気が合いそうだな」
レオルが笑う。
「なんで俺を巻き込むんだ」
入学前から、変なのと知り合ってしまった。
でも悪くない。
レオルは俺の知らない魔術理論を知っている。
フィアは俺が考えもしなかったところから魔法を見る。
俺が知っていることを、この二人は知らない。
二人が知っていることを、俺は知らない。
それが少し面白かった。
掲示板の前では、まだ合格を喜ぶ声が続いている。
俺はもう一度、自分の名前を見上げた。
実技だけなら一番。
筆記は散々。
どうやらこの学院では、「俺だけが知っている」で威張っていられるほど甘くないらしい。
だからこそ、少し楽しみになった。
知らないことが多い場所なら、その分だけ覚えられることも多い。
そして――。
「ねえレン」
フィアが言った。
「その火、本当に安いか今度調べようよ」
目が本気だった。
俺は思わず笑う。
学院生活が始まる前から、もう実験するものが一つ増えてしまった。




